Ⅺ 賢者の高能力値(ハイスペック)
Ⅺ 賢者の高能力値(ハイスペック)(1)
それから一時間ほど後……。
ゆっくりと朝食を済ませたメルウトは、ジェフティメスとウベンの二人について町へと仕事に出かけた。
ここへ来て三日目となるが、それまでジェフティメスの家でずっと静養していた彼女にとって、界隈を歩いて回るのはこれが初めてである。
初めて出歩く町は朝から賑やかだった……家の前の通りにはすでに物売り達が店を開き、先日、夕刻に見た時と同じようにパンや野菜、土器や雑貨類などを声高らかに商っている。
これから仕事へ出かける者、近辺の畑から作物を運んで来た農民、はたまた他の地方からやって来て、再び何処かへと旅立っていく商人などが忙しなく行き交い、田舎育ちのメルウトが気遅れするくらい、町全体が活気ある空気で満ち満ちている。
滞在中に段々とわかってきたことであるが、この町はヘリオポリスの中心、ラー神を祀る太陽神殿からさほど離れていない場所に位置し、そのために神殿から下賜される奉納品の余りものや、神殿の造営に携わる職人達の作った製品なんかが流通する市場が形成されているらしい。
だからこんなにも商人や外国人が多く、これほどまでに交易が盛んなのであろう。
「それじゃ、まずはイアウラーさんとこから始めるとするかの」
この日、最初に三人が訪れたのは、近頃、遠方とも取引を始めたというイアウラーなる商人の所だった。
「ああ、ジェフティメスの先生! ようこそお出でくださいました」
丈の長い
「おや、今日はお一人多いですな。そちらの娘さんは?」
挨拶してすぐ、彼は見慣れぬメルウトの顔を見つめて怪訝そうに尋ねる。その視線にメルウトは俯いて、なるべく顔が見えぬように努めた。
「ああ、これはわしの遠い親戚の娘でな。女だてらに学問好きなんで、わしの所へ修業に来とるんじゃよ。文字も読めるんで今日は手伝いに連れてきたんじゃ」
すると、すかさずジェフティメスが気を利かせて、嘘八百なフォローを入れてくれる。
「へえ。そうかい。そんな優秀な娘さんが親戚にいるとはぜんぜん知らなかったな。おまえさん、名前は?」
だが、そのデタラメなプロフィールがむしろ災いしてか、少なからずメルウトに興味を覚えたイアウラーは、今度は彼女自身に名前を尋ねてくる。
「………………」
当然、それにメルウトは答えることができない。
「…………? 名前はなんていうんだい?」
不審を抱かせるような長い沈黙……。
「ハハハ、この子はひどい人見知りでの。まあ、気にせんでくれ。それよりも仕事の話じゃ。今日は他にもいろいろと頼まれ事があっての。そうゆっくりもしてられんのじゃよ」
その困った状況から彼女を救ったのは、再び取り繕うジェフティメスの言葉だった。
「あ、そうでしたか。それじゃ、さっそく仕事に取りかかるとしますか。では、倉庫の方へいらしてください」
時間がないと聞くと、イアウラーもメルウトへの関心を忘れ、早々に三人を誘って建物の奥へと入って行く。
「ホッ……」
メルウトも安堵の息を吐き、ジェフティメスの機転に感謝しつつ、彼らの後に続いた。
イアウラーというこの商人はそれなりに儲かっているらしく、彼の店兼自宅はジェフティメスの家の二倍くらいの大きさがあった。
他の一般的な家と同じく、一階はすべて仕事用の空間となっているが、壁の白い塗装などはまだ新しいので、つい最近、儲けた金で増改築でもしたのかもしれない。
その一階の一番奥まった場所にある倉庫……中に入ってぐるっと見回すと、椅子だの、台だの、小箱だの、様々な雑貨が所狭しと棚や床に置かれている。
その場所でイアウラーが三人に頼んだのは、取引で集めた家具・調度類に装飾として記されている
「いや~私も
と、いうことらしい。
「どれ、それじゃ三人で手分けして読んで行くかの。記されとる
「はい。それでお願いします。土器片はそこにたくさんありますから」
倉庫の隅に置いてある土器片の入った袋を示されると、ウベンが人数分持ってきた筆とパレットを配り、三人はそれぞれに仕事へ取りかかった。紙がまだ貴重だった当時、土器の欠片がメモ用紙代わりに使われていたのである。
ジェフティメスの指示通り通り、ウベンとメルウトも品物に記された
ジェフティメスはもちろんとして、今まで知らなかったが…というか、まったくもって予想外なことに、実はウベンもかなり文字を使いこなせるらしい。
ものすごく軽い感じのチャラ男ではあるが、さすがにジェフティメスの弟子だけのことはあるようだ。
……なんか、ちょっと見直したかも……わたしも恩返しできるよう、がんばらなきゃ……。
意外に高かったウベンの能力値に感心しながら、メルウトもそんな二人に負けぬよう黙々と仕事をこなしていった。
……にしても、ほんといろんなものがあるな。
倉庫に納められていた品物は、ちょっと値の張りそうな小箱や装飾品などの小物がほとんどであるものの、中には棺桶のようにけっこう大きさのあるものもあった。
見た感じ真新しく、墓から盗んできたわけでもなさそうであるが、普通、棺桶は個人の特注で作るものなので、誰かが使うつもりで職人に製作させたが、途中、なんらかの理由で売りに出されでもしたのだろうか?
「こ、こんなものも売ってるの⁉」
また、その他にも大物には、牛ほどの大きさがある小型スフィンクス像や、
「ああ、これはジェフティメスの先生じゃないとわからないですね。こいつは店に立ち寄った旅のギリシア人と交換したものなんですが……」
よくもまあ、こんなに見境なく集めたものだとメルウトが感心していると、イアウラーがそう言って、ジェフティメスに何かを手渡す。
それは赤茶けた色をした青銅製らしき杯で、その表面には見慣れぬ文字が金で記されているのが覗える。
「ああ、ギリシア文字かね。どれどれぇ~……ふむ。これは〝女神アテナを讃える〟と書いてあるの」
その杯を受け取り、表面に刻まれた文字を目を細めて凝視すると、ジェフティメスはそんな風に読み上げてみせた。
「え⁉ ギリシア語もわかるんですか?」
二人の遣り取りを聞いたメルウトは思わず大声を出してしまう。
「ん? ああ、まあ、そこそこにの。知り合いにギリシア人がいたりもするんで、自然と身についたんじゃよ」
「へぇ…………」
ギリシア文字に目を落としながら平然と答えるジェフティメスに、メルウトは純粋に「すごいな」と感心した。ギリシア語までわかるような者は神官の中でも会ったことがない。
しかし、役人でも神官でも貴族でもなく、こんな市井の中で暮らしているというのにギリシア文字まで読めて、しかも医術の心得もあるこのジェフティメスという人物はいったい何者なのだろうか?
イアウラーの依頼した仕事を終え、代価に大麦一袋もらって彼の家を出た後、ふとそんな疑問に囚われたメルウトは、そのことをジェフティメスに尋ねてみた。
「ハハハ。わしはただの気ままな老いぼれジジイじゃよ」
しかし、いくら訊いてもジェフティメスはそう答えて愉快そうに笑うだけである。
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