第12話「雲雀、我が子のために羽撃く」
会議室を、張り詰めた沈黙が支配した。
リフィータはただ真っ直ぐ、
そんな緊張を突き破ったのは、突然転がり込んだ兵士の声だった。
「緊急! 緊急です! ご無礼ご
すぐにリフィータは立ち上がった。
居並ぶ騎士たちも、一様にどよめき立つ。
真っ先にアルスは、
少年は胸に手を当て呼吸を整え、ようやく声を絞り出した。
「敵の将が……円卓の騎士、ボルグ・ダンケルクが!」
「円卓の騎士、ボルグ・ダンケルク……はっ! あの時の騎士だ」
このフレスヴェルグ城へ向かう中、アルスはリフィータやフィオナと共に敵陣を強襲した。敵の艦隊を叩き、攻城砲を減らすためである。
電光石火の奇襲作戦で、その騎士はアルスの前に立ちはだかった。
円卓の騎士……それは
そんなことを思い出していると、不意に風が
「リ、リフィータ殿下っ! いけません、お待ちを!」
リフィータが部屋を飛び出してしまった。
恐るべき健脚で、とてもお姫様とは思えない。身体能力的にも、リフィータは優れた肉体を持っている。
急いで追いかければ、リフィータは一目散に物見の塔へと向かっている。
その姿が螺旋階段の上に見えなくなり、アルスは何度も目を丸くした兵士たちと擦れ違った。
塔を昇りきって視界が開けると、身を乗り出すリフィータの姿があった。
見張りに立っていた兵士たちも、突然現れた皇女殿下に驚いている。
「殿下! ……出撃、しないのですね。よかった……」
「まずは状況を見定めねばなりません。……あれは!」
あの
だが、すぐに彼女は普段の
兵が見ている。
たとえ一人の兵でも、決して動揺を、無様を見せてはいけない。リフィータの心の乱れは、ギリギリの防衛戦を維持している兵士の一人一人を打ちのめす。リフィータこそが、最後の希望にして
彼女は
「敵側に動きがあったと聞きました。状況の報告をお願いします」
「はっ、はは、はい!」
「緊張することはありません。
「ハッ! ……ご覧ください。敵の総大将があのような! これは、侮辱です!」
リフィータは、兵士が差し出す双眼鏡を手に取った。それを目に当て、ダイヤルを調整し、まるで身投げするように上体を空に突き出す。
慌ててアルスは、その細い柳腰へと抱き着いて押し留めた。
なにかが今、リフィータを引きつけている。
その目を奪って、意識を引き寄せているのだ。
「なにが見えるんですか、殿下! 危ないです、本当にもぉ……殿下!」
「……ウサギ」
「ウサギ? ウサギがどうしたんです!」
「ご覧なさい、アルス。ウサギです」
ようやく身を引っ込めたリフィータが、双眼鏡をわたしてくる。その表情は硬く、青ざめて見えた。それでも彼女は、無理に笑って指揮官の顔を崩さない。
恐る恐るアルスは双眼鏡を目に当て、そして息を飲んだ。
「あ、あれは……!」
「
アルスが遠眼鏡の奥に見たものは、虐殺だった。
無数のウサギが、天へと突き立つ槍の
そして、そんな無数の槍の中で、一人の男が
拡声器を使って、戦場に響き渡る声が笑っていた。
「ヴィザンツ
あれが恐らく、敵将ボルグ・ダンケルクだろう。剥き出しの上半身には、大量の戦傷が残っている。そして、それを勲章のように飾るのは、
まるで、宮廷の芸術家が大理石より削り出した神像のようだ。
そう、ボルグは戦の神だ。
専用のスペシャルチューンなスチームメイデンを与えられた、円卓の騎士なのだ。先日戦った時の、ドルルーヴァをベースとしたカスタム仕様をアルスは思い出す。
ボルグは、手にしたウサギへ剣を向ける。
「白痴の姫君よ! 我ら円卓同盟は貴公をこう呼んでいる……しんがり姫と!」
――しんがり姫。
この絶望的な敗走の中、撤退に逆流するリフィータ。彼女は、あらゆる将兵の後ろに立って、背中を守るつもりだ。我が身を、生命を捧げて
そんな彼女の苛烈な戦いは、
だが、ウサギを殺し続けながらボルグは挑発してくる。
「さあ、しんがり姫よ! 第三皇女リフィータよ! あくまで、我ら円卓同盟を
そんなことはできない、それは相手が一番よくわかっている。
わかっていて
殿に立って味方を救うリフィータには、
ここで敵軍の一騎討ちの申し出を断れば……リフィータは逃げたことになる。
ほんの小さなカリスマの陰りは、あっという間に味方を
「リフィータ殿下、ここは自重を!
「しかし、アルス……このままでは」
「殿下の
「なりません! それは、いけません。しかし」
リフィータの突出した英雄性、それが今は己の首を締めてくる。これだけの戦闘を維持して、殿として見事に過ぎる戦いを繰り広げているリフィータだ。彼女が一騎討ちを自ら回避したとしたら、今まで積み上げた奇跡の勝利があっという間に
突如、城門が重々しく開かれたのは、そんな時だった。
血相を変えたリフィータが、見下ろす先へと叫ぶ。
「誰か! 不用意な……出撃を許可した覚えは――ッ!?」
リフィータは絶句した。
慌てて視線を重ねたアルスも、言葉を失う。
そこには、特別なカラーリングのシルフィスが立っていた。すぐに閉じた城門を背に、騎士の儀礼に則って剣を天へと両手でかざして身構える。
「我こそはウォーケン! オランデル
あのシルフィスは、ウォーケンの専用機だ。その全身は深い蒼で染め抜かれて、エングレービングは金色……この金色は、ヴィザンツ帝國皇帝の色を現す。大英雄ウォーケンは、常に皇帝直属のエンペラーガードでもあるのだ。
カラーリングが違うだけで、旧式騎のシルフィスは全く異なる印象を与える。
リフィータのクロトゥピア同様、盾を持たず巨大な大剣を手にした駆逐仕様だ。
ウォーケン程の腕になると、防御は考慮せず攻撃しながらの回避が一番なのだろう。
当然、血染めのウサギを捨てたボルグも愛騎に飛び乗る。
「これはこれは! 武勲名高き名将オランデル伯! 相手にとって不足なし! ……はてさて、
「なに、殿下は真の将の
「ほう? ……貴殿は……あの白痴のうつけ姫は……我らが円卓の誓いを
「否っ! 愚弄もなにも、興味を持っておらぬ! 円卓同盟はただの敵、障害! 我が教え子にして
ウォーケンのシルフィスが、手にした巨剣を大上段に構えて突撃した。その瞬発力は、通常配備のシルフィスを
だが、瞬時にアルスは異変を察した。
表情にこそ出さないが、リフィータも同じことを感じ取ったようだ。
「アルス、あの音は!」
「はい! 駆動音にノイズが……ウォーケン殿のシルフィス、明らかに整備不足……はっ! そうか、もしや僕のシルフィスのパーツを……マッチングした時のフリクションを完全に取り除けていないのでは」
「チェイカはよくやってくれてます。それでも……限界が」
見るも荘厳にして流麗、これぞ物語の騎士のようなシルフィスだ。ウォーケンの愛騎は、旧式とは思えぬ美しさで、操縦する老人の生き様を示すように挙動に乱れがない。
だが、その全身が
まるで、壮大な叙事詩を唄う声に隠された、老婆のすすり泣きのような音だ。
「くっ、エンゲージ! 両騎が戦闘に入ります!」
両軍の最強騎士同士の一騎討ちが始まった。それは本来、この場にいるリフィータが受けねばならぬ戦いだったかもしれない。そして、リフィータに逃げる気持ちは全くなかったとアルスは理解している。
だが、リフィータはここで死んではいけない人間だ。
かの円卓の騎士とて退ける、人智を超えた
だからこそ、ウォーケンは独断で一人出撃したのだ。
その勝利を今は、リフィータと共に祈るしかできないアルスだった。
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