Ⅱ 墓に眠る女神(2)
しかし、そうして感慨に耽っている場合ではないことを彼女は不意に思い出す。
「そうだ。これを早く運び出さなくちゃ……」
今頃、神官団の兵達も頭上のマスタバに辿り着いていることだろう。急がなくては偽扉を壊してここまでやって来るかもしれない……。
「……って、無理に決まってるじゃない!」
だが、こんな巨大な物をどうやって移動させればよいのだろうか? そんなこと、どう考えても一人の人間に……ましてやメルウトのようなか弱い乙女にできるはずがない。
その不可能な要求に絶望しながらも一縷の望みを託して、メルウトは再度、『セクメトの書』を紐解いてみる……。
「……セクメトを動かすには……え⁉ 動くの?」
するとそこには、彼女の予想をよい意味で完全に裏切ることが書かれていた。
読んでもなんだかよくわからないのだが、そして、とても信じ難いことではあるのだが、どうやらこの巨大な神像を自身の力で動かすことができるらしい。
「また、このアンク……」
半信半疑ながらも古文書に記された指示の通り、またも神々が生命を吹き込むかのような仕草でメルウトは黄金のアンクを牝ライオンの鼻先へと掲げる……ジェセルシェプストの言っていた「そのアンクが導いてくれる…」というのは、このことを意味しているのだろうか?
すると、突如響くゴゴゴゴゴゴ…という地鳴りのような低い音。
もう驚くことにも飽きてしまったが、アンクを掲げるメルウトの前で、やはり今回も驚嘆すべき現象が起こった。
アンクが再び七色の光を帯びたかと思うと、長い歳月の間に降り積もった砂埃をブルブルと震い落としながら、像の胸の辺りにある金属板がガコン…と、大きく開いて立派な階段になったのである。
「中に……入れってこと?」
その黄金の階段の先は、牝ライオンの胸にぽっかりと開いた四角い穴の中へ続いている……未知なる物の内部へ入ることに当然、メルウトは戸惑いを覚えるが、再三言う通り、そのように躊躇している暇を世界は彼女に与えてはくれない。
「……よし!」
メルウトは意を決すると、その短い階段を用心深く登っていった。
「ハッ…!」
階段を登り切ると、先刻の偽扉の時と同様、胸の金属板が独りでに背後で閉まる。だが、あの階段の照明と同じような白い不思議な光で、やはり周囲が暗くなるようなことはない。
そこは、真ん中の少しくびれた太い円柱のような形をした緑色の部屋で、中央には黄金に輝く玉座が一つ置いてあり、その前に何やら
「ここが、ジェド柱室……かな?」
『セクメトの書』を見ると、「導きの章」に続く第二章「操者の章」には、ライオン像の胎内を描いたと思われる図とともに、そのような〝冥界の主・オシリス神の背骨〟を意味する部屋の名が記されている。
「この玉座に座るのね……座って、いいんだよね?」
古文書の文字を目で追いつつ、少々畏れ多さを感じながらも、メルウトはその黄金の玉座にゆっくりと腰掛けた。
椅子の左右には、ちょうど手を置くのによい位置に床からファラオの象徴である〝
「で、アンクで錠を開ける……錠? 錠ってなんのこと? ……あ! もしかして、これ?」
古文書の奇妙な記載を理解できないメルウトだったが、ふと見ると、目の前のパレットの真ん中には〝アンク〟を表す
「これのこと……だよね? ……たぶん……」
他に確かめる術もなく、メルウトはおそるおそるアンクの楕円になった上端部分を握ると、「T」字型の下部をその穴に突き刺し、回る右方向へと90度回してみた。
と、ブウゥゥゥゥン…と微かに響く不気味な重低音。
「…⁉」
その刹那、それは起こった。
アンクがまたも七色に煌めき、何かが振動するような音が聞こえ出したかと思うと、パレットに描かれた
さらに薄緑色だったその壁は、二、三度、明滅を繰り返した後に、まるで純度の高い水晶のように透き通って円筒の一面に外の情景を映し出す……。
そして、驚くメルウトを他所に、よく澄んだ美しい女性の声が、彼女の耳に聞こえてきたのだった。
〝
「な、何…⁉」
突然起こった現象に、メルウトは慌てて周囲を見回す。
だが、何者とも知れぬ女性の声はやむことなく、さらに訳のわからない言葉を語り続ける。
〝偽扉システム作動……現搭乗者をセクメトの
「えっ…? えっ…?」
声に言われ、訳が分らぬままにメルウトは急いで右の
ハッ…⁉
と、その瞬間。メルウトの中に何かが流れ込んで来るのを感じた……いや、流れ込んで来るというよりは、心と身体の中を誰かに覗き見られているような感じだ。
〝現搭乗者を
なんだか自分が自分でなくなったような感覚に襲われるメルウトの耳に、なおも女の淡々とした声は響いてくる。
〝
「……えっ?」
声がそう言い終わったその時、メルウトは自分と自分の入っている牝ライオンの像が一体になったかのような錯覚に捉われた。今、自分の見ている情景が、ライオン像の目を通して見みているもののように感じられたのだ。
その奇妙な感覚に、メルウトは思わず握っていた左右の管をぐいと引いてしまう。
「ガウォオオオオーン!」
すると突然、ライオン像は腹の底に響くような大きな咆哮を一つ上げ、四本の優美な脚を引き絞ると、頭上の天井目がけて大きく飛び跳ねたのだった――。
※挿絵↓
https://kakuyomu.jp/users/HiranakaNagon/news/16817330668413389725
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます