Ⅴ 赤く染まる景色

Ⅴ 赤く染まる景色

「――ううん………ううぅ……」


 ベッドの上でうなされながら、メルウトはあの日起きた悪夢のような出来事を夢の中で思い出していた……。


「――敵を、抹殺する!」


 ジェド柱室の中で、そんな謎の女の声を聞いたメルウトは、その瞬間から自らの意思を失った……そして、女の冷徹な声に言われるがままに、自分を傷つけようとする者達の排除をなんの躊躇いもなく行い始めたのである。


「ガォオオォォーン!」


 攻撃の意思を持ってメルウトが牧杖ヘカ管と殻竿ネケク管を強く引くと、黄金の牝ライオン像は咆哮を高らかに上げ、両の前脚を大きく乱暴に振り回す。


「うわあああっ!」


 その動きに、脚に巻き付けた綱を握る神官団の兵達は、突然、綱ごと宙へと勢いよく放り出された。


 その大縄で動きを封じたような気になっていた兵達であるが、彼女が本気になれば、このような拘束、いとも簡単に解くことができるのだ。


 ゴゴゴゴゴゴ…とまたも周囲に響き渡る地鳴り。


 さらにメルウトが頭の中で両の足に力を込めるように思うと、今度はライオン像の後脚が地下室の壁を蹴って、地中に埋もれていた下半身を地上へと出現させる。


「……で…デカい………」


 綱に捕まったまま地面に叩きつけられた兵達や隊長のセネブアペド始め、弓や槍を持つ者達も皆、同じ恐怖の感情を抱きながら、その金色に輝く巨体を震える瞳で見つめる。


〝殺せ……敵を殺せ……〟


 だが、そんな相手にも容赦することなく、メルウトの頭の中にまたも女の声が響く。


「…………敵を、殺す!」


「ガォオオオーン!」


 その声に従い、ぼんやりとした眼差しのメルウトはライオン像の右前脚を大きく振り上げると、そのまま綱を持っていた兵達を横殴りに殴り飛ばした。


「うごはっ…!」


 その一撃で、三人ほどの兵が血反吐を吐きながら宙に舞う。


「うごっ…!」


 続けて左前脚も同じようにブン…と振り下ろすと、またも三人の兵がドフッ…! という鈍い音とともに、真っ赤な血飛沫を上げて空中へと吹き飛ばされる。


「……ゆ、弓だっ! 弓を放てっ! 槍を投げろっ!」


 隊長セネブアペドは眼前にそびえ立つ巨影に慄きながらも、それでも勇気を奮い立たせて部下達に攻撃を指示した。


 …ピシュ…ピシュ…ブンッ! …ブンッ…! と間断なく周囲に響く風切り音……その号令に残った兵達もなんとか気を取り直し、ライオン像目がけて矢や槍を次々と放ってゆく。


「くっ……!」


 しかし、それらが当たる寸前のところで、メルウトはライオン像を素早く横に跳躍させてこれを避ける。


〝立ち上がれ!〟


「……!」


 直後、彼女は謎の声に導かれるまま、さらに驚くべきことを兵達の目の前で行ってみせた……一旦、地面に着地し、今度は上空へと牝ライオンの像を飛び跳ねさせたかと思うと、なんと、目にも留らぬ速さでそれを〝変形〟させたのである。


 金属の軋む耳障りな音を立てながら、優美な後脚が膝下から折り畳まれ、その代わり人間のように真っ直ぐ伸びた二本の脚が現れる……。


 前脚の付け根がそれまでの身体の下から胴の真横へと移動すると、鋭い爪を持つ掌からは、より物を掴みやすい指を持った人の手が突き出される……。


 そして、首が身体に対して垂直方向に折れ、背中が猫科の動物特有の曲がったものから真っ直ぐに伸びると……そこには、牝ライオンの頭を持つ、獣頭人身の巨人が屹立していた。


 変形し、地面に降り立ったその巨人の影が、動きを止めた兵達の上にのしかかる。


 ライオン像の時にも大きく感じたが、人間のように直立した今の高さは35キュービット(約18・2m)ほどはあろうか?


「か、神だ……セクメト女神だ……」


 見上げる兵の一人が、思わずそんな言葉を呟いた。


 降り注ぐ太陽の光を浴び、眩い金色に輝くその胸にははねを広げたスカラベ(※タマムシコガネ)の形をした飾りが神々しい七色の光を四方に放っている。


 また、その右手には変形時に分離した尻尾が握られているが、しなやかに屈折させるために設けられた多節の蛇腹構造が今は隙間なく締り、睡蓮の鋭く尖った三角形の花弁を先端に持つ長い一本の杖と化している。


「これが……ラーの眼イレト・ラー・セクメトの本当の姿……」


 隊長セネブアペドも、大きく目を見開いて譫言のように口を開く。


 変形後、人間と同じく顔が胴に対して90度の角度を向いたのに合わせ、首の後と左右の装甲板がせり上がり、まるでたてがみを思わす頭巾をかぶっているような姿に今はなっているが、それはまさしくセクメト女神として作られる神像そのものだ。


 さらにその牝ライオンの前頭部には、太陽神ラーを守る〝ラーの眼イレト・ラー〟の象徴ともいうべき聖なる蛇〝ウラエウス〟のように、口を開けたコブラの飾りまでが突き出している。


「ライオンが……セクメト女神に変わった……」


「す……姿を変えられるのか……」


 大地にそびえ立つその黄金の女神の神々しき雄姿を、すべての兵がただただ茫然と見上げていた。


〝……殺せ……愚かな人間どもを殺せ……〟


 そんな兵達の様子を、女神像の中の透明な壁を通して眺めているメルウトの脳裏に、再びあの女性の声が響く……。


 声ばかりでなく、この不可思議な女神像の動かし方も、自然と彼女の頭の中に流れ込んでくるようだった。


 今、ライオンから人型に変形させたのも、そうしたこの像自身の意思とでもいうべきものの導きである。


「……人間どもを……殺す」


 その声に、最早、完全に意識を取り込まれているメルウトは再び素直に従った。


 彼女はセクメト女神像の右手に握られた杖を大きく振り上げる。


 そして、蛇腹構造が緩んで多節の鞭のようになった杖を、無抵抗な兵達目がけて容赦なくブン…! と振り下ろした。


 ズシャッ…! と微かに聞こえる薄気味悪い嫌な音……鞭の先端に付いた鋭利な睡蓮の花弁は高速で空を切り裂き、一振りで四人の兵が声を上げる間もなく胴を真横に切断される。


 ブン…!


「ひ……」


 続けざま、ブン…返す鞭でさらに三人の人間が、ズシュ…とまたも嫌な音を立てて上半身と下半身を切り離される。


 何が起こったのかもわからず立ち尽くす他の者達の目の前で、〝上〟のなくなった7人の下半身はわずかの時間差を置いてバタバタと連続して倒れ、噴き出した大量の鮮血で乾いた大地を真っ赤な色に染めた。


「………ば……バケモノだ……」


「……に……逃げろおおぉぉぉーっ!」


 地面を覆う血の海に酔いしれるかのように、その猛獣の眼を真っ赤に光らせて迫る女神像お前にして、残ったセネブアペドと兵達は一斉に悲鳴を上げて逃げ始める。


 その恐ろしい姿は創世神話に聞く、虐殺の限りをつくしたセクメト女神そのままである。


「……だめだ……あれはまさに神だ……とても人間の敵うような代物じゃない……」


 伝説に聞く女神の力を目の当たりにして、セネブアペドは自らの任務を放棄し、他の者達もただただ命の救われることだけを願って谷間の道を全速力でひた走る。


「…………逃がさない」


 だが、セクメトの意識と一つになったメルウトは、そんな無力で無抵抗な人間達をも見逃しはしない。


〝……燃やせ……己が敵をすべて焼き尽くせ……〟


 謎の声に従い、前頭部にあるコブラの周りにバヂ、バヂ…と電流が走ったかと思うと、女神の頭上に視認できるほどの赤い円形をした高エネルギー場が形成される……それは、あたかもセクメト女神像の頭部に付けられる太陽円盤の如きである。


「……すべてを……焼き尽くす!」


「ガオォオオーン!」


 そして一声、大きな咆哮を周囲に響かせると、女神像はそのウラエウスのようなコブラの口から、兵達目がけて太い紅蓮の火柱を噴き出したのであった――。


※挿絵↓

https://kakuyomu.jp/users/HiranakaNagon/news/16817330668745953127

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る