第12話「雲雀、我が子のために羽撃く」

 会議室を、張り詰めた沈黙が支配した。

 リフィータはただ真っ直ぐ、魔弾まだん射手しゃしゅグロウを見詰める。その眼差まなざしを受け止めて尚も、百発必中の射手は不敵に黙り込んでいた。

 そんな緊張を突き破ったのは、突然転がり込んだ兵士の声だった。


「緊急! 緊急です! ご無礼ご容赦ようしゃを! リフィータ殿下、敵が!」


 すぐにリフィータは立ち上がった。

 居並ぶ騎士たちも、一様にどよめき立つ。

 真っ先にアルスは、顔面蒼白がんめんそうはくな兵士に駆け寄る。全身で酸素をむさぼる彼は、まだ自分と同じぐらいの年頃だ。こんな若い少年兵まで、この最前線に置き去りにされたのだ。

 少年は胸に手を当て呼吸を整え、ようやく声を絞り出した。


「敵の将が……円卓の騎士、ボルグ・ダンケルクが!」

「円卓の騎士、ボルグ・ダンケルク……はっ! あの時の騎士だ」


 このフレスヴェルグ城へ向かう中、アルスはリフィータやフィオナと共に敵陣を強襲した。敵の艦隊を叩き、攻城砲を減らすためである。

 電光石火の奇襲作戦で、その騎士はアルスの前に立ちはだかった。

 円卓の騎士……それは円卓同盟ジ・アライアンスに参集した各国から、りすぐりの騎士たちを集めた最精鋭騎士団である。か十三名の少人数だが、あらゆる決定権を持つ王たちの代理人だ。その力は、一人が一個大隊に匹敵するとさえ言われていた。

 そんなことを思い出していると、不意に風がつむじを巻く。


「リ、リフィータ殿下っ! いけません、お待ちを!」


 リフィータが部屋を飛び出してしまった。

 恐るべき健脚で、とてもお姫様とは思えない。身体能力的にも、リフィータは優れた肉体を持っている。白痴はくちの姫君を演じながら、密かに鍛えていたのだろう。

 急いで追いかければ、リフィータは一目散に物見の塔へと向かっている。

 その姿が螺旋階段の上に見えなくなり、アルスは何度も目を丸くした兵士たちと擦れ違った。

 塔を昇りきって視界が開けると、身を乗り出すリフィータの姿があった。

 見張りに立っていた兵士たちも、突然現れた皇女殿下に驚いている。


「殿下! ……出撃、しないのですね。よかった……」

「まずは状況を見定めねばなりません。……あれは!」


 あの豪胆ごうたんきものすわったリフィータが、気色けしきばむ気配が伝わった。

 だが、すぐに彼女は普段の泰然たいぜんとした態度を取り戻す。優雅で動じぬ、気品に満ちた第三皇女の微笑が戻ってきた。

 兵が見ている。

 たとえ一人の兵でも、決して動揺を、無様を見せてはいけない。リフィータの心の乱れは、ギリギリの防衛戦を維持している兵士の一人一人を打ちのめす。リフィータこそが、最後の希望にしてかすがい要石かなめいしなのだ。

 彼女はりんとした言葉で、見張りの兵士に問い質す。


「敵側に動きがあったと聞きました。状況の報告をお願いします」

「はっ、はは、はい!」

「緊張することはありません。貴方あなたの務めを果たしなさい」

「ハッ! ……ご覧ください。敵の総大将があのような! これは、侮辱です!」


 リフィータは、兵士が差し出す双眼鏡を手に取った。それを目に当て、ダイヤルを調整し、まるで身投げするように上体を空に突き出す。

 慌ててアルスは、その細い柳腰へと抱き着いて押し留めた。

 なにかが今、リフィータを引きつけている。

 その目を奪って、意識を引き寄せているのだ。


「なにが見えるんですか、殿下! 危ないです、本当にもぉ……殿下!」

「……ウサギ」

「ウサギ? ウサギがどうしたんです!」

「ご覧なさい、アルス。ウサギです」


 ようやく身を引っ込めたリフィータが、双眼鏡をわたしてくる。その表情は硬く、青ざめて見えた。それでも彼女は、無理に笑って指揮官の顔を崩さない。

 恐る恐るアルスは双眼鏡を目に当て、そして息を飲んだ。


「あ、あれは……!」

露骨ろこつな挑発です。ですが……酷いことを。毛皮は温かく、肉は美味なれども……それを必要としない時にやることではありません」


 アルスが遠眼鏡の奥に見たものは、虐殺だった。

 無数のウサギが、天へと突き立つ槍の穂先ほさきに身を貫かれていた。槍のに、ほんのわずかしかない血が赤く滴っている。

 そして、そんな無数の槍の中で、一人の男がえていた。

 拡声器を使って、戦場に響き渡る声が笑っていた。


「ヴィザンツ帝國第三皇女ていこくだいさんこうじょ、リフィータ! 心も身体も真っ白な、白痴はくちの姫よ! その赤い瞳に涙を浮かべて、震えがっているのではないか! そう、このウサギのように!」


 威風堂々いふうどうどう、見るも精悍な偉丈夫いじょうぶが見えた。

 あれが恐らく、敵将ボルグ・ダンケルクだろう。剥き出しの上半身には、大量の戦傷が残っている。そして、それを勲章のように飾るのは、筋骨隆々きんこつりゅうりゅうたる筋肉美だ。

 まるで、宮廷の芸術家が大理石より削り出した神像のようだ。

 そう、ボルグは戦の神だ。

 専用のスペシャルチューンなスチームメイデンを与えられた、円卓の騎士なのだ。先日戦った時の、ドルルーヴァをベースとしたカスタム仕様をアルスは思い出す。

 ボルグは、手にしたウサギへ剣を向ける。


「白痴の姫君よ! 我ら円卓同盟は貴公をこう呼んでいる……しんがり姫と!」


 ――

 この絶望的な敗走の中、撤退に逆流するリフィータ。彼女は、あらゆる将兵の後ろに立って、背中を守るつもりだ。我が身を、生命を捧げて殿しんがりに立つつもりなのである。

 そんな彼女の苛烈な戦いは、すでに敵軍の中でも話題になっていたのだろう。

 だが、ウサギを殺し続けながらボルグは挑発してくる。


「さあ、しんがり姫よ! 第三皇女リフィータよ! あくまで、我ら円卓同盟をはばむならば俺が相手だ! 円卓の騎士、第拾壱席だいじゅういっせき……ボルグ・ダンケルクと正々堂々の一騎討ちを!」


 そんなことはできない、それは相手が一番よくわかっている。

 わかっていてえて、挑発しているのだ。

 殿に立って味方を救うリフィータには、がある。とくじんがある。それが今は、彼女の最大の弱点になるのだ。まるで絵草紙えぞうしの主人公のような立ち振舞は、その期待された道を僅かでもずれた瞬間……味方の求心力を一気に失う。

 ここで敵軍の一騎討ちの申し出を断れば……リフィータは逃げたことになる。

 ほんの小さなカリスマの陰りは、あっという間に味方を瓦解がかいさせるだろう。


「リフィータ殿下、ここは自重を! こらえてください! 見え透いた挑発です!」

「しかし、アルス……このままでは」

「殿下の名代みょうだいとして自分が出ます! 勝敗は別にして、一騎討ちを避けるのは危険です。ですから、僕が」

「なりません! それは、いけません。しかし」


 リフィータの突出した英雄性、それが今は己の首を締めてくる。これだけの戦闘を維持して、殿として見事に過ぎる戦いを繰り広げているリフィータだ。彼女が一騎討ちを自ら回避したとしたら、今まで積み上げた奇跡の勝利があっという間に色褪いろあせてしまう。

 突如、城門が重々しく開かれたのは、そんな時だった。

 血相を変えたリフィータが、見下ろす先へと叫ぶ。


「誰か! 不用意な……出撃を許可した覚えは――ッ!?」


 リフィータは絶句した。

 慌てて視線を重ねたアルスも、言葉を失う。

 そこには、特別なカラーリングのシルフィスが立っていた。すぐに閉じた城門を背に、騎士の儀礼に則って剣を天へと両手でかざして身構える。


「我こそはウォーケン! オランデルはくウォーケンなり! リフィータ殿下に代わりてお相手いたそう!」


 あのシルフィスは、ウォーケンの専用機だ。その全身は深い蒼で染め抜かれて、エングレービングは金色……この金色は、ヴィザンツ帝國皇帝の色を現す。大英雄ウォーケンは、常に皇帝直属のエンペラーガードでもあるのだ。

 カラーリングが違うだけで、旧式騎のシルフィスは全く異なる印象を与える。

 リフィータのクロトゥピア同様、盾を持たず巨大な大剣を手にした駆逐仕様だ。

 ウォーケン程の腕になると、防御は考慮せず攻撃しながらの回避が一番なのだろう。

 当然、血染めのウサギを捨てたボルグも愛騎に飛び乗る。


「これはこれは! 武勲名高き名将オランデル伯! 相手にとって不足なし! ……はてさて、うわさのしんがり姫は恐怖に震えてベッドの中ですかな? おお、これは失言!」

「なに、殿下は真の将のうつわ! この大戦の敗北から零れ落ちる、全ての将兵を救おうとしておる! たかが円卓の騎士ごとき、相手でないわ! この老いぼれで十分!」

「ほう? ……貴殿は……あの白痴のうつけ姫は……我らが円卓の誓いを愚弄ぐろうするか!」

「否っ! 愚弄もなにも、興味を持っておらぬ! 円卓同盟はただの敵、障害! 我が教え子にして愛娘まなむすめ、リフィータ・ティル・リ・メルダ・ヴィザンツが見据みすえるは明日! 未来! はるけき彼方かなた、輝ける勝利のみ! ――いざ、参るっ!」


 ウォーケンのシルフィスが、手にした巨剣を大上段に構えて突撃した。その瞬発力は、通常配備のシルフィスを凌駕りょうがする加速を見せつける。

 だが、瞬時にアルスは異変を察した。

 表情にこそ出さないが、リフィータも同じことを感じ取ったようだ。


「アルス、あの音は!」

「はい! 駆動音にノイズが……ウォーケン殿のシルフィス、明らかに整備不足……はっ! そうか、もしや僕のシルフィスのパーツを……マッチングした時のフリクションを完全に取り除けていないのでは」

「チェイカはよくやってくれてます。それでも……限界が」


 見るも荘厳にして流麗、これぞ物語の騎士のようなシルフィスだ。ウォーケンの愛騎は、旧式とは思えぬ美しさで、操縦する老人の生き様を示すように挙動に乱れがない。

 だが、その全身がかなでる駆動音には、ほんの僅かなノイズが入り交じる。

 まるで、壮大な叙事詩を唄う声に隠された、老婆のすすり泣きのような音だ。


「くっ、エンゲージ! 両騎が戦闘に入ります!」


 両軍の最強騎士同士の一騎討ちが始まった。それは本来、この場にいるリフィータが受けねばならぬ戦いだったかもしれない。そして、リフィータに逃げる気持ちは全くなかったとアルスは理解している。

 だが、リフィータはここで死んではいけない人間だ。

 かの円卓の騎士とて退ける、人智を超えた膂力りょりょく胆力たんりょくを持っていても、だ。

 だからこそ、ウォーケンは独断で一人出撃したのだ。

 その勝利を今は、リフィータと共に祈るしかできないアルスだった。

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