Ⅶ もう一つのラーの眼(イレト・ラー)
Ⅶ もう一つのラーの眼(イレト・ラー)
下エジプト第11
行き倒れたメルウトがヘリオポリスにあるジェフティメスの家で介抱されている頃、デルタ地帯をさらに北に下ったこの町の古い神殿に、アメン神官団の大司祭アレクエンアメンの一団が到着していた。
レバノン杉で作られた豪壮な舟でナイルを北下した一行は、町に上陸するとまるでファラオででもあるかのような物々しい従者を引き連れて、朽ちかけたルティ神殿の方へと仰々しく向かって行く。
古びて、もう長いこと手入れもされていないような石造りの神殿ではあったが、周囲には石材や土を運ぶ大勢の人夫達が行き交い、慎ましげな建物とは似つかわしくない、妙に活気ある空気が辺りを支配している。
そこは、古くよりこの地で信仰される二匹のライオンの神ルティを祀る神殿であり、ルティ神はテフヌト女神とその夫であるシュウ神の夫婦とも同一視される神である。
「おお! これはようこそお出で下さいました。大司祭アレクエンアメン様!」
遠くからでもかなり目立つ、日傘やら大団扇やらを掲げてやって来るその豪勢な一団に気づくと、白い
歳はメルウト達を襲った警備兵の隊長セネブアペドと同じ20そこそこだが、彼よりもさらに筋骨たくましい、目つきの鋭いマッチョな青年である。
「おい! 皆の者、大司祭様のおこしだぞ! 頭が高い! 控えい!」
青年は大司祭に挨拶し、振り返って人夫達にもそう叫ぶのであったが。
「かまわん。そんなことよりも作業を進めよ」
大司祭は素っ気なくそう答えると、彼の前で歩みを止めることもなく、そのまま牡牝二対のライオンのレリーフに挟まれた神殿の塔門を足早に潜った。
そうは言われても、雲の上の人物を目の前にして本当にこのまま作業を続けていいものかどうかと迷いながら、人夫達はおそるおそる自分の仕事へと戻ってゆく。
門を潜り抜け、そんな人夫達のことなどまるで眼中にないようにして中庭を進む大司祭が青年に尋ねた。
「ウセルエン、作業の方はどうなっておる?」
「はっ。順調に進んでおります。あと二、三日の内には掘り出せるかと」
すぐに後を追ったウセルエンと呼ばれるその監督官が、大司祭の横に並び素早く答える。
「急げ! すぐにでもテフヌトが必要になった」
「すぐに? ……どういうことですか?」
「もうよい。そこらに控えておれ……」
大司祭は日傘と団扇を持った従者をそう言って下がらせると、なおも歩きながら小声でウセルエンに説明する。
「セクメトが何者かに奪取された。どうやら、すでに〝
「なんですって⁉」
ウセルエンは思わず声を上げそうになり、慌てて音量を落として続ける。
「セクメトの探索を任されていたセネブアペドは何をしていたんですか?」
「ヤツは死んだ。探索隊の兵達もろともな。神話同様、セクメトを奪った者は殺戮の限りを尽くしたと見える」
「愚かな。
大司祭の言葉にウセルエンは奥歯を噛みしめ、悔しそうな、呆れたような顔をする。
「そこでセクメトを捕えるのにテフヌトが必要となったという訳だ。そのために今日は〝
厳めしい表情を変えることなくそう説明を終えると、大司祭は背後を振り返って従者の方に呼びかける。
「はっ!」
すると、待機している従者の一群から一人の少女が音もなく歩み出た。
あの、大司祭にテフヌトを任された、〝アメンの従者〟と呼ばれるアメン神官団版の女性神官アルセトである。
アルセトは猫科の動物のようにすらりと伸びた脚を静々と走らせ、すぐに大司祭達の後に追いつく。
「……⁉」
大司祭は彼女を見ることもなく再び歩き出したが、ウセルエンはなぜだか少し驚いた様子で目を見開いて彼女の顔を見つめる。
一方、アルセトの方も澄ました表情を崩さぬまま、彼に意味ありげな視線を悪戯っぽい眼差しをして送った。
そして、三人はそれほど広くもない中庭を突っ切ると、至聖所のある神殿奥の建物内に足を踏み入れる。
しかし、本来はその頭上にあるはずの屋根は取り外され、
また、一対のルティ神像の置かれた至聖所にあたる深奥の部屋では、現在、床に敷かれた石畳を剥がす作業が行われており、その剥ぎ取った平たい石を人夫達がもっこを使って外へと運び出している。
見ると、どうやらその下には地下空間が広がっているらしく、裸になった地面には大きな丸い穴がぽっかりと黒い口を開けていた。
「よい。そのまま続けよ」
その大穴の縁まで進むと、またも人夫達は大司祭に畏まろうとするが、彼はそれを手で制し、大穴の中を覗き込む。
「おおお! なんと神々しい……アルセト、これがラーの娘にして湿り気の神――
大穴の中にある物を見て、大司祭は感嘆の声を上げる……そこには、広大な長方形の地下室いっぱいに、眩い白銀の光を全身から放つ巨大な牝ライオン像が納まっていた。
「これが……あたしのものに……」
続いて覗いたアルセトも、目を見開いて驚きの言葉を呟く。
「私もこれを見つけ出した時には、正直、心臓が口から飛び出るほどに驚きました。まさか、地元の古老が語った伝説通り、本当にこのような物が眠っていたとは……今、全力で床石を剥がす作業に取り掛かっておりますので、明日にでも外へ運び出せるようにはなるかと思います」
続いてウセルエンも発見当時のことを思い出し、感慨に耽りながら大司祭に報告する。
「うむ。その調子で作業を急がせよ……しかし、よくぞ探し当てた。褒めてとらすぞ、ウセルエン。が、このこと、よもや外には漏れていないであろうな?」
「はい。人夫はすべてテーベから連れて来た者を使っておりますし、彼らにも〝
お褒めの言葉はいただいたものの、なおも用心深い眼差しを向けてくる大司祭に、ウセルエンは歯切れよく、言い淀むことなくそう答えた。
「ならばよい。今はまだ、我らの他に知られてはならぬ国家の重大極機密だからな。もし少しでも外に漏らそうとするような者あらば、情け容赦なく即座に処分するのだ……にしても、このテフヌトのなんとすばらしいことか……まさに太古の叡智の結晶だ。どうだ、アルセト? 実際に
「はい……こうして見ているだけでも、その秘められた力を肌で感じます……『テフヌトの書』を読んで想像はしていましたが、まさかこれほどのものだとは思ってもみませんでした」
大司祭の質問に、アルセトはライオン像の銀色の肌へ目を釘づけにしたまま答える。
「そうであろう。神の造りし史上最強の兵器であるからな……その強大な力が、このエジプトを滅亡の危機より救うこととなる」
大司祭もいつになく心を動かされた様子で、やはり白銀の巨体に目を見張ったまま彼女に語り始める。
「よいかアルセト。何度も申しておるが、テフヌトをそなたに任すにあたり改めてもう一度言うておく……現在、このエジプトは危機的状況に置かれている。かつて、この国の最大の脅威は隣国のバビロニアであったが、その大国バビロニアも今は存在せぬ。もとはメディアの属国であったペルシアが勢力を拡大し、逆にメディアを併呑したかと思うと、バビロニアはおろか、もう一つの大国リュディアまでをも滅ぼしてしまった。大帝国と化したペルシアの次の狙いは、無論のことこのエジプトだ。そう遠くない日、ヤツらは地を覆い尽くすほどの大軍を率いて、我らの土地へ攻め込んで来ることであろう……」
「それに唯一抗すべき力が……この
現実味を帯びた不安がひしひしと伝わってくるその話に、アルセトは大司祭の険しい横顔にようやく視線を移しながら訊き返す。
「そうだ。アメン・ラーの息子たるべき神聖さを失った今の王家に、ペルシアの侵攻を食い止める力は最早ない。現在のファラオ、イアフメス二世は平民から成り上がり、先代のアプリエスから王位を奪ってファラオとなった
「本当に。あさましき偽りのファラオですわ」
アルセトはおべっかを使うかのように、大司祭の言葉に賛同して合いの手を入れる。
「その前はヌビアのクシュ王国に支配されていたし、さらにその前はリビア人傭兵から出た王族がてんでにファラオを勝手に名乗り、エジプトを細切れにしてしまっていた。それに比べて見よ! アメン神を厚く信奉していたエジプト人の王朝がいかに強大であったことか!」
語る内にアメン大司祭としての誇りと使命感が湧き上がってきたのか? それとも、実際にこのような太古の遺産を目の当たりにしたことによる心理的影響なのか? 大司祭の声は次第に熱を帯びてゆく。
「その昔、今と同じ〝イアフメス〟の名を持つ
「すべては、偉大なるアメン神のご加護でありますわね」
「さよう。そして、この歴史を見てもわかるように、常にエジプトの繁栄を支えてきたのは我らアメン神官団だ。今こそ〝
「お任せ下さい、大司祭アレクエンアメンさま。このアルセト、ご期待を裏切ることなくテフヌトを駆り、すぐにでもセクメトを御前に献上してみせましょう」
高揚した大司祭の命令に、アルセトは跪くと、少々大袈裟な仕草でこの最も権威ある老神官に対して誓いを立てる。
「うむ。まずはその問題からだな……太古の昔に造られた
「ハッ! 皆の者! アメン大司祭アレクエンアメン様のご命令である! 一刻も早くライオン像を地中より掘り出すのだ!」
大司祭の叱咤激励に、ウセルエンは威儀を正し、神殿内にその厳めしい声を響かせた――。
※挿絵↓
https://kakuyomu.jp/users/HiranakaNagon/news/16817330668507880364
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