仙人馘首

第一節 期待外れの怪物たち

 間に合わない。汽車の前部標識ヘッドライトに照らし出された男の姿に、グオロウ(かく)は震え上がった。勤続三年目の運転士人生で、自分はこれから人の死を間近で見るのだ。


 グオロウは咄嗟とっさに、ありとあらゆる手でその男に警告を発した。粉雪の夜、制動ブレーキをかけられた車両の金切り声が耳をつんざき、心臓を突き刺す。

 線路の上で、男の両目は赤く光を発していた。白骨のように乾いた肌と、水気のない髪が、わずか数秒の間にグオロウの脳裏に焼き付く。


(……こいつは、本当に人間なのか?)


 頼むから幽霊かなにかであってくれ、生きた人間を轢き殺さずに済むなら、そして脱線事故にならなければなんでもいい! グオロウは祈る心地で目を閉じた。

 まぶたの裏の闇は、いつになく寒い。いや、寒い冷たいの問題ではなく、温度そのものが体からくり抜かれてしまったような、虚ろな感覚がある。


 グオロウがそれを訝しんだ時、彼の【魂】はとぷりと闇に呑まれた。


 武海ぶかいの雪は、煤煙ばいえんに薄汚れたささやかな灰色の粉だ。薄墨と灰でまだらになる夜の底、純粋黒の穴が虚空に開き、汽車を一本まるまる呑み込む。

 数秒の間を置いて、汽車は穴の「後ろ」へ突き抜けて現れ、ゆっくりと数十公尺メートルほど進みながら、推進力を失って停車した。


 そこから降りてくる者も、騒ぐ者もいない。

 運転していたグオロウも、乗り合わせた乗客も、皆生きても死んでもいない〝中有ちゅうう〟に取り込まれ、冥界へ渡ることはなかった。


                 ◆


「僕らが耿月山こうげつざんを降りて、もう半年になるんですね。早いなあ」


 学習塾帰りの昼下がり。浅く雪の積もった街路で、ウーは改めて指折り数えた。若竹の青さとしなやかさで真っ直ぐに育つ体は、ちょっと着込んでもこもこしている。

 黒髪黒目の典型的な軒轅けんえん(民族)顔に、堂々とした目鼻立ち。このまま歳を重ねれば、顎や頬が涼しく削げて、さぞかし見目の良い男になるだろう。

 しかし、今は十五歳ほどとおぼしき、あどけない少年だ。


「別に狗琅くろう真人しんじんなんて、一年でも十年でも会いに来ないでくれて、ぜんっぜん構わないんですけどね!」

「そう言うなよ、ウー」


 少年の隣、肩で風を切る軍用防水外衣トレンチコート姿の男が、やたらとドスの利いた声でたしなめた。おお、その面構えの凶悪なことと言ったら!

 地獄から首をもたげたような逆立つ赤毛、白昼爛々と輝く四白しはくがん、攻撃的に発達した犬歯。人間と言うよりも、とめどなく人の生き血を吸い続けた妖刀が、年月と怨念の果てに変化へんげした妖怪と言った方が、まだ信じられるような人相の悪さである!


「あいつだってそれなりに、お前を心配してんだ。どうせ向こうが来なくても、年に一回は山へ顔を出さなきゃならねえしな」

「でも、まだ歌が出来てないんですよ」

「歌? 何のだよ」

「『クソ仙人とっとと山に帰れ』の歌と『クソ仙人なんて来なくていい』の歌です。もう五枚ぐらい書いたんですけど、中々いい感じにまとまんなくて」

「そうか、塾に通わせた成果だな……」


 しみじみとコージャンは感慨深げに額を押さえた。困ってると言うより、嬉しそうに。余人には、何か悪だくみしているように見えたかもしれないが。


(意外と突っ込まれないと、困るなー、これ)


 コージャン師父しふの反応が予想と違い過ぎて、内心ウーは頭を抱えた。剣の師であり養い親の彼だが、もしかして、ひょっとすると、ただの親バカなのではないか。


「読み書きが巧くなったのはいいけどよ、変な歌はほどほどにしろよ」

「は、はいっ」


 そう言われてほっとした時、待ち合わせの武海市中央駅前に父子は到着した。この辺りは再開発地区なので、駅舎の赤いれんがも新しく、行き交う人々で賑わっている。

 駅前広場の一角から、師弟に澄んだ高い声がかけられた。


「やあ、久しぶりだネ! 二人とも健勝かい?」

「うわっ、来た」

「おー、狗琅」


 声の主は、女と見紛うような優男。線が細いと言うより流麗で、青みがかかった灰色の髪を結い、その上から帽子と襟巻きを身に着けている。

 狗琅真人は、二人が見慣れた仙道の服装とはまた違って、ゆったりとした長衣姿だった。右閉じ襟で、左右の脇に切れ目スリットの入った水色の長袍ちょうほうだ。


「今日はいつもの仙人装束じゃないんですね」ちょっと新鮮。

「さすがに町じゃ目立つしな。似合ってんじゃねえか、それ」


 良くも悪くも、道士というのは特別な立場……特権階級なのである。まさか仙人が町中をうろちょろしていると思う者も居ないだろうが、妥当な装いと言えた。


「リーくんも、洋装なんて珍しいネ?」

「これな、世話ンなってる雑貨屋の旦那に勧められてな」

「ウン、いいじゃないか」

「それで、あんな手紙まで出しといて、世間話しに来たんですかクソのろ仙人」


 ある日の夕食、コージャンが白身魚を捌いていると、その腹からシミ一つない書簡が出てきた。何もそんな郵送方法取ることないだろう、とウーは思う。

 なお魚はその後、一口大に切って揚げられ、人参・生姜・甜椒ピーマン・ネギと共に甘酢あんかけに調理された。美味しい美味しい醋溜魚さくりゅうぎょである。


「いや。のんびり話したいのは山々だが、ちょっと今回は緊急の用件でネ」


 狗琅真人は脇に抱えた新聞、武海ぶかい報紙ほうしを差し出した。

 コージャンが受け取り、ウーが横合いから覗き込むと、『夜汽車の怪! 乗員乗客百十三名すべて消失の事』の記事が大きく載っている。


「乗り合わせた奴全員、行方不明? 妙な事件だが、それがどうしたよ」

「この街に、離天りてん荒夢こうむの弟子が潜んでいる」

「!? そりゃ聞き捨てならねえな。じゃ、夜汽車の件も関係してるってか?」


 ただでさえ重々しいコージャンの声が、更に一段低く、凄みを帯びた。その変化にウーは戸惑いを隠せない。


「リテンコーム……誰ですか、それ」

「十年ぐらい前にな、俺と狗琅でぶっ殺した邪仙だよ」

「邪仙! そんなものまでたおしたんですか? 流石です、師父!」


 思わず、ウーは磨き立ての宝石のように目を輝かせた。常日頃、柔らかくコージャンに対して抱いている畏敬いけいが、新たな偉業を知らされて更に燃え上がるのを感じる。

 だが、狗琅真人は嘆息するように沈んだ口調だった。


「その時に弟子を一人逃してしまってネ。ずっと行方を探していたんだが、ようやくこの街に反応があった。今日はそれを警告に……いや、こちらから打って出ようという誘いに来たんだよ。急な話だと思うが、リーくんには理解して欲しい」

「いいぜ。そいつは放って置く道はねえや」


 コージャンの二つ返事に、ぱっと狗琅真人の顔が明るくなる。〝きっとそう言ってくれるだろう〟という期待を満たされた、温かな喜色だ。


「あーのー。その離天荒夢って、何やったんですか?」

「まだ人間だったころの私を捕まえて、のさ」

「えっ……」


 その短い説明には、驚くほど様々な事実が詰まっていて、ウーは二の句が告げられない。その隣で、コージャンは静かに弟子を見守っていた。


玄学げんがく(神仙学)的に言えば、霊錯体れいさくたい人蠱じんこかな。特異とくい魂魄こんぱくしゃは正しくは霊錯体と言うのだけど、その人体実験だネ。私は失敗作扱いでてられて、運良く生き延びた」

「じゃあ、狗琅真人も、実は僕と同じだったんですか!?」


 どこかに、自分とは別の外法げほう重魂体じゅうこんたいが存在するのではないか――〝雨霊うれい三将さんしょう〟ハー・ジャンヂェとの一戦以来、ウーはその可能性を考え続けていた。

 賽駮客サイボーグ拳士だったジャンヂェは、動く髪の植入樹械インプラントを追加の手足にして戦う手法スタイルの持ち主だった。それはウーが用いる捕喰ほしょくと、はからずも似ている。


 それに思い至った時、ふと、外法重魂体は自分だけとは限らないとウーは気付いた。そもそも自分が世界初だなどと、誰も言わなかったではないか。

 だが、それがまさか狗琅真人自身だとは、まったく予想だにしなかった。


「私は生きたまま、君は死んでからという違いはあるがネ。君は、私自身を元に再現して作った、まあ離天荒夢から見れば模造品のようなものさ。機能については、こちらで色々と上方修正アップデートしたけれど」

「でも! 、僕を造ったんですか?」


 狗琅真人の表情は、基本的に柔和だ。いつも寝ている猫のように、元から細い目を更に細めて、それだけに内心が読み取りづらい。

 けれど、今その表情は跡形なく消えている。鉄の仮面じみた拒絶の表明、ならばとウーは矛先を変えた。


「師父は知ってるんですよね?」


 水を向けられたコージャンは、「おう」と短く認める。


「でもな、それに関しちゃ、狗琅が自分で言って、頭下げて頼むべきだと俺は思うぜ。だから言わねえ」


 狗琅真人もコージャン師父も、何か、この自分自身にも関わる大事なことを知っていて、でもそれを簡単に教えたくはない。

 これが子供扱いというやつか! 酷く気に入らないが、ウーは必死に頭を働かせて、これはという推論を示した。


「……誰か、よみがえらせたい人がいるんですね? 師父が言ってました、貴方の研究は、完全な死者蘇生だ、って。それって、誰です?」

「そんなことは、君に期待していない」


 ぱきりと、対話の意思を一方的にはね除ける冷たい表情だった。期待していない? そもそもの目標を教えもせず、なんて無責任な仙人だろう。


「……やっぱり、貴方のこと、嫌いです。僕にして欲しいことがあっても、絶対協力なんてしませんからね」

「じゃあ、お前は狗琅の手伝いはしなくていい」


 厚みのあるコージャンの手が肩に置かれ、思わずウーはドキリとした。師に対する、自分の評価を下げてしまっただろうか?


「その代わり、俺の手伝いはしろよ。結果的にゃ狗琅のためになるが、お前の力は必ず役に立つしな。この半年でだいぶ強くなったろ」

「……はい! 師父のためなら、喜んで!」


 安堵感と、褒められた気分でウーの不安が吹き飛ぶ。そこで狗琅真人が、「立ち話もなんだし、そろそろ場所を変えないかい?」と提案した。

 駅前は、喫茶軽食の場に事欠かない。三人は最初に見つけた『娯湖ごこ茶房さぼう』という小洒落た店へ向かった。


                 ◆


「……だからね、ワタシたちがいくら自由意思を持っていると思っても、宇宙規模では存在としての性質に縛られている。原子や陽子の振る舞いのようにね。もちろん、その法則を読み解くのは容易ではないが、彼らとはそれなりに因縁もある。今日この時この場所に、来ると分かって良かった」


 白く長い髪の女は、薄く笑って『娯湖茶房』の入り口をそっと指差した。連れの男が見やると、ちょうど三人組がやって来た所だ。

 凶悪な面構えの背が高い男、それとは対象的な優男、そしてあどけない少年。背の高い男の凶相ぶりに、従業員も客もかすかにざわつく。


 コージャンは「気に食わねえ」と顔をしかめた。周囲の反応ではなく、鼻をひっかく甘ったるい香りに対してだ。そのままクシャミでもしそうな調子。


「どっかで嗅いだような匂いだが、茶店でさせていいモンじゃねえだろ、これ」

「あ、僕も知ってる気がします、これ。流行ってるんでしょうか」

「誰かきつい花露水コロンの人がいるのかもネ」


 狗琅真人が口を開いたときには、驚いたこと自体を忘れたように、店内は落ち着きを取り戻していた。霊識れいしきある者には、優男が何らかの幻術まやかしを使ったと知れただろう。


 店の片隅を占領する男女の二人組は、もちろんそれに気付いていた。不気味な赤い義眼の男と、長い白髪の妖艶な女――イン・キュアと、瑣慈太夫たゆうは。


「仕掛けないのか、瑣慈さじ。俺はいつでもやれるぞ、夜汽車でたらふく喰ったからな」


 重たげな外套を着込んだまま、イン・キュアはじれていた。

 屍体じみて乾いた容姿に、真っ黒な目の中、赤い瞳を灯す義眼。それ以上に、〝俺がここに来たからには、ただでは済まさんぞ〟という悪意と残虐さをはらんでいる。

 だが、その不吉な佇まいに誰も注意を向けないのは、狗琅真人と同じく、瑣慈が人々の注意を幻術で逸しているからだ。


「ようやく、昨夜で一千までの【魂】を取り戻した。〝万神ばんしん万死ばんし〟にはまだほど遠いが、まがい物を殺すには充分だ。それに、コージャン・リーも」


 コージャンに寸刻みにされて殺されたインは、四、五ヶ月前に瑣慈の手でよみがえった。今でもまだ、全身につぎはぎの縫合痕が残っている。

 それ以上に深刻なのは、絶対的な【魂】不足だった。戦おうにも、内力ないりきが伴わければ、いかなる武術もただ踊っているようなものだ。


 でなければ、いちいち小手調べのために殺師ころしやなど雇うものか!


 インは力を取り戻すため、瑣慈の術で人間を誘い出し、金縛りにし、あるいはだまし討ち不意打ち様々な手を使って、【魂】を食い続けてきた。

 しかし、如何いかに〝修羅の巷〟がごとき武海でも、行方不明者を出しすぎた。これ以上行動に移らない道はない、とインには思えるのだが。


「カカッ――焦らないの、きゅうちゃん」


 女の笑いは、鮫のように獰猛で冷たい。洋装のインと異なり、瀟洒しょうしゃな暗紫の着物から、とろりと蠱惑的な手足が伸びる。


「さっき占いの話をしただろう? 最高の好天時タイミングで、最高に痛い一撃をカマしてやるんだ。後少しの辛抱だよ、坊や」


 坊や呼ばわりされて渋面を作るインに、瑣慈は再度「カカッ」と牙を鳴らすようにわらった。失望させるな、と言外に圧力をかけながら。

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