青で塗り潰せ
笑子
第1話
この一週間、雨ばかりだ。窓の外を飽きもせずに降り続けている。やまない雨はないというし、それは事実なのだけれども、もしかするとやまない雨なのかもしれない、とも思う。
私はその雨を、ベッドの縁に浅く腰かけて、飽きることなく眺め続ける。低くうなるクーラーの音。少しだけ開けた窓から聴こえる、ザアザアと雨が地面に打ち付けられる音。飽きることなく聴き続ける。雨の音は一種の音楽のようで、音にも違いがある。トタン屋根に落ちてくる雨の音、傘に落ちる雨の音、ベランダの手すりに落ちてくる雨の音、肌に落ちる雨の音。
今日は朝から、一日中雨の予報が出ている。それも中々の高確率で。時刻は12時を回ろうとしていた。お腹は空かないから、アイスコーヒーを淹れた。またベッドの縁に座って、外を見る。空は未だ、青を見せない。
そういえば、今年の梅雨はあまり雨が降らなかった。空は毎日ピカピカ晴れていて、まだ六月だったというのに夏日が続いた。土も、植物も、コンクリートも、人も、少し早く訪れた夏に、うんざりしていた。
早まったり遅れたり、思春期の女の子の生理みたいだ。なんとなしにそう思う。遅れてやってきた梅雨に、やっぱり人はうんざりしている。結局、梅雨が早かろうと遅かろうと、大半の人は雨が嫌いだし、暑すぎるのも嫌いなのだ。贅沢なのだ、人は。テレビのニュースは、雨のことばかり。
でも、あの人は雨が好きだと言った。雨の音を聞くのも、雨の日に傘を持って出かけるのも、雨に濡れるのも。だから私は、雨が嫌いだった。雨の音を聞くのも、雨の日に傘を持って出かけるのも、雨に濡れるのも。大嫌いだった。大嫌いになった。
あの人の記憶ばかりがよみがえる。ベッドの縁に腰かけた私の隣にいるのはいつもあの人だった。そうしていつも私の隣で煙草を吸った。あの人の煙草を持つ手が好きだった。角ばって、ささくれ立って、男らしい、でもすらりとして綺麗な手。耳のかたちも綺麗だった。右耳に金色に光るピアスをつけていた。耳を噛むと怒られた。そうしてそのまま、ベッドにもつれ込んだ。幸せな記憶。雨の日だけ訪れる、野良猫のような彼のことを私は愛していた。けれどもう、声も思い出せない。記憶は、煙草の煙のように、ふわりと薄れてゆく。
彼が置いていった煙草は、大事にしまってあった。吸えもしないくせに、後生大事に取っておくつもりだった。今もそれはベッドサイドの引き出しの中にしまってある。それを見ては、思い出すのだ。彼のことを、彼を愛した幸福な時間を、そして自分のことを。
引き出しに手をかけ、煙草の箱を取り出す。灰皿もないのに、一緒に置いていったライターで火をつけた。吸い方は教えてもらった。もしかしたら、これが最後の餞別だったのかもしれない。
煙をゆっくりと吐き出して、自分の気持ちも吐き出した。しけた煙草の苦味が辛かった。煙の匂いが懐かしかった。彼に抱き締められているようで、たまらなく胸が痛い。涙がどこかに落ちた。窓の外を見ると、雨はやんでいる。窓を開ければふわりと風が入ってきた。煙草の匂いと混じって、雨の匂いがした。
空は、一週間ぶりの青だった。
青で塗り潰せ 笑子 @ren1031
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