ⅩⅥ 太陽の神殿

ⅩⅥ 太陽の神殿

 その深夜。再び第13ノモス・州都ヘリオポリス……。

「ここは……」


 眼前には、煌々と光る月明かりを浴びて、蒼白く輝く巨大なオベリスク形をした建物がそびえ立っている。


 ジェフティメスに誘われたメルウトは、ヘリオポリスの中心に位置するラーの太陽神殿を訪れていた。


「そういえば、ここへはまだ連れて来ておらんかったの。ようこそ太陽神ラーの聖地へ」


 メルウトの傍らに立つジェフティメスが、ニコニコと笑いながら語りかける。

彼の言う通り、ここが古くよりエジプト全土で崇拝される太陽神ラー信仰の中心地、数ある神殿の中でも最も権威ある神殿の内の一つである。


「今宵は月の神トトにも守られて、こうして出かけるには絶好の日和…いや、夜和じゃの……さて、そんじゃそろそろ参るとするかの」


 夜空に浮かぶ丸い月と、その月影に淡くぼんやりと浮かび上がるオベリスク形建造物の三角錐の頂……その美しい光景をひとしきり眺めたジェフティメスは、そう口にすると神殿に向けてゆっくりと歩き出す。


「えっ? 参るって……今から太陽神殿にですか?」


 メルウトも驚きの声を上げながら、慌ててその後に続く。


「ああそうじゃよ。そのためにここへ来たんじゃからの」


「で、でも、突然行っても入れてくれないような……しかも、こんな真夜中に……」


 さも当然というように頷くジェフティメスに、メルウトはとても不安そうな表情を浮かべてもっともな疑問を呈する。


「いや、こんな真夜中だからいいんじゃよ。昼間では見つかってしまうからの」


「見つかる……って、もしかして忍び込むつもりですか⁉」


「シーッ!」


「あっ…!」


 老人のとんでもない発言に、メルウトは思わず大きな声を上げてしまうが、ジェフティメスに制されると慌てて口を手で塞ぐ。


「だって、そんなの無理ですよ! 夜でも門衛はいるんですから。見つからずに侵入することなんて絶対無理です!」


「なあに、大丈夫じゃよ。これまでにももう何回と入っているからの」


 そんなことすれば、まず確実に捕まって速攻牢屋行きだ。いや、それどころか、自分の身元を知られ、アメン神官団に通報されるかもしれない……。


 メルウトは小声になって必死に反論するが、対する老人はどこまでも呑気に、まるで彼女の忠告に聞く耳を持とうとはしない。


「何回も……って、そんなに何回も忍び込んでるんですか⁉」


「ああ、そうじゃよ」


「えっ? じゃあ、もしかしてヘリオポリス神官団に知り合いの人がいて、その人が内緒で入れてくれる……とか?」


「いいや。そんなもんはおらん。ま、同じように忍び込んどる仲間・・は何人かいるがの」


「そんな仲間がいたって……えっ、じゃあ、どうやって入るつもりですか?」


 そうして会話をしている内にも、二人は建物の落とす巨大な影に身を潜ませながら、神殿を囲う背の高い壁に沿って、かなりの距離を歩いて来ている。


「ハハハ。心配ご無用じゃよ。なあに、わしら・・・は神官達も知らぬ秘密の抜け道を知っておるからのう……さて、この辺りじゃったかな?」


 不安がるメルウトを他所に、笑って答えるジェフティメスはそこで不意に立ち止まる。


 そして、懐から何か小さな壺のような物を取り出すと、なにやらゴソゴソとやり始めた。


「ここからはちょいと明かりが必要なんでの……」


 わずかの後、ポッと〝火とは違う明かり〟がジェフティメスの手元で点灯する。


「なんですか? ……それ?」


 それは、明らかに燈明などとは異なる代物だった。燈明がこんな簡単に火がつくとも思えないし、見た目も……例えるならば、真っ赤に焼けた針金が逆「U」字型の輪っかになっているようなものである。それが小壺の口から伸びて、優美な曲線を描く透明な覆いの中で周囲の闇を橙色に染めているのだ。


「これは〝電球〟といっての。今では忘れ去られた大昔の技術をもとに、わしが改良して作ったものじゃ。この壺の方は〝電池〟というて、中にはワインと銅の筒が入っておって、いわば小さな雷のような力が蓄えられているんじゃがの。その力をこの細い針金に流して光らせているという訳じゃ。ま、すぐに針金が切れてしまうのが難点じゃがの……」


 ジェフティメスの説明は難しすぎて、何を言ってるのか半分も理解することはできなかったが、何にせよスゴイ道具だなとメルウトは純粋に感心する。


 こんな便利な道具、これまでに見たことがない……いや見たことがないというか……形はぜんぜん違うのだが、その〝火とは異なる明かり〟を目にし、なんだかセクメティウムの地下で見た、あの雪花石膏アラバスターのような照明器具のことをなぜだか彼女は思い出していた。


「ペルシアの方にもこの電池を作った輩がおると風の噂に聞いたことがあるが……おお、ここじゃ、ここじゃ」


 その不思議な明かりを頼りに、ジェフティメスは足下の砂を手で掻いて何かを見つける。


 暗がりの中で目を凝らして見ると、砂を退けた地面から一辺1キュービット半(約78㎝)ほどの正方形をした石の蓋のような物が覗いていた。


「さ、ちょいと手伝ってくれ。年寄りにはなかなか厳しい重さなんでの」


「あ、はい!」


 そう言って石蓋の真ん中に取り付けられた鉄の輪っかに手をかける老人に、メルウトは驚く暇もなく力を貸す。


「ウベンがいればこんな苦労をせんでもいいんじゃが、あやつは留守番に置いて来てしまったからの。ま、減らず口が多くてうっとうしいし、あの軽口が災いして神官達に見つかってしまうかもしれんから……やはり連れて来なかったのは正解じゃったと思うがの」


 確かにそんな気もするが……相変わらず、自分の弟子に対してひどい言い様である。


 だが、口ではそう言っているものの、昼間の件のこともあるし、何かあった時の用心として彼を家に残らせたというのが本当のところなのだろう。


「いくぞ? せいのっ…!」


「んぐ…!」


 そんな子弟の奇妙な関係に思いを馳せつつ、メルウトがジェフティメスと力を合わせて石蓋を持ち上げると、人一人通れるほどの四角い穴がポッカリと壁際の地面に口を開く。


「ふう…この開け閉めが毎回厄介でのう。見つからぬよう、またすぐ閉めねばならんし……」


 そんな不平をこぼしつつ、ジェフティメスのかざした明かりに穴の中を覗き込むと、そこから神殿の壁の内側へ向かって、長い階段が遥か地下へと延びていた。


「これが神官達も知らぬ太陽神殿内への抜け道じゃ。ま、正確には太陽神殿というより、その地下に眠るもう一つの施設へと通じておるんじゃがの。今は正規の入口が埋まっとるんで、こいつは仕方なくわしら・・・の手で掘ったものなんじゃ」


 そう言うと、躊躇いもなく穴へ入って行くジェフティメスに従い、メルウトもおそるおそる、その中へと足を踏み入れる。


 それから、また二人で苦労して重い石蓋を内側より閉めると、一緒に暗闇の階段を足元に気をつけながら無言で下って行った。


 どのくらい下ったのだろうか? しばらくすると階段は途切れ、今度は水平方向に隧道が続いている。


 階段の部分もそうであったが、とても神殿とは思えないような、壁にはレリーフも何もない質素な石造りである。


 横幅や天井の高さもやっと人一人通れるほどで、なんだか急拵えのような感じもする……まあ、ジェフティメスの言葉によると、今いるここは太陽神殿とは別物のようなので、それならばこんなものなのかもしれない。


 そうした感想を抱きながら進んで行くと、不意に周囲の圧迫感がなくなり、どうやら広い空間へ出たらしいことがわかった。


「ちょいと待っとってくれ……」


 そう断って、ジェフティメスは壁際でまた何やらゴソゴソとやり始める。


 すると、パチンという小気味よい音が響くとともに、一瞬にして周囲が明るい光に包まれた。


本物オリジナルはもっと明るいと思うんじゃがの。ま、今のわしら人間に作れるのはこの程度が限界じゃろうて」


 壁の天井に近い箇所にはジェフティメスの持っている照明器具と同じような物が等間隔に並び、室内を灯よりも明るい橙色の光で照らし出している……所々、光の届かない部分に闇を残したその場所は、さらに奥へと続く通路の口以外、四方の壁一面にレリーフが刻まれた大きな石造りの部屋だった。


 レリーフは彩色を施されているが、すでに長い年月が経っているのか、あちこち剥がれ落ち始めている。


「ここはの。ちょうど〝ベンベン石〟の真下に当たる場所じゃ」


 壁のレリーフを見回しながら、ジェフティメスがそう説明した。


 〝ベンベン石〟というのは、ラー神が〝ベンヌ〟という鳥になって降り立った〝原初の丘〟を表す、太陽神殿にあるピラミット型をした石のことである。


「ちょうどベンベン石を頂点にして、神殿の地下にこのピラミッド状の空間が広がっておる」


「ピラミッド? ……あのギザにあるようなのですか?」


 予期せぬ奇妙なことばかりで、思考の定まらぬままメルウトは尋ねる。


「ああ、そうじゃ。一説に、あれはここを元にして造られたとも云われておる。最初のものとされるジェセル王の階段ピラミッドもの」


「ということは、あれよりも古いものなんですか? ……いったい、ここは……」


 そんな古い時代にこんな大規模な施設、いつ、誰が造ったものなのだろうか?


「これは太陽神殿が建てられる遥か以前に造られたものじゃ。ヘリオポリス神官団の中にもこの存在を知る者はおらん。もっとも、伝承ではクフ王が探し求め、自らのピラミッド内に拵えた〝トト神の秘密の部屋〟として語られておるがの……ここはの、太古の昔に滅んだ文明の叡智を後世に伝えるため、最初のファラオ――ナルメル王よりさらに前の人間の手によって造られたものなんじゃよ」


「そんな大昔に……」


 メルウトは改めて室内を見渡す……壁一面を覆うレリーフは、神話か何かの物語を描いたもののようであった。


※挿絵↓

https://kakuyomu.jp/users/HiranakaNagon/news/16817330668253080498

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