vsエル・ディレクス
【複製生産】
都内、ネオ国立異世界競技場。
早朝の飛行機で到着したWRA会長エル・ディレクスは、
「きゃーっ!」
「えーっ!? 本当に外国人!」
「マックス選手じゃない!? ほら、アメリカのプロ
「素敵!」
それはあまりにも突然だった。横の通路から騒がしい女子中学生の一団が走り出て、エルに付き添っていた秘書を取り囲んだ。
屈強な黒服サングラスの秘書は表情を崩さずにいたものの、慣れぬ土地で浴びた予期せぬ好奇の目には、大いに困惑した。
「人違いです。こちらは選手用通路ですので、どうか観客席にお戻りを……」
「ほらー! 選手用通路だって! じゃあやっぱり外国の
「サインもらっていいですか!?」
「私達、
「俺もだッ!
秘書は目を擦った。女子の一団の中に、異様に自己主張の強い野球帽の少年が混じっている気がする。
ともあれ、一向に立ち去る気配がない。彼は通路の先で待つ会長に目配せした。
「申し訳ありません。彼女らは私がスタッフに引き渡しますので……会長はお先にゲストルームへ」
「フフフフ。人気者のようで、羨ましい限りですね。十分に構ってあげてください」
「勘弁してください」
秘書が大いに苦労しながら誤解を解き、会場スタッフと共に客席への誘導を終えたその頃には、既に10分が経過していた。
WRAの主な顧客層はこうした子供であり、彼らが時に突拍子のない行動に出ることも、あり得る話ではある。
しかし、その10分の間に……
「……みんな、ありがとね。わざわざこんなのに付き合わせちゃって」
「いいっていいって。サキの頼みだし」
「結構楽しかったよね」
「俺も楽しかったぜーッ!」
「今度遊ぶ時、ちゃんと
「ええー? ミナ、クール系が好みなの? 意外ー!」
「いいじゃん! 結局イケメンが正義じゃん」
「っていうか」
女子中学生の一人――
あまりにも当然のように紛れ込んでいたので、逆に指摘できなかったが。
「なんでタツヤが混じってるの」
「ああ! 俺はいつでも全力! この勢いで女子会トークだってやってみせらあ!」
「そこは今さら突っ込まないよ?
開会式前の短い時間で、WRA会長から必要な事柄を聞き出さなければならない。
異世界からの
彼女はてっきり、タツヤもシトやルドウと同行するものかと思いこんでいたが……
「……まあ、実際俺だって気になってるぜ。会長があんな人だとは思わなかったし、ドライブリンカーや異世界にはきっとすげえ秘密があるんだろうなあ」
「それなら、なおさら……」
「いいや。気になるからこそ、謎のまんまにしておいた方がいい気がするのさ。純粋に
「……ふーん」
彼はいつも、気紛れな感情のままに行動しているように見える。しかし
「それにシトの親父さんの話は、なおさらシトのプライバシーの問題だ……俺にまで聞かれたい話じゃあねーだろ。俺は、あいつらの作戦成功を信じてりゃいい」
「そうだね。そっか。ま、他にできることもないしね」
サキは少し笑って、視線を上に向けた。
天井には、映画館めいた大画面の超世界ディスプレイが広がっている。
ネオ国立異世界競技場、観客席。あの予選トーナメントを遥かに超える熱狂と興奮の中、異世界全日本大会が始まろうとしている――
――――――――――――――――――――――――――――――
「お久しぶりだな。会長サマ」
嘲笑うような声が響いたのは、エルがゲストルームに足を踏み入れた直後だった。
振り返った先では、ダークグリーンのジャケットを羽織った凶悪な面相の少年が、内側から扉を施錠している。
「それとも俺の顔なんざ覚えてねェか? 最後に会ったのは小学校の頃だもんなァ」
「……もちろん、覚えていますよ。ルドウくん。
「ケッ、余裕ぶりやがって」
死角となる扉の影で待ち構えていたのは、
やや長身の、ルドウとは対照的な直毛の白髪を持つ少年。
猛禽めいて酷薄な表情に、しかし僅かな困惑を滲ませて、彼は言った。
「……
「あァ? そうか、
「しかし、彼女は――」
WRA会長――エル・ディレクスは帽子を脱ぎ、長く美しい金髪を流した。
瑞々しい肌と女性らしい体つきは、到底公式プロフィールの年齢から想像できるものではない。
「驚かれましたか? はじめまして。WRA会長、エル・ディレクスです」
「……
「スミオカ? まあ……」
「心当たりが」
WRA会長を差し置いて、ルドウは乱暴に椅子に腰を下ろした。
「あるんじゃねェのか、会長サマ。そいつは
「
「いいんだよこんな若作りババア。それに
「確かに……君が
エルは落ち着き払ったまま、ルドウのすぐ横のソファに座った。
扉の横に佇んだままのシトを見て、蠱惑的に微笑む。どれほど年齢を高く見積もっても、三十代前半にしか見えない。
「どうですか、シトくん? ちょっとだけ後にしてみませんか? 私は、これから開会式の挨拶が控えてますからね」
「前に会った時もその手で逃げたよなァ、会長」
ルドウがすかさず釘を刺した。当事者であるシトに彼が付き添っているのは、それだけ手強い相手であると認識しているからだ。
「スケジュール過密のアンタが、挨拶の後も会場でのんびりしてるわけがねェだろ。これからまた日本支部の会議だか関連企業との商談だかを回りまくって、帰り際に閉会式で一瞬顔出して、『ちょっとだけ後』は五年後とかじゃあねーのか? あァ?」
「フフフフフフフフフ」
「……
「ドライブリンカーにはスロットが五つあるよな」
シトが身を引こうとするのを察知して、ルドウはむしろ畳み掛けた。
ここで逃げられてしまえば、彼は父の研究の真実がずっと分からないままだ。
「俺達が普段使ってる四つのスロットとは別に……形は違うが同規格のコネクタが一つ、基盤内部にあるだろう。全部のドライブリンカーに共通の、組み込み済みの
「フフフフ。さすが、
「テメーは会長だ。知りませんでしたじゃあ済まされねェぞ。事と次第によっちゃ、開会式も欠席してもらうかもしれねえなァ~!」
「……【
話の文脈からして、
「テメーは知らなくていい。それより本題の話だ。いいか? 俺は【
「……仕方ありませんね。あまり、気は進みませんけど」
青く丸い瞳が、二人の顔をじっと眺めた。決意の程を探っているようでもあった。
やや長い沈黙を挟んで、シトは本題をぶつけた。
「異世界の
「そう。異世界からの。つまりシトくんはそれを見たということですね?」
「デパートのゲームコーナーで遊んでた、妙な二人組だったんだとよ。大葉研の観測結果にも
「……なるほど、なるほど」
細い指を唇に当てて天井を見る。
そうした仕草は少女を通り越して、むしろ子供じみてすらいた。
「ドライブリンカーの仕組みですが」
「……仕組みは」
「私にも分かりません」
「なんだそりゃ!」
WRA会長は左腕の袖を捲った。そこにはドライブリンカーが装着されている。
「けれど異世界からの
「ああそうだな、あんたはそうやって話を有耶無耶にするタイプで……!?」
「? 有耶無耶にしていますか?」
「いや、待て。待て待て待て」
「…………。それは」
絶句する二人を前にして、エルは少し寂しげに笑んだ。
殊更に吹聴してきた事柄ではないが、信じる者の少なかった真実でもある。
「ドライブリンカーが本来、どこの世界で何のために作られたものなのか、誰も分かっていません。今この世界に出回っているドライブリンカーは、この私のドライブリンカーをオリジナルとして、
「
「……ええ。ルドウくんの観測結果が示しているものも同じことでしょう。外の世界から到来した
「しかし、それなら尚更……ドライブリンカーがあるのに、俺達がこの世界で
「そうですね。うーん。中学生でも分かるくらいの説明は、難しいんですけど」
彼女は、コートのポケットから
「ちょっと待ってくださいね」
20を越える
「……何やってやがる。遊んでる場合じゃねえんだぞ」
「ルドウくん待って。待ってください。今集中しているんですから」
最後の
シトはWRA会長の不審行為を訝しむだけであった。
「それでは、シトくん。ここに
「……それは、そもそも答えのない問題なのでは。坂道などがあれば別ですが、こうして並んでいるだけのドミノに前後などないでしょう」
「ええ。正しい答えです。しかし正確な答えではありませんね」
エルの白い指先が、自分の側の
ドミノは一斉に連鎖して、シトの側へと倒れた。
「分かりましたか? これが正確な答えです。先程まで、このドミノに前後はない、均衡な状態だった。シトくんの答えが正しかった。けれどたった今、私のこちらが最初のドミノになりました」
「……」
「見かけ上均衡な状態にある系は、ある一つの選択を起爆点にするように、系のすべてが一斉に同じ方向に傾いてしまうことがあります。このドミノの中に、一つとして私の方向に倒れている
「最初に動かした者が――」
シトはその言葉の意味を考えている。遍く
「……イニシアチブ。優越性。主導権か……」
「これは世界間の均衡においても起こり得ます。最初に干渉した者から、一方的に。そしてこのドミノが倒れたことで、私がドミノを立てることに使ったエネルギーが失われました。それが
干渉は、一方通行。故にその世界の住人は異世界の
今のシト達が、まさしくその脅威に晒されているのと同じように。
「繰り返しますが……これは、世界単位で起こっていることです。そうして得られる絶大なエネルギーを個人が制御可能な形に集約し、付与するものがドライブリンカー。力の形を定義するものが、
「……
「ああ。なんとなくだが、意味は把握できる」
世界から世界への
そうした均衡を破った事実が、
「……アンチクトンが言っていた、『凄まじき力』とはそういうことか……」
「あァ、その話もあったな」
ルドウは頭を掻いて、テーブルに肘を突いた。
「そもそも、なんでアンチクトンの出場権を認めてやがんだ。俺らに世界を救ってもらいたいなら、連中の主張はどう考えたってテメーの邪魔だろう。【
「……それは、あの」
エルは眉根を下げて、答えに詰まった。本当に困っているようであった。
「その……一方的にあちらが悪いとは、必ずしも言い切れないのかも……えーと……私も、この世界のことが……だから否定してしまうと、それはそれで…………」
「要領を得ない答えだ」
「だからなァ~! 誤魔化すんじゃねェぞババア! あとあれだ、
「――その話ですが、シトくん」
ルドウの言葉を聞き、彼女は一瞬にして表情を正した。
真剣な面持ちに見えたが、話題の逃げ道を見つけたようでもある。
「
「…………」
シトは上着のポケットの中に今も持ち歩いている、一つのメモリに触れた。
【
どのような
シトはこの
もしも彼が心からシトに託したのなら、それを一緒に伝えているはずだったのではないか。ならばこの【
「……このメモリは」
「会長。遅くなりました」
ノックの音が割り込んだのは、その時だった。
サキ達に引き離されていた秘書が戻り、ゲストルームの扉を開けていた。
「会長? この子供達は」
「彼らは、私の方のファンみたいで。こうして少しお話をしていたんですよ」
「そうでしたか。しかし、申し訳ありませんが部外者は立入禁止です。君達はここを左に向かって、一般通路の方まで戻るように。会長は、開会式の準備を」
「ええ」
「…………」
「…………」
そのやり取りの間、シトとルドウは無言だった。
……仮に知ったところで、彼らに出来ることが何か一つでもあるというのか。
「それでは、ルドウくん。シトくん。またちょっとだけ後で、お会いしましょうね」
エルはそのまま去っていく。
ゲストルームを追い出された二人には、それ以上為す術がなかった。
「……悪いな。結局、テメーにとって大切な話は聞けなかった。ドミノなんか並べやがって……あのババア、話題をわざと長引かせやがったな」
「いいや。そもそも
「クハッ、そうだな。ドライブリンカーは企業秘密だから、奴がハッタリこいてるだけって線は大いにある」
「フッ……」
「ヒヒヒヒ」
真っ白な通路を、二人で並んでしばらく歩いた。
長い沈黙の後で、ルドウがぼそりと呟く。
「――なァ。やれんのか。
「……」
「試合だぞ」
じきに開会式の時間だ。WRA異世界全日本大会が始まる。
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