Ⅸ 欲望

Ⅸ 欲望

 その日の深夜……。


 大司祭アレクエンアメンより〝テフヌトの女主人ネベト・テフヌト〟――即ちテフヌトの搭乗者に選ばれたアルセトの姿は、ルティ神殿から少し離れた所にある、廃墟と化した古い小屋の中にあった。


 穴の開いた天井から差し込む蒼白い月明かりに照らされる中、床に敷かれた亜麻布の上に寝そべる一糸纏わぬアルセトのとなりには、ウセルエンの屈強な身体が寄り添っている。


「うれしいわ。こうしてあなたと久し振りに会えたばかりか、ラーの眼イレト・ラーにも乗れるなんて……ねえ、あなたも喜んでくれる? あたしがテフヌトの女主人ネベト・テフヌトに選ばれたこと」


 彼の厚い胸板に頭を持たせ、甘えるような声でアルセトが尋ねる。


「ああ、まあな……おまえの能力が認められたってことではあるからな……」


 太い筋肉質の右腕で優しく彼女の細身を抱くウセルエンは、天井の穴から覗く星いっぱいの夜空を見上げたまま答える。


 アルセトはアメン神に仕える女性神官〝アメンの従者〟……本来なら結婚はおろか、恋愛も許されぬ身である。


 だが、彼女はその禁忌タブーを犯し、大司祭の派遣したラーの眼イレト・ラー探索隊・テフヌト担当部隊の隊長ウセルエンと禁断の恋に落ちた仲であった。


 無論、そのことはけして他人に知られてはならない秘密であるため、こうして二人はいつも人目につかぬ場所で密かに逢引きを重ねている。


「何? そのはっきりしない言い方。本当は喜んでくれてないの?」


 そんな秘密の恋人の何か含みのある言い方に、気の強さのよく現れた鋭い眼をしてアルセトが迫る。


「もしかして……少し離れてる間に別の女ができたんじゃないでしょうね⁉」


「い、いや、そうじゃない! それは誤解だ。おまえの他に女はいないし、おまえが出世することも喜んでいる。ただ……」


 あらぬ疑いをかけられたウセルエンは、慌てて彼女の悋気溢れる顔を見つめ返してそれを否定すると、再び天井に視線を向け、何か心配事でもあるかのように呟く。


「ただ、何よ?」


 言い淀む彼にアルセトは、その胸から頭を起こして再度尋ねた。


「うん……大司祭様の話によると、ラーの眼イレト・ラーは非常に恐ろしい殺戮兵器だということだろ? 現にセクメトを探しに行ったセネブアペドの隊も全滅させられている……そんなものにおまえを乗せるのがなんだか不安なんだ。しかもテフヌトに乗って、そのセネブアペド達を殺した同じラーの眼イレト・ラーであるセクメトを捕えなくてはならないなんて……」


「あら、あたしを誰だと思ってるの? あたしはアルセトよ。そんじゃそこらの家柄だけが取り柄の女性神官達とは違うわ。平民出のあたしは実力だけでここまで伸し上がってきた……ラーの眼イレト・ラーでもなんでも楽勝で操ってあげるわよ」


 だが、不安げなウセルエンに対し、アルセトは勝気な笑みをその美しい顔に湛え、自身の力を誇示するかのように豊かな胸へ手を当てて語る。


「しかし、あのテフヌトのこの世の物とは思えぬ姿を見ただろ? あれは俺達人間の想像を遥かに超えた神々の兵器だ。いくらおまえだからって…」


「大丈夫よ。そんな心配いらないわ。これまでだって、不可能と思えることをあたしは成し遂げてきたんですもの。それにこれは絶好の機会なのよ? これであたしがセクメトを取り戻し、テフヌトの女主人ネベト・テフヌとして大司祭さまのお役に立つことができれば、当然、褒美も出世も想いのまま。王女や高い地位の者しかなれない〝神の聖妻ヘメト・ネチェル〟だって夢じゃないわ。そうしたら、その時はあなたをアメン大司祭…いいえ、ファラオにしてあげるわ!」


 なおも心配するウセルエンの口を封じ、彼女は愉快そうに目を輝かせ、その女性の魅力溢れる妖艶な身体で恋人の上に覆いかぶさる。


「ファラオか……確かに野心を揺さぶり起されるような話ではあるな……」


 上に乗る彼女の黒く美しい瞳を覗き込み、ウセルエンも野心家の笑みをその顔に浮かべながら答えた。


「だが、やはりおまえに危険を冒させることは極力避けたい。どんな方法であれ、ようは俺達の手でセクメトを取り返せばいいだけの話だ」


 そして、不意に半身を起き上がらせると、密着する彼女を脇に寄せて続ける。


「さっき、大司祭様からセクメトを奪取した者の捜索隊を指揮するよう俺にも指示があった。今、レトポリスで犯人の特定を進めているようだが、どうやらセクメト神殿にいた女性神官の一人らしい。そいつが誰だかわかり次第、俺も隊を率いて近隣の町を回ることになる」


「ふうん……その子はいったい、どんな子猫ちゃんなのかしら?」


 アルセトは艶めかしい仕草で彼の首に手を回すと、ふざけたように言う。


「さあな。だが、いくらセクメトの女主人ネベト・セクメトといえど相手も人間だ。飯も食えば、眠りもする。ずっとラーの眼イレト・ラーに乗ってるわけにもいくまい。のんびり外に出ているところを俺が捕えてやる。その後、おまえは安心してセクメトを確保すればいい」


「フフ。それは頼もしいわね。あたしを心配してくれてありがとう、ウセルエン……でも、あたしはもっと自分が活躍するようなやり方でセクメトを捕えたいわ。それじゃ競争よ。あなたがその娘を生身で捕まえるか、それとも、あたしがテフヌトを駆ってセクメトごとそいつを捕えるか……」


「フン…なんとも欲深な女性神官だな、おまえは……」


 悪戯猫のような上目づかいで見つめるアルセトを、ウセルエンはそう言って再び抱き寄せる。


「ええ。だからこそ、こうしてあなたもあたしのものにしたんですもの……」


 アルセトも、そう答えるとウセルエンの唇に自らの唇を重ね合わせた――。

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