信号がないと道路を渡れない

 まず、壁にかかった時計など、何か遠くの目標を定める。


 顔の前に、指を1本立てる。

 左目を閉じて、右目だけで指を見る。

 次に右目を閉じて、左目だけで見ると、目標に対して指が移動して見える。


 指を立てたまま、手を伸ばす。

 その状態で、右目だけ・左目だけで指を見る。

 目標に対して指は移動するが、顔の前で立てたときと比べると、ズレ幅は小さい。


 人間の両目は水平方向に5~7 cmほど離れているため、立てた指を右目から見る角度と、左目から見る角度は微妙に違う。この角度の違いを「視差しさ」という。

 近くの物(顔の前の指)を見るときは視差が大きいが、遠くの物(伸ばした手の指)を見ると視差は小さくなる。

 私の場合は、片方ずつ見ないと左目が仕事をしないけれども、目に問題がない人は日常的に、この視差を感じて遠近を把握しているはずだ。


 とはいえ、ほぼ右目だけで生活しているに等しい私でも、「近くの物は、遠くの物より大きく見える」「近くの物は、遠くの物の前に重なって見える」等々で、遠近は判断できる。

 ……と、思っていたのだが。


 中学時代、「狭い通路で、足をV字型に投げ出して座っている男子」の足を避けるようにして歩かねばならないことが、度々たびたびあった。

 男子が一人(障害物が足2本)なら、いいんだけれど。

 二人以上いると、誰かの足を踏むんだよね……。

 今にして思えばアレ、「目のせいで、距離感が少しにぶい」と「耳(平衡へいこう感覚)のせいで、狙った位置に自分の足を下ろせない」のコンボだわ。いやー申し訳ない。


   ◇


 成人過ぎた辺りで、ふと気づいた。

 ……何でみんな、信号がない場所でもあんなに楽々、道路を横断できるんだろう?


 私、「今は車が来ていないから、渡っても大丈夫」というのを見極めるのが、非常に苦手である。

 見渡す範囲に全く車がいないか、長い直線道路の先に点くらいの大きさで車が見える程度なら安心して渡るが、そうでなければ車が通過するまで待つ。交通量の多い場所だといつまで待っても渡れないので、多少遠回りになっても信号まで歩く。

 しかし私以外の人は、次から次へと車が走ってくる道路でも、上手にタイミングを見つけてスイスイ渡っていくのだ。

 ……もしや他の人は、走ってくる車の速度、「あの車はまだ、ここまで到達しない」というのを、一瞬にして判断できるのではなかろうか?


 客観的証拠はないが、どうやら私、動いている物と自分との間の距離を目測するのが、他人より不得意らしい。

 というわけで現在は、周囲の人の動きをよく観察して、一緒に渡るようにしている。自分しかいないときは結局、遠回りするんだけどね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る