第11話

「ユキ、なんてどうだろう」


 翌日の『夢』の中で、僕は唐突にそう聞いた。


「残念、ハズレです」


 特に何の話だ、とは言わなかったけれど、名前の話だ、と理解したらしく、彼女はすぐにそう答える。

 名前当てに関するこうした流れは、三回目になってなかば恒例化していて。そして残念なことに、僕の不正解も、同じく恒例化しようとしていた。

 まぁ、多少ヒントが加わったからと言って結局、莫大な数の中からただ一つの答えを探す、という無茶な状況は変わっていない。だからさほどのショックもなく、僕はただ肩をすくめるにとどめる。

 結構よくある名前だし、漢字なんかも色々パターンがあるから案外、願いや想いの類も込めやすい。


 それに——雪、という字を当てることだって出来る。雪景色、となれば、彼女はきっと目にしたことがないだろうから、馴染まない、という言葉にも沿っているかもしれない、と、一応はそれなりに考えてみた結果なのだけれど。


「……因みに、昨日の答えより遠ざかっています」


 しかし続いた彼女の言葉には、流石に若干のショックを受ける。


「……まさか、散々考えた末に『花子』に負けるなんて」


 独り言のようにそう言うと、彼女は少し首を傾げて興味を示すような仕草を見せる。

 正直なところ、ハズした答えの解説をする、ってそこそこ恥ずかしいことだと思うのだけれど、さりとてさっき『考えた』と言ってしまった手前、なんとなく、と言って流すこともできない。仕方なく僕は、どうして『ユキ』だと考えたのか、という理由をざっくりと彼女に説明する。

 一通り話し終えると、彼女は納得したように「あー……」という声を出して。


「……確かに、結構いますね、ユキって名前の人。意味なんかを聞いてみても、結構人によって違うみたいですし」


 ですけど、と彼女は続けて。


「……えっと、雪に関しては、とりあえず私の場合では、それなりに馴染みがある方なんですよ」

「あれ、そうなのか」

「はい。……まぁ、確かに、辺り一面の雪景色、とか、白銀の世界、とか、そんなことを言われてもよくはわからないんですけど……ほら、雪って、冷たいじゃないですか」


 その言葉の意図を考えるより先に、取り敢えず反射的に頷いてしまう。雪は勿論冷たいものだろう。何しろあれも、確か氷であるわけで。


「だから、雪が降った、とか、積もった、とか言われた時……それを見ることはできませんけど、それでも落ちてきた雪が肌に触れたり、積もった雪を触ったりしたときに、冷たい、って感じて、そこに雪があるんだなぁ、って思えるんです。……そういうわけで、雪は、わたしにとって結構身近なものなんですよ」

「……なるほど」


 考えてみれば僕だって、昔は雪が降るたびにその積もり具合に一喜一憂したものだけど、あれは真っ白になった風景が珍しい、というのと、雪を踏みしめ、触れて、戯れたい、という思いが重なった気持ちだったような気がする。

 それはそれとして、彼女の様子が妙に楽しそうなのが少し気になって。


「……ひょっとして、雪、好き?」


 と思わず聞いてしまえば、彼女はやや食い気味に。


「ええ、好きです」


 と答えた。


「……まぁ、あまり積もると気軽に出歩けなくはなるんですけど、それでも家からあまり離れすぎない範囲で色々と、遊んだりするんですよ。触ってみたり、ちょっと踏み歩いてみたり、あとは……少しだけ口に入れてみたり」

「あれ、意外と汚れてるからやらない方が良い、って聞くけど」

「……いいじゃないですか、少しくらい。それで体を壊したこともないですし」


 そう言って、少し腹を立てたような表情を見せる彼女。……最近、薄々と気づいてはいたけれど、初めて会ったときの冷ややかな雰囲気とは裏腹に、意外とやんちゃというか、お転婆というか、そういう側面もあるようだった。


「……まぁ、そんなわけで、残念ながら今日もハズレです」


 その言葉に、僕は肩を竦めた。

 それから、ふと思いついて。


「……じゃぁ、因みに、馴染みがないものって」


 そう聞くと――彼女はなんだか不満顔になる。

 何故だろう、と思うけれど。


「……それ、あなたの推測が当たっているとしたら、かなりのヒントになると思うんですが」

「あ」


 何となく気になって聞いてみたけれど、よく考えてみればこれは名前当ての文脈で話しているわけで――となれば、そう取られてもおかしくない。

 いっそもう、もう一度ヒントとして聞いてしまった方がフェアだろうか、なんてことを考えていると――しかし、彼女は案外あっさりと。


「……まぁ、いいですけど」


 と、そんな風に言うので、僕の方が若干拍子抜けしてしまう。


「いいんだ」

「まぁ、あくまでも当たっていれば、の話ですしね」


 そう言ってから、彼女は少し言葉を纏めるように沈黙する。


「大まかに言ってしまうなら、触れないもの、ですかね」


 そう言われて。確かに、『見えない』状態で使える感覚と言えば、触覚、味覚、嗅覚くらいで。その中でも手探りで何かとすることが多いというのは自分で体験しているから納得ができること――なのだけれど


「……えっと、例えば」


 そう聞いてしまったのは、物理的に触れないもの、というのがなかなか思い浮かばなかったからで。

 しかし、彼女はさほど悩む様子もなく。


「そうですね……例えば、火、とか」


 そう言われて納得する。確かに、火なんかは、物理的に接触することはできるけど、火傷して痛い目を見るに決まっている。


「……あとは、触ってもあまり感触がないものなんかもこの部類に入ります。標本とか、そういった壊れ物なんかも、迂闊には触れませんし。……あと、絵画とかそういった、視覚で捉えないと意味がないように作られているものなんかも、実態がつかみにくいものに入ります」


 確かに、彼女の言葉に沿って考えれば、『触れない』ものは結構たくさんあるようであった。


「……なるほど。つまり僕は明日『鍋』って答えれば――」

「――言いましたね、本気にしますよ」


 そんな僕の小粋な冗談は、彼女の絶対零度の声によって遮られる。


「というか、鍋って。そもそも加熱中でなければいくらでも触れますし」

「……はい、ごめんなさい、なかったことにしてください」


 流石に一日一回の解答権を無駄に消費するわけにもいかず、また流石に若干ふざけすぎたという自覚もあったので、僕には謝るという選択肢以外は残されていなかった。




 そうして話がひと段落して、束の間、僕らの間で言葉が途切れる。

 そう言えば、特に意識はしていなかったけれど、名前の話をすぐに切り出したせいか、いつもよりだいぶ早く話が終わったような気がする。

 昨日なんかは、ほとんどを名前の話に費やしてしまったけれど――だからこそ、これまでなんとなく、で話していたような他愛もない会話を、さほど交わしていないような気がした。

 そしてそれは、この沈黙を埋めるには相応しいような話題であるような気がして――だから不意に、僕は切り出す。


「……そういえば今日、ラジオを買ったんだよ」


 彼女はその言葉を、意外だ、というような表情で受け止める。


「ラジオ、ですか。……てっきり、ニュースとか、そう言うものには興味がないものだと思っていましたが」

「それは……うん、その通りなんだけど」


 肯定すると、彼女は「まぁ、そうですよね」とでも言いたげな表情になる。

 だったら一体、何のためにラジオを使うかといえば。


「……天気予報、今まではネットで見てたから、見えないと知る方法がなくて」

「あ、それはそうですね」


 そう告げると、彼女はあっさりと納得する。

 ここのところ外出することが増えてきたし、何となくこれからもしばらくは増えそうだという予感がしている僕だけれど、しかし、外出するなら天気を気にせずにいることはできないのである。うっかり自転車で外出して、帰り道で土砂降りの雨、なんてことになったら洒落にならない。

 何しろ、春の天気は変わりやすいのだ。


「……で、ふと気になったんだけど、君はラジオとか」

「私ですか。……まぁ、そうですね、それなりには」


 どことなく煮え切らない返答の彼女。

 やがて、付け加えるように。


「……まぁ、私も、ニュースを気にしない、とか、そのあたりは人のことを言えませんから」


 まぁ、それに関し、てはなんとなくそうだろうな、とは思っていた。以前、自分で、趣味嗜好は一般的な女子の感性とそう離れてはいない、みたいなことは言っていたし、彼女の性格的にも、政治ニュースなんかに噛り付いている様子も思い浮かばなかった。


「あとは、スポーツなんかもあんまり……あ、でも、バラエティとか、そういうのは結構好きですよ」


 彼女は、ふと思い出した、といった風にそう告げる。


「へぇ。ちょっと意外だな」

「そうでしょうか。……まぁ、一人暮らししていると、それなりに暇な時間もあるし、ついついそういうものに手が伸びてしまうんですよ」


 その感覚は、少しだけわかる気がした。

 実家にいた頃は、それほど親と仲が良かったわけではないとはいえ、それでもふと空いた時間には、ちょっとした団欒の時間があった。

 けれど、こうして一人で暮らしてみれば、食事にしろなんにしろ簡素に済んでしまうし、家事とかそういったものだって、サボろうと思えばいくらでもできた。それに僕の場合、大学に行ってすらいないのだから猶更だろう。


 そうした空き時間を埋めるために、ついつい何かに手を伸ばしてしまうのは致し方ないことなのかもしれなかった。


 それに――特に、ラジオは、人の声がするものだから。

 家に一人でいると、あまりにも静かすぎるから、時折その暖かな雰囲気に触れたくなるのも、きっとどうしようもないことだと思うのだ。


「……じゃぁ、折角だし、何かお勧めの番組とか、あるかな」

「おすすめ、ですか。……そうですね」


 そんなことを考えて、何とも言えない気分になった僕は――だからつい、そんなことを訪ねてしまって。それを受けて彼女は、さして迷うこともなく、いくつかの番組名をそらんじた。


「——と、こんな感じでしょうか。……最近は、ネットで聞けるサービスなんかもあるそうですし、お暇なときにでも聞いてみると良いと思います」

「……なるほど、ありがとう」


 そんな風に答えながら、ふと、明日の『見えない』日の潰し方は決まったかな、なんてことを考えた。

 そんな僕に――彼女は、ふと一瞬だけ、何かを測りかねているような表情を浮かべて――けれどすぐ、それを打ち消して。


「さて、今日はこんなところでしょうか。……それでは、また明日、視覚をお借りしますね」


 そう言って微笑んだ。



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