第9話

 その後も食事中でさえ「どんな子だ?」「どこで知り合った?」というのを遠回しに根掘り葉掘り聞いてくる二人を何とかかわしながら二階へルークは上がっていく。この家は二階建てで二階がルークの部屋である。クレメンテと母親は何かがあった時のために一階で寝ているのだ。


「ルーク?もう寝るの?ちょっと見せたいものがあるんだけど…別に何かしようってわけじゃないのだけれど…ほんとよ?だから私の部屋に来ない?」

「奥様、それは露骨すぎかと…」

「そう?なら…どうすればいいのかしら」

「この私にお任せを……坊ちゃま、珍しい菓子が手に入ったのですが、奥様と一緒にお茶でもいかがでしょうか」

「それよ!!クレメンテ!」

「恐悦至極でございます」


 下から聞こえてくる話声をルークは無視する。全部丸聞こえだけど、わざとやっているんじゃなかろうか。

 その手の話題でなければ母親とお茶するのはやぶさかではないが、それじゃまるで菓子につられて出てきたようになるから嫌だった。ドアノブに手をかけた時、また話が聞こえた。


「あら、反応がないわ」

「むっ…どうやら今日は本当にお疲れの様子」

「そうね、そっとしてあげといた方がいいのかしらね」


 ようやく追及の手を弱めてくれるようだ。二人はルークのことになると時たまポンコツになるので困ったものだ。貴族だったころなんか屋敷に来ていた使用人の髪飾りをほめただけで延々と「幼児はいけません、幼児だけはっ!!」と訴えられた。どういう目で僕をみているんだ!?とこの時ばかりは叫びたくなった。

 そこまで思ってくれているとうれしく思う反面やはり過剰だなと迷惑に思うこともあるわけで。

 もっとも鉄のように熱しやすく冷めやすいのも二人である。一旦落ち着けばルークがうっかり地雷を踏まない限り再燃することはないだろう。安心して寝られる。そう安堵してルークはドアを開けた。

 貴族のころとは比べ物にならないほど小さな部屋。この家は正面から見るとでかく見えるが、それは横と高さが大きいだけで縦の長さはとても短い。なので一部屋はベッドを置くだけで手狭になるほどである。他の部屋はトイレやバスなどになっているためここ以外は使えないのだ。


 そこで風呂に入っていないことに気づいたが、今すぐにでも寝たかったので明日の朝入ることにする。そして着の身着のままベッドへと飛び込もうとしたそのとき

 


「まって…」


 固い声。

 なんだ?もうやめてくれ。


「クレメンテ…ルークは疲れているのよね」

「はい。奥様」


 ゆっくりと確かめるような声に、これまたゆっくりと単語を区切る返答。


「それもすぐに寝てしまうほど」

「はい」

「帰りも遅い」

「その通りです奥様………」


 ジグソーパズルを作るときのように一つずつ確かめあっていく二人。しかしそのパズルの完成形が真実だとは限らない。だが当然二人にそのことなど頭の片隅にもない。

 


「「!?」」


 顔も見えないはずなのに今二人が見つめあっているのがなんとなくわかった。

 あぁ、この二人は自分から地雷を踏みぬきに行っているのだ。ただしそれで爆死するのはルーク。解せない。二人の脳内で何がでっち上げられているのか、考えたくもなかった。


「ま、まさか…ルー、クは」

「お、奥様、おき、おき、き、きを確かにっ」


 お気を確かにと言いたいのだろうが気が動転しているらしくひくついた渋い声が下から響いてくる。


「ルークが…」



 ルークはそこで何も言わずにドアの向こうへと入ると、すぐさま自分のベッドへ飛び込んだ。まどろみはすぐに彼の意識を奪っていった。下で誰かがすごく騒いでいたがそれを気にすることなくルークは夢へと落ちていく。ただ、最後に聞こえた「大人の…」という単語を聞いて無意識に微笑みながら彼は眠った。



 翌朝。ルークはバスルームにいた。バスといっても貴族時代の名残でそう呼んでいるのであって実際はシャワールームに近い。浴槽らしきものはなく、屋根に設置された水槽につながっているホースが壁にぶらんとかけてある。このホースにはバルブが取り付けられていて、これをそのまま捻ると冷水が出てくる。一応ホースのすぐ近くに設置された魔導具で温めることもできるが、冬ではないし、水槽の水は案外温かいものなのでそのまま捻った。

 キュッという音に少し遅れて水が出てくる。重力で落とす仕組みなので勢いは強くない。なら一階に設置すればまだいいのだが、そもそもこの家にはこのようなシャワールームはなかった。大抵の人々は大衆浴場に行くためだ。だがクレメンテがルークたちを迎え入れる際、ルークの母親に配慮して空いていたスペースに急遽作ったため二階にある。

 雨のような優しい水に打たれながらルークは呆けていた。彼は実は朝が弱い。起きられないといったタイプではなく、起きられはするが完全起動までに時間がかかるタイプなのだ。

 まだ意識は覚醒していない。とろんとした瞼で舟をこぎながら時々壁に頭をぶつける。そのたびに一瞬目が開くが、また舟をこぎ始める。そうしてかれこれ三十分以上シャワーを浴びていた。


「坊ちゃま、風邪をひきます。早くおあがりください」


 ゆらゆらと揺れるルークの意識に響く声。クレメンテの朝は早い。家の掃除、洗濯、料理。それらを別の家へ奉公しに出かける前に済ませる。初めての家でも完ぺきに仕事をこなし、帰っても夜遅くまでこの家の仕事を行うクレメンテは一体いつ寝ているのだろう。

 そんなことを思いながらふらふらとやっとのことで上がる。体をふいていると、下から香ばしいにおいが漂ってきた。ジューッと油のはじける音とともに塩気をまとって漂うそれは頭にかかっていたもやが晴れるほどのいいにおいで、ルークは急に腹に熱を感じた。それでも彼は急いだりせずゆったりと服を着替える。それは当然その方が大人びているからだ。大人は空腹で慌てて食卓につきやしない、という考えだ。

 きっちりと襟のボタンも留め、ゆっくりとした足取りで階段を下っていく。ここは日の当たりにくい場所に建っているので、全開にしてある窓から差す光は家全体を照らすには不十分だった。ただ、玄関からのびるカーペットを主役のように照らしている。まるでそこが花道であるかのように。ルークはなんとなくその光景が好きだった。厳かというか神秘的というか、何気ないのかもしれないが彼にとってこの時間帯のそこは特別な場所だった。

 階段の端はちょうどそのカーペットの途中に接していてそこを彼はゆっくりと歩く。シャワーで湿った髪を日光が照らす。そうしてルークが食欲を掻き立てる匂い漂う部屋へと足を踏み入れると、いついかなる時もまっすぐな老紳士が出迎えてくれた。


「坊ちゃま、おはようございます、本日の朝食はベーコンエッグと…」


 ルークの朝が始まった。



「シド。ナインの居場所のあてってある?」

「しらねぇよ、俺でもしらないことだってあるんだぜ」

「使えないね」


 そういうとロクは持っていた空の弾倉をポイっと放り投げるとキャッチした。ぎしっと彼の動きでソファーが音を上げた。それをぶすっとした目でシドが見ながら言う。


「ふん、知ってても教えてやるかよ。それよかどうだCASTERの5は?」

「悪くないよ。消費量も7に比べてずっと少ない。オーバーヒートも起こさなかった」

「それなら連続使用にも耐えうるか…」

「そうだね。しかしその前にあれはなに?」


 肘を組んで考え込むシドにロクは尋ねた。


「あれ?」

「あの声だよ」


 ロクがいうのはあの『Empty!』と叫ぶ音声だ。


「はははっイカすだろ?」

「アホなの?どうしてわざわざ敵にリロードのタイミングを知らせる?」


 笑うシドにうんざりといった風にロクは言った。


「天才のこの俺にアホか、お前も大概だな」

「なにが」

「まあ、許してやろう」


 そう言ってシドはロクの座るソファーに立てかけられていたCASTERを手に取った。鞘から刀を抜き出し、表面を眺めた。どうやら損傷具合を見ているらしく、ぶつぶつと「熱変性は…」と呟いている。


「ちょっと」


 ちょうどシドはロクの後ろに立っていたためソファーに首をのせてロクはシドを見上げる。


「んーなんだ?」


 シドは見分していたため適当に返事する。


「さっきの答えを聞いていないよ」

「は?さっき言ったぞ」


 そこでシドは顔を上げて言った。が、言われたロクにはピンとくるものがなかった。


「?」

「イカすからだ」

「そう」

「ああ」


 少しの沈黙。それからロクはおもむろに立つと、シドの横を通り過ぎて店の入り口に立った。


「帰るのか?」

「うん、夕飯時だからね」

「食べていけばいいじゃないか」

「いや、食材買うついでに寄り道するつもりなんだ」

「へぇ、どこに」


 何気なく気になったのでシドは尋ねてみた。


「ブルーローズ」

「へぇ」

「じゃあね」


 ……………。ガチャッ。


「いや待てよっ!!」


出ていこうとするロクの肩をシドは慌てて駆け寄り、止めた。


「なに?」

「怒ってんのか?」

「おお、わかるのかい天才くん」


 皮肉たっぷりにロクが言って見せるとシドは普段の不遜な態度とは違い、珍しく困った顔をした。さすがの彼でもボコされるのは嫌らしい。ロクは肩に置かれた手をゆっくりとおろしながらシドの方を向いた。


「ポータルが使えないならお前を保護する必要はないからね」


 ど正論だった。


「ぐっ…だがぁっ!俺がいなくなったら武器はどうするんだ?」

「なにか勘違いしているようだけど…お前の武器、使いにくいよ」

「な…にぃ?」


 シドは驚くが何も不思議なことではあるまい。強力な性能と産廃な欠点を兼ね備えた武器はある局面では強く、ある局面では弱いどころかむしろ使えない害悪にしかならない。いついかなる時も荒事が起きかねない世界に生きているものにとって、オールマイティというのは必須だ。その戦場は泥の足場があるかもしれない、水があるかもしれない、火があるかもしれない。その相手は遠距離を得意とするかもしれない、長期戦を得意とするかもしれない、短期決戦を得意とするかもしれない。


 どの状況、どの相手も常に一定の力を出す。それは勝つためのスタートラインであり、生死を分けるデッドラインであるのだ。それは常にフィフティーの勝機を求めるもの。シドの作る武器はそれとは真逆。ゼロか、百か。極端に言えばそれをコンセプトにしている武器なのだ。


「ありえん…俺の武器が、使いにくいなんて」

「俺はお前がわからんよ」


 万物切断の剣(高度な魔力循環技術必須、リロード必須、時間制限あり、謎システムボイスあり) 


 字面を見れば使いにくいのは一発でわかりそうなものだが。


「し、しかしお前は仮に万が一そうだとしても使ってるじゃないかッ。それはどういうことなんだ?」

「別にこだわりはない。強いて言えば安いから」

「それはお前が金を払っていないだけだろう!?」

「人聞きが悪い。貸しを返してもらってるだけだ」

「……押しつけがましいな、おい」 


 覇気のない声でシドは突っ込んだ。

 実はシドは毎度何かと理由をつけてロクに武器代を踏み倒されている。それでもシドがロクに武器を渡すのは彼が唯一武器を使い続けてくれるから。それは評価している、とは現段階では断言できないが、シドはそう思っている。なので先ほどの「使いづらい」発言は相当こたえていた。

 武器を作っても売れず、評価されず、文句を言われるばかり。普通なら折れてしまうだろう。彼の天上天下唯我独尊はそんな状況に対する反抗なのかもしれない。だが今やロクは去ろうとし、さらには自分の命の灯が消えようとしている。今までのどんな状況よりも過酷な「詰み」を目の前にして、ついにシドは膝を折ろうとしていた。

 だが…。


「冗談だよ」

「まじでそういうのヤメロや……」


 本気の声だった。


「使いにくいが強い時は強いからな、安いし貧乏案内人は仕方なく使うさ」

「お前…」

「そんな顔やめろよ。そっちの気はないからな、本当はナインを探すつもりだった…いや、あいつが釣れるのを待つつもりだったのさ」

「なるほどな。釣れるとは言いえて妙だな」

「というわけだ。久々の依頼なんで張り切っていってくるよ」


 そう言ってロクは手を振って店を出ていった。シドはそれを見送るとソファーにドスンと座り込んだ。おもむろに服の内ポケットからウィスキーの入った瓶を取り出すと、琥珀色の液体を喉に一気に流し込んだ。ジワリと後からくる胃の熱さに涙をにじませるとシドは天井を見上げた。


「強い…か」



「よぉ」


 ギルドの扉を開け入ってきた男を見てギルバートは声を上げた。


「相変わらず暇そうだね」

「そういうお前も、と言いたいところだがここに来たってことは仕事か?」

「そうだよ」


 ギルバートはその返事を聞くと頬杖をついてため息をついた。


「だらけるなよ」

「けっ、ひっどいねぇ~。客の時はあんなに愛想よかったのにさ」

「客になったら愛想よくしてもいい。だが今は俺が客だからね」


 ギルドのカウンターはいつも大盛況。なのだがギルバートのカウンターだけ閑古鳥が鳴いていた。それもそうだろう。横を見れば花のある乙女たちが快活に、覇気にあふれ、依頼を紹介している。それを聞く冒険者はでれでれだ。本当に聞いているのか心配になる破顔具合だ。しかし、よくみると男に限らず女も全員ほかの受付嬢に流れている。


 冒険者というのは命を張る仕事だ。正確な情報が必要となる。ギルドも情報の質を一定にする努力はしているだろうが、完全とは言えない。

 となると冒険者は情報の窓口である受付員の態度で情報の精度を判断する。元気はつらつとした女性受付嬢とギルバートのような無精ひげを生やした昼行燈のような輩の二択があった場合、男女性別問わず前者に流れるのは自明の理だった。

 

 それでも薬草採取など簡単な仕事であれば勤勉さによる情報精度の差はそれほどでもない。主な群生地と注意すべきモンスターの情報を提供するだけで済むからだ。しかしギルバートの列には人は誰もいない。それにはもう一つ彼が忌避される理由が関係している。


「さぁ、仕事、仕事」

「ったく…しゃあないなー」


 間が抜け、気だるそうにギルバートは動き出し、カウンターの奥へ消えていった。カウンターの奥は書庫になっており、古今東西の資料が集まっている。その情報量は下手な図書館を超え、さらには各地にあるギルドとの通信によって調べられないものはないといわれている。なのだが。


「まだ何も言ってないんだけど…」


 カウンターで男がそう呟いてからほどなくして


「……ZZZ……」


 奥からいびきが聞こえてきた。驚くべきことにギルバートは仕事をするふりをして寝に行ったのだ。なんという怠惰。彼は即刻クビになってもおかしくない。けれど彼はここにもう五年は勤めている。そして五年前からもこの態度であった。


「そんなに仕事がしたくないんですか?」


 男は微笑を浮かべたままカウンターの天板を握りしめた。めしっという音がして、指がわずかに板に食い込む。それでもギルバートが起きる気配はなかった。代わりに隣で受付していた女性がか細く悲鳴を上げた。


「ふぅ…仕方ない。上に掛け合うか」


 まさかカウンターを乗り越えてひっぱたきに行くなんて言うこともできないので、男は怯えさせてしまった受付嬢に軽く会釈をすると階段の方へと向かっていった。「STAFF  ONLY」と掛札があったが彼は気にすることなく上っていく。二階へと上がるとそこは、木製の床だった一階の粗野さとは異なり、ふかふかと柔らかなカーペットが上品にひかれていた。深紅の帯にところどころアクセントとして金が混じっているそれは明らかに一般人が来ていい場所ではなさそうである。現にそのカーペットがひかれた廊下を資料を両手に忙しそうに駆け回るギルドスタッフは階段の前に立つ男を見て「誰だこいつ?」という目をしていた。

 男は周囲を見渡す。偶然目が合ったスタッフたちは慌てて目をそらし足早に去っていった。それを微笑みを浮かべながら見ていた男はやがて歩き出す。道の真ん中を堂々と歩く見慣れない人物に怖気づいて人々は道を空けた。それに男は会釈する。そして、忌諱の目で見られながらも二階の奥にある部屋の前に着く。その部屋は大きな木製のドアで塞がれており、ドアの上には「ギルド長室」と書かれている。


 コンコン、と男はためらいもなくノックする。するとすぐに奥から女性の声で


「なんだ」

 

 と返事が返ってきた。


「ロクです」

「入れ」


 意外なことにすんなり男はこのギルドトップの部屋に招き入れられた。後ろでたまたまその様子を見ていたスタッフも唖然としていた。


 男はぺこりと頭を下げながらドアを開けて部屋に入る。部屋は豪華と思いきや、一階と同じように固い木の床で内装も簡素であった。ただ、夥しい量の資料が散在しており、来客用のソファーも資料に埋もれていた。正面の机など言わずもがなである。机の上に置かれた資料の山の上部からぴょこんと青い髪が見えている。その頭はわずかながら揺れており、それと連動してペンを走らせる音が絶え間なく響いていた。


「お仕事中にすみませんね」

「心無い謝罪などいらん」

「相変わらず厳しいことで…」

「用件は?」

 

 冷たい声で青い頭が告げる。それに男は苦笑いを浮かべた。


「ああ、その用件なんですけどね。忙しそうですしやっぱり今度にします」

「めんどくさいやつだな。いうだけ言って帰ればよかろう」

「それなんですけどねぇ、やめといた方がいいかなって」

「はっきりしないな」

「すみません」


 頭に手を当てながら男は謝った。青い髪はよくわからない男の態度にふんと鼻を鳴らす。


「仕事ならもうすぐ終わる。しばらく待っていろ」

「はぁ、そうですか。ならお仕事の邪魔になりそうなので外で待っています。終わったら呼んでください」

「わかった」


 男はそっと床の資料を踏まないようドアを後ろ手に閉めて部屋を出る。すると先ほど部屋に入っていく彼を見て唖然としていた女性スタッフが彼に近寄ってきた。速足で来たものだから目測を誤って男と目と鼻の先まで近寄る。きっと急に睨みつけて女が言った。


「あなた何者なんですか」

「…案内人だけど?」

「そんなことを聞いているんじゃありません!!ターシャ様にアポなしで面会できるなんて相当な身分でないとできないことですよ!」

「そういわれても…別にただ知り合いってだけで」

「最強のSSランカーで『氷の女王』と呼ばれているターシャ様と「ただ知り合い」?」

「えっ、いや……だってそうとしか言いようが…」


 鼻息荒く迫るスタッフに男はたじたじになる。


「アラマ・ナスカでのオーク殲滅戦、カスペーニャ山で行った悪竜の氷漬け、気安く触った他国の貴族を凍死寸前まで追い込んだ「モルカ大使事件」…すべてを圧倒し、寄せ付けないターシャ様と気軽に会える知り合いですって?…私だって二年働いてまだ数回しかお話していないのに…う、うらやまじぃぃぃぃ!!!」


 彼女はギルドマスターのファンらしい。言っているうちに燃え上がってきた闘志と嫉妬の炎を目に宿し男をにらんできた。男は、スタッフに対して何かを言おうとした時、いつの間にか自分に向けられた彼女以外の視線を感じ取った。

 男は気づかないうちに無数のスタッフに囲まれていた。その目は男が二階に上がった時の不審者を見るような怯えた目ではない、明確な敵意。


「私たちただの職員がターシャ様とお話しできるのは一年に数秒ほど。だというのに、あなたはっ…四十秒も!」


 怒りで顔を真っ赤にして目の前の男に向かって彼女は叫んだ。すると周りの職員に衝撃が走る。


「よ、四十秒だって!?」

「ばっ馬鹿な、俺の三年をたった一回で飛び越えただと!?」

「畜生が!!」

「ゼッタイユルサナァイ…」


 そう何を隠そう彼らはギルドマスターにあこがれてここを就職先に選んだ者たち。驚異の百倍という倍率を乗り越えたとびっきり優秀で、ギルドマスターに心の底から心酔している猛者なのだ。彼らは毎日ギルドマスターと喋れることを夢見ており、流れ星の願い事は「お話しできますように」、有名なパワースポットを訪れるのも、ギルドマスターとしゃべるため、ほかのギルドでは考えられないほど朝早くから出勤するのも当然ギルドマスターとの遭遇確率をアップさせるためだ。

 新興宗教かなにかと勘違いしてしまうほどのその徹底ぶり、恐ろしさを覚えるほどである。


「しかも仕事中によ!!」

「仕事中!?」

「非常識め!」

「俺に力があれば、今すぐ!ここで!」


 殺意が男に集まる。冷汗がぬるりと頬を伝った。


「しかも、しかもよ!仕事中わざわざ話してくださったというのにこいつの内容は全くの皆無だったのよ!!」

「ビジネス会話でなく、日常会話だということか?」

「な、なんだと!?俺の耳は壊れちまったのか?今、日常会話と…」

「奇遇だな。俺もなんだ。ちょっと病院行ってくるわ」

「おいっ!放せ!俺は、俺はぁ」

「やめるんだ。我々が暴力沙汰を起こすなんてまずいだろう!!」


 声の方を見ると拳を振り上げた職員が同僚に羽交い絞めされていた。二人とも目から涙を流している。男は自分が物語に登場する悪役か何かになった気分になっていた。さしずめ麗しの姫君を姑息な手で陥れた悪臣といったところだろう。ただ会話しただけなのに。

 そろそろ職員の我慢が頂点に達するころ、突然扉がバンと開かれた。ドアを蹴った姿勢のまま「彼女」は男をにらんでいた。


「うるさいぞ。何事だ?」


 この騒動の原因であるターシャがそこにいた。華奢な体格だが、オーラとでもいうのだろうか、人を威圧する気迫があった。たとえ彼女の肩書を知らぬものがいても、一見するだけで彼女が只者でないことがわかるはずだ。すっと蹴り上げていた足を戻すと空を思わせる青いロングがさらりと揺れる。

 腕を組んでにらんでくる彼女に男はたじたじになった。


「あ、えっとなんか絡まれて…」

「絡まれて?私にはお前しかみえないのだが」

「え!?あれ!?なんで?」


 ぱっと振り向けば周りには誰もいない。そしてずっと遠くに最初に絡んできた女性職員が素知らぬ顔で資料を抱えて歩いているのが見えた。あの一瞬で?

 

「おそるべし、ギルド職員…」

「ふぅー…もういい。仕事がひとまず一区切りついた。それで?用件は」

「本当に仕事が一区切りついたんですね?今日一日のノルマは達成したんですよね?」

「くどいな。なぜそう念を押す?」

「そりゃぁ…ねぇ?」


 男はうかがうような目を向ける。ターシャはその視線を煩わしく思う。


「終わった。これ以上念を押すようだったたら、お前の頼みでも断るぞ」


 そう断言した彼女に男は息を吐く。そして決意して言った。


「なら…ギルについてなんですが」


 ギルバート。彼は常に怠惰でだらしなく、覇気もない。普通なら解雇されてしかるべきである。それが未だ解雇されていない事実。そして彼のカウンターには人が来ない理由。

 男は言ったそばから後悔していた。こうなることは予測できていた。これならカウンターを乗り越えてぶんなぐりに行った方がよかったかもと思い始めていた。

 

 ターシャは優れた女性だ。その美貌もさることながらSSランクという前人未到の能力を有し、作り上げてきた伝説は数知れず。彼女がいればどんな戦況も覆せるといわれたほどだ。そして彼女が得意とする氷の魔法のように、触れればこちらが傷を負うほどの冷たい性格。大商人の息子でも、眉目秀麗な騎士でも、一国の王子でも、その美貌と実績にひかれ愛を伝えるまえにその身を凍らされてしまい、心を折られる。誰もがその孤高の女王を称え、彼女にあこがれた。しかしある日彼女は突然引退を宣言する。SSランカーがいなくなる損失は計り知れない。ギルド本部は必死に交渉したが難航。だが粘り強い交渉の末、ギルド支部のマスターというところで決着がついた。

 実はギルド側はこれについて予想外だった。ギルドマスターは華の職業ではあるがSSランカーほどの稼ぎもなく、そしてむしろ本部の束縛を強く受けることになる。彼女がギルドマスターになることに納得したとき、やけっぱちになってダメもとで提案してみた交渉人は困惑したという。彼女はいったいなぜ冒険者をやめたかったのか。その真意は誰にも分らない。

 ただ交渉人はのちにこの時の交渉を思い出して言う。


「いやもう万策尽きたと思ってとにかく知っているギルド関係の職業を片っ端から上げていったんですよ。でね、ギルドマスターを提案したときに確か俺は『実はギルドマスターになれば、自分の独断で職員を置けるんですよねぇ。俺だったらかわいい女の子を侍らせるけどなぁ。はははは、なーんつって』って宣伝したんだよね。ん?あぁわかってますよ。どうかしてましたよあの時は。でも取り付く島もないとはあのことだと思ったんですよ。私の十年の交渉術が一切通じなかったんですよ?やけにもなりますって。まぁそれもその話をするまでなんですけどね。そしたら急にターシャ様は目の色を変えられて私に詰め寄ってきて言うんです。『それは本当か?』ってね。それからはとんとん拍子に話が進んでいて気が付いたら交渉成立でした。なんなんですかね?ターシャ様にそんなハーレム願望があったって考えるのは無理ありそうですけど、確かに私がああいった時に喰いついてきたように記憶しているのですが……」


 現状彼女のギルド支部の職員配置に何か意図があるようには思えない。というかその九割以上が志願者なので彼女が恣意的に外部の人間を招き入れているということは考えにくい、のだが。

 男は知っている。彼女の行動の真意を。


「ギル」、男がギルバートの名を告げた途端、つりあがっていた目は幸福に下げられ、威厳を保つように組まれていた腕は口元と腰に、白い肌には赤みが灯る。その状態でもじもじとする彼女は大衆が知っている『氷の女王』ではなかった。氷が日に当てられ解けるように相好を崩す彼女。言うなればそのすがたは…。


「ギ、ギル…バートがど、どうしたのかね」


 おそらくギルと気軽に呼ぼうとしてできなかったのか、変な区切り方になってしまっている。いつものはきはきとした態度ではない。彼女の頬の赤みがさらに増した。


「いえ、そのぉ…また仕事さぼっているので、一言言ってもらえないかと」

「なっ!!お前はそんな雑務を私にしろというのかっ!!」

「無理ならいいですけど」

「べ、べべべべつにやらないとは言っていない。ギルドマスターたるもの職員とのコミュニケーションは大切だからな、うん、そうだ、大切なのだ」


 彼女は先ほども言った通り優秀であるから、一人で何でもできてしまう。ゆえに優秀な人材がそろっていても必要とせず、そのため会話も最低限しないのだ。そんな彼女がコミュニケーションを語るのはいささかずれているような気がする。


「やる気のないものがいたら叱ってやるのも務めだな。これはしょうがないことなのだ!!」


 力強く彼女は宣言すると男を置いて勝手にすたすたと行ってしまう。その後ろ姿を眺めながら男は深くため息をつく。


「やれやれ…やっぱり世界は不思議に満ちている」


 男はそうつぶやくと、先に行ってしまった彼女の背を追いかけた。

 




 

 

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都市迷宮でさようなら ローイチ @Low1

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