vs黒木田レイ

【悪役令嬢】

「来たな。大葉おおば


 選手用通路。その片隅の死角に身を潜めるように、純岡すみおかシトは待ち受けていた。

 大葉おおばルドウただ一人がこの場所に呼び出されたのが、第二回戦の直前である。


「……いきなり何だ。ドライブリンカーの件なら、会長以上のことは知らねェぞ」

「だが、会長と同じく知っていることもあるだろう。【基本設定ベーシック】の件だ」

「……」


 ルドウは沈黙を返す。不機嫌というより、何かを考えているようでもあった。


「ケッ。あの話か? 大したことじゃねーよ」

「アンチクトンのあかがねも同様のCチートメモリのことを口にしていた。極めて重大な案件だと俺は認識している」

「あーあー、じゃあ教えてやるよ。文字通りの話だ。つまりトラックの運動エネルギーで俺らを転生ドライブさせたり、人類に有益な行動を内部でIP換算するのが【基本設定ベーシック】のCチートメモリの役割で……」

「誤魔化すな。大葉おおば


 猛禽の如き目で、ルドウを睨みつける。

 会長への詰問の時にも、彼はこの話題を露骨に逸らそうとしていた。

 そうする必要があったのなら、偽の答えの一つや二つは用意しているだろう。


「それはドライブリンカー側の持つ基本機能にすぎない。Cチートメモリのスロットを用いている以上、それは異世界に転生ドライブした俺達に作用している、オプションとしてのスキルであるはずだ。それも、ただ都合のいいばかりではない――転生者ドライバーに何らかのリスクをもたらすCチートスキルではないのか」

「……。そんなこと知って、どうするつもりだ。【基本設定ベーシック】のことが分かったからって、テメー勝てんのか? あァ?」

「……俺は」


 あかがねルキの言葉が、シトの胸の内に引っかかっている。

 ――知れば、今度こそあなたは勝てなくなります。


「アンチクトンの真意を知りたいだけだ。あかがねは世界を滅ぼす罪と、その責務について語った。それが理解できないのは、俺達が【基本設定ベーシック】について知らないためだと。ならば、俺の第二回戦の敵も……アンチクトンだ」

「……黒木田くろきだか」

「彼女が世界を滅ぼす罪を背負うつもりでいるなら、俺はそうさせたくない。頼む、大葉おおば。【基本設定ベーシック】のことについて教えてくれ」

純岡すみおか。……お前さァ」


 シトは頭を下げている。だが、今ばかりはルドウも嘲笑いはしなかった。

 両のポケットに手を突っ込んだままで、彼は尋ねた。


黒木田くろきだのことが好きなのか」

「好きだ」


 シトは即座に答えた。そのことについては、一切の迷いはない。


転生者ドライバーとしても、女性としても、友としても……敵としても、好意を抱いている。もしかしたら、彼女の容姿や人格を目当てにした不純な好意であるかもしれないが、それでも……」

「あー、いいよ、いい。もういい」


 言葉を選びつつ黒木田くろきだレイへ抱く感情の説明を続けようとしたシトだったが、それはひらひらと振る手に制止された。


「信じらんねェなお前……恥ずかしくねえのかよ」


 ルドウは選手用通路の周囲を見た。静かだ。彼らの他に人影は見当たらない。

 シトではなく、ルドウの方が安堵の息をついた。


「覚悟はあるつもりだ」

「チッ……分かるよ。なんかよォ……テメーもつるぎ並に強情だよな。じゃあ教えてやる。【基本設定ベーシック】は、俺が知る限り最強のCチートメモリだ」

「……最強?」

純岡すみおか。最強のCチートスキルがこの世にあるとすれば、それはどんなスキルだ」


 シトは言われたとおりに思案した。――最強。

 一般的に強いとされるCチートスキルは存在する。基本のハイパー系三種。あるいは【無敵軍団ネームドフォース】といったような。その逆に【針小棒大バタフライ】や【集団勇者フラッシュモブ】の如き、活躍の場が限定されるCチートスキルも存在する。


 しかし真の強弱はCチートメモリ同士の組み合わせによって変わる。

 それは、かつて戦った【異界肉体CODE0010】や【異界災厄CODE5133】でも同じであるはずだ。


「答えられねェよな? 教えてやる。それはスキルだ」

「それは……なんだ。何かの冗談か? つるぎはともかく、貴様の口から精神論が出ることだけはあり得ないと思っていたが」

「当たり前だ。これは心の持ちようだとか精神の健全さとか、そういうクソみたいな言葉遊びじゃねェ。純粋に、脳神経的な意味での行動決定だ。……やりたい物事をやれる意思がなけりゃあ、どれだけ全能のCチートスキルを持ってたって意味がねェだろ」

「理性の通りに行動する力。ということか?」

「リアルの人間にとって、それがどれだけ難しいかくらいは分かるだろ? 試験の前日ほど、部屋を片付けたくならねーか? 休みの日に出かけたいと思っても、家でダラダラしているだけで一日が終わっちまうことはないかよ?」

「だが、異世界では……!」

「気付いたな」


 そうだ。異世界では、そのようなことがないのだ。


 この現実で立てた計画の通りに、人生という数十年がかりの事業を実行できる。

 そこに迷いはなく、成功のための努力を阻む怠惰もない。

 転生ドライブ先の異世界がこの現実と同様の一つの世界であるというなら、何故異世界に限ってそうできるというのか。


「たとえばたった今、生まれ変わったとするぞ。テメーは第二の人生を後悔なく生きよう、計画通りに生きようと思うだろうよ。? 疲れ、空腹、遊び、何の理由もねェ怠け。元の人生が懐かしくもなるだろうな。そういう人間らしい心が、どうして異世界には存在しないか分かるか?」

「それが……【基本設定ベーシック】のCチートスキルか……!」


 こことは別の現実は、ただ異世界転生エグゾドライブを戦うためだけのステージに過ぎない。

 彼らは異世界で人生をやり直しながらも、その基底は常に元の現実にある。

 より良い、成功した人生を収めるために不要な入力が、全てオミットされている。


「……ケッ! 要は、離人症性障害DPDのいいとこ取りだ。転生者ドライバー共は最初から、【基本設定ベーシック】で転生ドライブした先の人生を、マジの人生のように思えねえように仕組まれてる。だから悪党を容赦なくブッ殺せたり、人生を何十年と一つの目標だけに費やす努力ができる。どんな美女を見たって、IPの獲得源くらいにしか認識しねェ。まるでゲームの登場人物を操作するみたいにな」


 純岡すみおかシトも大葉おおばルドウも、共に四桁に届こうという数の異世界転生エグゾドライブを経験しているはずだ。

 一度ごとに二十年前後。仮にその時間の通りに一万年以上の歳月をきたとすれば、現実ではまだ13の中学生である彼らは、果たして元の人格でいられただろうか。


「それは……他のどのCチートスキルも問題にならねえ、標準装備にして、最強究極のスキルだ。この現実に【基本設定ベーシック】を持ち込めば、それだけで何にだってなれるし、同時に自分のままでいられる。無限の努力ができる」


 シトは、黒木田くろきだレイと過ごした休日のことを思い返す。

 ――壮絶な転生ドライブを駆け抜ける転生者ドライバーにも、現実の中学生としての人生がある。

 彼らは何度でも人生をやり直すが、転生体アバターではない、現実の肉体で味わう青春は、やはり一度きりしかない。仮に、そうではなかったのなら。


「……それは……それを知っているのは、俺達だけか。大葉おおば

「あァそうだ。もしもつるぎに教えたらブッ殺すからな。だが、テメーの話が本当なら、アンチクトンの連中も【基本設定ベーシック】のことは知ってるんだろう。何しろ向こうにはドライブリンカーの開発スタッフ――いや、『普及』スタッフとでも呼んだほうがいいのか? ドクター日下部くさかべがいるんだからよ」

「……」


 続いてシトの脳裏に過ぎるのは、これまで戦ってきた異世界転生エグゾドライブの数々である。

 彼ら転生者ドライバーが多大な影響を及ぼしてきた、異世界の住人達。彼らは実際にその世界に生きていて、転生者ドライバーによって無造作に踏みにじられる生活や尊厳がある。シトも一人の転生者ドライバーとして、それを自覚していたはずだ――だが。


 それは本来、ただの個人が自覚しようもないほどに重いことなのではないか?

 反則チートによって世界を変えてしまう罪を覆い隠す【基本設定ベーシック】は、果てしのない悪意か、それとも残酷な慈悲であるのか。


「……クッ……異世界を滅ぼす……Dダークメモリは……本当に、異世界を滅ぼしているのか……。分かっていた……分かっていたが……俺達が住んでいるこの世界と同じような世界を、アンチクトンは……滅ぼすというのか……!」

「……連中が、一体どういう理屈でそれを正当化してるかは分かんねェけどな。少なくとも【基本設定ベーシック】でも使わなきゃやってられねえ仕事のはずだ。……いや。そもそも【基本設定ベーシック】がなかったら、俺らは普通の異世界転生エグゾドライブすらできねェのかもな――」


 全て、最初から分かりきっていたことだ。異世界は別の可能性を辿った世界の一つの形である。この世界と、転生ドライブ先の異世界。二つの世界の間には、本来は優劣など存在しない。ただ、一方通行の干渉の力が、Cチートスキルというイニシアチブとなって顕れているだけだ。

 世界救世の一つ一つに責任や自覚を伴わせてしまったならば、到底救いきれない数の世界が危機に瀕している。


「ククククッ、どうだ純岡すみおか。異世界の連中を踏みにじる戦術が使えなくなったか? 世界救世はただの災害と一緒だと思うか? テメーがやらなくても、他の転生者ドライバーは何も知らねェまま異世界転生エグゾドライブをやり続けるぞ」


 異世界の人間から見た転生者ドライバーは、そのまま彼らの知る転生者ドライバーの姿でもある。

 デパートのニャルゾウィグジイィ。WRA会長のエル・ディレクス。


「……多分この世界も、そういう風に変えられちまってるんだろうしな」


 沈黙は僅か3分にも満たなかったが、それでも果てしない時間に感じた。

 【基本設定ベーシック】。それがある以上、シトはこれまでの行いについて真に自覚することは決してできないのだろう。これから先も、恐らくは……二度目の人生の自覚なきままに、転生ドライブを続けていくしかない。


「ありがとう。大葉おおば


 シトは頭を下げ、礼を告げた。ルドウが面食らうのが分かった。


「いきなり何だオイ」

「……貴様にとっても、口に出すことは容易くなかった真実だろう。貴様が俺を信じて話してくれたように、俺も貴様の言葉を信じようと思う。そして……これでようやく、俺の決意も決まった」

異世界転生エグゾドライブを辞める気か。純岡すみおか

「逆だ」


 ならばこそ、なおさら戦わなければならない。

 彼が次に対戦する敵は……アンチクトンに堕ちた黒木田くろきだレイなのだから。


「俺は戦い、勝つ。黒木田くろきだに世界を滅ぼさせてはならない。彼女は俺に勝つために、そうまでしようとしている」

「テメーのした話が本当なら、奴は元々アンチクトンだったんだろ。……じゃあ、そもそも手遅れじゃねェのか」

「手遅れではない」


 断言する。これまで、純岡すみおかシトが根拠のない物事を信じたことはなかった。


「彼女は黒木田くろきだレイだ」


 この事実を告げられてなお苦悩し、絶望し、心折れていないのも、【基本設定ベーシック】によって異世界転生エグゾドライブへの自覚から守られていたが故のことに過ぎないのだろう。


 だがそれでも、この現実にだけは【基本設定ベーシック】は存在しない。

 純岡すみおかシトの自我は彼自身のものであり、彼は自ら決めたことをする。戦わなければならない。


「……頼んだぜ、純岡すみおか。友達がバカな真似してんのは、夢見が悪いよな……」

「無論だ」


 控室へと向けて歩き去る途中で、シトは足を止めた。


「――大葉おおば。貴様は……ずっとこのことを知っていたのか」

「だったらどうした」

「貴様を尊敬する」


 その後姿は、すぐに曲がり角を越えて見えなくなった。

 両手をポケットに突っ込んだままで、ルドウはその場に佇んでいる。


「……ケッ。嬉しくねーんだよ。バカが」


――――――――――――――――――――――――――――――


「それでは第二回戦! 黒木田くろきだレイ選手と純岡すみおかシト選手の対戦となります! レギュレーションは『宗教対立A』! 共に内政型で第一回戦を勝ち抜いた両者、使用デッキは果たしてどのようになるのか!?」

「「「ワアアアアアアーッ!!」」」


 司会や観客の熱狂すらもどこか薄ら寒いものに聞こえるのは、ルドウから明かされた【基本設定ベーシック】の真実故か。

 超世界ディスプレイ越しに戦いを見守るだけの観客は勿論のこと、その試合を行う転生者ドライバー自身すら、異世界転生エグゾドライブを画面の中の出来事のようにしか認識できないのだ。


「シト?」


 少しの不安を帯びた声が、隣の転生レーンで囁く。


「……大丈夫? しっかりぼくに勝つつもりでいる?」


 黒木田くろきだレイのただ一つの願い。彼はそれを知っていたはずだ。

 あの日に諦めて、それでも諦めきれなかった望みを果たすために。


黒木田くろきだ。貴様は……知っていたのか。【基本設定ベーシック】のことを。異世界で人生を生きるという自覚が、俺達からは失われてしまっているということを」

「――ああ、あれか。ふふふ。もちろんだとも」


 彼女もずっと、最初から知っていた。大葉おおばルドウと同じように、異世界転生エグゾドライブの重圧を理解して、それでも戦い続けていた転生者ドライバーであったのだろう。


「世界を……滅ぼしたことはあるか」

「ないよ。これまでの試合でも、単独救世ソロプレイでも、一度も。Dダークメモリの試運転もアンチクトンのシミュレーターだけだ。……世界を滅ぼしたくなかったから、ぼくはアンチクトンを抜けたんだ」

「ならばそれが貴様の真の心だ! Dダークメモリなどに頼るべきではない! 連中に洗脳されたか!? それとも騙されているのか!? 黒木田くろきだ……貴様は、そのような転生者ドライバーではなかったはずだ!」

「分かってないな。本当に、シトは、分かってないよ……」


 レイは寂しげに笑った。

 いつものように手を腰の後ろに組んで、首を傾げてみせた。


「アンチクトンの理想なんか知ったことじゃないし、嘘をついてもいない。ぼくは世界を滅ぼしたくなんてない。けれど……これがぼくなんだ。ぼくは、こういう人間なんだよ。きみに勝つためだけのために、ぼくは世界だって滅ぼせる」

「ふざけるなッ!」


 アンチクトンの人造転生者ドライバー。彼らが自覚なきままにドクター日下部くさかべに操られるだけの者であれば良かった。

 だが彼らは【基本設定ベーシック】の存在を知っている。その上で、人類の誰も背負えぬ罪を背負おうとしている。


「そんなくだらないことのために、貴様は――」

「くだらなくない!」


 細い指先が、シトの手を取った。指は強く絡んで、彼女の胸元へと引き寄せた。


「きみとの勝負は、くだらなくなんてない! ぼくはきみに二回も負けた! 二回も!! アンチクトンを抜けてから、一度だって負けたことなんてなかったのに! ぼくは天才で、美少女で、転生者ドライバーで……他には何もなかったのに!!」

「……ッ!」

「――ねえ、シト! シトにとって、ぼくは何なの!? ぼくはずっと、きみのことしか考えられない! 異世界がなんだっていうんだ!? 目の前にいるのはぼくだろう!? ぼくを見て、シト!! ぼくが、きみと戦うんだ!!」


 涙に潤む美しい目が、シトのすぐ目の前にある。

 黒木田くろきだレイは、誰よりも真剣だ。かつて戦ってきた誰よりも。異世界転生エグゾドライブの他に何も見いだせていなかった、いつかのシト自身よりも。


「ぼくが、きみと……」

「…………」


 異世界転生エグゾドライブを憎み、異世界転生エグゾドライブを根絶するために戦いの日々を過ごしてきた。だが、故に、シトには異世界転生エグゾドライブ以外のものが何もない。

 彼女はどうだったのか。その素振りを見せることがなかったとしても、心の内は。


「それでは、間もなく転生ドライブ開始です!」


 スタジアム中央で二人の交わすやり取りは、司会にも観客にも届いてはいない。

 第二回戦は既に開始していて、試合は無情に進んでいく。

 転生レーンの先、純白の2tトラックがライトを点ける。


「両選手はオープンスロットの三本を提示してください!」

「……さあ、見せて。シト」


 黒いドレスのCチートメモリホルダから、レイは三本のオープンメモリを選び取った。

 試合の事前に選んだ三本は、敵のデッキ構成を見てから変えることはできない。


 何度も強さを目にしてきた、黒木田くろきだレイの転生ドライブスタイルを読んでいる。

 それは半ば、転生者ドライバーとしての本能。


「俺のオープンCチートメモリは……【超絶成長ハイパーグロウス】。【正体秘匿アンノウン】。【全種適正オールマイティ】」

「ああ」


 顔を近づけたままで、レイは失望と歓喜の入り混じった溜息をついた。


「どうして内政型にしなかったの? せっかく戦えると思ったのに……きみは、ぼくのデッキには、もう勝てない」

つるぎが言っていた。人生も異世界転生エグゾドライブも、やってみなければ分からないと」

「それなら、教えてあげるよ」


 宗教対立のレギュレーションにおける定石は内政型。

 黒木田くろきだレイならばきっと、同じアーキタイプによる決戦を望んでいたはずだ。


「このDダークメモリを使って……ぼくは、シミュレーター戦で鬼束おにづかに勝ち越している。もう一度いう。内政型じゃなければ……ぼくには、勝てないよ」

「……」


 鬼束おにづかテンマ。アンチクトンの中でも最強格の転生者ドライバーであることは間違いない。

 一点の強さにおいて――その彼の実力をすら凌駕するDダークメモリ。


「……ねえ。見てて、シト。ぼくは、はじめてDダークメモリを使うよ」

「やめろ……!」


 レイは、やはり寂しげに笑う。


「きみが好きだ」


 吐息のような囁きは、すぐに耳元から離れた。

 オープンスロットの三種を、そして宣言する。


「【超絶交渉ハイパーコミュ】。【英雄育成トップブリーダー】」


 美しい少女は、漆黒のDダークメモリを構えた。

 この世でただ一人、純岡すみおかシトのためだけの。


「【悪役令嬢ネガ・フェアレディ】……!」

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