二人きりの場所で…

 次の日の休み時間。

 また、ボーっと外を見ている雪乃に、瑞枝が声をかけた。

 「雪乃」

 「ん、なに」

 雪乃が返事をすると、瑞枝はポケットからチケットを二枚取り出した。

 「映画の券、二枚もらったんだけど、私、この映画あんまし興味ないんだ。雪乃行かないかい。だれか誘ってさ…」

 すると、二人の様子を見ていた桂子が後ろから声をかけた。

 「あーっ、その映画。あたしも行きた…いっっっっ!」

 桂子が言い終わらないうちに、瑞枝が黙って桂子の足を思い切り踏んづけた。

 そして、桂子のほうに振り返ると怖い目でキッと睨んだ。

 「…と思っていたけど、塾とか忙しくっていけないわぁ、雪乃ちゃん行っておいで」

 そう言うと桂子は、涙目で恨めしそうに瑞枝をみて、足を引きずりながら、すごすごと引き上げていった。

 「どうする?行く?」

 瑞枝は、二人の様子を怪訝そうに見ていた雪乃のほうに向き直り言った。

 雪乃は、少し離れて立っている桂子のほうをチラリと見た。すると、桂子はまだ半べそをかいたままだったが、ニッコリ笑って手で“どうぞ”とジェスチャーをした。

 「いいの?もらって…」

 「いいよ、どうせ見ないし」

 と言って、瑞枝は券を手渡すと、少し下を向いて、

 「その代わし、さ」

 と、少しはにかみながら続けた。

 「あれ、その、いろいろ、まあ、お、落ち着いて、からで、いいからさ。今度は、ね。今度は一緒に行こう、映画。桂子もつれてさ」

 瑞枝はそう言うと、ちょっとぎこちない笑みを浮かべて、雪乃の方を見た。

 「うん、わかった。今度は3人でね」

 と、雪乃は瑞枝に微笑みかけた。

 「落ち着いて、落ち着いてからでいいからさ」

 「うん、ありがと」

 雪乃の言葉を聞いて、瑞枝も今度は少し照れたように微笑んだ。


 その日の夕方。

 「映画?」

 喫茶店のテーブルに置かれた映画の券を、冬哉は怪訝そうな顔で見ていた。

 「友達にもらったんです。その子こうゆう話あまり興味がないみたいで、行ってきたらって」

 「映画ねぇ」

 冬哉はあまり気乗りしないように雪乃には見えた。

 「こ、これ、もうすぐ終わっちゃうみたいなんです。だから、無駄にしちゃうのももったいないし、でも、女の子一人で行くのも、傍から見てみったくないし。それに冬哉さん、最近考え事ばかりしているみたいで、って、考え事してるのが別に悪い事って言うんじゃないけど、ほら、いつも喫茶店で過ごすってのもつまんないのかなあ~って。いや、映画なんて見たいやつじゃないと気が乗らないかもしれんけど、ほら気晴らしにもなるし、ね」

 雪乃ここまで一気にまくし立てると、ここで一拍を置いてから、上目遣いに冬哉の顔を覗き込み、言った。

 「たとえば、明日…とか、どうです?」

 冬哉はもう一度映画の券を見つめて、一言言った。

 「いいよ」

 「いや、そうですよね~。やっぱり、突然映画とか言われても、行きたくないですよねー」

 冬哉があまりにも事も無さげに言ったので、雪乃は断られたものとすっかり思い込んでしまっていた。

 「いや、だから、いいって、行くよ」

 「えっ、あっ、ほんと。いいんですか?」

 「暫く映画なんて見てなかったし、いいよ。明日」

 と相変わらず淡々と話した後、独り言のようにポツリと言った。

 「確かに、気晴らしも必要かもな…」

 ただ、すっかり舞い上がってしまっていた雪乃には、その独り言は聞こえていなかった。

 「じゃ、じゃ、じゃあ、じゃあ、時間なんですけど…」




 買物公園は当時、旭川随一の繁華街ではあったが、賑わっているのも駅前から、四条通と言われる丁度商店街の中間にある大きな通りまでで、それを境に、急に人通りは減って少し閑散とした雰囲気になっていた。ちょうど、川を挟んで栄えている地域とそうでない地域が極端に分かれるように、通りをはさんで、百貨店等の大型施設が立ち並ぶ繁華街と、古くからの小さな店が立ち並ぶ商店街と面白いように分かれていた。

 ただ、その閑散とした中に紳士服店の大きな赤い看板が目立つ背の高い建物がポツンと建っていて、その看板の紳士服店のほかに、ボウリング場やゲームセンター、映画館が入った、いわゆるアミューズメントビルの走りのような建物で、その一角だけ、そこそこ人の出入りのある場所となっていた。

 授業が終わってすぐに学校を出た雪乃は、予定時刻よりも大分早くその場所に着いてしまっていた。当然、上映時間は大分先で、待ち合わせの時間にも大分間があった。この時期の夕方ともなると長い時間外で待つには少し気温が低い。幸いにもこの建物には一階の庇を利用して一面ガラス張りの風防状のものが作られており、中は少し広めの玄関ホールのようになっていて、風除けには丁度良かった。雪乃はそのガラス扉から風防の中に入り、地下にある映画館の入り口の前に立った。そして、辺り一面に飾られている看板やポスターにある宣伝文句や俳優の名前を読んで暇をつぶした。

 まだ待ち合わせ時間ではなかったが、程なくして冬哉がガラス扉を開けて入ってきた。冬哉の姿を見つけた雪乃は、ペコリと一礼してから冬哉の方へ駆け寄っていった。

 「は、早いですね、冬哉さん」

 「そういう君の方が先に来ている…」

 「アハハ、そうですね」

 少し照れ笑いを浮かべ雪乃は言った。

 「あの、上映時間にはまだ早いですけど、どうします?でも、喫茶店行くような時間もないし…。映画館のロビーで座って、待っていましょうか」

 「うん…。いいよ」

 「じゃあ、行きましょう。あっちです」

 雪乃は入り口の階段を指差すと、冬哉のことを先導するように階段へと進んだ。そして、後からついてくる冬哉のほうを時折振り返りながら、角度の急な階段を下っていった。冬哉は相変わらず言葉少なではあったが、ここ数日見せていた険しい表情はほんの少し緩んでいたように、雪乃には思えた。いいきっかけをくれた瑞枝に雪乃は改めて心の中で感謝した。

 映画館の中に入ると、ロビーの椅子に並んで座り、静かに前の回の上映が終わるのを待っていた。暫くして、ドアの奥からエンディングの音楽が聞こえてくると、気の早いお客がわらわらと出てきた。二人は流れが落ちつくのを待ってから、ホールの中へ入った。映画館の中には、もうすでに数人の客が座っていて、真ん中の一番見やすい席は埋まってしまっていたが、良い席はまだ十分に残っていたので、真ん中より少し前の比較的良い席を確保することが出来た。映画館の狭い席に冬哉と並んで座っていると、雪乃は少しドキドキした。そして、静かに映画が始まるのを待った。

 突然、冬哉のジャンバーのピーピーと音が鳴り出した。例のポケットベルの音だった。冬哉は急いでポケットを探り、音を止めると、席を立ち、急いでホールを出て行った。それから、冬哉が戻ってきたのは照明が落ちた後、予告編を上映している最中だった。間に合わないのではないかと、やきもきしながら冬哉を待っていた雪乃は、本編が始まる前に冬哉が戻ってきたことにほっとしていた。しかし、戻ってきた冬哉が再び、と言うか前以上に険しい表情になっていることに、暗い照明の中で雪乃は全く気づくことが出来なかった。


 「結構面白かったですね」

 二人が映画館から出てきたときには、もうすっかり夜になっていた。映画は、B級のSF映画で、ある星の遺跡で時間を遡るゲートを見つけた主人公が、陰謀に巻き込まれ、巻き添えで命を落とし恋人を救うために奔走すると言ったものだった。良くある話と言えばそれまでなのだが、それなりに話のテンポもよく、恋愛ものの要素もあって、雪乃は十分映画を堪能できた様子で、歩きながら冬哉に感想を語っていた。 一方、冬哉は下を向いたまま黙って雪乃の後をついていった。その表情は、かなり暗いものになっていたが、下を向いて表情が見えにくかったことに加え、雪乃の方はすっかり話すことに夢中になっていたので、その表情の変化に、雪乃は全く気づいていなかった。

 「あ、でもでも、面白かったですけど、こうゆう話でタイムパラドクス?っていうのかな。それの扱いって言うか、解決方法がなんか納得行かないんですよね。この映画でも、過去に戻って歴史を変えることで恋人やみんなを救うじゃないですか。そしたら、元々の事件自体が起きなくなっちゃうから、主人公が過去に行くこともなくなっちゃうはずだけど、そうゆうときって必ずパラレルワールドってことにしちゃうんですよね。でも、それじゃあ元居た世界は救われないままじゃないかなあって思うわけですよ。そう、一見、ハッピーエンドのように思うけど、実は元の世界じゃ問題は解決しなくて、みんな不幸のまま。なんか釈然としないって言うか。私、理屈っぽいかな?そうゆーとこ」

 すると、冬哉は立ち止まり、小さな声でまるでうわ言でも言うように、うつろな表情でつぶやきはじめた。

 「パラレルワールドなんてそんな都合のいいものないよ」

 「えっ」

 よく聞き取れなかった雪乃は、思わず聞き返した。

 「それに、過去なんて簡単に変えていいものじゃないんだよ」

 「どうかしたの…」

 ようやく冬哉の様子がおかしいことに気づいた雪乃は、少し心配そうに冬哉の顔を見つめた。

 「大きな代償を伴うんだ。変えちゃうと。変えた人間には特に…」

 「ねえ、どうしたんですか!」

 たまらず雪乃が少し大きな声で話しかけると、その声で冬哉はふっとわれに返ったように見えた。

 「あ、ごめん」

 「映画面白くなかったですか?」

 「いや、そんなことないよ」

 そういって、冬哉はまた黙って歩き出した。雪乃は立ち止まったまま、少しその様子を見てから、先を行く冬哉に駆け寄り、前を遮るように立って言った。

 「ね、明日休みでしょ。こないだみたいにどっか行きません?」

 冬哉は立ち止まり、顔を上げて雪乃の顔をじっと見つめた。雪乃も冬哉の事を見つめながら、すがるように

 「ね」

 と、一言だけ言った。冬哉はそのまま少し雪乃の顔を見つめ、ようやく口を開いた。

 「そうだな…」

 「うん、行きましょう!どこがいいかなあ」

 雪乃は嬉しそうに言った。しかし、冬哉は雪乃の顔を見たまま、ひどく抑揚を抑えた醒めた声で言った。

 「明日決めよう。まずは、いつもの喫茶店、あそこで待っててくれないか?そこで、どこ行くか決めよう」

 「うん」

 「時間は、そうだな、十一時くらい。遅れるかもしれないけど、先入って待ってて」

 「うん!」

 明日の約束が出来たことを、雪乃は喜んでいた。興奮すると周りが見えなくなって暴走してしまう性格については、雪乃も自覚していた。だから、冬哉の様子がおかしいのも、雪乃がはしゃぎすぎて、冬哉を不機嫌にさせてしまったせいではないかと、少し気にしていた。しかし、明日、また会う約束が出来たことで、嫌われてしまったわけでもないとわかり、明日一日過ごせば、こないだのサイクリングのときのように、また素敵な時間を過ごせるに違いないと、そう楽観的にも考えていた。雪乃は時折冬哉のほうに振り返りながら、少しスキップしながら歩いた。冬哉は、その後ろを数歩離れてゆっくりとついていった。その瞳は雪乃の事をじっと見つめていた。




 その男は、かなりあせっていた。今日は早めに仕事が終わったので、いつもより早い時間に帰宅し、ゆっくりと食事をとっていたのだが、食事も終わらないうちにその電話はかかってきた。事務所からの電話で、今日取引先に収めた肉に問題があったらしく、急ぎ代わりのものを用意しなくてはいけないのとの事だった。その取引先の社長は、かなり難しい人で、機嫌を損ねると今後の取引に影響も出かねない。しかも、その取引先は男の担当している中でも一番大きく、自分の数字の何割かを占めていた。男は急ぎ会社に戻り、配送用のトラックに荷物を載せ、自分で届けに行くことにした。軽くビールを飲んでしまっていたが、そんなこと言っている場合ではなかった。

 夜の道路は空いており、車はスムーズに流れていた。しかし、男には信号に引っかかっている時間がもったいなかった。それくらい焦っていた。街中に入ると、男はこのまま表通りを行くか、信号の少ない裏通りに入るか迷っていた。実際は、裏通りの方がスピードも出せず、交差点の進入も気を使わなくてはいけないので、却って時間がかかるはずなのだが、男は正常な判断が出来なくなっていた。男は、次の交差点で裏通りに入ることを決めた。

 物事は全て偶然の重なり。これも無限にある可能性の中から選択がなされた結果。





 二人はバス停に向かっていた。普段は自転車で来ているのだが、今朝、家を出る時間には雨が降っていたので、今日はバスで通学していた。雪の無い時期にバスで移動するなんて、いつもなら面倒に思っているところだが、今日の雪乃にとってはこのほうが都合が良かった。少しでも多くの時間を冬哉と過ごせるから。特に歩きながら会話をするわけでもなかったが、雪乃はそれでも良かった。二人でこうして歩いているだけで十分だった。だから雪乃は、まっすぐ駅の方向には向かわず、二つ、三つ先のバス停まで少し回り道して行く事にした。

 買物公園を離れると、極端に人通りは減っていた。雪乃は少し浮かれた気持ちのまま、冬哉のほうに振り返って、そのまま後ろ向きに歩いていた。二人が赤信号の交差点に差し掛かるとき、後ろ向きに歩いていた雪乃は、気付かずにそのまま道路に少し出てしまっていた。すると、大きなクラクションが鳴って、雪乃はその音に驚き、飛び上がって元の道に戻った。すぐ横を自動車が通りすぎていき、雪乃は驚いた顔でその自動車を見送った。そして、冬哉のほうに向き直り、恥ずかしそうに、ペロッと舌を出した。冬哉は、その様子を少し離れたところから見ていた。

 辺りは人影も少なくひっそりとして、時折車がスピードを出して通り過ぎていく音だけが響いていた。裏通りにある信号のない交差点に差し掛かったとき、小型のトラックがこちらに向かってきているのが見えた。そのトラックは、裏道を走るには少しスピードを出し過ぎているように思えた。雪乃は交差点の前で立ち止まり、そのトラックをやり過ごすことにした。

 そのとき、後ろからピーピーと音が聞こえてきた。冬哉が持っているポケベルの音だった。雪乃がその音に反応して振り返ろうとしたとき、誰かの手が雪乃の背中をドンと突き飛ばした。大きくバランスを崩した雪乃は、胸を前に突き出すように体を反らしたまま道路へと飛び出した。トラックがすぐそばまで迫ってきた。雪乃の体が、トラックのヘッドライトに照らし出され、辺りにはクラクションの大きな音が響いた。


 すると、反った体の反動で後ろに残っていた手を掴み、冬哉が雪乃を後ろにグッと引き寄せた。雪乃の身体はその勢いでクルリと反転して、そのまま冬哉の胸へと飛び込んだ。その後ろを間一髪で走り去るトラック。冬哉はそのままギュッと雪乃を抱きしめた。

 雪乃は、目を見開き呆然とし、冬哉に抱きしめられたまま動けず固まったようになっていた。冬哉がその耳元でポツリとつぶやいた。

 「ごめん…」

 雪乃には、冬哉が何を言っているのか分からなかった。何で謝っているのか…。少し気持ちが落ち着いた雪乃は、あたりを見回した。近くには全く人気が無かった。そして、雪乃は気づいた。この時間、この場所には、自分と冬哉の二人きりしかいない事に。雪乃の背中には、押された手の感触がはっきりと残っていた。

 雪乃は腕で冬哉の身体を引き剥がすようにして、ゆっくりと冬哉から離れた。そして、冬哉の顔をじっと見つめた。冬哉は下を向いたまま、決して雪乃と目をあわそうとしなかった。雪乃は小さくかぶりを振って後ずさりし、振り向きざまに走り去った。ただ、この場を離れたい。雪乃の頭にあるのはそれだけだった。走り去っていく雪乃の姿を、冬哉は黙っていつまでも見つめていた。

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