Ⅱ 墓に眠る女神
Ⅱ 墓に眠る女神(1)
それから長く孤独な隧道を通り抜け、レトポリス郊外の渓谷へと辿りついたメルウトは、今、こうしてなおもアメン神官団の兵達に追われている。
入口を塞ぐ石を取り除いた彼らも、抜け穴を通ってこの場所に達したのであろう。
「……ハァ…ハァ…」
もうこれ以上走れないと思うくらい走った頃、ようやくメルウトは〝セクメティウム〟と呼ばれる古い儀式用の墓へと辿り着いた。
膝に手を突き、肩で息をする彼女の眼前には、〝
外面を覆う煉瓦状の石も所々朽ちた、相当に古い代物だ。
伝説ではセクメト女神の墓と云われているが、セクメト神殿でも年に一度、形式的に供物を捧げるくらいで特に祭礼を行ったりするようなこともなく、半ば忘れ去られた存在と化しているような場所である。
メルウトにしても、ここがそんな重要な場所だとは今まで思ってもみなかった。
「……ハァ……ハァ……」
逆光に巨大な影となって映るその建造物の中へ、まだ呼吸も整わぬまま、メルウトは正面の壁に設けられた入口よりおそるおそる足を踏み入れる……薄暗い内部は直接日の光が当たらぬせいか、ひんやりと少し涼しい。
そんな、どこか心地よい冷たささえ感じる床石の上を進んで行くと、埋葬された人物に食物を提供するための戸口を模した石の飾り〝
その作り物の扉の上部パネルには、ラー神の命令で牝ライオン姿のセクメト女神が人類を虐殺する神話の一場面が描かれている……セクメト女神を語る上では欠くことのできぬエピソードではあるが、こうした場所に描くにしてはなんとも不吉な題材だ。
そういえば、まだ幼い見習いだった頃、ジェセルシェプストに連れられてここを訪れ、なんでこんな恐ろしい絵が描かれているんだろうか? と不思議に感じたことをメルウトはぼんやりと思い出した。
「ええと、確かこのセクメト女神の鼻先にアンクを……」
メルウトは至聖所で斜め読みした内容を再確認しようと、ずっと握りしめていた『セクメトの書』を紐解く……曖昧ながらも記憶の通り、セクメティウム内のセクメトの眠る場所へ到るには、そのようにせよと書かれている。
「………………」
古文書の記述に従い、メルウトは『セクメトの書』とともに預かったアンクをその手に取ると、レリーフに刻まれたセクメト女神の鼻先へそれを持ってゆく……その動作はあたかも神殿の壁などに描かれる、神々がファラオに生命を吹き込む様を再現しているかのようである。
「……⁉」
そんなことをして何になるのかと半信半疑のメルウトだったが、直後、またしても驚かずにはいられないようなことが起こった。
手に持った黄金のアンクの表面が七色にぼんやり輝いたかと思うと、レリーフのセクメト女神の目も突如、宵闇に潜む猛獣のように赤く煌々と光ったのである。
そして、ゴゴゴゴゴゴ…と地鳴りのような音を立てて、〝偽物〟であるはずの偽扉が、本当の扉の如く左右へゆっくりと開いたのだった。
「これは……」
開いた偽扉の向こう側には、真っ暗な地の底へと長い階段が続いている。
まるで冥界へと誘うかの如きその隧道に、驚き、不気味に思うメルウトだったが、もうすぐそこまで神官団の兵達が迫っている……今の彼女に入るのを躊躇しているような時間はない。
「ゴクン……よし!」
メルウトは意を決し、その地下世界への入口へと足を踏み入れた。
用心深く、二、三歩階段を下りた彼女の背後で、偽扉が再び地鳴りを上げてもとのように閉まる。
周囲がいきなり真の闇となってメルウトは慌てるが、どういう訳か一呼吸する間に自然と壁に燈明が灯り、辺りは先程よりもむしろ明るくなった。
しかし、その燈明は彼女のよく知る油に浸した芯が燃えているものでも、また、松明のように木を燃やしたオレンジ色の炎でもなく、なんというか……
その世にも珍しい明かりに照らされた、まるで昼のように明るい階段を、メルウトはおそるおそる地下へと進んで行く……。
通常、マスタバ式の墓はその地上建造物の下に深く縦穴を掘り、その底から直角に伸ばした横穴に遺体を納めるための玄室を設けてある。
それに対し、このセクメティウムの場合はそうした縦穴ではなく、地表から斜めに地下道が掘られているようなのだが、もしここが本当にセクメト女神の墓ならば、当然、女神は地下に眠っているに違いない。
そうして長い階段を下って行くと、ほどなくして開けた広い空間へと出た。
「…⁉」
瞬間、メルウトはまたしても驚きに目を丸くしてしまう。今日はもう何度となく驚かされているが、その中でも今度のものが最も彼女を驚嘆させたことであろう。
階段同様、未知の燈明に明るく照らし出されたその地下室は、広く、かなり天井も高い場所であったが、その広々とした空間を埋め尽くしてなお余りあるほどの、巨大で、眩い黄金の色に輝く牝ライオンの像がそこにはそびえ立っていたのだ。
四足で堂々と立つそのライオン像は、ギザのピラミッドの前に座るスフィンクスほどではないものの、以前、メンフィスで見たラムセス二世大王の巨大な石像を横に倒したくらいの大きさはある。
しかも、それは石でできているのではなく、なんらかの金属でできているらしい。
金色に光ってるとこからして、金? もしくは金箔を張った銅? それとも鉄? いいえ、もっと別の何かなのかも……。
そんな疑問を心の中で無意識に呟きつつ、メルウトはその巨大黄金像を見上げる。
「これが、セクメト女神……」
古文書にある〝
しかし、確かにすばらしい神像ではあるのだが、彼女の思い描いていた〝本物の神さま〟のイメージとはだいぶ違っている。もちろん、どこからどう見ても、これがセクメト女神のミイラであるようにも思えない。
そういえば、ジェセルさまもそんなようなことを言っていたけど……じゃあ、これはいったい、なんなんだろう? ……あ、もしかして、これは棺で、この中にセクメト女神のミイラが納められているとか?
「………………」
あまりの巨大さとこの世の物とは思えない不思議なその造形美に、メルウトはしばし呆然と、その場に立ち尽くして見つめてしまうのだった……。
※挿絵↓
https://kakuyomu.jp/users/HiranakaNagon/news/16817330668112845429
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