雪乃と冬哉、そして瑞枝たち
次の日。
その日、雪乃は朝から落ち着かなかった。放課後が待ち遠しく、授業がひどく長く感じられた。そして、ホームルームが始まる前には、もう帰り支度を終えていた。
「きりーつ、礼」
帰りの挨拶終わるや否や、雪乃は駆け出していた。瑞枝はまた一緒に帰ろうと声をかけようとしたが、そんな暇もなく雪乃は教室から出て行ってしまった。開け放たれた教室の入り口を、瑞枝はただぼんやりと見つめていた。
その一時間後。喫茶店のドアにあるカウベルを鳴らし、冬哉が喫茶店に入ると、雪乃はもう昨日と同じ場所に座っていた。そして、冬哉を見ると立ち上がり、満面の笑みを浮かべて冬哉に手を振った。
「こっち、こっちです!」
あまりにも目立つその仕草に、冬哉は急いで席に座ると、恥ずかしそうに言った。
「大丈夫だよ、そんなにしなくても。見れば分かるよ」
「あ、ごめんなさい」
雪乃も照れて舌を出した。
「どうします?早速行きますか、デパート」
「今座ったところだよ。コーヒーぐらい飲ませてよ」
「それは…、そうですね。ごめんなさい」
冬哉は注文を取りにきたマスターに、小さな声でホットと言った。
「それで…。今日はどこがいいです?西部?丸居?(共にデパートの名前)品揃えだと、やはり西部がいいのかなあ」
カウンターでホットを用意していたマスターは、楽しそうに話している雪乃の表情を見て、思わず顔がほころんで来るのを感じていた。
それから暫く経って…。
駅前にあるデパートの紳士服売り場で、二人はマフラーを選んでいた。
「これなんかどうかなあ」
雪乃が選んだマフラーを、冬哉が言われるまま首にあわせた。その姿を雪乃が前、後ろ、そして横からと、360度ぐるりと見回して吟味。それを繰り返しながら三本ぐらい選び出し、今度はそれを交互に首に巻いてみた。 そうして、ようやく一本のマフラーを選び出し、ここで初めて二人で値札を見た。そこには2万円の表示。二人は顔を見合わせると。雪乃、申し訳なさそうに下を向いて、指で小さな×を作った。そして、今度は値札を確認しながら、一からマフラーを選びなおしていた。
それから三十分ぐらいかけて、ようやくマフラーを選び終えた二人は、デパートの外に出た。冬哉の首には早速買ったばかりのマフラーが巻かれていた。深めの赤紫のチェック柄のものだった。
「冬哉さん」
振り返り立ち止まった冬哉のところに、雪乃は駆け寄って
「ちょっとそこに立ってて」
と言うと、雪乃はぐるりと冬哉の周りを一周した。
「よし!」
雪乃は大きくうなずくと親指と人差し指で丸をつくり、OKのサインを出した。
冬哉は少し照れてながら小さく頷くと、頭の後ろをしきりに掻きながら
「ありがとう」と小さく言った。
雪乃もその姿を見て微笑えんでいた。
次の日も、雪乃は帰りの挨拶と同時に教室を駆け出していった。瑞枝はその姿を見送ってから、後ろの席に座っている桂子のほうを向いて肩をすくめた。
喫茶店では、昨日と同じ窓側の席に冬哉と雪乃が座っていた。楽しそうにいろいろと話しかける雪乃と、それを黙って笑顔で聞いている冬哉。カウンターの中でマスターが食器を拭きながら、時折二人の様子をほほえましそうに見ていた。
また次の日も、帰りの挨拶と同時に雪乃は駆け出していた。その姿を瑞枝と桂子は座ったまま横目で追っていた。
その数分後。雪乃は駆け足で喫茶店の前までやってきた。それから、ショーケースの前に屈むと、
「こんにちは」
と、中のテディベアに挨拶をして喫茶店に入った。そして、いつもの席に座って本を読んでいる冬哉を見つけると、満面の笑みを浮かべて冬哉に向かって手を振った。
数時間後、沢山の楓やら、椛やらが、赤や黄色に紅葉した公園の遊歩道を、二人は歩いていた。少しはしゃいだ感じで、しきりと後ろにいる冬哉に話しかけながら前を歩く雪乃。
「それでね、ウチの男子たち、この池に飛び込んで、服のまんま泳いだんですよ。頭にヘルメットつけて。で、それビデオにとって学祭で上映したんです。常磐公園の池になぞの巨大首長竜を見た!って。テレビの、あの探検隊のまねして。おかしいでしょ。バカみたいでしょ、ウチの男子」
話しながら雪乃は、遊歩道の脇にある池のほとりまで行き、道と池との境目にある小さな石畳に上り、両手を開きバランスを取りながら歩いていた。その後ろを、黙って話を聞きながら、冬哉はついていった。
突然、強い風が吹いて辺りを枯葉が舞った。
「わ、わ、わ」
その拍子にバランスを崩して雪乃は池に落ちそうになる。すると、冬哉がぱっと手をつかんで、ぐっと自分のほうへと引き寄せた。
「ありがとう…ございます」
雪乃は、思わず顔を真っ赤にしながら言った。そのとき、また強い風が吹いた。
「くしゅん」と雪乃が小さくくしゃみをすると、冬哉はそっと自分のしていたマフラーを雪乃の首に巻き、そのまま前を歩き出した。首に巻かれたマフラーにそっと手を触れ雪乃はニコッと微笑んだ。そして、急いで冬哉の後を追いかけていった。
また次の日も、帰りの挨拶と同時に、雪乃は教室を駆け出していった。そして、教室に残される瑞枝と桂子…。だったが、今日はここからいつもと違う行動にでた。二人は、雪乃が教室を出たのを見計らってから、お互い目配せし、教室を出て雪乃を追いかけ始めた。
二人の前を行く雪乃は、玄関で素早く靴を履き替え、走って外に出て行った。それに続いて、瑞枝も靴を履き替え急いで外に出た。そして、その後ろには桂子が続く…はずだが、一向にその気配が感じられない。瑞枝が後ろを振り向くと、桂子が靴を履くのにもたついてバタバタしていた。焦った桂子は片足上げて靴を履きながら、靴を履いたほうの足だけでピョンピョンと跳ねながら、瑞枝を追いかけていた。その姿は、普段のお嬢様然とした様子からは想像もつかない。
「ちょ、ちょ、ちょっと、待ってよぉ」
そんな桂子を見て、瑞枝は小さな声で叱りつけた。
「なにやってんのさ!はやくおいで!」
ようやく桂子が靴を履いて外に出ると、そのまま二人は校門へと向かった。瑞枝たちが校門を出ると、雪乃がずっと先の角を曲がっていくのが見えた。瑞枝たちはそれを走って追いかけた。雪乃は辺りに気にすることなく、一目散に走っていくので、瑞枝たちも隠れる必要などなく、堂々と少し離れてところでついて行くことが出来た。
大通りに出ると、雪乃はバス停にバスが止まっているのを見つけ、スピードを上げて一気にバスに駆け込んでいった。バスは、雪乃が乗ると同時にドアを閉めそのまま走り出していった。
「しまった!」
と、瑞枝は声を上げたがもう遅かった。二人はバス停で立ち止まり、息を切らせながらバスを見送った。
「あーっ、もう!」
と、悔しがる瑞枝の横で、桂子は一言も発せず、ゼェーゼェーと息を吐くだけで、そのままペタリと座り込んでしまっていた。
置いてけぼりを食らった瑞枝たちが、ファーストフード店で、今日の反省と次回の作戦会議をしていた頃、雪乃はいつもの喫茶店にいた。カウンターの中で、ゆっくりコーヒー豆を挽いていたマスターが窓際のほうに顔を向けると、いつもの席で雪乃はノートと教科書を広げ数学の勉強をしていた。向かいに座っている冬哉は、勉強の邪魔しないよう、静かに読書をしていた。
小さく静かに流れるBGM、コーヒーカップとソーサーが奏でるカチャリという音、シャープペンシルがノートの上を滑る音、そして、時折聞こえてくるページをめくるカサリという音。喫茶店の中では、それらの音しか聞こえない時間が続いていた。暫くすると、一定のリズムで聞こえていたシャープペンシルの音が急に止まった。冬哉が本から顔をあげると、雪乃はうーんと唸ったまま、固まって動かないでいた。
「わからないの?」
と訊ねた冬哉の声に、雪乃はピクリと反応した。そして、みるみるうちに顔が赤くなっていった。
「ちょっと見せてみな?」
冬哉が言うと、雪乃は黙ってコクリと頷き、下を向いたままそっと教科書を差し出し、その問題を指差した。
「円と直線の位置関係の問題かあ。この場合、円の方程式x2+y2=10とy=2x―kの交わった点というのは、この2つの連立方程式の解になるんだけど、それが実数解を持つとき、共通点は2つで…」
冬哉の説明を雪乃は暫く黙って聞いていたが、だんだんと表情が険しくなっていった。
「えっと…」
その様子を見た冬哉は、少し困った顔で暫く考えてから、雪乃のノートに3パターンの円と直線の図を書き出した。
「こうすると分かるかな?この円がx2+y2=10を表していて…」
雪乃は暫くじっと図を見ながら説明を聞いていると、今度は小さくと頷き始めた。
「ここまで、大丈夫?」
一区切りついたところで、冬哉が雪乃の方を向いて問いかけると、雪乃は冬哉の方を向いて大きく頷き微笑んだ。冬哉も安心したように微笑んで、
「じゃあ、続けるぞ」
ノートに向き直り説明を続けた。雪乃もノートに目を落としたが、すぐ説明をしている冬哉を上目遣いに見つめた。
「聞いてる?」
雪乃がノートではなく自分を見ていることに気付いた冬哉が、訝しそうにこう訊ねると、雪乃は慌ててノートに目をおとし、わざとらしく頷き始めた。
「集中して。続けるよ」
再び説明を始めた冬哉。雪乃は、熱心に説明を聞きながら、時折顔をあげ、冬哉の顔を嬉しそうに眺めていた。
そしてまた次の日。帰りの挨拶と同時に教室を駆け出す雪乃。そして、雪乃が教室を出るのを見計らってから、再び瑞枝と桂子がお互い目配せし、教室を出て雪乃を追いかけた。前を行く雪乃は、玄関で素早く靴を履き替え、走って外へ。続いて瑞枝も靴を履き替え外に出た。桂子も今回は素早く靴をはいて外へ出ることが出来た。二人は玄関を出ると、瑞枝だけはそのまま別方向へと走り出し、桂子は校門のところで立ち止まり、前を走る雪乃を目で追っていた。そして、後ろを振り返り、自転車に乗ってこちらに向かってくる瑞枝に向かって大きく手招きをした。
「早く早く!」
瑞枝の乗った自転車が校門のところまで来ると、桂子が自転車の後ろに乗り、二人乗りで雪乃を追いかけた。そして、大通りまで出たところで雪乃がバスに乗るのを確認すると、そのバスを後ろから追いかけていった。
バス停で3つ先になる買物公園のところでバスが止まり、中なら雪乃が降りてきた。瑞枝と桂子はその姿を自転車に乗ったまま少し離れた物陰から見つめていた。
「けーちゃん、お願い」
と、瑞枝が一言言うと、
「うん、分かった!瑞枝ちゃんもはやくね」
と、桂子も普段とは違い、キビキビと少し緊張した口調で答え、自転車をおりて雪乃のあとを追った。瑞枝が自転車を停めている間、桂子は雪乃を見失わないよう一人であとをつけていく手筈になっていた。
瑞枝も自転車に鍵をかけると、急いで桂子を追った。そして、信号待ちのところで、看板の陰に隠れていた桂子と合流した。
「大丈夫?見失ってない?」
桂子は口に指を当て、「しっ!」という動作をすると、数メートル先にいる雪乃を指差した。雪乃は買物公園を少し早足で進んだ。その後ろで瑞枝たちも、少し腰を屈めながら、数歩離れてついていった。そして、雪乃はいつもの喫茶店の前に立つと、入り口のテディベアに楽しそうに挨拶をしてから中に入り、窓際のいつもの席に座った。それを外から瑞枝たちは、電柱の影に隠れて見つめていた。
「ちょっと、ちょっとぉ、ここって、あたしたちたまに行くとこよねぇ。わざわざつけてかなくても良かったかも」
少し興奮気味に桂子は言った。
「うん」
瑞枝も喫茶店の窓際の席にいる雪乃をじっと見つめたまま、ちょっと緊張した様子で答えた。
暫くすると、冬哉が喫茶店に入り雪乃の前に座った。それを見て、桂子は、さらに興奮して話し出した。
「ちょっとぉ、どうしよう、男の人が来たよぉ。それもカッコいい人」
「そうね…」
瑞枝は喫茶店から目を離さずに答えた。
「にしても、昼間からこんなところで大胆ねぇ。誰かに見つかっちゃうかもしれないのにぃ」
ますます興奮して話す桂子に、瑞枝は少し諭すように言った、
「あの子はねえ、ああなるともう全く周りの事なんてどーでもいいの。全く見えなくなってんの」
「そうねぇ、そんな感じよねぇ」
瑞枝の言葉に関心するように桂子は頷いた。
「で、どうするの?これから。中入ってみる?」
桂子はこれまた普段の様子からは考えられないような大胆な提案をした。
「瑞枝の言うとおり、あの男の人しか見てないもん、雪乃。そーっと中に入って、そのまま奥行っちゃえば、大丈夫でないかなぁ」
その言葉に答えることなく瑞枝は二人をじっと見ていた。そして、小さく溜息をつくと、少し間を置いてから言った。
「もういいっしょ。気も済んだし、ほっとこう」
そう言うと、くるりと振り返り歩き出した。
「え、なに、折角来たのに。もったいないよう。ね、行っちゃうの?ちょ、ちょっと待ってよお」
まるで後ろ髪引かれるように、盛んに後ろを振り返りながら、桂子はスタスタと前を歩いて行く瑞枝を追いかけていった。
その頃、喫茶店の中ではこんな会話がなされていた。
「明日、やっと新しい自転車くるんですよ」
「ふーん」
「でね、通学で使う前に慣らしておきたいんで、サイクリングに行こうと思うんです」
「へー、いいね、サイクリング。どこへ」
「旭山って動物園があるとこなんですけど、今の時期、紅葉もキレイなんです」
「そう、気をつけて行っておいで」
話しかけても本から目を離さずに適当な相槌を打つ冬哉に、雪乃は少し拗ねた表情を浮かべ言った。
「だから、冬哉さんも一緒に行くんですよ!」
「一緒に?」
冬哉は、ようやく顔を上げて雪乃の方を向いた。
「冬哉さん、こっちに来てからどこにも行ってないじゃないですか。折角だから旭川の綺麗なところ案内したいんですよ。お昼は、前言ってたラーメン屋『ほしの』寄って。おいしいんですよ、あそこのみそ」
強引にサイクリングに誘われ、冬哉は戸惑っていた。
「えっ、で、でもよ、俺、自転車持ってないぜ」
「大丈夫!マッカセナサイ!」
と、テレビでどこかの外人さんがやっていた古いギャグをまねて、雪乃は胸をはって答えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます