【運命拒絶】

「テンマさァん」


 選手控室。決勝戦を目前に控えたその男は、黙々と筋力トレーニングに勤しむ。

 大きなスタンスで鉄棒を掴み、広背筋と上腕二等筋の力で体全体を懸垂する、美しいワイドグリップ・チンニングのフォーム。


 介添人と思しき少年は、何の感慨もなくそれを眺めて、もう一度呼んだ。


「すいませェん、テンマさん。そろそろ試合始まっちゃいますけどォ」

「……そうか」


 中学生離れした、まるで格闘家を思わせる体躯。しかし、思慮深い精悍な顔立ちは哲人の如きでもある。


「いつも思うんですが」


 一方で、部屋入口の少年は死んだ魚のような虚ろな眼差しのままで、纏う学生服が喪服のようにすら見える。


「そもそもテンマさんは、どうしてわざわざトレーニングを? 関係ないでしょォ。異世界転生エグゾドライブにそんなの」

「私はそうは思わないな。筋肉は、必ずしも思考の支配下にあるわけではない。……それを制御下に置くためには、訓練が必要になる。自らの持つ力を、完全に自分自身のものとするためにだ」

「はぁ」

「……我々転生者ドライバーは、この世では過大に過ぎる力を乗りこなす必要がある」


 トレーニングを終えた彼は、コートめいて丈の長い特徴的な黒衣を纏い、その上からドライブリンカーを装着した。


「さて、ルキ。次の相手は誰だったか」

純岡すみおかシトですよ。全力でやってくださいね。初の実働試験が二位なんて成績に終わってしまったら、ドクターに申し訳が立ちませんからァ」

「勿論、そのつもりでいるとも。外江とのえハヅキは強かったな……純岡すみおかシトも、同じくらい強ければいい」


 選手用通路を歩みながらも、チートメモリを握る右手に力が篭る。

 彼の名を、鬼束おにづかテンマ。後に続く少年は、あかがねルキといった。


「血が滾る」


 闘争を楽しむ心。彼が他に持ち合わせるものなど殆どなかったが、その心だけは確かなものだ。

 鬼束おにづかテンマ。その名はあらゆる公式戦に記されておらず、一切の素性が不明である。


――――――――――――――――――――――――――――――



「さあ、ついに始まります! 熾烈なる準決勝戦を制したのは、この二人! Aブロック、純岡すみおかシト選手! Bブロック、鬼束おにづかテンマ選手! 予選トーナメント決勝! 関東地区で最も強い転生者ドライバーが、今! この戦いで決定します!」

「「「ワアアアアアアーッ!!」」」


 色白の、どちらかといえば少女めいて線の細いシトの容貌とは対照的に、炎の如く赤く黒い印象を与える、色素の濃い肌。

 横に並び立つ鬼束おにづかテンマの背丈は、シトよりもさらに頭一つ分高い。


「あの外江とのえハヅキを下したそうだな」


 ドライブリンカーへとメモリを装填しながら、シトは警戒の言葉を投げる。

 救うべき異世界をあの有様に荒廃させた相手だ。少なくとも、真っ当な転生ドライブスタイルではあるまい。


「奴の【弱小技能ウルトラレア】デッキを破り得る選択肢はそう多くはないはずだ。たとえば【無敵軍団ネームドフォース】を活用しての――」

「なるほど」


 テンマはクラウチングスタートの姿勢だ。前方のトラックを見据えたままで、獣めいて犬歯を覗かせた。


「そのように戦術を言い当てることで、試合前にイニシアチブを取るのが君の転生ドライブスタイルというわけか」

「……」

「ならば私もそうしてみよう。君のCチートメモリ、一つは【産業革命インダストリアルR】だ」

「……!? バカな……!」


 まさしく、それはシトがたった今装填したCチートメモリの一つであった。

 決勝戦の世界脅威レギュレーションは『資源枯渇B』。【産業革命インダストリアルR】による攻略はむしろ定石であるとはいえ――


Cチートメモリは、せめてラベル面を敵に見せぬよう装填するものだよ。たとえそれが0.1秒……指の隙間から見える、僅かな色合いであってもね。そして【産業革命インダストリアルR】をはじめとしたいくつかのメモリは……装填時にカチカチと二重に重なるような、独特のクリック音がある」

「……ハッタリだ。そのようなことでCチートメモリの種別が分かるものか」

「どう取っても私は構わない。もっとも、全国大会ではオープンスロットのCチートメモリを互いに見せ合った状態からの開始となる……こんなものは、大して役に立つ特技ではないがね」


 こうして直接会話を交わしても、シトはまだこの敵の正体を掴めずにいる。

 外江とのえハヅキを異世界転生エグゾドライブで打ち破るほどの強者が、何故これまで無名でいたのか。


「……レディ」

「レディ」


 開始カウントが迫っていた。迷いを振り払い、意識を異世界の人生に集中する。

 転生レーンに待ち受けるトラックのヘッドライトが、二人の少年を逆光に染め――


「「エントリー!!」」


 唸りを上げるエンジン音! 同時に走り出し、そして轢殺!

 激烈な運動エネルギーがドライブリンカーのシステムを励起! 転生ドライブする!


――――――――――――――――――――――――――――――


「――そこで俺は、これらの問題を解消する新技術を提唱する。魔力炉と内燃機関の複合! これによってエネルギー効率は28倍にも向上する……!」

「バカな!」

「机上の空論だ!」


 王立魔導技術研究所の中央会議室は、若き天才の語る理論に騒然とざわめいた。

 ――無論、転生者ドライバーにとってこれはなんら目新しい仕組みなどではなく、この世界における現行技術で実現が可能であることも、既に分かっている。


 自らの発明や技術開発を波及させ、異世界の産業と科学の発展方向性を意のままに制御する【産業革命インダストリアルR】。

 無限の知識を自在に引き出し、あらゆる状況において万能の天才と化す【超絶知識ハイパーナレッジ】。

 この二つのCチートスキルをもってすれば、無脊椎動物にインターネットを発明させることすら与太話ではない。壇上の少年は、我らが純岡すみおかシトであった。


「最終的には民間にもこの技術を普及できるものと考えている。だが、最初の段階は従来の労働用ゴーレムへの搭載だ。お手元の資料を見るがいい! これが実現すれば、危険地帯における晶霊石採掘は723%効率化される!」

「もういい! 貴様のような若造の夢物語は沢山だッ! 必要なのは現状維持と地方からの採掘資源の中央集約! そして我々貴族への利益分配……」

「確かに……彼の語ることは、幻想。先の見えぬ霧の中に鳥を追うようなもの……」


 喧騒を割って入った優雅な声に、反対勢力の声は一瞬で静まり返った。

 

「しかし……我々は皆、同胞。枯れる泉の傍らの、弱き草花……。皆が生き延びるには、幻想を現実とする他に道はないのかも……。そのようには思いませんか?」

「ひ……姫様……!」


 これも既定路線だ。確実な世界の危機――資源枯渇を認識している世界である限り、確かな実績を挙げ続けているシトを王族が重用せぬ理由はなかった。

 そう。シトは【超絶知識ハイパーナレッジ】の知識を前提としても失敗の可能性が高い実験や研究に躊躇なく着手し、尽くを成功させ続けている。

 そのようにできる理由は無論、第三スロットのCチートメモリにある。


(……Bブロック準決勝の、あの盤面)


 シトが備えているのは、別の脅威だ。異世界が滅び去った、異世界転生エグゾドライブの前提としてあり得ざる光景。

 転生者ドライバーが世界の危機に加担、あるいはそれを見過ごしてしまった場合、当然にIPは激減し、その後の獲得倍率にも大幅な除算修正がかかる。巻き返しが不可能なほどの大差がつくはずだ。


 よって全日本大会予選トーナメントのレベルにあっては、対戦相手が残っている限り、その時点で勝利はない。対戦相手が残っている限りは。


(恐らく。鬼束おにづかテンマの戦術は、対戦相手への直接攻撃ダイレクトアタック


 予測不能の応用性を強みとする【弱小技能ウルトラレア】にも、弱点はある。それは序盤の時点で、転生体アバターを直接に攻撃されてしまうこと。このCチートスキルの強みとなるべきボーナススキルが成長していない段階では、必然、他の三種のCチートスキルで対処せざるを得ないためだ。

 外江とのえハヅキがそうした戦術に対策を施していないとは思えなかったが、彼女の口ぶりからすれば、何らかの想定外の事態が起こったことは間違いあるまい。


 世界救世の難易度の高さのために通常用いられぬ戦術であるが……鬼束おにづかテンマは真っ先に対戦相手のハヅキを排除した上で、最終目標を一人で打倒したものとシトは推測している。IPの激減のために対処が遅れ、クリアのその時には世界崩壊の瀬戸際となっていたとするなら、辻褄が合う。

 故に、彼女と同じ轍は踏まぬ。


(ならば奴の想定を越える速度で文明を発展させる他にない。奴が直接攻撃ダイレクトアタックの切り札を隠し持っているのならば、俺はそれを迎え撃ってやる……!)

「シ、シシシ、シト先生ーっ! 大変です! 三番研究棟で爆発……爆発事故です! 新型魔力炉の調整過程で魔術師六人が死亡しました!」


 書斎に飛び込んできた助手の少女の報告を聞き、シトはすぐさま思考を切り替えた。今回の実験が成功すればさらに一足飛びに文明を進展できるが、難易度が高い。の失敗だ。


「なるほど。事故原因は何だ?」


 大机に向かったままで、冷静に報告を聞く。石油燃料の精製純度でも、安全管理の見落としでもないはずだ。


「直前の実験で魔鉱液が飛散して、蒸気化していたのではと……! 灰が緑色を帯びていましたので、きっと、空気中で連鎖的な魔力反応が……! それよりもどうするんですか!? これではもう、議会からの支援も打ち切りに! あわわわ、それどころか遺族からの訴訟問題も~ッ!」

「蒸気か……今度は簡単な見落としだったな。すぐに対処できるだろう」

「なにを呑気に言ってるんですかーっ!」


 シトは助手の奴隷サーヴァントを何人かこの研究に雇用しているが、彼女らの殆どに【超絶知識ハイパーナレッジ】による高等教育を施し、〈鑑識〉〈第六感〉〈魔力特定〉などのスキルを保有させている。前回のように戦闘主体の転生ドライブスタイルではない分、人員も選り好みせずに済んだ。


 そうして、成功確率を高めているのだ。


「――【運命拒絶セーブ&リセット】」


 Cチートスキル発動の瞬間、世界は暗転した。

 巻き戻し時間に比例した大量のIPをコストとして、世界の時間をセーブ地点にまで逆行させる。それが【運命拒絶セーブ&リセット】。


 試合進行の都合上転生者ドライバーの記憶には影響せず、対戦相手にCチートスキルの種類と使用タイミングが筒抜けとなってしまうなどデメリットも大きいCチートスキルだが、このスキルがある限り、シトの技術開発に失敗はない。


 決勝戦の世界脅威レギュレーションは『資源枯渇B』。それを根本的に解決してしまえば、世界救世は成るのだ。

 そして異世界転生エグゾドライブの申し子たるシトであれば、それが可能だ。


(……惑星外進出。奴が行動を起こす前に、文明をこの段階にまで到達させる!)


――――――――――――――――――――――――――――――


「……ねえ、レイちゃん」

「…………」

「8……って、なに」


 決勝戦を見守るサキの声は、僅かに震えていた。

 異世界転生エグゾドライブの初心者。この観戦を通し、レイやルドウから何度か授業を受けてはいるものの、それでもまったくの素人であると断言できる。


 ……だが。その星原ほしはらサキの目をして、この事態は明らかに異常であった。

 関東地区最強を決める戦いに、間違ってもあり得べからざる状況。


「……多分だが、準決勝の純岡すみおかと同じだ」


 沈黙したままのレイの代わりに、ルドウが答えた。

 未だかつて見たことのない戦局に、彼も動揺を隠せずにいる。


「シークレットのCチートメモリに鍵がある……はずだ。俺にはそれしか分からねェ……!」


 今、彼らが超世界ディスプレイの中に注視しているものは、純岡すみおかシトの人生ではなく……鬼束おにづかテンマの人生である。


――――――――――――――――――――――――――――――


純岡すみおかシト IP159,321 冒険者ランクB


オープンスロット:【超絶知識ハイパーナレッジ】【産業革命インダストリアルR】【運命拒絶セーブ&リセット

シークレットスロット:【????】

保有スキル:〈機械工学SSS+〉〈魔導工学SS-〉〈政治交渉B〉〈古文書読解A〉〈機械操作A+〉〈運転技術B〉〈精密射撃A〉〈火光の術法C〉〈雷霆の術法B〉〈全力集中B-〉〈完全鑑定C〉〈魔力特定B〉〈特許法B〉〈大陸言語B〉他15種



鬼束おにづかテンマ IP8 冒険者ランクE


オープンスロット:【超絶成長ハイパーグロウス】【兵站運用リソースフリー】【無敵軍団ネームドフォース

シークレットスロット:【????】

保有スキル:〈破獣拳A〉〈神祖の血統E〉〈瞬動歩法C〉〈火光の術法B+〉〈軍勢指揮C〉〈完全言語E〉〈特攻戦術B-〉〈神算鬼謀D〉〈暴虐の威圧C〉他16種

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