第三節 こころから、たましいまで

 背後で扉の閉まる音がして、ウーは不意に目を覚ました。


「――観覧車?」


 夕日でいっぱいの吊り艙ゴンドラの中に自分は立っている。ついさっきまで、冥府の長椅子にいたはずなのに、目の前の光景はなんだろう?

 窓はまばゆい茜の光に塗りつぶされて、外の景色はよく分からなかった。体は縮んでいて、本来の姿である九歳児そのもの。服も一緒に縮んで寸法ぴったりだ。


師父しふ~」右向いて。「狗琅くろう真人しんじん~」左向いて。


 呼びかけても二人の気配はない。夢にしては、体にかかる震動も、ざらつく金属の軋みも生々しく、現実の出来事としか思えなかった。

 戸惑っていた時間は数分もない。吊り艙ゴンドラが停車し、ばちん、と扉の錠が外される音がした。後ろを振り返れば、自分の影が外へと誘うように長く伸びている。


 観覧車を降りた先は、割れ鏡の迷宮だった。闇の中、輝く白い石の階段が上下左右に入り組み、その周りを大小様々に砕けた鏡が取り囲んでいる。

 後ろを見れば、そこにも割れ鏡の壁と階段が続くだけで、観覧車など跡形もない。


「どこなんだろ、これ……」


 一歩踏み込めば、万華鏡の中みたいにウーの姿が幾重にも現れて、自分で自分がどこにいるか分からず頭がくらくらした。

 鏡に顔を近づけて、破片と破片の隙間を覗き込もうとすると、笑い声がする。くすくすと、ヒビに歪んだウーの顔が嫌な笑いをしていた。


「――っ!?」


 押し殺されて縮んだ悲鳴が、しゃっくりになって喉を叩いた。笑い声は目の前の鏡だけではない、前から、後ろから、頭の上から、足下から、ぐるぐると響く。


「う、うわああああ!」


 体の芯から頭のてっぺんまで走る悪寒。それを吐き出すように叫びながら、ウーは歪んだ笑みを浮かべる自分の顔を蹴り砕いた。鋭い破砕音が、一斉に鼓膜を襲う。

 ぴかぴかした鏡も、真っ白な大理石の床と階段も、粉々に砕けてどこかへ散っていく中、ウーは真っ暗闇へ放り出された。頭に血が昇り、腹が冷たくなる浮遊感。


 落ちていく、何も見えない中を、一人ぼっちで。どこへ行くにせよ、着地した時はきっと無事で済まないだろう。それを理解しながら、ウーになすすべはない。


「ああ――ああぁ……!」


 これが悪夢なら覚めて欲しい。自分はまだ、本当の夢を叶えてもいないのに、こんな所で訳も分からず消えてしまうのだろうか。


(死ぬって、どんな感じなんだろう?)


 一度死んだ身でそう思うのも変な話だが、覚えていないのだから仕方がない。けれど、ここで終わったらまた鬼郷きごうで暮らすとは、ウーには信じがたかった。

 死んでいた自分は、本当に冥界に存在して、かつてと変わらない暮らしを送っていたのだろうか。死者でいた間、狗琅真人に呼び起こされるまでは、どこにも存在しなかったのではないか? 果てのない落下が、怖気にも似た示唆を少年に与える。


 そんなのは嫌だ。現世に帰りたい、あの人の元へ戻りたい。まだ生きていたい。


「おとう、さん」


 助けて。


                 ◆


嘆蝉たんぜんつったか。あの検分役は気づかなかったのか?」


 待合室の長椅子から、コージャンは法鞭ほうべんでぐるぐる巻きになった弟子の体を抱え上げた。ウーの【魂】を探すにあたり、これを置いていく訳にはいかない。

 狗琅真人は、六十四卦の刻印が施された円盤を眺めていた。中心に方位磁石をはめたこの道具は、風水・卜占ぼくせんに使われる羅盤らばんという道具である。


道姐どうしゃの仕事は、七殺しちさつ不死ふしを社会に出しても問題ないかの確認だからネ。むしろ、これは私の手落ちだ」

「あァ? 道姐って、あいつ女だったのかよ」

「ウン。彼女は背が高く声も低い、若い男性に見間違えるのも無理はないネ。それより七殺だけど、あまり心配することもない」


 羅盤を袖の中にしまいながら、狗琅真人は余裕の表情だ。


「彼には私の法印をつけてあるから、位置は把握できる。なんなら、ここへ即座に呼び戻すことも可能だ」

「いいじゃねえか、早速やろうぜ」


 ほっと表情を緩め、コージャンは背負った弟子の体を下ろしかけた。


「ただし、彼の【魂】は絶大な苦痛を覚える。ちょっと心的外傷負うくらいの」

「何でそんな機能つけやがった‼」


 ウーを背負っていなければ、胸ぐらを掴んでいた所である。


「仕様だよ。苦痛を与えないよう再構築するのは手間だから、今まで放っておいたんだ。でも、緊急事態だし、痛みの記憶も消すし……使っても構わないだろう?」

「駄目だ」


 魔除けに最適な憤怒の表情であった。狗琅真人は一瞬で説得を放棄する。


「位置が分かりゃ充分だ。こっちから迎えに行くぞ」

「君がそう言うなら」


 待合室を出て、二人は森羅殿しんらでんの奥へ歩き出した。

 ここはおよそ七十二の部署と窓口が入った建物で、冥府の主だった業務の内、半分を司っている。もう半分を受け持っているのは永寧殿えいねいでんだ。

 目指すのはそのどちらでもなく、奥の院。当然、関係者以外は立入禁止だが、見つかったらその時はその時である。


「……で、そもそも何でこうなりやがった?」

「あの子は本来、死者なんだ。そして冥界は【魂】にとって居心地が良いように出来ている。私の構築が甘かったこと、眠っている人間の方が【魂】が抜けやすいこと、そうした細かい見落としが重なった結果だよ」


 狗琅真人は袖から帝鐘ていしょうを取り出した。法具は彼の眼の前に浮き、ひとりでに涼やかな音を鳴らし始める。

 あたりは東を森羅殿、西を永寧殿にそれぞれ取り囲まれた中庭で、広さ数公里キロはあるだろう。その中心部にある建物を、狗琅真人は指さした。


「ここから先の鬼仙きせんどうは、時間と空間が曖昧になっている。帝鐘の音で固めながら進むから、あまり私から離れないように気をつけて」

「あー、無涯山むがいざんの迷宮みてえな?」

「そうそう。あの時は五十年ぐらい彷徨さまようかと思ったねえ」


 コージャンと狗琅真人は、かつての探索行に思いを馳せた。出会って十年この方、狗琅真人の主導で様々な冒険をしたものである。


「ウーのやつ、大丈夫なのか?」

「今の所はね。心の方は分からないが、それは君に任せた」


 鬼仙堂は官公庁と言うより霊廟のような造りをしていた。それでも、皇帝が祖先を祀る祖廟に似て、二重のひさしを持ち、建物の端から端まで数百公尺メートルはある。

 森羅殿や永寧殿の壮麗さに比べればこじんまりとしたものだが、そもそも比べるものが大きすぎるのだ。どこもかしこも、距離感の概念を破壊する広さだった。


                 ◆


 さらさらと絶え間なく降り注ぐ砂が、腹に入ってくるようだ。砂の音、最初ウーがそう思ったのは、繰り返し響く波の音だった。

 それ以外はやけに静かで、体の中に海が響き渡っている。


「海?」


 目を開いたウーは、自分が白い花びらに埋もれながら、木板の上で寝転がっていることに気づいた。慌てて起き上がると、寝床がぎしりと揺れる。小舟の中だ。

 三人も乗れば満員だろうという小さなもので、周囲は深い霧に包まれ、何があるかよく分からない。遥か頭上からは、はらはらと雪のように花びらが降ってくる。

 改めて座り直すと、ちょうど対面に背の高い人物がいた。


「まったく、こんな所で何をしているのですか」


 びっしりと文字が書き込まれた帯を結んだ鹿の角。玻璃ガラスに似た冷たい艶を持つ長い黒髪。閉じた瞼から顎にかけて、符印が刻まれた姿は、忘れようもない。


「角の仙人さん」

「嘆蝉です。一人でふらふらと、こんな所を彷徨っていてはいけませんよ、七殺不死。戻れなくなる前に、私と来なさい。それとも、来世へ赴くのがお望みかな」

「帰ります! 帰らせてください、今すぐに!」


 一も二もなく声を張り上げると、嘆蝉道人は小さく首を振った。枝葉のようにかすかな音を立てて、角が花びら舞う風をかき乱す。


「すぐに、というのは少々難しいですがね。ここは天の獄、地の底。天帝がおわす御座みざから最も遠い、天狗道てんこうどう大羅天だいらてん宇宙うちゅうの根源ゆえに」

「ええと……?」何言ってんだろうこの人。

「冥界は現世の裏側であり、摂理の外です。ここはその最も奥まった場所なのですよ。時間と空間は未分化で、まだ産まれていないもの、現世から還ってきたもの、忘れ去られたものが流れ着き、やがて原初の渦に飲み込まれていく」

「どうして僕、そんなトコにいるんですか?」


 よく分からないが、とにかく危険な場所なのは理解した。


「貴方は水糊みずのりでくっつけた工作物と同じです。それを冥界という水に入れたら、糊が溶けてバラバラになった。後は無防備な【魂】が、ゆるやかに渦の潮流に引き寄せられて、ここまで来てしまったのです。かなり簡単な説明ですが、分かりますか?」


 なんだか、自分が紙細工か何かのようで嫌だなあとウーは思ったが、一応の理屈は理解できたのでうなずいて見せた。しかし、一つ納得行かないことがある。


「それ、誰も水に入る前に気づかなかったんですか? 溶けますよね、ふつう」

「……そう単純ではないのです。あくまで、物のたとえですから。それはそれとして、見落としは検分した私の責任でもあります」

「うーん」


 こちらにしてみれば生きるか死ぬかの問題なのだから、もうちょっと慎重に【魂】を取り扱って欲しい。そう考えてから、ウーは狗琅真人がいかに自分を無茶苦茶に扱ってきたか思い起こして「あれに期待するのはやめよう」という本日何度めかの同じ結論に達した。クソ仙人はクソ仙人だ。

 ひとまずウーは礼を述べた。


「助けに来てくださって、ありがとうございます」


 にぱっと笑顔を見せる少年に、嘆蝉道人はあくまで「仕事ですので」と表情を動かさない。心も動いていないのか、ウーには判断がつかなかった。

 小舟はどこへともなく二人を運んでいく。花びらは相変わらず降り注いで、柔らかな甘い香りを漂わせていた。頭がじんとしびれるような、懐かしい匂い。

 沈黙が続く舟の旅はやや気まずいが、花の風が気持ちを和らげてくれた。


「七殺不死。貴方に一つ、頼みたいことがあります」


 一、二時間も経ったころ、不意に嘆蝉道人は意外なことを言い出した。


「頼み? 僕に?」

「ええ。耿月こうげつきょう……狗琅真人のことを、見張って頂きたい」

「なんで」

「耿月卿は危険なのです。【大事だいじもの】を定命じょうみょうの者個人に設定することは、仙道としては人の情に引きずられ過ぎている。元々が自力じりき昇仙しょうせんの徒でもありますし」


 ぽかんとした顔で、ウーは必死に頭を働かせた。訊きたいことがたくさんあるが、ありすぎてどこから訊けばいいのやら。迷った挙げ句、ウーは簡潔に答えた。


「よくわかんないです。大事なものとか、どうとか」

「我々仙族せんぞくの精神構造は、あなたがた定命の者とは様々な面で異なります。その一つとして、長い時を生きるために自我のよすが、〝くさび〟を求める」

「それが【大事之物】?」

「ええ。友情にしろ親愛にしろ、耿月卿はあの方……ああ、名前を尋ねるのを忘れておりました……に、強く絆を感じることで自我の均衡を図っている。たかだかあと十年で死ぬ者を相手に、それはとてもとても危ういことなのです」

「え?」


――コージャン師父が、あと十年で死ぬだって?

 ウーの思考が一瞬で凍りついた。舌も目も心臓も、血と氷で錆びついたように、ぎしぎしと鈍い悲鳴を立てる。体の中からこだまするその音に、ウーは喉を震わせた。


「たか、だ、か、……じゅう、ねん……、って」


 十年、それまでに自分は彼の剣を超えられるか。

 十年、たったそれだけで、あの美しいものがこの世から失われるのか。

 ウーが生まれて今日まで重ねてきたよりも長い年月なのに、その先にある結末を思うと、あまりに短い気がした。いずれにせよ、自分はもう一度父をうしなうのだ。


「数ヶ月から一年のずれはあるでしょうが、十年後、あの方は剣難にて命を落とします。【魂】を砕かれ、鬼郷を訪れることもない。それが寿命です」


 剣に斬られて死ぬ、いかにもあの師父らしい――に落ちる感触。

 だが、外法げほう重魂体じゅうこんたいの力もなく、十五歳の肉体も、その身につちかった武術もなく、むき出しの【魂】で彷徨っていた少年が受け止めるには、あまりに辛い宣告でもある。


「うそだ!!」


 小舟が揺れるのも構わず、ウーは勢いよく立ち上がった。嘆蝉道人につかみかかり、青い道服をめちゃくちゃに引っ張って揺さぶる。柔らかな感触に、もしやこの人は女性だったのでは? と気づいたが、今はそんなことはどうでも良い。


「うそだ、うそだ、うそだ! そっそんな、そんなこと許さない! 僕が、」

静静閉嘴だまりなさい


 その言葉が雷になってウーの脳天を貫いた。頭と体の電源が落ちて、指の一本から舌の先までたちまち硬直する。師父の余命を宣告された驚きも、恐慌も、凪いだ水面のように何も感じなくなってしまった。これが鬼仙の力か。


「私は彼の方の寿命について興味はありません。問題にしているのは、彼を喪った後の耿月卿が暴走しないか、邪仙に堕ちないかということですよ。貴方には、その兆候がないか見張っていただきたい。是が非でも、ね」


 嘆蝉道人は袖口から、翡翠で出来た蝉を取り出した。ウーの唇を白い指先でこじ開け、口に含ませる。蝉は生きているように、喉の奥を目指して進んだ。


「――うちのボウズに何しやがる!」


 嘆蝉道人の頭上より飛来する影あり。それを視認するより早く、彼女は自分の手首が斬り落とされるのを見た。ありえない。

 これは五百年練り上げ、なまじっかな刃物など受け付けぬ不朽の肉体。神剣宝刀のたぐいを相手にしても、滅多なことでは切り裂けぬ。それを、肉も、骨も。


「何をしたのです。私に、何を」

「あァ? そりゃこっちの台詞だろーがバーロー!」


 雁翅刀がんしとうを手に、コージャンは硬直したウーを背中にかばって立っていた。嘆蝉道人は無表情に、転がる手首と血に染まる道服の袖を交互に見やる。


「妙な仕込みはやめていただきたいネ、上級冥吏どの」


 狗琅真人は舟には降りず、宙を漂ったままウーの背中を叩いた。硬直が解け、口から翡翠の蝉を吐き出す。


「うぇ……なんで、こんなのばっかし」

「災難だなあ、ウー。ったく、こんな所までフラフラほっつき歩きやがって! 山に帰ったらお仕置きだかんな。帰るまでが遠足だぞ」

「おとうさん……お父さん!」


 コージャンが言うお仕置きは、武術の鍛錬のきついやつだろう。だが、今だけは弟子ではなく息子でいたい。ウーはコージャンにしがみついて、すすり泣いた。


「置いていかないで、いなくならないで下さい」

「あァ? そんなに寂しかったのかよ」

「この人が、お父さんはあと十年で死ぬ、って!」

「はァー!?」


 なんじゃそりゃ、と眉根を寄せるコージャンの背後で、冷気が膨れ上がった。氷の火山というものが噴火したら、このようになるだろうか。

 冷気の源は狗琅真人だった。普段は糸のように細長い眼を爛々と光らせ、空中をすべるように動いて嘆蝉道人へ迫る。仙人と言うより、幽鬼のごとき有り様だ。


「どういうことかネ?」

「……そのままの意味ですが、何か。【大事之物】を近く喪うことになる心痛、お察しいたします。ですが、その後始末は我々に降りかかってきますので」


 圧縮される氷の悲鳴にも似た軋みが、その場の全員の背筋を震わせた。狗琅真人から放射される冷気が、殺気が、空気を凝固させていく。

 嘆蝉道人は聞き分けのない子供にするように、ため息をついて見せた。


「あの後、彼に関する鬼録きろくを読みました。異常ですよ、よわい一千を超える邪仙を斬り、廃神はいしんを斬り、位相も次元も超えて刃を届かせる。そのような異能の者が、三十年も現世に住んでいることがおかしいのです。古代、神話の時代ならまだしも、現代においては因果の均衡を崩す存在。あと十年も生きられることを感謝して頂きたい」


 げらげらと、霜を溶かす笑い声を立てたのはコージャンだ。


「十年! 十年か、意外となげえな! あんたに感謝はしたくねえけど」

「お父さん」


 しゃくりあげながら、ウーは父を見上げる。コージャンの表情は、ひどく獰猛な笑顔に見えた。これから戦場へ臨もうと、牙をむき出しにした面構え。


「俺の人生なんざ、二十歳ハタチで終わると思ってたんだがな。気がつきゃ三十路になって、終わるとしたら四十路か。十年、お前が独り立ちするにゃ、ギリギリだな」

「い……いやです! いやだ!」


 こんなに人の笑顔が悲しいと思ったことはない。悲嘆がウーの喉で咳になって詰まり、嗚咽に変わり、言葉をぐしゃぐしゃに濡らした。

 死んで、鬼郷にも行かない。そんなことを、どうしてこの人はあっけらかんと語るのだろう。どうせ死ぬならば自分の手で……けれど、今はその気力が沸かなかった。

 泣きじゃくるウーを前に、嘆蝉道人はいけしゃあしゃあと提案した。


「いっそ、このまま冥界に移住なされては如何いかがですか。肉体は破棄して頂かねばなりませんが、【魂】さえ砕かれず残るなら、鬼郷であと四十年は過ごせます」

「そいつぁドーモ。あいにくと、俺はつい最近父親になったばかりで、死んでる暇はねえんだ。それにあんた、現世の楽しさってモンが分かっちゃいねえな」

「七殺不死でしたか? その息子さんもご一緒にどうです」

「どちらも渡さないよ」


 狗琅真人は斬り落とされた手首を拾い、持ち主の顔に投げつけた。


「それと、私の心配なら不要だ。【大事之物】は彼だけじゃない、外法重魂体の研究も、私の自我の楔なのだから。そう簡単に壊れる訳にはいかなくてネ」

「では一つお訊きしますが、ご自分の研究の成果に、なぜ〝外法〟などとつけるのです? 外法重魂体の原型、七つの亡魂ぼうこんをその身に宿した特異とくい魂魄者こんぱくしゃ、異形の独覚仙どっかくせん。それが貴道あなただ。〝完全なる死者蘇生〟などと、無駄なあがきはおやめなさい」


 外法とは、道に外れた行い、邪術妖術のたぐいを意味する。普通に考えれば、自らの作品に用いる名前ではない。


「知ったような口を叩くネェ……」

「決闘でもいたしますか? 私が勝ちますよ」

「そこについては異論はないネ」


 狗琅真人の戦闘能力は、卿位の仙人(仙卿せんけいと言う)としては最底辺だ。下手をすれば、格下の大夫だいふ位にも負けかねない。

 わんわん泣いていたウーは話についていけないまま、やや落ち着きを取り戻していた。息子から体を離し、つかつかとコージャンは嘆蝉道人へ歩を詰める。


「ぎゃーすかぎゃーすか、うるっせーんだよ」

「リーくん」


 空中浮遊する狗琅真人の横から手を伸ばし、コージャンは枝角を根本から掴んだ。


「ひああああああああああああっ!?」

「うおっ」


 初めて、嘆蝉道人は女性そのものの声を上げた。カッと見開かれた両目は、庭園の時とは違って白目があり、翡翠の虹彩が美しい。


「や、やめなさい! 放しなさい! やめて! 放して! いや!」

「お、おう」

「わーい、リーくんの色情鬼えっちー」

「人を色情鬼スケベ呼ばわりするんじゃねえ! つか、これ、アレか、そういうモンだったのか!? 堂々と頭から生やしとくなよ!」


 角を放された嘆蝉道人は、へなへなとその場に崩れ落ちた。心なしか、腰が砕けたその仕草も色っぽい。手を斬り落とされても平気なのに、この違いはなんなのか。


「わ、私……人妻なんですよ!」


 翡翠色の眼に涙を滲ませ、顔を真っ赤にしながら、嘆蝉道人は冥府の官吏でも仙女でもなんでもない、ただの乙女のように訴えた。


「いえ、夫がいたのは何百年も前で、とうに死別していますが! 他の男性にこんな……はずかしめ……彼に顔向けできない……」


 嘆蝉道人は小さく丸まってさめざめと泣き出し、舟の上に気まずい空気が広がった。悲しみが吹っ飛んだウーが、父に冷ややかな視線を向けている。


「あー……えーと……その……」

「つまり、この角は彼女の【大事之物】なんだろうネ」

「そ、そうか」

「お父さん、最低です」


 息子の言葉がコージャンの胸を抉った。


                 ◆


「ひでえ目に遭った……」


 果てしなく納得の行かない罪悪感を覚えつつ、コージャンは茶杯をあおる。諸々の話をうやむやにしつつ、三人は元いた待合室へ戻ってきた。

 これでまだ少し、書類仕事が残っているのだ。


 ウーの体は霊符を剥がし、法鞭を解いた後、即座に【魂】が復帰して目を覚ました。その後、疲れ切ったようにまた眠ったが、今度は封印を施しているので大丈夫だと狗琅真人は保証する。そうであって欲しい。


「リーくん」


 対面に座った狗琅真人が静かに呼びかける。何事かと口を開こうとして、コージャンの声が、表情がかき消えた。

 糸のように細長い、閉じているのか開いているのかも定かではない双眸。今、狗琅真人はそれをはっきりと開いて、輝く瞳でコージャンを見据えている。

 青い光を放つ虹彩には、人ならぬ同心円状の模様があった。


「リーくん、リーくん」

「……あァ?」


 夢から覚めたように、コージャンがはっとした顔になる。


「何か考えごとかい、ボーッとしちゃって」

「あ……いや、すまねえ。冥府も久しぶりだから、疲れたのかもな」

「ウン、お疲れ様。残りの書類、早く片付けてしまおう」


 にこやかに、何事もなかったかのように、狗琅真人は微笑む。

 こうして彼らの記憶を奪うのは何度目だろうか。ウーは嫌がってはいるが、狗琅真人は自分の行いを間違っているとは思わない。


 寿命の話など、その心配など、彼ら二人が思い煩うことではないのだ。そんなものは神仙に任せておけばいい。

 あと十年――それまでに、死者蘇生を完成させればいいだけだ、と。狗琅真人は、傲慢にもそう考えていた。

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