ⅩⅦ 真実の創世神話(2)
彼の話に沿って、ずっと辿って来た石壁のレリーフの最後には、ファラオが死後にラーとともに乗り、永遠の旅をするという〝太陽の舟〟のような乗り物で、再びラー人が天へと帰って行く様が描かれている。
その神々の時代の終焉を物語る絵を眺めながら、メルウトはその信じがたい話を消化し切れずにいた。
いや、ジェフティメスがこんな嘘をわざわざ吐くはずもないのだが、それはすんなり受け入れるにはあまりにも抵抗のある、これまで神官として教わってきた常識を根底から覆してしまうような、メルウトにとって…否、彼女ばかりでなく全エジプト人にとっても、すぐには信じがたいトンデモな内容のものだったのである。
「……いったい、あなたは何者なんですか?」
その人々が忘れ去ったはずの歴史をなぜか知る老人に、これまで何度となくしている質問をメルウトは改めて投げかける。
その問いにジェフティメスは、今度こそはぐらかすことなく、ひどく真面目な表情になって正直に答えた。
「わしは…いや、わしらはの、〝トトの弟子〟と呼ばれる結社に属する者じゃ」
「トトの……弟子?」
「現在は知恵の神トトとして神格化されておる、ラー人のとある機関を起源とする組織じゃよ。その機関というのは今でいうところの魔術や医術を研究するものでの。そこで培われた知識と技術を後々の世にまで伝えることを目的とし、彼らが飛び去った遥か昔から現在に至るまで、ラー人の叡智を結社内で脈々と伝えてきた。ま、さすがに今となっては多くの情報が失われてしまったがの。で、そのための施設の一つがここという訳じゃな」
ジェフティメスの言葉に、メルウトは先程のラー人が町を築くレリーフの中の、人々に測量の仕方を指導しているらしきトト神の姿を再度見つめた。
「失われたラー人の知識を……今に受け継ぐ人々……」
その答えはやはり信じがたいものであったが、ただの知恵ある老書記や、どこそこの偉い神官などと言われるよりは、よっぽどこの老人の正体として納得のできる説明である。
「ここへ忍び込んでいる仲間というのは、そのトトの弟子とかいう結社の人達のことなんですか?」
来る時に言っていたそのことを思い出し、メルウトはジェフティメスに尋ねる。
「そうじゃ。トトの弟子の結社員はエジプト中に散らばっておるが、わし以外にもこの町に何人かおるでの」
「ってことは、まさか、ひょっとして、ウベンさんも……ですか?」
「ああ。まことに残念ながらの。あんなチャラ男が同じ結社員とは、トトの弟子の権威が地の底深くまで失墜してしまうわい。やはり早いこと破門にしとくべきじゃったかの」
相変わらずのひどい言い様で、苦々しげにジェフティメスは答えた。
まあ、確かにあのウベンも入っていると聞くと、ちょっとその秘密結社の敷居が低くなったような感じがメルウトとしてもしなくはない……。
「そういえば、ジェセルさまもセクメトのことを知っていたけれど……じゃあ、ジェセルさまもトトの弟子の一員……」
その事実を考えるに、そう推測して呟くメルウトだったが、ジェフティメスはそれについて首を横に振ってみせる。
「いや、そなたにセクメトを託したレトポリス・セクメト神殿の大神官ジェセルシェプスト殿は、わしの知る限りトトの弟子の一員ではない。わしらの他にもごくごく限られてはおるが、この真実の歴史を知る者はおる」
「それが、ジェセルさまだと言うんですか?」
「うむ。彼女もその内の一人じゃったようじゃの。ラー人はこの星を去る際、
「セクメティウム……」
セクメトの眠っていたあの儀礼上の墓を、メルウトは心の中で思い出す。
「そして、時とともにその記憶も忘れ去られ、ただの宗教施設として認識されるようになっていったのじゃが、その内のいくつかでは歴代の神官の
「それで、ジェセルさまはあんなにまでしてセクメトを……」
メルウトは、なぜジェセルシェプストが自らの命を賭してまでセクメトをアメン神官団に渡すまいとしていたのか、その本当の意味をここに来て初めて理解した。
「ジェセルシェプスト殿については本当に気の毒なことだったと思う……実は、わしらもアメン神官団の不穏な動きについては警戒を強めておっての。仲間が見張ってはいたんじゃが、突然のことで助ける間もなかった。もっと早くに、やつらの狙いがセクメトであることを掴めておればのお……」
そう言って申し訳なさそうな顔をするジェフティメスに、メルウトの心の内にはジェセルシェプストを失った悲しみや憤りが再び込み上げてくる。
「……どうして、アメン神官団はセクメトを奪おうとしたんですか?」
その感情を押し殺しつつ、メルウトはジェフティメスに尋ねた。
「理由はわからん。だが、最近、ヤツらが
「アメン大司祭も?」
「ああ、そうじゃ。上エジプト第15
「だからって、ジェセルさまをあんな目に……」
メルウトの脳裏に、最後に目にすることとなったジェセルシェプストの、真っ赤な血に塗れた凄惨な姿が蘇る。
「……わたしは、いったいどうすれば……あのセクメトをどうすればいいんでしょうか⁉」
世界観が一変するような話に頭をぐちゃぐちゃにしながらも、大切な人との辛い別れを思い出し、自分に託されたものの重大さを再認識したメルウトは、哀願するかのような思いで老賢人に答えを求める。
「……それは、おまえさん自身が決めることじゃ」
しかし、ジェフティメスはその答えを教えてはくれず、代わりに厳しい判断を彼女に迫る。
「おまえさんはジェセルシェプスト殿からセクメトを操るためのアンクと『セクメトの書』を託され、そして、ラー人が去って以来…いや、
「……わたしの……もの……」
小刻みに震えるメルウトの瞳を見つめ、ジェフティメスは続ける。
「ゆえにセクメトをどうするかはおまえさん次第じゃ。このまま
「そんな! ヤツらに渡すことなんか…」
できるわけがない! と言おうとした彼女の脳裏に、あの日の惨劇の光景が不意に過る。
「……わたしはもう、アレには乗りたくありません」
これからもアメン神官団の手からセクメトを守っていくためには、いつか必ず再び乗って、ヤツらと闘うことになるであろう……だが、メルウトはもう、あのような惨い行いを二度と繰り返したくはなかった……あのような、血に塗れた恐ろしい殺戮を……。
「うむ。それも一つの選択ではあるじゃろう……じゃがもし、おまえさんが乗ることを放棄し、セクメトをアメン神官団に渡したとして、あやつらがそれをどのように使うかまでは保証できん。ま、これまでのことを考えれば、到底、平和的な利用をするようには思えんの」
「それは……」
いつもは好々爺のような顔をしている老賢者は、さらに彼女を苦しめるような言葉を容赦なく浴びせかける。
「ま、アメン神官団にではなく、わしらにセクメトを譲るという選択肢もあるじゃろう。わしらトトの弟子としても、アメン神官団に
……それは、嫌なことをただ他人に押しつけるだけだ……そんなことを言われたら……。
そのようなことを言うのは卑怯だ…とメルウトは思った。
「また、それはおまえさんにセクメトを託したジェセルシェプスト殿の意思に背くことにもなる……おまえさんを選んだ彼女の想いにの」
「ジェセルさまの……想い……」
メルウトは、亡きジェセルシェプストの心の内を推し量ろうとする……他にも大勢、優秀な女性神官達がいる中で、彼女はどうして自分にセクメトを預けたのだろうか?
「それにの。これはすべて運命じゃとわしには思えるんじゃよ。おまえさんがセクメトに乗ったのも、トトの弟子のわしと出会ったのもの……アメン神官団は
「わたしの……運命……」
その言葉に、メルウトは逃れ難い何かを感じながら、いつになく真剣なジェフティメスの顔を見つめる。
「人は、運命から逃れることができん。できることがあるとすれば、それは自らの運命にしっかりと向き合い、その運命に立ち向かってゆくことだけじゃ……ま、今すぐに答えを出すことはない。おまえさんがどうするかは、これからじっくり落ち着いて考えればいいじゃろう。それよりも、せっかくここに来たんじゃし、もう少しラー人のことについて教えとくとしよう。まだ、この他にもいろいろとラー人の文明を伝える部屋があるからの」
そう言ってこの話題を一旦切り上げ、さらに奥へと続く通路の方を振り返るジェフティメスの背後で、長く伸びた彼の影が手元の明かりにゆらゆらと怪しく揺らいだ……。
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