第13話「おさらばでございます」

 アルスはまばたきすら忘れて、騎士と騎士との決闘を見守った。

 リフィータの養父ようふにして師、オランデルはくウォーケンはたった一人で敵陣深くに立っている。対するは、円卓同盟ジ・アライアンスでも最強の騎士集団、円卓の騎士……第拾壱席だいじゅういちせき、ボルグ・ダンケルク。

 狡猾こうかつで残忍な挑発をしながら、武人の気迫に満ちた男に見える。

 ――いな、感じる。

 離れた場所にいても、アルスはにらみ合う両者にビリビリと肌を炙られてる気分だ。


「……はたを」


 不意に、傍らのリフィータがつぶやいた。

 その声は、酷く小さくか細い。

 敵軍にしんがり姫と恐れられた少女が、今は震えていた。

 そしてすぐに、あとからやってきた騎士たちが声をあげる。

 あっという間に、父の背中を見詰める娘の言葉はかき消された。


「くっ、ウォーケン殿をお助けせねば!」

「円卓め、許せん……我らがリフィータ殿下を侮辱するなど!」

「命を捨てるはここぞ、今こそたけせ参じるべき!」


 危険な熱気が周囲に伝搬してゆくのを、アルスはその目で見た。

 そして、悲痛な叫びをも聴く。


「なりません!」


 振り返ったリフィータは、血気にはやる騎士たちを一喝いっかつした。

 そして、静かに呼吸を整える。

 彼女は豊かな胸に手を当て、ゆっくりと息を吸って、そして言葉を選んだ。


「出撃は許可しません。ですが、旗を……ありったけの戦旗せんきを集めなさい。ここに、すぐ」


 怒りやたかぶりはなかった。

 リフィータは咎めるように声を作らなかったし、冷静な、ともすれば冷徹な程にんだ声音だった。りんとして響く、しんがり姫の声に誰もが一瞬固まる。


「アルス、皆も……旗を集めてください。我らの継戦の意思を示します」

「しかし、ウォーケン殿が! どうか、出撃の許可を!」

「なりません。私はすでに、帝國ていこくの財産たる全ての騎士、全ての兵、全ての民を国へ生きて帰すと誓っています。その決意と覚悟の未熟さが、ウォーケンをあの場に立たせているのです」


 そう、誰よりも痛恨の想いを今、リフィータは胸の奥に沈めている。

 彼女には今、悲しむことも嘆くことも許されない。

 アルスにはわかる……本当は、今すぐ飛び出して養父を止めたいはずだ。彼女にとって、ウォーケンこそが本当の父親で、父親である以上に師であり、家族だったのだ。

 アルスは身を正すと、走り出す。


「殿下、旗を集めてきます! 皆さんも、手分けして城中から旗を集めてください!」


 螺旋階段を転がるように降りて、一息に尖塔せんとうから城内へと飛び出す。

 なにごとかと、多くの者たちが動揺も顕だ。兵士は勿論、避難してきている民も不安そうにしている。

 城の中にはまだ、ウォーケンが敵の挑発に敢えて応じたことは知られていない。

 瞬時にアルスは機転を働かせた。


「皆さん、旗を! 動ける人はみんな、なんでもいいんです、旗を……ボロ布や布切れでもいいから、旗を持って城壁の上へ!」


 ざわめきの中、叫びながらアルスは走る。

 今の自分には、こんなことしかできない。

 そして、内心では恥じ入っていた。

 この状況で、ウォーケンを追って出撃するなど蛮勇ばんゆうだ。リフィータが許さないのはわかるし、最初から知っていた。今はなにより、全員で生還するための作戦を固め、実行する時だ。

 だが、同時にアルスは痛感させられた。

 今の自分には、


「クッ、僕は……なんて弱いんだ。乗り込むスチームメイデンがないことを言い訳にしてる気がする! 殿下に行くなと言われて、ホッとしてしまったんだぞ!」


 悔しさにくちびるを噛むも、うつむき黙る余裕は許されない。

 旗を持って城壁の上へと、それだけ叫んで走り回る。

 そのまま格納庫ハンガーの方へと行けば、整備員たちのくたびれた顔が出迎えてくれた。きっと、ウォーケンのシルフィスを稼働状態までもっていくために無理をしたのだろう。

 見れば、奥でチェイカが振り向いた。

 相変わらず、灰色のシートに覆われた謎のスチームメイデンの上にいる。


「アルス? えっ、なに? 旗?」

「そうです! もう、それしか」

「えっ、じゃあ……父さんがさっき出ていったのって!」


 すぐにチェイカは走り出した。

 彼女は転がるように床に降りて、そのまま資材置き場の方へと向かう。

 気付けばアルスは、その小さな背を追っていた。

 奥から、ポールとセットの軍旗が出てきて、それを担ごうとしたチェイカがよろけた。慌ててアルスは、その重さを分かち合って支える。


「多分、これが一番大きいかも。……父さんの、旗だから」

「えっ、じゃあオランデル家の」

「いいの! だってそうでしょ……なんか、出てく時の父さん、妙に優しかった。本当はすっごく不器用な人だから、つまりそういうことだったんだと思う」


 チェイカと二人で、旗を持って駆け出す。

 整備班の者たちも、慌てて動き出していた。

 城壁へと向かえば、途中で合流してくる女性が一人。

 女性にしか見えないが、女装したフィオナだ。彼はこっちを見付けてると、肩に担いだ長竿ながざおをクイと掲げてみせた。


「よぉ、お前の親父オヤジさん……すげえな!」

「どーも! フィオナだっけ?」

「ああ。あとチェイカ、お前もすげえ。オレのスキュレイド、完璧な整備だったぜ?」

「もっと手間暇かけたいんだけどさ。ま、綺麗にアタリも出てたし、それより!」


 既に城壁の上は、人混みでごった返していた。

 その中に出て、アルスは目を見張る。

 ヴィザンツ帝國にその人ありと言われた、騎士の中の騎士……ウォーケンの凄絶な戦いが総身を震わせる。

 そう、既に決着はつきつつあった。

 それも、スチームメイデンに詳しくない避難民にもはっきりわかる形で。

 もともと不調だったウォーケンのシルフィスは、よくて中破というレベルまで破壊されていた。むしろ、動いているのが不思議なくらいだ。

 そして、ボルグのドゥルルーガには目立った損傷はない。

 だが、真っ先に違和感を口にしたのはフィオナだった。


「おいおい、あのオッサン……もっとやれる筈だろうによ! なにやってんだよ」

「父さん、やっぱり。共食い整備のあとで、慣らしもしてないから」

「いや、それにしたって。……ハハーン、そうかよ。そういう男かよ、オッサン!」


 不意にフィオナは、手にした旗を風へと突き立てる。

 はためく旗は、彼が家族と営む武装娼船ぶそうしょうせんアガルタの紋章が刻まれていた。

 見れば、周囲の者たちもめいめいに旗を振っている。

 それは敵陣からでも、よく見えるだろう。

 アルスも迷わず、チェイカと共に持ってきた旗を広げた。

 そして、頭上で叫ぶ声を聴く。

 リフィータの声は、拡声器がなくても真っ直ぐに戦場へ注がれた。


「我が養父、オランデル伯ウォーケン! 貴殿きでんの戦いに感謝を! その勇姿、しかと見届けました! ……よい旅を」


 リフィータが、軍旗を振りながら叫ぶ先で……二騎のウォーメイデンが同時に地を蹴る。

 そして、アルスは目撃した。

 ボルグのドゥルルーガが振りかざす剣が、大上段から振り下ろされるのを。

 袈裟斬けさぎりに一撃を浴びたウォーケンのシルフィスは、漏れ出る浄気スチームの中にけむって消える。痛撃つうげきというやつで、操縦席まで貫いたかもしれない。

 周囲を白く染める浄気は、タービンの破損を意味していた。

 だが……無数の旗をなびかせる風が、その白い闇を払ってゆく。

 そこに誰もが、老将の笑みを見た。


「フ、フハハハハッ! 待っておったぞ、この瞬間を!」


 高らかに響く声が、まるで少年のように弾んでいる。

 同時に、ボルグの苦虫を噛み潰したような声が聴こえた。


「クッ、わざと? 剣が……ええい、動かぬ、抜けぬ!」

「馬鹿、め……馬鹿め! リフィータ殿下であれば今頃、貴様の命はない!」

「老兵がよく喋る! 直撃だぞ? それを」

「貴様ごとき、円卓ごときの相手など、この老骨ろうこつで十分ということよ。騎士ごっかがやりたきゃな、ボウヤ……女や子供を守ってこそさ。冥土の土産に教えてやるのと、それと!」


 崩れ落ちそうになっていたシルフィスが、ドゥルルーガの右腕へと両手を伸ばす。

 ウォーケンは最初から死ぬ気だった。

 そして、ただでは死ぬまいと好機チャンスうかがっていたのだ。

 同時に、敵との戦いで防戦に徹し、形勢不利を演じて罠を張っていたのである。


「貴様っ、往生際おうじょうぎわが悪い! 帝國一の騎士の名が泣くぞ! ええい、離れろ!」

「いいや、断る! 腕一本は貰っていくが、許せ……貴様にはこのウォーケンを倒したほまれを送ろう。末代まで誇るがいい。だが! 勝ちはやるが、負けてはやれんのよ!」


 先ほどとは別種の浄気が吹き上がった。

 ボルグのドゥルルーガが、右腕部を根本から引っこ抜かれてよろけた。

 その瞬間に既に、一騎打ちは終わっていたのだ。

 それを示すように、円卓同盟の騎体が無数に殺到し、あっという間にウォーケンのシルフィスは何度も刃で串刺しにされる。

 壮絶な最期さいごに、思わずアルスは尖塔の高みを見上げた。

 そこでは、旗を振るリフィータが必死で涙を堪えている。

 しんがり姫は、涙を見せない。

 泣き濡れる者たちを救うために、泣くことさえ許されずに戦う覚悟がそこにはある。


「総員、旗! 振れっ! オランデル伯ウォーケン、見事なり! これで貴重な時間が稼げました。我らはこれより、撤退作戦の最終局面に入ります!」


 味方を鼓舞こぶし、リフィータはボルグの奸計かんけいをすり抜けた。

 ウォーケンが命を捨てて、全軍の士気と愛娘まなむすめを守ったのだ。

 壮絶なその最期を見て、誰もが騎士の忠節に涙し、心を一つにするだろう。ボルグは一騎打ちに勝って、リフィータの心をへし折ることに失敗したのだ。

 だが、アルスは知っている……チェイカはもう気付いている。

 しんがり姫などと呼ばれている少女は、大いなる喪失のきずを負った心を隠して……ただただ今は自分の奥底に秘して戦う。これからが彼女の本当の戦いなのだった。

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逆撃のしんがり姫 ながやん @nagamono

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