終節 善き怪物は牙を磨く

 養家ようか村唯一の飯屋〝幡桐ばんどう酒家しゅか〟は、昼食前になって混雑し始めていた。料理から立ち上る油の香りは、モノンとダイファムがようやく馴染み始めたものだ。

 閻国えんこくでは、落花生ピーナッツしぼった花生かせいかごま油が調理に使われる。だから黄油バターなどを中心としたカリッサの料理とは、かなり風味が違っていた。


「いやあ酷い目に遭ったな! ここの支払いはワシが持ってやるから、好きなだけ食え食え。血が足りんじゃろ」

「お互いにな」


 エンギンは上機嫌だが、その実父に撃たれたコージャンは疲れからやや愛想が悪い。虫殻の銃弾は、幸い彼自身よりも体に入り込んでいた小鬼に命中していた。左道さどう使いの術が解けた後、コージャンが吐いていた黒いものが、その死骸だ。


「……それよりガキども、大丈夫か」


 息子に言われて孫たちを見やったエンギンは、少し間を置いてから「まあこの子らは強い」と言ってのけた。ウーとしては、目も合わせてくれないのが不安だが。

 エンギンの右隣には双子のモノンとダイファムが座り、その間に一席分開けて、コージャンとウーという順番で一行は円卓を囲んでいた。

 よって双子たちと少年は向かい合っているのだが、無視されている気がする。


 昨晩、陰陽いんよう客棧きゃくさんから脱出した一行は、宿の四輪汽車を使って養家村に戻った。何しろ他に近い人里がない。火を放たれた宿は、既にここからでも煙が確認出来た。

 村の消防団は山火事に備えて大わらわだが、悪いのは陰陽客棧の連中である。一行は我関せずと朝食兼昼食に熱中した。

 ちなみにエンギンは「迷惑料」として宿の売り上げ金をくすねている。


(……やっぱり、おばけって思われてるのかなあ)


 ニラと薄荷の塩炒めをつつきながら、ウーはそろ~っと双子の様子をうかがった。

 車で移動中は寝ていた従弟妹いとこたちだが、起きてから一度も話してないし、こうして食事している間も表情がまったく読めない。

 ただ、エンギンと時折、ぼそぼそと何か話している。


Хаинハイン・ Кüнхカーナ?(いいおばけ?)」


 モノンは今日何度めかの問いを発し、祖父エンギンは辛抱強く説明を繰り返した。


Хаинハイン・ Кüнхカーナ, Анеアニ ми・ミ・ зарыхザラーヤ・ ханйаатыハンジャーティ・ паисанパイサン.(お前たちを守ってくれた、良いおばけじゃ)Анеアニ ми・ミ・дазанダザン・зукаткарズカトカル, Нууヌー・Кüнхカーナ.(悪いおばけから、助けてくれた)」


 エンギンは二人にそう言い聞かせた。ウーが仙人に造られた特殊な存在だとは、コージャンから改めて説明されている。

 五歳の孫たちに、そのあたりを正確に理解しろというのは無茶だろう。だから、エンギンはただ敵ではないことを重々伝えた。


 モノンとダイファムは、一旦食事の手を休めて互いに見つめ合う。この双子たちは、姉弟の瞳に映る自分の顔と、瞳の色を見るだけで、自分の心も互いの心もなんでも分かった。私たちはこわい? ちょっとこわい。あのひとは敵? たぶん違う。


(だいじょうぶかな)(だいじょうぶだよ)

(でもこわいよ)(こわいね)

(でもまもってくれた)(まもってくれたね)

(じゃあ、どうしよう)(どうしよう)


 二人で分からないことは、祖父に訊けばいい。双子はそのこともよく知っていた。

 心と心でかわされる双子の会話など、余人にうかがい知れるはずもない。ウーはやきもきして従弟妹たちを見ながら、昨夜の騒動を思い返す。


                 ◆


瑣慈さじ様! 瑣慈様、置いて行かないでください!」


 追い詰められた最後の従業員は、神仙の姿が描かれた壁を半狂乱になって叩いていた。部屋の様子を見たウーは、この場に双子がいなくて良かったとほっとする。

 天井からいくつも吊るされた、鈎や手枷の鎖、金属の拘束具つきの台。細かな肉片と血がこびりつく大きなまな板と包丁。そしてかまどには、異様な臭気の大鍋。

 部屋の隅には、白骨入りの木箱が無造作に積まれている。


「秘密の厨房か。お頭に見捨てられたな、お前」


 コージャンに声をかけられると、男は「ひっ」と、しゃっくりみたいに悲鳴を上げた。ウーは悪臭に顔をしかめながら、相手に渡さないよう包丁を押さえておく。


「泊り客を殺して、金目の物を奪って……後は料理の材料か」

「え、これもしかして僕らも……?」


 やめようと思いながら、ウーはつい大鍋の蓋を開けて中身を見た。そこには、既に煮崩れつつも原型を留めた、人間の頭が浮いている。

 部屋の隅のやつは、「出汁」を取り尽くしたものなのだろう。ウーがベロを出して吐き真似をすると、怯えていた男が今度は怒り出した。


「お前らに食わせる訳がないだろう! 貴重な三尸さんしが、もったいない!」

「あァ? そんなモン食ってどうすんだよ」


 コージャンは呆れた。ウーには初めて聞く単語で、当然意味が分からない。


師父しふ、さんしってなんですか」

「人を決まった寿命通りに殺す、冥府の遣いだ。人間誰にでも、こいつが憑いてる」

「頭から上尸じょうし、腹から中尸ちゅうし、足から下尸げし、これらを取り出し食せば却鬼きゃっき延年えんねん保命ほめい陽精ようせい、己の三尸に免疫を持ち、不老長生を得ることかなう!」

「うわお」


 興奮して自説をまくしたてる男を指さして、コージャンは笑った。糞壺の底でも覗き込んだような、嫌悪と嘲りの表情である。


「すげえぞウー、よく見とけ。不老不死に憧れるクセに知識もねえ奴らは、こんなくっそデタラメに騙されるんだ」

「なるほど、罵迦ばかなんですね、この人たち」

「そうだな。不老長寿を目指したきゃ、いくらでも寺院があんだろ。道士でも何でもなって、きっちり修行しとけよ」

「それが確実なら、世の中はもっと仙人で溢れてるだろう!? 我らはより確かな道を、瑣慈様から示されたのだ」

「見限られてんじゃねえか」


 再三、コージャンは鼻で笑った。

 仙人は人前に姿を現さないだけで、その実数は数万とも数十万とも言う。なにしろ何百何千年も前から、定期的に昇仙者が出てくるのだ。

 もちろん、志半ばで力尽きる者も決して少なくはない。それでも、全員が常人の倍生きているのだから、全体としてはそこそこの数になる。


「まあいいや、とりあえずてめえ、顔の皮剥がさせろ」

「えっ?」


 言われて初めて、男は自分の立場を思い出したらしかった。きょとんした顔はなんとも間が抜けていて、いっそウーは悲しくなってくる。

 そんなことには頓着せず、コージャンは短刀を男の顎に当てた。早業だ。


「それともお前、瑣慈って野郎の居場所、分かるか」

「し、知らない! 知らない!」

「そうか」


 コージャンは男の頭を壁に押し付け、腕力と握力で動きを止めると短刀を動かし始めた。悲鳴を上げてもがくが、足を踏み折られ、抵抗を封じられる。


「師父、顔の皮ってどうするんですか?」

「俺がスッキリする」

「なるほど」


 ああ、今日の師父は凄く怒っているんだなあと考え、ウーは邪魔しないようそっと後ずさった。逃げた左道使いの分まで、あの男は惨たらしく殺されるのだろう。


                 ◆


 食事を終えた一行は、傷の治療もそこそこに村を発つことにした。行き先は別々なので、ここでお別れだ。事情聴取も面倒なので、陰陽客棧のことは通報していない。


「ワシらはこれから甘濯かんたくまで行くが、お前たちはどうするんじゃ」


 エンギンに言われて、コージャンは少し考え込んだ。

 元々は壁勲へきくん市を目指していたのだが、客棧があんなことになったので迂回路を探さなくては行けない。だが問題は、そこから後の目的地だ。


「そういやウー、お前どこへ行きたい?」

「僕ですか? 海が見える所がいいです」


 師父に問われて、少年は軽い気持ちで答えた。生まれも育ちも内陸で、冥界の海しか目にしたことがない。どうせ旅の目的にするなら、本物の海がいい。


「よし、じゃあまずは壁勲を目指して、そっから津冠しんかんか何かだな」

「適当な旅じゃのう」

「住むトコ決まったら、また知らせる。そっちも歳なんだから気をつけろよ」

「この図体で父親に手間かけさせておいて、よく言うわ!」

「うるせえ」


 和やかに話す父子の横で、子供たちは微妙な距離感で緊張をみなぎらせていた。

 ウーはいまだに、双子に話しかけることが出来ない。食事中に騒ぎ出すことはなかったが、モノンとダイファムからは、相変わらず警戒されている気がする。


Маянтолааマヤントーラ.」


 ぽそ、とつぶやかれた言葉は、一瞬聞き違いかと思った。もう一度、双子たちが「Маянтолааマヤントーラ.」と繰り返す。はっきりと、ウーの顔を見て言っていた。


Дабаигダバイグ・ авнархアヴナリャ・, Маянтолааマヤントーラ.(たすけてくれて、ありがと)」

「〝ありがとう〟とな、そう言っておる」


 エンギンはウーに通訳した。


「僕に? お礼を?」


 はっとして従弟妹たちの顔を見ると、ぎゅっと唇を引き結んで、眉間にしわを寄せて、かすかに震えながら互いの手をしっかり握っている。怖くて堪らない様子。

 昨夜のウーを見て、化け物と思うのは当然だろう。怖がるのも当たり前だ。それでも、幼い身で旅から旅の生活を重ねた双子たちは、危険なものと安全なものを見分ける嗅覚を育てつつあった。祖父への信頼と、実際助けられたという事実。


「そっか……」


 急に胸を締め付けられる気がして、ウーは中途半端に微笑んだ。もっとしっかり笑えれば良かったけれど、頬や唇がふにゃふにゃして上手く出来ない。

 双子はまだ小さい、ウーを見て怖いのも間違いない。それでも、なるほど、確かに強い子たちなのだろう。化け物でも、敵ではない、と。


オローおじいちゃん、僕もちょっと、カリッサの言葉教えてもらっていいですか?」

「おう、なんじゃなんじゃ」


 ごしょごしょと耳打ちされ、エンギンは指定された言葉を示した。


Саинセイン・ меミ・ ылеイル, Тангйタンギー üшеユシュ.」

せいん・み・いるさようならたんぎーゆしゅまたあいましょう!」


 ウーはたどたどしい発音で、元気いっぱいに挨拶して笑った。


Саинセイン・ меミ・ ылеイル, Тангйタンギー üшеユシュ!」


 双子は少しだけ表情をやわらかくして、ちっちゃく手を振る。そのまま、エンギンもコージャンに別れの言葉を交わして、一足先に村を出ていった。


「色々あったが、丸く収まったみてえだな」


 双子を助けようとしたら怖がられた、という話は車内でコージャンも聞いていた。だがまあ、エンギンの助力もあって良い方向に行きそうである。

 実は彼らの中で、ウーはもはや「おにいちゃんグーハイラーグ」ではなく「善いおばけハイン・カーナ」と認識されてしまったのだが、知らぬが花だ。


 ウーたちが目指す方向は、エンギンたちが出た東口の真反対となる。西口はちょうど、自警団詰め所前だ。そこには、昨日からのさらし首がそのまま置かれている。

 首はカラスについばまれ、腐肉がこそげて一回り小さくなったようだった。通り過ぎざまにそれを目にして、ウーは不意にあることが腑に落ちる。


 ようやく分かった。自分は人殺しが悪いかどうかが、知りたかったのではない。コージャン師父はあれだけ殺すのが得意なのに、自分では「それしかできない」と自虐的にうそぶいて、それがウーには不満だったのだ。


「ねえ、師父。人を殺すのは嫌いですか?」

「死ななきゃ好きだな。みんな簡単にくたばりやがって」

「えっと。つまり、殺すのは嫌なんですね?」


 数歩進んでいたコージャンは足を止め、弟子を置いて行きかけたことに気づいて振り返った。何を言いたいんだ、と怪訝に口を曲げる。


「なんでそう思うんだ、お前は」

「だって、他にやりたいことありそうじゃないですか、師父は」


 釣りをしたり、料理をしたり。どことなく、他のことの方が楽しそうなようにも見えて。でも、ウーに稽古をつけてくれる時も嫌々やってる風ではない。

 どう答えたものか、とコージャンは額を掻く。


「昔はな、そうだな。今はお前の師父で、父親だぞ」


 昨夜は本当に気分が悪い思いをした。自分の中でとっくに整理をつけた物事を、ひっくり返してグチャグチャにかき乱されたのだ。

 そんな時に、愛弟子であり愛息子でもあるウーから、こんな問いを投げかけられるのは奇妙な符合を感じる。


「だから、お前を一人前にするまで人を殴ってナンボの稼業を続けるし、俺のわざは全部教えてやる。いちいち自分の親父を心配すんな」

「でも、師父。いえ、お父さん」

「だいたい、殺すのも殺さねえのも、何でもやりすぎは毒だろ」

「でも、僕はお父さんが術にかけられちゃった時、結局何も出来ませんでした。オローがいなかったらどうなったか……不甲斐ない弟子なんです。なのに」


 なおも心配顔で言い募るウーの頭に、コージャンは旅行かばんを叩きつけた。


「いだっ!?」

「うるせー!! 〝刀術百日、剣術万日〟、基礎の拳法も終わってねえやつが生意気言うんじゃねえよ! 俺が人殺しなら、お前も人殺しの息子だ。俺が殺すのが嫌だろうが好きだろうが、それが結局得意で、お前が綺麗だっつった物で、殺しの業をそっくり受け継いでてめえの物にしたら、それでやっと俺も自分の剣が心底好きになれるんだ。だから黙ってついてこい、バカヤロー!!」


 腹の底まで響く怒声と、頭頂部の衝撃に、ウーはくらくらして尻もちをついてしまう。目眩がゆっくり収まるのを待ちながら、言葉の意味が一つ一つ体に染みた。


「あ、やべ。行くぞ」


 自警団詰め所前で人殺しがどうのと騒いでいたことを思い出し、コージャンはウーの腕をひっつかむ。早くここを去らねばならない。

 結局、自分自身の業を疎んじていることを告白することになってしまったが、いつかは父子膝を突き合わせて話さなくてはならないことだ。勢い任せとはいえ、今日はそういう時機だったのだろう。


 ウーはふらふらしながら、何とか自分の足で立ち始めた。改めて、腕を引く父の大きな背中を見つめる。そうか、この人の剣には、いまや自分が必要なのだ。

 武術の套路とうろを正確に覚えるのは、技を確実に伝承するためである。初めは拳法で基礎を、次に刀術とうじゅつ棍術こんじゅつを、そして中級者になってやっと剣術に手を付けられる。


 コージャンが神魁流しんかいりゅう刀剣術を名乗るのは、限られた者にしか伝承されない奥義を授かった身だからだ。ゆくゆくは、ウーがその奥義を受け取る器に成長せねばならない。最初に極めてみるかと問われた時に、それを承諾した身の上だ。


「お父さん。師父」

「なんだよ」


 急ぎのため、振り返りもせずにコージャンはぶっきらぼうな声音で返した。


「不肖の弟子ですが、これからもよろしくお願いします」

「おう。で、そうだ。行き先決めたぞ。武海ぶかいってな、半島の先の港町だ」

「はい!」


 それは聞いたことのない地名だが、ウーは何の不安もなく快活に応じる。

 コージャンと一緒なら、どこに行こうとも気にはならなかった。その上、どうやら海が見られるらしいとあって、ワクワクでいっぱいになる。


 村を後にして、山道を踏みしめながら、ウーはこれまで何度もそうしたように、コージャンの剣閃を脳裏に思い起こした。真っ直ぐに走る雪色の稲妻。

 それは人の生命を速やかに奪う、恐るべき一閃だ。けれど。


(怖ければ怖いほど、綺麗なものも、あるんですよね)


 いつかそれを父に伝えようと思いながら、ウーの足取りは軽かった。


【餐屍客棧 終】

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