奇跡はそれを信じる人に…

 それから、幾日か経って…。

 ホームルームも終わり、皆が帰り支度を始める中、雪乃は一人窓の外を眺めながら、ここ数日の自分の行動を思い出していた。

 (あーあ、せっかく会えたのになあ…)

 あれから毎日『街』に行って、冬哉の事を捜していた。日曜日だった昨日は、朝から買物公園だけでなく、周りのオフィス街や市役所、飲み屋街までウロウロと歩き回り、一日中冬哉の事を捜してはいたが、その姿を見つけることは出来なかった。もっとも、日曜の昼間にオフィス街や飲み屋街を歩いても、冬哉どころか、殆ど人は歩いてはいなかったのだが…。

 (もう、見つからないのかな…。あれって、奇跡の出会いってヤツだったのかなあ)

 “奇跡の出会い”という言葉に、雪乃は今朝家を出る前に見たテレビの占いを思い出していた。

 『今日のあなたは恋愛運絶好調!奇跡の出会いがあるかも』

 (奇跡の出会いって…。もうしちゃったしょ)

 なかなかうまくいかないこの状況に雪乃は自分の回想にまで文句を言った。

 『積極的な行動に出て吉』

 (積極的っていってもなあ…。あのときも十分積極的だったんだけどなあ)

 頭に血が上ると、思いも寄らない行動を取ってしまう雪乃ではあったが、見ず知らずの青年に声をかけるなんてことは、雪乃にとって積極的どころか、清水の舞台から飛び降りるような、そんな思い切った行動ではあった。

 (奇跡かあ…)

 “Miracles happen to those that believe in them.(奇跡はそれを信ずる人びとに起こる)”

 奇跡という言葉に、今日の授業で習った英語のことわざを連想した。

 (信じてれば、また会えるのかな…)

 そんな感じで、いつまでもぼーっと考え続けている雪乃に、瑞枝が声をかけてきた。

 「雪乃、何やってるのさ。片付けないと掃除の邪魔になっちゃうしょ」

 雪乃ははっと我に返ると、もう掃除が始まっていた。教室中の机はすっかり後ろに片付けられ、雪乃の机だけがぽつんと取り残されていた。

 「えっ、えっ、あれぇ」

 「だから、邪魔だって」

 「ごめん、ごめん、今片付けるから」

 あたふたと片付け始める雪乃を見て、瑞枝は訝しげな表情を浮かべた。

 「雪乃…、こないだっからあんたおかしいよ」

 「本当…。大丈夫ぅ?」

 瑞枝の後ろから、桂子も心配そうに声をかけてきた。

 「何か悩み事でもあるんじゃなあい?例えばぁ、恋の悩みとかぁ」

 やはりこの子は、こうゆう事になると妙に勘が鋭い。図星を指され、雪乃は慌てた。

 「いや、なんも。なんもないって!」

 雪乃が見せた大げさな反応に、鈍感な瑞枝も怪しそうな目で雪乃を見た。

 「ほんと?なんか隠してる事あんじゃないの?」

 「なんも、なんも隠し事なんかないってほんとに」

 今まで、二人には隠し事などせず、何でも話してきた雪乃だったか、今回の事に限って、二人に話す気は起きなかった。というのも、名前以外何も分からない今の状況では、大して話すことなかったし、第一、自分のことを助けてくれた見ず知らずの男性を好きになってしまったなんて、そんなおとぎ話みたいなこと、恥ずかしくて言えたものではない。

 「ふーん、まあ、言いたくないならいいけどさ」

 頑な態度の雪乃に、瑞枝は少しだけ拗ねた感じでそう言ったが、

 「でもね、いつまでもウジウジ考えてるのは、良くないしょ。ウン、良くない。良くない」と、少し真面目な表情になって、一人でウンウンと頷いた。

 「頭切り替えて、前向きに考えよう。前向きに」

 「前向きに?」

 「そう前向き、前向き」

 と言ってニッコリ笑う瑞枝の顔を見て、雪乃も少し元気が出てきた。

 「そうね、前向きよね」

 「そう、だから、気持ち切り替えて、『街』行こうよ。今日は桂子も用事ないから一緒に行けるみたいだし」

 と瑞枝は雪乃の返事を待った。しかし、雪乃は独り言のように、小さな声でこうつぶやいた。

 「Miracles happen to those that believe in them.」

 雪乃の言葉は瑞枝にはよく聞き取れなかった。

 「え、今なんて言ったの?」

 雪乃は瑞枝の方に向き直り言った。

 「うん、わかった。行こうって」

 そう、前向きに考えてみよう。奇跡も、占いも、前向きに信じてみよう。と雪乃はそう思っていた。だって、奇跡は信じる人に…。

 とそのとき、何気なく窓の外を見た雪乃の視界に、普段は見慣れないものが写っていた。

 雪乃たちの高校は、高さ三メートルほどの生垣にぐるりと囲まれていて、外から中の様子が簡単には伺えないようになっているのだが、中からも外の様子はあまりよく見えない。しかし、雪乃の教室のある三階からは、通りの向こう側の歩道がかろうじて見えるようになっていた。その歩道の電柱の影に隠れるようにして立っている人影を雪乃は見ていた。緑のフライトジャケットにニット帽。すらりと伸びた長い手足に、遠目にもはっきり分かる白い肌。その姿は明らかに探していた青年、「冬哉」だった。冬哉は、雪乃達のいる学校玄関の様子を伺っているように見えた。

 (ほんと!信じる人に奇跡は来るんだ!)

 冬哉の行動は、十分不審者のそれであったが、雪乃は、再び冬哉を見つけた喜びが余りにも大きすぎて、そんなことを微塵も考えることはなかった。雪乃は急いで鞄を持つと、

 「ご、ごめん。やっぱ今日帰るわ」

 と言って、二人を押しのけ教室の出口に向かった。

 「したっけ!(注3)」

 あっけにとられている瑞枝たちにそう言い残すと、雪乃はバタバタと教室を出て行った。残された二人はお互いの顔を見、まるで外国人がするように大げさに肩をすくめた。


(注3)したっけ:この場合『バイバイ』とか『じゃあね』『またね』の意。『でも』とか『しかし』とか、『それじゃあ』言う意味で、接続詞的に使われることも多い。


 教室を出た雪乃は、走って玄関へと向かった。そして、玄関につくと、急いで下駄箱から靴を取り出し、上履きを履き替え、そのまま外に飛び出そうとした。しかし、外に出る手前でふと思い直すと、慌てて一度玄関の陰に隠れ。そこから外をそっとのぞき見た。そこからは、冬哉がこちらの様子をじっと見ているのが窺えた。雪乃は見つからないように再びサッと隠れると、そのままそーっと靴を脱いで手に持ち、靴下のまま廊下に戻って、ちょうど玄関とは反対のグラウンド側出口に向かった。グラウンド側出口についた雪乃は、再び靴をそこで履き、そのままグラウンドへと出た。グラウンドでは、野球部やテニス部が早速練習を始めていて、雪乃は走ってその横を通り抜けると、そこから敷地の外に出て、ぐるりと校舎を半周してから、玄関のほうへと向かった。こうすると結果的に冬哉の後ろに回り込む形となる。そして、冬哉がそのまま元の場所から動いていないことを確認すると、雪乃は見つからないよう一旦電柱の陰にそっと隠れた。

 冬哉は相変わらず玄関の方に意識を集中していて、こちらには全く気付かない様子だった。雪乃は後ろから少しずつ冬哉に近づいていった。そして、冬哉のすぐ後ろまで来ると立ち止まり、一度小さく深呼吸してから、声をかけた。

 「松田…さん」

 声が小さかったのだろうか。冬哉は全く気付かない。

 「松田さん」

 今度は少し声を大きくしたが、まだ気付かないようだ。

 「マ・ツ・ダ・さん」

 ようやく冬哉は振り返った。

 「わっ!」

 冬哉はすぐ後ろに立っている雪乃を見て思わず大声を上げた。

 「え、あ、あれぇ」

 そして、玄関と雪乃を交互に見て、不思議そうに声を上げた。

 「いや、だって、君、そっから出てくるんじゃないの…」

 アタフタとする冬哉を、雪乃はニヤニヤと笑って見ていた。冬哉は、雪乃のその表情でようやく自分が一杯食わされてしまったことに気づき、横を向いて軽く咳払いをして、気持ちを落ち着かせた。そして、居住まいを正して言った。

 「いや、驚いたなあ。どうしたの、一体、そんなところで」

 「松田さんこそ、こんなところで何してるんですか?」

 「え、松田さん?…」

 松田って誰?とでも言いたそうな表情で冬哉が聞いてきた。

 「え、だって松田さんでしょ」

 冬哉は、一瞬考えてから、

 「え、あっ!そ、そうだよ、松田、松田だよ、オレ」

 その言葉は冬哉が自分自身に言い聞かせているように雪乃には思えた。額には少し汗を掻いているようだった。

 「いや、松田さんなんて、苗字で呼ばれるなんてめったにないから、なんか一瞬わかんなくって…。で、どうしたの?こんなところで」

 「こんなところでって、私、この学校の生徒ですよ。だから、松田さんこそ、こんなところで一体何してるんですか?」

 聞かれて冬哉は口ごもってしまった。

 「いや、その…」

 何かを隠しているように見える様子の冬哉を見て、雪乃は思い当たることがあるらしく、目を輝かせてこう言った。

 「ひょっとして、事件ですか?」

 「えっ」

 「調べている事件の関係者か誰か、ウチの高校にいるんですか?だったら、わたし手伝いますよ!」

 一人合点している様子の雪乃は、好奇心いっぱいの顔でグイグイと冬哉に迫ってきた。冬哉は、慌ててごまかした。

 「いやいや、違う違う!いやー偶然だなあ。暇つぶしにぶらぶら歩いてたらこんなとこで会うなんて、ハハハ」

 白々しい言い訳であることは冬哉も自覚しているらしく、思わず雪乃から目をそらし、あさっての方向に視線を向けていた。

 「ふーん…」

 探るような視線で冬哉のことを見つめながら言うと、雪乃は少し考えてから悪戯っぽい笑顔を浮かべ、こう切り出した。

 「じゃあ、今、暇なんですよねえ」

 言葉尻をとられた冬哉は、少し警戒した様子を見せながらも、

 「そ、そうゆうことになるね」

 と、答えた。その言葉に雪乃は、クルリと後ろを向いて、「よし!」と小さくガッツポーズを作り、軽く深呼吸してから「積極的、積極的」と小声でつぶやくと、冬哉の方に向き直り言った。

 「じゃあ、行きましょう」

 「どこへ?」

 雪乃はニコッと冬哉に微笑みかけた。

 「約束したでしょ。今度会ったら行くって。ラーメン」

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