第14話
さて、その後の顛末がどうなったかと言えば。
「ダメでした」
「……ダメでした、って」
「言葉通り、結局、ピンとくるようなものは見つからなかった、って意味です」
翌日、彼女はそんなことを――けれど、さして気負った様子もなく言った。
確かに、焦るなと言ったのは僕だけれど、だからと言ってこれほど気楽そうに言われると、それはそれで不安になってしまう。
「まぁ、ほら、結局どうしたって一日で出歩ける範囲なんて限られてますから。ちょっと見方を変えてみよう、なんて言いますけれど、それって結局、新しく価値観を築きなおす、ってことで。一朝一夕にそんなことができるならそれこそ奇跡のレベルですよ」
「それは、そうなんだけど」
もう一度、彼女の表情を窺う。けれどそこには、少なくとも読み取れるレベルの悲嘆であったり悲しみであったりといったものはない。或いは、いよいよ追い詰められて自棄になっているのかもしれないと思う。
「……やっぱり、明日もあった方がいいんじゃ」
だからついそう口に出してしまったのだけれど――彼女はそれを聞いて、あぁ、と思い出したように、
「いえ、そっちは大丈夫です」
と、そんな風に言う。
「……大丈夫、って、だって、何も見つからなかった、って」
「あー……えっと、確かにそうではあるんですが、言い方が悪かった、というか」
そう言って言い淀む彼女。その様子を見ていてふと、僅かに感じていた硬さのようなものの質が、昨日とは違うことに気付く。
「えっと。結局、どうにも感覚がつかめなかったのは事実、なんですけれど、それでよかった、というか」
「……それで、よかった?」
「はい。……ほら、昨日トオルさんに言われたことですよ」
どうにもその真意をつかみかねて問い返してしまった僕に、彼女はそう答えた。
それを聞いて、それでも、少しくらい気を抜けばいい、という以外のことを言ったつもりもない僕は未だ彼女の言いたいことを汲み取ることができない。
「……今朝、トオルさんに言われたことを改めて色々考えてみたんです」
故に言葉に詰まる僕を置いて、彼女はそう切り出す。
「元々、そこまで他人の価値観にこだわっていたつもりはなかったんですが、それでもつい、誰かの意見に左右されていたというか……多分、『私なりの』、って観点が少し欠けていたんじゃないかな、って思って。それで今日は、少しだけアプローチの仕方を変えてみたんです」
「と、いうと」
「……そう、ですね」
彼女はちょっと言い辛そうに言う。
「……実は今日、少し買い物に行ってみたんです」
そしてその内容は、正直に言って、まったく予想もつかないものだった。
「買い物、って」
「はい。言葉のとおり――いつもは行かないような場所に行って、服とか、日用品とか、そう言ったものを見て回ったんです」
そう言うからには、買い物、というのも言葉通りの意味で、そこに特別な含意があるわけではないのだろうと思う。
けれど、彼女がそうした理由までは察することができなくて――結局その意図はわからないまま、しかし頭の片隅で、似たやり取りをしたことがある、そんな記憶が蘇りかけていた。
そう、あれは――僕が、『趣味』を探しに行った時のことだった。
「それ自体は、別に大したことじゃないんです。強いて言えば、普段はあまり直接買い物をする機会はないんですけど、それくらいの差で。……けれど、だからこそ意味がある、というか」
そう言って彼女は言葉に迷う。先を促すことができるほど彼女の言いたいことが分かっていない僕はただ続きを待つ。
やがて。
「……そう、『私なり』のものを見つけようと思ったんです」
不意に、彼女の話は始点に戻る。
「誰かの『美しい』を理解しようとするなら、誰かがそう言うそのものを見ればいい。けれど、自分が『好きだ』って思えるものを探すためにどうしたらいいのか。……多分、それを見つけ出すためには、もっと基本的なものに多く触れる必要があると思ったんです」
「……それで、買い物」
「はい」
少しだけ、話の全体像は見えてきた気がする。
「少し大きいところに行けば、商品もかなりの数がありますし……服なんかであれば、元々ある程度意識しているものですから、少しは何とかなるかな、なんて思って」
「そうなのか」
「はい。……元々、選び方とかそう言ったものはある程度教わっていたので、色や柄なんかは説明を聞いたりして。なので、とっかかりとしてはいいかと思いまして」
「……何というか、その、このタイミングでよく、というか」
「そうですね、ちょっと大胆だったとは、自分でも思います。……けれど、結果としては、これで正解だったように思います」
そう言って彼女は、少し恥ずかしそうな顔をする。
「……というか、その、上手くいかなかったらまた別の手を、なんて考えていたんですが……気づけば、思った以上に熱中してしまって、ですね」
「……そんなものなのか」
「はい。……その、好きなものを探す、ってことは、やっぱり楽しいものだな、って」
そう言って――そこで、彼女は微笑みを見せる。
「……ですので、すみません、トオルさんから頂いた最後のチャンスは、そんな風に消費してしまいました」
そう言う彼女の、しかしその表情は、言葉とは裏腹に晴れやかで。
「……でも、それでも成功だった、って」
「はい」
だから僕の問いに、彼女は肯いて答える。
「結局、それが『美しい』とか『綺麗だ』ってことなのかはわかりませんでしたけど……それでも、今日一日で、こんな色やこんな模様が良い感じだ、ってものが沢山見つかって。そしてそれは、少なくとも今までには、感じたことも、そう感じる余裕もなかったものですから」
だから、今なら他のことも、何とかなるんじゃないかって思うんです、と、彼女はそう締めくくる。
その様子に安堵を感じつつも――しかし、少しだけ引っかかることもあった。
「でも。……なんだか、ここに来た時は少し浮かない顔をしてたようにも見えたんだけど、あれは大丈夫なのか」
そう問えば、彼女はまた表情を僅かに曇らせて。
「……そう、ですね。そうは言っても本番とはやはり感覚が違うと思いますから、それが不安だったり、その日が迫ってきている緊張だったり。……あとは」
そこで彼女は言葉を切って――そして、不安そうとも、寂しそうともとれる表情を浮かべて。
「……私だけが、こんなことをしていていいのかな、って」
それは。
多分、彼女が、これまでうまく誤魔化してきていた問いなのだろう。
これまで彼女は、『見える』時間のほぼ全てを『美しいもの』を見るために費やしてきたようで。そしてそれは、勿論『美しい』という感覚を知りたい、という目的が一番にあったのだろうけど、同時に『目的』に即した行動に終始することもまた重要だったのだろう。
彼女と僕の間で視覚が貸し借りできるようになったこと、それは本当に天の采配以外の何物でもないのだけれど――しかし、そこに確かな『目的』――どうしても見たいもの、があるとはいえ、他の誰でもなく、彼女にだけそれが許されたのがなぜか――そして、それが許されていいのかどうか、という葛藤を、当事者である彼女が抱かなかったなんてことは、おそらくないのだから。
その是非は、僕には推し量ることができない。そもそも正誤なんてものが存在するかどうかすら疑わしい。僕には彼女の『目的』がどれだけ大切なものかがわかるわけではないし、たとえそれがどんな理由であろうと、それでも恨みや妬みの対象にならない保証はない。
だからその葛藤を根本から消すようなことはできないのだけれど――
「……目の見えない人に、どうすれば『赤色』を教えられるんだろう、っていうようなことを言った人がいてさ」
僕の声に、彼女が顔を上げる。
「君は『見たいものがある』って理由で、『赤色』を知っている人になった。それが良いことか悪いことかはわからないけど――でも、そうなった意味、って言うのもきっとあるはずで。もし気になるなら、これからそれを探していけばいいんじゃないかな」
その言葉に、彼女は不満そうな表情を作って。
「……トオルさんの、妙に鋭いところとか、嫌いです」
と、そんなことを言う。そう言われてしまっては、僕も肩をすくめる以外になくて。
けれど、まぁ、的外れだとは言われなかったのだから、今はそれでいい、とも思う。
「……まぁ、でも、そうですね。ひとまず、今の私にとって一番大事なものはその『目的』の方ですし――今はそっちに集中しないと」
「そう、だな。……それで、本当に明日は大丈夫なのか」
「はい。今ならきっと何とかなると思いますし、それに――少し時間を置いた方が、素敵に見える、なんてことも、あるかもしれませんし」
それから彼女は揶揄うように笑って。
「……さて、そんなことよりも」
「そんなこと、って」
「言葉の綾、ですよ。……ほら、名前ですよ名前。どうします?」
言われて――どうにも毎度毎度、この話題も都合よく使われるな、と思ってしまう。
「ほら、よくよく考えてみれば、あと三日、ということで、トオルさんの解答権もあと合計で二回しかないわけですよ」
「うん。……うん?」
その言葉に、焦るよりも先に別のことが気になってしまう。
それで少し考えて――そうして理解が追いつく。
「……そうか、そう言えば――僕は、君が目的を達成できたかどうか、知る手段がないのかな」
そう言うと、彼女は少し意外そうにして――それから静かな声で。
「そう、なりますね、多分」
「そう、か。……別に貸し借りとか抜きで、とか、そう言うわけにはいかないのかな」
「はい、おそらくは。……元々これ自体がその『目的』に付随しているものだということは以前話しましたけれど……それは裏を返せば、『目的』を達成した後はこうする理由がない、ってわけですから」
「まぁ、そうか」
それは、当然と言えば当然だった。いくら奇跡のようなものだとは言えど、僕の『視覚』を代償に成り立っているのだから、そこまで万能でも、融通の利くものでもないのだろう、ということは薄々察しがついていた。
それでも、ここまで、決して好意的なばかりではなかったとしても関りを持った相手の願いが成就したかどうか、それを聞くことができない、ともなれば、それを少し寂しいと思ってしまうのも、致し方ないことではあると思う。
「まぁ、仕方ない、か」
どうしようもないことはどうしよもうないのだ。それに――一番大事なことは、どうしたって彼女の『目的』が達成されることで。だったら、僕がそこに関わったことがせめて少しでも彼女にとって良い方向に働いてくれればいい、と、せめてそう祈ることができれば、それでいいのだ、なんて考えることとする。
気持ちを切り替える。とにかく今はこの『ゲーム』に集中しよう。それに――今日は、多少考える時間があったおかげで、多少は解答にも自信がある。
「で、ゲームの答えの方だけど……サキ、なんてどうだろう」
その僕の答えに、彼女が微かに反応したのが見えた。
今日は少し考え方を変えて……とはいっても、『花子』から『咲く』を連想した、なんていうこれまた安直な代物ではあったのだけれど、案外いい線を突いていたのかもしれない。
「……惜しい、ですけど、ハズレですね」
けれどそれとて正解には至らなかったようで、僕は肩を落とす。……まぁ、当たらずも遠からず、な感じらしいので、考え方としてはそう間違っていなかったのかもしれないけれど。
「残念。……これで、残すところ一回か。元からそうそう当たりそうでもなかったけれど、これは本当に正解できないまま終わりそうだな……」
「そうですね。ましてや解答者がトオルさんですし」
「……どういう意味だ、それ」
つい声が険を帯びてしまったけれど、そんな僕の様子に、彼女は可笑しそうに笑って。
「まぁまぁ、別に悪い意味で言っているだけではありませんから」
なんて言う。
「……まぁそう言うわけで、明日の解答には期待していますよ、トオルさん」
「そう、だな。せいぜい頑張ることにするよ」
そう言って別れた彼女の顔に――しかしほんのわずか、寂寥のような見えた気がしたのは気のせいだっただろうか。
そうして。
目覚めた僕は、ひとり、『夢』の中でのことを思い出して、何とも言えない気持ちに捉われていた。
結局、切り替えたつもりでいても、彼女の『目的』、その結末を見届けることができない、というのはどうにも気がかりで、しかしだとしても、どうしようもないこともまた事実で。
『こんなとき、どうしたらいいんだろうな』
だから、一応、大学にまだまともに通っていた時期、知人の勧めで始めたものの結局さして使うこともなかったとあるSNSにそんな投稿をしてしまったのは、ただの出来心で。
それに返信が付いたのは、ほんの数分後のことだった。
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