vsエル・ディレクス

【複製生産】

 都内、ネオ国立異世界競技場。


 早朝の飛行機で到着したWRA会長エル・ディレクスは、転生者ドライバーの入場より30分ほど遅く、一名の秘書を伴って会場入りした。観客の目につかないよう選手用通路を通り、ゲストルームへと向かう最中の出来事である。


「きゃーっ!」

「えーっ!? 本当に外国人!」

「マックス選手じゃない!? ほら、アメリカのプロ転生者ドライバーの!」

「素敵!」


 それはあまりにも突然だった。横の通路から騒がしい女子中学生の一団が走り出て、エルに付き添っていた秘書を取り囲んだ。

 屈強な黒服サングラスの秘書は表情を崩さずにいたものの、慣れぬ土地で浴びた予期せぬ好奇の目には、大いに困惑した。


「人違いです。こちらは選手用通路ですので、どうか観客席にお戻りを……」

「ほらー! 選手用通路だって! じゃあやっぱり外国の転生者ドライバーだよ!」

「サインもらっていいですか!?」

「私達、異世界転生エグゾドライブの大ファンでぇー!」

「俺もだッ! 異世界転生エグゾドライブに人生を賭けてるぜ!」


 秘書は目を擦った。女子の一団の中に、異様に自己主張の強い野球帽の少年が混じっている気がする。

 ともあれ、一向に立ち去る気配がない。彼は通路の先で待つ会長に目配せした。


「申し訳ありません。彼女らは私がスタッフに引き渡しますので……会長はお先にゲストルームへ」

「フフフフ。人気者のようで、羨ましい限りですね。十分に構ってあげてください」

「勘弁してください」


 秘書が大いに苦労しながら誤解を解き、会場スタッフと共に客席への誘導を終えたその頃には、既に10分が経過していた。

 WRAの主な顧客層はこうした子供であり、彼らが時に突拍子のない行動に出ることも、あり得る話ではある。

 しかし、その10分の間に……


「……みんな、ありがとね。わざわざこんなのに付き合わせちゃって」

「いいっていいって。サキの頼みだし」

「結構楽しかったよね」

「俺も楽しかったぜーッ!」

「今度遊ぶ時、ちゃんと純岡すみおかくん連れて来なさいよね」

「ええー? ミナ、クール系が好みなの? 意外ー!」

「いいじゃん! 結局イケメンが正義じゃん」

「っていうか」


 女子中学生の一人――星原ほしはらサキは、こめかみを押さえた。

 あまりにも当然のように紛れ込んでいたので、逆に指摘できなかったが。


「なんでタツヤが混じってるの」

「ああ! 俺はいつでも全力! この勢いで女子会トークだってやってみせらあ!」

「そこは今さら突っ込まないよ? 純岡すみおかクンやルドウと一緒じゃなくていいの?」


 開会式前の短い時間で、WRA会長から必要な事柄を聞き出さなければならない。

 異世界からの転生者ドライバー。ドライブリンカー。そしてシトの父親。それらの真相はサキとしても大いに気になるところであったが、この作戦においてはただ一人転生者ドライバーでない彼女が、進んでこの役割を買って出た。


 彼女はてっきり、タツヤもシトやルドウと同行するものかと思いこんでいたが……


「……まあ、実際俺だって気になってるぜ。会長があんな人だとは思わなかったし、ドライブリンカーや異世界にはきっとすげえ秘密があるんだろうなあ」

「それなら、なおさら……」

「いいや。気になるからこそ、謎のまんまにしておいた方がいい気がするのさ。純粋に異世界転生エグゾドライブを楽しむためには、もしかしたら知らねえ方がいいことだってあるのかもしれねー。直感だけどな!」

「……ふーん」


 彼はいつも、気紛れな感情のままに行動しているように見える。しかし異世界転生エグゾドライブでもそうであるように、決して何も考えていないわけではないのだ。


「それにシトの親父さんの話は、なおさらシトのプライバシーの問題だ……俺にまで聞かれたい話じゃあねーだろ。俺は、あいつらの作戦成功を信じてりゃいい」

「そうだね。そっか。ま、他にできることもないしね」


 サキは少し笑って、視線を上に向けた。

 天井には、映画館めいた大画面の超世界ディスプレイが広がっている。


 ネオ国立異世界競技場、観客席。あの予選トーナメントを遥かに超える熱狂と興奮の中、異世界全日本大会が始まろうとしている――


――――――――――――――――――――――――――――――


「お久しぶりだな。会長サマ」


 嘲笑うような声が響いたのは、エルがゲストルームに足を踏み入れた直後だった。

 振り返った先では、ダークグリーンのジャケットを羽織った凶悪な面相の少年が、内側から扉を施錠している。


「それとも俺の顔なんざ覚えてねェか? 最後に会ったのは小学校の頃だもんなァ」

「……もちろん、覚えていますよ。ルドウくん。大葉おおば博士の息子さんでしたね?」

「ケッ、余裕ぶりやがって」


 死角となる扉の影で待ち構えていたのは、大葉おおばルドウただ一人ではない。

 やや長身の、ルドウとは対照的な直毛の白髪を持つ少年。純岡すみおかシト。


 猛禽めいて酷薄な表情に、しかし僅かな困惑を滲ませて、彼は言った。


「……大葉おおば。人違いではないのか? WRA会長だぞ……?」

「あァ? そうか、純岡すみおかは直接会うのは初めてか? まあ、公式ページに写真載せてるわけでもねェもんな」

「しかし、彼女は――」


 WRA会長――エル・ディレクスは帽子を脱ぎ、長く美しい金髪を流した。

 瑞々しい肌と女性らしい体つきは、到底公式プロフィールの年齢から想像できるものではない。


「驚かれましたか? はじめまして。WRA会長、エル・ディレクスです」

「……純岡すみおかシトです。突然の無礼をお許しいただきたい」

「スミオカ? まあ……」

「心当たりが」


 WRA会長を差し置いて、ルドウは乱暴に椅子に腰を下ろした。


「あるんじゃねェのか、会長サマ。そいつは純岡すみおかシンイチの息子なんだとよ。何か言うことがあるだろう」

大葉おおば。礼節を正せ」

「いいんだよこんな若作りババア。それに転生者ドライバーなら誰でも、こいつに文句を言う権利くらいはある」

「確かに……君が純岡すみおかシンイチさんの息子なら、むしろ私の方から話をしたいくらいです。が」


 エルは落ち着き払ったまま、ルドウのすぐ横のソファに座った。

 扉の横に佇んだままのシトを見て、蠱惑的に微笑む。どれほど年齢を高く見積もっても、三十代前半にしか見えない。


「どうですか、シトくん? ちょっとだけ後にしてみませんか? 私は、これから開会式の挨拶が控えてますからね」

「前に会った時もその手で逃げたよなァ、会長」


 ルドウがすかさず釘を刺した。当事者であるシトに彼が付き添っているのは、それだけ手強い相手であると認識しているからだ。


「スケジュール過密のアンタが、挨拶の後も会場でのんびりしてるわけがねェだろ。これからまた日本支部の会議だか関連企業との商談だかを回りまくって、帰り際に閉会式で一瞬顔出して、『ちょっとだけ後』は五年後とかじゃあねーのか? あァ?」

「フフフフフフフフフ」

「……大葉おおば。会長が多忙なら、俺は異世界の転生者ドライバーの件だけ伝えて……」

「ドライブリンカーにはスロットがあるよな」


 シトが身を引こうとするのを察知して、ルドウはむしろ畳み掛けた。

 ここで逃げられてしまえば、彼は父の研究の真実がずっと分からないままだ。


「俺達が普段使ってる四つのスロットとは別に……形は違うが同規格のコネクタが一つ、基盤内部にあるだろう。全部のドライブリンカーに共通の、組み込み済みのCチートメモリと一緒にな」

「フフフフ。さすが、大葉おおば博士の息子さんですね。中学生が自力で【基本設定ベーシック】の存在に辿りつきましたか?」

「テメーは会長だ。知りませんでしたじゃあ済まされねェぞ。事と次第によっちゃ、開会式も欠席してもらうかもしれねえなァ~!」

「……【基本設定ベーシック】とは何だ?」


 話の文脈からして、Cチートメモリの一種であろうことは分かる。だが当然、そのようなものは市場に流通していない。


「テメーは知らなくていい。それより本題の話だ。いいか? 俺は【基本設定ベーシック】の存在を知ってる。Cチートスキル効果も解析済みだ。これでちょっとは話しやすくなったろう、会長サマ」

「……仕方ありませんね。あまり、気は進みませんけど」


 青く丸い瞳が、二人の顔をじっと眺めた。決意の程を探っているようでもあった。

 やや長い沈黙を挟んで、シトは本題をぶつけた。


「異世界の転生者ドライバーがこの世界に転生ドライブしてくることはあり得ると思いますか? ドライブリンカーとは、どのような仕組みなのかをお聞きしたい」

「そう。異世界からの。つまりシトくんはそれを見たということですね?」

「デパートのゲームコーナーで遊んでた、妙な二人組だったんだとよ。大葉研の観測結果にもCチート現象が記録されてる。異世界人がゲームコーナーで遊ぶとか、それこそバカみたいな与太話だけどな」

「……なるほど、なるほど」


 細い指を唇に当てて天井を見る。

 そうした仕草は少女を通り越して、むしろ子供じみてすらいた。


「ドライブリンカーの仕組みですが」

「……仕組みは」

「私にも分かりません」

「なんだそりゃ!」


 WRA会長は左腕の袖を捲った。そこにはドライブリンカーが装着されている。


「けれど異世界からの転生者ドライバーはあり得ない話ではありません。私がそうだからです」

「ああそうだな、あんたはそうやって話を有耶無耶にするタイプで……!?」

「? 有耶無耶にしていますか?」

「いや、待て。待て待て待て」

「…………。それは」


 絶句する二人を前にして、エルは少し寂しげに笑んだ。

 殊更に吹聴してきた事柄ではないが、信じる者の少なかった真実でもある。


「ドライブリンカーが本来、どこの世界で何のために作られたものなのか、誰も分かっていません。今この世界に出回っているドライブリンカーは、この私のドライブリンカーをオリジナルとして、Cチートスキル【複製生産パイレート】で構造をコピーしているだけのものに過ぎませんから」

Cチートスキル……? この現実で、Cチートスキルを使ったとでも!?」

「……ええ。ルドウくんの観測結果が示しているものも同じことでしょう。外の世界から到来した転生者ドライバーだけが、一方的に巨大な権限でその世界へ干渉できる――それがCチートスキル。もちろん、私にも四つのCチートスキルがあります」

「しかし、それなら尚更……ドライブリンカーがあるのに、俺達がこの世界でCチートスキルを使えない理由が分かりません……! 俺は、異世界に転生ドライブした時にしか、発動しないものだと……」

「そうですね。うーん。中学生でも分かるくらいの説明は、難しいんですけど」


 彼女は、コートのポケットからCチートメモリを取り出した。それをテーブルの上へと立てる。また一つのCチートメモリをその隣に立てる。


「ちょっと待ってくださいね」


 20を越えるCチートメモリを、彼女は慎重に並べた。


「……何やってやがる。遊んでる場合じゃねえんだぞ」

「ルドウくん待って。待ってください。今集中しているんですから」


 最後のCチートメモリを見事な等間隔で並べ終えた後で、エルは豊かな胸を自慢げに張り、純岡すみおかシトを見た。

 シトはWRA会長の不審行為を訝しむだけであった。


「それでは、シトくん。ここにCチートメモリでドミノを作りました。どちらが最初で、どちらが最後か。シトくんにはわかりますか?」

「……それは、そもそも答えのない問題なのでは。坂道などがあれば別ですが、こうして並んでいるだけのドミノに前後などないでしょう」

「ええ。正しい答えです。しかし正確な答えではありませんね」


 エルの白い指先が、自分の側のCチートメモリを倒す。

 ドミノは一斉に連鎖して、シトの側へと倒れた。


「分かりましたか? これが正確な答えです。先程まで、このドミノに前後はない、均衡な状態だった。シトくんの答えが正しかった。けれど、私のこちらが最初のドミノになりました」

「……」

「見かけ上均衡な状態にある系は、ある一つの選択を起爆点にするように、系のすべてが一斉に同じ方向に傾いてしまうことがあります。このドミノの中に、一つとして私の方向に倒れているCチートメモリがないように。それは最初に動かした者からの一方通行です。これを『自発的対称性の破れ』といいます」

「最初に動かした者が――」


 シトはその言葉の意味を考えている。遍く転生者ドライバーが、その言葉を用いている。

 異世界転生エグゾドライブの根幹となるシステム。


「……イニシアチブ。優越性。主導権か……」

「これは世界間の均衡においても起こり得ます。最初に干渉した者から、一方的に。そしてこのドミノが倒れたことで、私がドミノを立てることに使ったエネルギーが失われました。それが転生者ドライバーの得られるポテンシャルと考えてください」


 干渉は、一方通行。故にその世界の住人は異世界の転生者ドライバーに無力であり、Cチートスキルの前では一方的に蹂躙されるだけの存在でしかない。

 今のシト達が、まさしくその脅威に晒されているのと同じように。


「繰り返しますが……これは、世界単位で起こっていることです。そうして得られる絶大なエネルギーを個人が制御可能な形に集約し、付与するものがドライブリンカー。力の形を定義するものが、Cチートメモリのプログラムです」

「……純岡すみおか。こいつの言ってる意味は分かるか。俺が説明するか?」

「ああ。なんとなくだが、意味は把握できる」


 世界から世界への転生ドライブの権利はどちらか一方しか持てず、どちらかから転生ドライブが引き起こされた時点で、最初に作られた流れに逆らうことはできない。

 そうした均衡を破った事実が、転生者ドライバーCチートスキルの根拠。


「……アンチクトンが言っていた、『凄まじき力』とはそういうことか……」

「あァ、その話もあったな」


 ルドウは頭を掻いて、テーブルに肘を突いた。


「そもそも、なんでアンチクトンの出場権を認めてやがんだ。俺らに世界を救ってもらいたいなら、連中の主張はどう考えたってテメーの邪魔だろう。【基本設定ベーシック】みてェなCチートメモリを使ってる輩が、奴らを野放しにする理由はねェだろうが」

「……それは、あの」


 エルは眉根を下げて、答えに詰まった。本当に困っているようであった。

 Cチートメモリの一つをくるくると回しながら言った。


「その……一方的にあちらが悪いとは、必ずしも言い切れないのかも……えーと……私も、この世界のことが……だから否定してしまうと、それはそれで…………」

「要領を得ない答えだ」

「だからなァ~! 誤魔化すんじゃねェぞババア! あとあれだ、純岡すみおかの親父のことだって話してもらうぞ!」

「――その話ですが、シトくん」


 ルドウの言葉を聞き、彼女は一瞬にして表情を正した。

 真剣な面持ちに見えたが、話題の逃げ道を見つけたようでもある。


純岡すみおかシンイチさんは君に何かを託してはいませんでしたか?」

「…………」


 シトは上着のポケットの中に今も持ち歩いている、一つのメモリに触れた。

 【世界解放オーバードライブ】。父はこのCチートメモリについて、シトに何も伝えてはいなかった。

 どのようなCチートスキルを秘めているのか。何のために、これを使うべきなのか。

 シトはこのCチートメモリについて、何一つ知らない。


 もしも彼が心からシトに託したのなら、それを一緒に伝えているはずだったのではないか。ならばこの【世界解放オーバードライブ】は父との最後の繋がりであると同時に、断絶の象徴であるのかもしれない。


「……このメモリは」

「会長。遅くなりました」


 ノックの音が割り込んだのは、その時だった。

 サキ達に引き離されていた秘書が戻り、ゲストルームの扉を開けていた。


「会長? この子供達は」

「彼らは、私の方のファンみたいで。こうして少しお話をしていたんですよ」

「そうでしたか。しかし、申し訳ありませんが部外者は立入禁止です。君達はここを左に向かって、一般通路の方まで戻るように。会長は、開会式の準備を」

「ええ」

「…………」

「…………」


 そのやり取りの間、シトとルドウは無言だった。

 異世界転生エグゾドライブの真実。世界の外からの転生者ドライバー。それはただの中学生では到底受け止めきれないスケールの世界だった。

 ……仮に知ったところで、彼らに出来ることが何か一つでもあるというのか。


「それでは、ルドウくん。シトくん。またちょっとだけ後で、お会いしましょうね」


 エルはそのまま去っていく。

 ゲストルームを追い出された二人には、それ以上為す術がなかった。


「……悪いな。結局、テメーにとって大切な話は聞けなかった。ドミノなんか並べやがって……あのババア、話題をわざと長引かせやがったな」

「いいや。そもそも大葉おおばの交渉のお陰でもある。それに、会長の言葉が全て真実という保証はどこにもない……」

「クハッ、そうだな。ドライブリンカーは企業秘密だから、奴がハッタリこいてるだけって線は大いにある」

「フッ……」

「ヒヒヒヒ」


 真っ白な通路を、二人で並んでしばらく歩いた。

 長い沈黙の後で、ルドウがぼそりと呟く。


「――なァ。やれんのか。純岡すみおか

「……」

「試合だぞ」


 じきに開会式の時間だ。WRA異世界全日本大会が始まる。

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