サイクリング

 北海道の道は、本州の道と比べかなり広めに作られており、幹線道路ともなると、歩道も本州なら一車線取れるぐらいの幅を十分に持っている。周りに立つ建物も、市の中心部以外は道路ギリギリに建てられているものはなく、道はほぼ直線で前方に障害物はないため、市街地の道路からでも空が広く開けた開放的な景色を望む事ができる。

 その幹線道路の広い歩道を冬哉と雪乃は自転車の二人乗りで進んでいた。漕ぎ手は冬哉で、雪乃は後ろの荷台で横向きに座っていた。

 「いや、絶対おかしいって、これ」

 漕ぎながら冬哉は、後ろに乗ってのんびりと周りの景色を見ていた雪乃に、大声で話しかけた。

 「なにがおかしいんです?」

 「いや、だって、これ君の自転車だし、サイクリングに誘ったの君だし、自転車なくても大丈夫、任せろ、って言ったのも君だし」

 「で?」

 「なんで君が後ろで、僕が必死こいて漕がなきゃ何ねーのってこと!」

 冬哉は、強引に誘われた自分が、こうゆう仕打ちを受けていることに不満の様子で、雪乃に抗議してきた。

 「でも、男が後ろで女が漕いでんのも、傍から見てみったくない(注4)っしょ」

 その抗議は、女の子の特権を振りかざして反論する雪乃に、一蹴されてしまった。

 「でも、重い!疲れる!」

 「あっ、ひどーい!そんなことないもん!」

 冬哉のささやかな抵抗に、女の子のタブーを突かれた雪乃は怒って頬っぺたを膨らませた。

 「あと寒い!前だと風、直接当たって寒い!」

 秋から冬へと移り変わるこの時期、旭川では気温が最高でも一桁の日が多く、慣れてない人間にとっては真冬並みの寒さに感じられるのだが、地元民の感覚は違っていた。

 「今日暖かいですよ」

 「そうか?」

 「昼間は10℃超えるって天気予報で言ってたし」

 「10℃って暖かいのね。君ら」

 自分とはあまりにも違う北国の人間の感覚に、半ば呆れた様子で冬哉はつぶやいた。そんな冬哉の表情を後ろから覗き込み、雪乃は微笑んだ。そして、冬哉の背中に頭を寄せて満足そうに目を瞑った。


(注4)みったくない:『みっともない』『格好悪い』の意


 すこしおしゃれな洋館のようなその建物は、入り口のところの鋭角にとがった赤い三角屋根が特徴的で、おおよそラーメン店にはそぐわないつくりだが、古くから有名な店だけあって、その日開店直後にも係わらず、店の中は混んでいた。

 有名なラーメン店には当たり前の光景となってしまった、壁にびっしりと貼られている有名人のサインを眺めながら、店の中で行列に並んでいた二人は、ようやくカウンター席へと通された。目の前では、店のオヤジさんが年季の入った手つきで中華なべを振って、大量のもやしを炒めていた。そして、その鍋から上る大きな火柱と、その炎の中で宙を舞うようにくるくると回っているもやしの様子を、冬哉は実に興味深そうに見つめていた。

 調理場の前でずらりと並べられたどんぶりに、リズムよく次々とラーメンが盛られていき、その上に先ほどのもやしが、これまた大量に山のように盛られた。そして、最後にちょこんとメンマとねぎが乗せられると、雪乃たちの目の前、カウンターの少し高いところに完成したラーメンが置かれた。冬哉は、目の前に盛られたもやしの山の迫力に、目を丸くしていた。

 「来た、来た」

 と笑顔を浮かべ、雪乃はそのラーメンを自分の前に引き寄せた。

 「いただきます」

 と手を合わせて一口ラーメンを頬張ると、ちらりと横目で冬哉の様子を窺った。冬哉は、目の前に積まれたもやしの山を、一体どこから攻略すればよいのか分からない様子で、箸をうろうろさせ悩んでいた。そんな冬哉を見て麺を銜えたまま、雪乃は吹き出して笑った。


 市内の数少ない娯楽施設のひとつである旭山動物園は市の中心部から約10キロ西に行ったところ小高い丘の中腹にあり、動物園通りと名づけられた直線道路を自転車で一時間ほど走れば到着する。まさにサイクリングにはうってつけの場所である。

 ラーメン屋に行くのに少し遠回りをしていた雪乃たちは、かなり郊外のほうに来たところで、その通りに出た。あとは、その道をまっすぐ西にひたすら進めば、目的地の旭山動物園にたどり着く。

 その日は久しぶりに晴れていた。この時期、太陽はあまり高くは上らず、日の光は正午に近い時刻でも少し赤みを帯びていた。動物園に向かって市街地から郊外へとまっすぐ続くその道は、進むにつれて通りに面して建つ家の間隔が少しずつ空いていき、その代わりに田んぼや畑といったものがだんだんと増えてきていた。そして、数メートルおきに植えられた街路樹にその少し赤みを帯びた光が降り注ぎ、木々の紅葉を一層色鮮やかなものにしていた。

 その中を冬哉は必死に自転車を漕いだ。旭山動物園に向かう道のりは、ほぼフラットに見えて、実際は見た目で認識できないぐらい緩やかな長い上り坂になっており、普段自転車に乗ってない人間が暫くそんな道を走っていると、じわじわと足に効いてくる。後ろに『荷物』を積んで走っていた冬哉には、そろそろキツく思えてくる頃合で、しんどさがその表情に若干出ていた。一方その『荷物』のほうは、腹もくちくなっていたせいか、安らかな表情を浮かべて冬哉の背中にもたれかかり、ウォークマンで音楽を聴いていた。

 「オイ!あれ」

 突然呼びかける声に、雪乃はふと我に帰った。ヘッドホンをはずし、冬哉の顔を覗き込み尋ねた。

 「なに?どうしたの」

 「あれ、見てみなよ」

 北海道の秋は短く、紅葉も多くの樹木が短い時期に一斉に色づくため、その色彩も多彩になる。冬哉の指差す方向には、赤や黄色や黄緑の様々な色彩の紅葉した木々に覆われた小高い丘が現われていて、雪乃たちに覆いかぶさってくるかのように、少しずつ迫ってきていた。

 「あれ、キレイだな…」

 「うん、キレイ…」

 自転車を漕ぎながら冬哉は、いつまでもずっとその光景を見ていた。そして雪乃は、きれいに色づいた丘を横目にしながら、冬哉のことを見つめていた。


 その頃の旭山動物園は、日本最北にあるということだけが特徴の、良くある地方の動物園でしかなく、開園から二十年以上たった建物は、徐々に老朽化が目立つようになっていた。

 「子供の頃、よく来たんですよ。まあ、遊ぶとこってここぐらいしかなかったんですけどね。今日来たのはホント久しぶり」

 少し寂れてしまった感のするその入り口を前にして、雪乃は少々寂しさを感じていた。

 「昔はもうちょっと華やかだった気がするんだけどなあ」

 一方冬哉は、黙って動物園の看板を見ていた。

 「どーする?入ります?」

 雪乃が訊ねると、冬哉は看板から目を離さないまま、ポツリと言った。

 「俺さ、こうゆうとこって、ほとんど入ったことないんだ…」

 「こうゆうとこって?」

 「だから、動物園」

 「え、うそ」

 「うん、動物って言うのも、あんま見たことない」

 ラーメンのときもそうだが、冬哉は意外なものを知らなかったり、経験が無かったりする。ただ、動物園も行ったことがないとすると、なにか理由でもあるのかもしれないと雪乃は思った。

 「動物…、嫌いです?」

 「そんな事はないけど…」

 「じゃあ、行って見ましょうよ。折角来たんだし、ね」

 「う、うん」

 ちょっと腰が引けてはいたが、冬哉は雪乃に引っ張られるようにして窓口へ行った。

 「大人1枚と学生1枚」

 雪乃、入場券を受け取ると走って入場口まで行き、冬哉に手招きをした。

 「行きましょう!早く、早く!」


 「おおーっ!」

 動物園の前で、冬哉は少年のようにはしゃいでいた。いや、少年のようといえば聞こえがいいが、動物園の中を走り回っている冬哉は、まるで遠足に来た小学生を見ているように雪乃には思えた。

 (弟とかいたら、こんな感じなんだろうなあ)

 自分より年上の人間に対し少々失礼なことを考えながら、雪乃は冬哉を見ていた。象の檻の前では、柵に身を乗り出して、そのまま柵の中に落ちそうになったり、トラの檻の前では、檻の中の歩き回るトラについて回り、見ている他の人とぶつかってみたり、ライオンの檻の前では、中で寝ているライオンを棒でつついてみようとして、飼育員さんに怒られたり…。

 ゴリラの檻の前では、熱中するあまり、檻の中でうろうろするゴリラと全く同じように檻の前をうろうろし、ゴリラが頭をかくと同じように頭をかいていた。

 「や、やめてくださいよお。おねがいですよう」

 一緒にいて恥ずかしくなった雪乃は、必死に止めようと声をかけるが、振り向いた冬哉の顔がゴリラのような顔になってるのをみて、思わず吹き出してしまった。

 「ぷぷぷ、ダメです。あはは、冬哉さん、ハハハ、ダメです、恥ずかしいですよう、ハハハ」

 そんな雪乃を見てきょとんとしている冬哉の顔がまた面白くて、雪乃は笑いを抑える事が出来なかった。


 「ありゃ、パンクしてるよ、これ」

 日も傾き辺りがオレンジ色に染まる中、自転車の後ろに屈んだ冬哉は車輪を見てこう言った。

 「なして?買ったばっかなのに」

 後ろから心配そうに見ていた雪乃は、パンクと聞いて不満の声を上げた。冬哉は雪乃の顔をじっと見ながら真面目な表情で、

 「やっぱ、重すぎたのか…」

 とつぶやいた。

 「ひどい!そんなわけないっしょ」

 真っ赤になって怒る雪乃を見て、冬哉は笑った。

 「ハハハ。ま、ガラスでも踏んだんだろ。でもなあ、どうする?ここじゃあ直すところもないよなあ」

 と、冬哉あたりを見渡すが、辺りに動物園関連の施設以外は何も無く、パンクを直せるようなとこなどあるはずもない。

 「ちょっと、待っててください」

 雪乃はそういうと、近くの電話ボックスまで、電話を掛けに行った。その様子を見ながら、冬哉近くのベンチに腰掛けた。

 「うん。ごめんね…。分かった…。うん、うん、そうする…。したら、出来るだけ早く帰るから…。うん。じゃあ」

 雪乃は電話ボックスを出ると、そのまま冬哉の方に駆け寄った。

 「どうだった?」

 「うん、明日お父さんが車で取りに来るって」

 「これ、車載るの?」

 「会社で軽トラ借りてくるって。だから、今日はバスで帰りましょう」

 「うん」

 冬哉は立ち上がりバス停へ向かった。その後ろを雪乃もぴたりとついていった。そのとき、二人の前に白くふわふわしたものが飛んでいった。

 「あっ、雪虫」

 その声に冬哉もあたりを見回すと、同じような白いふわふわしたものが、一つ、二つと飛んでいた。

 「これ、虫か…」

 「うん、雪虫って言う虫。こっちでは珍しくない虫ですよ。今頃、雪の降る前になると現れるんです。でも、初雪が降る頃には消えちゃうの」

 冬哉は立ち止まって、暫く虫たちを眺めていた。

 「初雪っていつぐらい?」

 「もうすぐ、十月の終わりくらい」

 「ふーん」

 そういって歩き出た冬哉は、誰に言うともなく、小さな声でポツリとこう言った。

 「どっちにしろ、その頃にはカタついてるんだよな…」

 「えっ、なに?」

 と、冬哉の顔を覗き込む雪乃。

 「ん、なんでもないよ」

 冬哉はそう言うと、そのままバス停のほうへと向かった。

 そのとき、突然冬哉のジャンバーのポケットからピーピーとアラーム音がなった。雪乃には、聞き覚えのある音で、父親が持っているポケットベルに良く似ていた。

 「ポケベル?」

 あたふたとポケットを探り、音を止める冬哉。

 「うん、そんなようなもん。ちょ、ちょっと先行ってて」

 冬哉はそう言うと、そのまま物陰のほうへと走って隠れた。残された雪乃は仕方なくバス停に向かうが、冬哉が隠れたほうを仕切りと気にしていた。暫くして、雪乃がバス停で待っていると冬哉が下を向いて歩いてきた。

 「急用ですか?」

 雪乃が心配そうに訊ねた。

 「いや、大丈夫」

 冬哉は一言そう言うと、そのまま難しい顔をして黙り込んでしまった。雪乃は、横から様子を伺うようにしてその顔を見ていた。

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