【英雄育成】
「……この時を狙っていたんだね、シト」
教会の様子の一部始終は、遠隔視の法術で把握している。
積み上げられた計画を横から突き崩す展開に、レイは些かの狼狽えもなく、むしろ嬉しげな微笑みを浮かべてすらいた。
「きみには直接攻撃型の札しか残っていない――ぼくの計画に割り込むとしたら、そうするよね」
「だけどきみは、ぼくの名前を出すしかない。ラダム教は救援の指示など出していないから。ぼくからラダム教への救援要請があったように既成事実を作って……ぼくが自分自身の手で、二つの教団の間を取り持たざるを得ないように仕向けているのか。ふふふふふふふふ……」
――既に盤石無比の勢力を築いているレイが、この駆け引きに乗る理由などない。
【
「エリス。通話法術でアリシアを呼んで。あの黒騎士を始末させよう」
その戦闘の領分ですら、
レイには、幼少時から【
【
「そ、それがッ……返事がありません!」
「……なんだって?」
「その、アリシアが……私はさっきから通話法術を使っているのですが……黙ったままで……!」
「――アリシアが!?」
レイは、あり得る可能性について思考した。
全てを無力化されたシトにも、一本だけ
(【
レイは、この世界のほぼ全ての情報と戦力を掌握している。状況を覆せるものは
ならば
「……ああ」
レイは椅子の上で背を丸めて、両腕の間に顔を伏せた。
「レイ様……」
「ああ……ああ。それでこそシトだ……! そうでなければ……強いきみじゃなければ、勝つ意味なんてない! シト……! ぼくはやっと、きみと戦っている。きみが、本当のぼくだけを見ている……!」
黒騎士が通り抜けるたびに『呪われし者』は粉々に飛び散り、黒雲の軍勢がたった一条の稲妻に引き裂かれるかのようだ。獅子奮迅の活躍が法術越しに見える。
「レイ様……黒騎士がたった一人で『呪われし者』を全滅させて……! こ、このままだと、教会から貧民街を抜けて、この屋敷に来るのでは……!」
「……みんな、先に逃げて。彼とは、ぼくが一人で話をする」
「レイ様!」
「大丈夫。ぼくは死んだりしないさ。きみたちが傷ついてしまうより、そっちの方がずっといい」
形の良い唇の両端を上げて、レイは微笑んだ。今の彼女は、かつてとは違う。
絶対の自信と余裕がある。
心の赴くままに振る舞って、そして勝利できる天才であるように。
――――――――――――――――――――――――――――――
「よく来たね」
この世界でかつて会った日の再現のように、黒騎士とレイは一対一で対峙した。
【
「シトを連れてこなくてよかったの?」
「そうしている。俺が
「……ふふふ。それは嘘だよ」
シト本人では、あれだけの戦闘能力は発揮できないはずだ。婚約破棄時点からの【
故に、この黒騎士はシトではないとレイは判断している。
今も別行動を取っていて、これとは別のアプローチでレイの作戦に干渉してくる。
既に彼の作戦は始まっていて、この黒騎士すらも時間稼ぎの陽動なのであろうか。
「たった一人で、五分もかからず、あの軍勢を全滅させるなんて……【
「……【
「やっぱり。それがシトのシークレットだったんだね」
シトのデッキ構成は、【
【
「違う」
黒い甲冑の奥底から、謎めいた暗闇がレイを見つめている。
正体の判然としない声色であった。
「俺が使ったのは貴様の【
黒騎士が兜を脱ぐと、美しい青髪が中から溢れた。
……
「……アリシア……!」
――――――――――――――――――――――――――――――
「なんで……」
何が起こっているのか。どのような
「まさか【
「いいところに気付きやがったな
「つまり、【
【
ドライブリンカーは、同種の
だが、完全な不可能ではないのだ――自分自身が【
「シトが最初からそうしてたなら……あの強さだって、むしろ当たり前だ……! 【
「わ、分からないよ……! いつから!?
「……いいや。あるんだよ、
「そいつは……たとえば
「待って、どういうこと……!? 人によって効果が違うなんて、そんな
「俺が今言った奴らの共通点が分かるか」
異世界における
だが……たとえば、【
「――『女』ってことだ!!
――――――――――――――――――――――――――――――
「そ、そんな……嘘……最初からアリシアの振りをして……!? 違う……そんな、そんなはずはない……」
「だって、アリシアはちゃんと身元も分かってる……ぼくは、だから、婚約破棄の前からの使用人に【
かつての自分自身の言葉を思い返している。
――エクスレン家に仕える家柄である以上は、帰るべき、相応しい身分の家があるはずだ。
「シト……!」
だからこそ、シトはあのタイミングで奇襲を仕掛け、そして失敗したのだ。
レイ自身にシトの正体を看破させることで、身元の定かではない者がシトの【
アリシアがレイに差し出した腕には、ドライブリンカーがある。
紛れもない、この世界における
「……あの
「ぼ、ぼくは……アリシア。一番戦闘スキルの適性がある一人を、【
「【
「……【
大胆で、先入観を覆し、そして敵の裏をかく、
アリシアは……
レイが何よりも見慣れた
上流階級の令嬢に転生する。元の性別がどちらであっても、それが起こる。
「――【
――――――――――――――――――――――――――――――
オープンスロット:【
シークレットスロット:【
保有スキル:〈旋死短剣SSSS+〉〈無影の理SSS+〉〈戦術糸SSS〉〈ファルア法術SS〉〈不死なる種子SSS〉〈殺滅六重SS〉〈自動迎撃SSS〉〈分身SS〉〈瞬間退場SSS〉〈完全追跡SS〉〈影同化SS〉〈礼儀作法A〉〈完全言語B〉〈完全鑑定C〉〈掃除B〉〈調理A〉〈庭師B〉〈絶止の盾SSS〉〈姫の介添SSS〉他46種
オープンスロット:【
シークレットスロット:【
保有スキル:〈政治交渉SS+〉〈籠絡SS+〉〈礼儀作法SS〉〈宗教指導A〉〈大扇動SS〉〈軍勢指揮A〉〈美貌の所作SS〉〈完全言語S〉〈完全鑑定A〉〈カリスマA+〉〈農業A+〉〈公共事業S〉〈ファルア法術A〉他29種
――――――――――――――――――――――――――――――
「【
「そうだな……実際、アリシアの生まれは
当初からこのような戦いを予定していたわけではなかったはずだ。シトのオープンスロットは、三種全てが直接戦闘型。【
故にあの
(――できたんだよ。
この試合が始まる直前に、
彼はその知識を、すぐさまこの
(俺達には【
この広い世界から、レイが
(何のサポートもない状態から17年の年月を使って……それをやったんだ……!)
他の
――両者ともにIP獲得が凍結している、このような状況下でもなければ。
「問題は……問題は、
ルドウは低く呟く。だからこそ、不可解なのだ。
幾重もの研鑽と綱渡りの末、シトはここまで辿り着いた。不利ではあっても堅実な戦い方を捨てて、容易ではない戦術に舵を切った。
「……勝てるはずがねえんだ。そんなことをしても」
何故、そうしたのか。
――――――――――――――――――――――――――――――
「わ、わからないよ……」
異世界のレイも、同じ困惑とともに呟いた。
「アリシアが……アリシアの正体がきみだったからって、何になるっていうんだ!? きみはぼくの従者じゃないか!? きみがどれだけIPを獲得したって、いくらでも、ぼくの功績にしてしまえる! こ……ここからの逆転は、不可能だ!」
「……そうだな。俺は勝てない」
シトは正直に告白した。
かつてのシトであったなら、それを認めることは容易くはなかっただろう。
【
「だが、それでも……貴様は人を殺していない」
「え……」
「いざという時には、俺がこの手で止めなければならないと……直接戦闘では勝てないと宣言された時に、最初に考えたことはそれだ。その迷いが……この【
「違う……ぼく、ぼくは……アンチクトンの人造
「アンチクトンとして、虐殺を仕掛けるタイミングはこれまで何度もあった! だが貴様は……この決着の盤面までそうすることはなかった! 何故だ!?」
アリシアの手が、レイの指先を強く引いた。
華奢な令嬢は従者の力に逆らうことができず、腰掛けていた椅子から立たされた。
「それ、それは……きみのせいじゃないか……! きみにはもう、何も打つ手がないって思ったから……だから、殺さなくても……手を汚さなくても、勝てるかもしれないって……ああ……」
――それが、シトの
見えている全ての
「貴様は……誰も殺してはいない。暗殺を指示された要人は、俺が保護した。ファルア教の者にもラダム教の者にも、貴様が助けを寄越したと。俺は……俺は、君に人を傷つける
「……っ……!」
静かだ。涙に滲むレイの視界には、アリシアの姿をしたシトだけがいる。
屋敷の外には、雨音が響いている。そして人々の声が。
彼らは生き残ったのだ。シトが助けたから。本来ならば、滅びを前にしたファルア教の要人の前に姿を現し、罪を糾弾して……そうして、【
「きみに……!」
優しい
情を捨てて、今こそ
「……きみに、ぼくの何が分かるんだ、シト! 本当のぼくの、何が分かる! きみがめちゃくちゃにしてしまったのに! ぼくも……ぼく自身にだって、ぼくが分からないのに!!」
「ああ、わからない!」
腕を掴んで、シトはレイを強く抱き寄せた。彼は……彼女は、間近で言った。
澄んだ氷のような瞳。虹彩の奥底には、
――何故、今になるまでそれに気づけなかったのだろう。
「俺は、優しさを持つ
人々の声が聞こえる。悪役であるレイを、彼らは糾弾しているのではない。
「君に決めてもらうことにした!」
シトの言葉の意味が、レイにも分かった。
彼らは感謝している。
「俺の為した功績は、君自身の指示だったと告げることができる!
「ぼく……ああ、違う……ぼくは……! シト……違うんだ……」
世界を滅ぼしたくはなかった。シトに勝つために、悪にだって手を染めたかった。
本当の自分になりたかったが、レイにとって、どちらが本当だったのだろう。何もかもがぐしゃぐしゃになって、涙となって溢れ出ていくようであった。
「レイ様!」
「これで、ようやく戦いが終わります……! ありがとうございます! レイ様!」
「叡智の聖女に祝福あれ!」
「すまなかった! 君は素晴らしい女性だった!」
「あなたこそが、本当の救世主でした! レイ様!」
――勝てる。
彼らの前に出て、全ては自分の功績だと告げるだけで。
「……あ、あああああ……!」
シトに体を預けて、すがりつくように、レイは泣いていた。
彼は静かに令嬢の背を撫でて、アリシアとしての言葉を告げた。
「……。ずっと……貴女のことを見守ってまいりました。レイ様」
異世界には、時折このような言動をする者がいる。
……けれど彼らは人間なのだ。
一人ひとりに意思があって、彼らの人生を生きている。
紛れもない、人間。
「そうじゃない。ぼくは、ぼくはそうじゃないのに……!」
「いいえ。救われる者にとって……この世界の誰もにとって、貴女はそうなのです。貴女は……とてもお優しくて、聡明な。私達の主。お慕いしております。レイ様」
自分自身の善悪を自ら決めてしまうことに、耐えることができなかった。
WRA異世界全日本大会第二回戦。
世界脅威レギュレーション『宗教対立A』。
攻略タイムは、25年1ヶ月15日1時間4分33秒。
――――――――――――――――――――――――――――――
「……ひどいよ」
現実に戻るや否や胸に飛び込んだ華奢な体を、シトは何も言わずに受け止めた。レイは何度も彼を責めた。異世界でもそうだったように、彼の胸に表情を隠して。
「ひどいよ。ひどいよ。ひどいよ……ひどいよ、シト……」
「……すまない。俺には……君の苦しみを解くことができないのだろう」
「分かってるよ……そんなの……ああ……」
千々に乱れてしまったレイの心は、決して元通りになることはないのだろう。
こんな苦しみを味わうことのない自分でいたかった。心の鎖から解き放たれて、自由に、心の赴くままに
――
「
シトはその言葉を告げるために、極度の努力を要しているようであった。
「……善でも悪でも、どちらでもいい。君が好きだ。
「ひどいよ……シト……本当に、ひどいよ……」
嬉しいなどと思いたくないのに。
天才で美少女で、
シトを抱きしめたまま、彼の目を見た。観客の喧騒も、決着を告げる司会の声も、何も聞こえなかった。シトの鼓動だけが聞こえていた。
彼がレイの全てを奪ってしまったから。
だから、次の一つを奪わせた。
「…………っ……!!??」
「……ふ、ふふふ。悪いぼくでも、かまわないんだよね……?」
重ねた唇を離しながら、レイは精一杯邪悪に微笑んでみせた。
暖かな涙が頬を伝って落ちるのが分かった。
少しでも長く。愛する一人とともに。
……だがその時間も、いずれ終わりを告げる。
「――やはり君は失敗作だったな!
絶大な身体能力で彼女の背後に飛び降りた影は、
そして彼の腕に抱えられた小柄な老人、ドクター
「アンチクトン……! 彼女に手出しをするなら……俺も容赦はしない!」
「……ククククク! 早まるな……! 用があるのは君だ、
ドクター
片眼鏡からの視線を受けて、レイは端正な顔を悲痛に歪めた。
そうだ。彼女は、アンチクトンの任務を果たすことができなかった。
「ああ、ドクター……」
「……知っているだろう、
「……ご、ごめんなさい、ドクター……」
「何を謝ることがある!! もう一度言うぞ! 君は失敗作なのだ!!」
「貴様……ドクター
「いいか
シトの存在を意に介することもなく、ドクター
両手を広げ、まるで祝福を告げるかのように。
「君は立派な人間の成功作だ! まさか兵器を作るべくして、人間を作り出すことになってしまうとはな!! 実験の結果とは、かくも予想できぬものよ! ククククク!! クハハハハハハハ!!!」
「ドクター……」
「ククハハハハハハハハハハ!!!」
ひとしきり哄笑を響かせた後で、老人は踵を返した。
「
「……ドクター
「クククク! ……まさか、私の善悪でも問いたいのか? 不定だ。どちらであろうと、我が子の幸せを喜ばん親はおるまい!」
去っていく白衣を見送りながら、シトは立ちすくんだままでいる。
――アンチクトン。
シトにとっての、その敵の象徴である男が今この場にいる。
「開会式での発言は撤回しよう。君は『捨てる』ことのできる
「……
黒衣の巨漢は腕を組んだまま、一つの壁のように立ちはだかっている。
「だが、私は
「次の対戦相手は」
テンマは、既に第二回戦の勝利を収めている。
共にトーナメントの道筋を進める先は、異世界全日本大会、準決勝。
「――貴様か」
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