Episode 9 - The End of Journey
21
【Another Side】
私は風が頬を撫でる感触を感じ、重たい瞼を開いた。
視界いっぱいに経年劣化したコンクリートの天井が広がる。
ここは何処だろう……。
私はやけに重い――だけど何故か調子はいい――体をベットの上で起こした。
すると、私の顔に日の光が当たった。
まだ目覚めたばかりで視覚制御の調整が済んでいないらしく、それはいつもより一段とまぶしく感じた。
だから、私は顔の前に手を差し出して光を遮った。
次第に目が慣れてくるにつれてその光がどうやらこの部屋の窓から差し込んでいるということを確かめた。
そのガラスのない窓の外には緑色の自然がどこまでも溢れ、広がっていた。
私はその光景を見ながら、いまさらになって自分がアンドロイドと相打ちになって死んだはずであるということを思い出した。
そしてあの場にエウペを一人にしてしまったことを思い出した。
私はあわてて自分の胸に手を当てた。
だが、そこにあるはずのアンドロイドによって穿かれた穴は綺麗にふさがっていた。
これはいったい誰が直したのだろう。
それに、なぜ私は生きているんだ?
エウペは何処にいる?
あれから何があった?
そんな疑問が私の頭に次々と湧き出てきた。
私は窓から目を逸らし、様々な機械のパーツや機器が置かれた薄暗く、広い部屋の中を見渡した。
すると、私が横になっていたベットからそう遠くないところに椅子に俯いて座っているエウペの姿が見えた。
私はエウペの姿を認め、彼は無事だったと胸をなでおろした。
そして、「エウペ……」と彼の名前を呼んだ。
その私の声は壁に反響して思ったよりもよく通った。
しかし、返事は帰ってこない。
今の音量で彼に聞こえていないということはないはずだ。
どうしたのだろう。
私は不思議に思いながら、自分にかけられていたプラスチックのような素材でできたシーツを脇に除けてベットから体を起こし、床に足をついた。
そして、立ち上がって彼のもとへ歩き出した。
しかしなぜか歩くのにはひどく難儀した。
まだ目覚めてから間もないために、平衡感覚制御がうまく働いていないのだろうか。
私は何度もつまずき、倒れそうになりながら彼の目の前にようやくたどり着いた。
彼の顔を見ると、いつも緑色に点灯していた丸い目は光っていなかった。
どうやら休息モードに入っているらしい。
私は彼の体に手を置き、起きてもらおうと話しかけた。
「エウペ、起きてくれ」
だが、いつまでたっても彼が目覚めることは無かった。
いつもなら私が呼べばすぐに休息モードから復帰して彼は答えてくれていた。
そんなに深く眠っているのだろうか?
私は仕方がないので彼から一度手を離した。
すると、彼はまるで糸が切れた人形のように椅子から落ちて私のほうへ倒れ掛かってきた。
私は「なっ」と驚きの声を思わず上げ、彼の体を両の手で支えた。
そして、どうにかしてもといた椅子へ座りなおさせた。
「どうしたんだ……」
私の口からは無意識にそう言葉が出ていた。
いくら何でもこれはおかしい。
さすがに目を覚ますはずだ。
これでは、まるで……。
その時、彼の手から何かが地面に落ちた。
「バコン」という、物が地面に落ちた音に私は驚き、自分の肩がビクッと震えるのを感じた。
私は直ぐにその落下した物体を見た。
それは正四角形で何かの端子のようなものだった。
私は一度かがみ、その端子を手に取る。
その瞬間、突然端子のディスプレイが光った。
そしてそれからしばらくして突然画面の中にエウペが出現し、録画が流れ始めた。
【
アシュさん……お久しぶりです……。
この映像が流れているということは、きっともうボクは永い眠りについていると思います……。
ボクはアシュさんにただ生きていてほしかった……そんな自分の醜いエゴであなたを修理しました。
それがもしアシュさんに迷惑であったとしたら、本当に……ごめんなさい。
ボクはあなたの目覚めを待つ間、世界中を回りました。
そしてそこで、ボクが美しいと感じた、アシュさんにきっと美しいと感じてもらえると思った、いろいろな風景やモノの写真やその場所の座標をこの端子に詰め込みました。
だから、もしアシュさんがよければそれらを見て下さい。
ボクはアシュさんの『好きなもの』がそこに一つでもあればいいなと願っています……。
ボクは……ボクは、出来ることなら、もう一度あなたと会いたかった……。
もう一度旅をしたかった……。
でも、どうやらボクには時間がもう残されていないようなんです。
アシュさん……ボクはあなたと短い間でしたがこの世界を旅してまわれてとても幸せでした。
アシュさんが最後に言ってくれたように、ボクにとってもそれらは本当に夢のような日々でした。
こんなどうしようもないボクと一緒にいてくれて本当に、本当にありがとうございました……。
】
その言葉を最後に、映像は途切れた。
「嘘 だ……」
自然と私の口からはそう言葉が漏れた。
そしてそれと同時に、手に持つ端子に水滴がポロポロと落ちた。
私はその水滴を見て、自分の瞳から涙がこぼれ落ちているということに気が付いた。
必死にこらえようとしても、涙は止まることなく次々にあふれ出てくる。
エウペはもういない……。
その事実を覚って、今まで私が経験したどんなことよりも胸が深くえぐれるのを感じた。
私は片手にその端子を握りしめながら、あまりの悲しみに立っていることが出来ず、力なく地面に崩れ落ちた。
{
私は彼を一人残してしまった。
彼に私が味わったあの孤独を味わさせてしまった。
彼に辛く苦しい思いをさせてしまった。
なぜ私はもっと早く目覚めることが出来なかったのだろう。
なぜ彼の思いに答えることが出来なかったのだろう……。
}
そんな後悔が次々に湧き出てくる。
「どうして私は……」
私はそう嘆きの言葉を一人呟いた。
そして、まるで子供の様に彼の前でいつまでも泣きわめき続けた……。
部屋の窓からは、薄明るい月明かりが差し込んでいる。
あれからいったい何日経ったんだろう。
私にはもうそんなことさえも分からなくなっていた。
それにもう私の目からは涙すらも枯れ果ててしまった。
いつまで私はこんなことをしているんだろう。
目の前に静かにたたずむエウペは、私が今持つこの端子にいろいろなものを残したてくれたと言っていた。
それを見てほしいと願っていた。
それなのに私はまだこの場所で立ち止まって、見れないでいる。
きっとエウペはそんなことは望まないはずだと私は思った。
もう何時までも子供の様にウジウジはしていられない……。
だから私は、彼の残してくれたものをようやくその日見る決心をした。
私はエウペに話しかけた。
「エウペ……見させてもらうね……」
22
「綺麗……」
私は一人でそう呟いた。
その日、彼の端子に導かれるままに私はその場所へたどり着いた。
その場所からは何処までも青く澄んで、どこまでも広大な『海』が見渡せた。
私の遥か頭上では、鳥たちが幽雅に風を乗りこなし、飛んでいる。
私は生まれてから初めて『海』というものを実際に見た。
幼いころに映像で見た『海』にも感動を覚えたけれど、実際に風を感じ、匂いを感じ、音を感じることが出来るだけでその感動は比較にならないほどだった。
私は『海』を見て、瞳から一筋の雫がまたしてもこぼれるのを頬に感じた。
最近の私は涙もろくてしょうがない。
以前は涙を流したことなどほとんどなかったのに。
君のせいだよエウペ……。
私は一人そんなことを思いながら、自然と自分の表情が穏やかになるのを感じた。
「こんなに世界が綺麗だったなんて気が付かなかったな……」
私は答える者のいない海に向かってそう一人呟いた。
23
私の髪を風がやさしく流していく。
目の前にはどこまでも美しくて、壮大な緑をたたえる草原が広がっていた。
私はゆっくりと、その草原に座る彼のもとへ歩いて行った。
私は目覚めたあの日から約10年の歳月を経て、彼の残してくれたすべての贈り物を一つも余すことなく見終えた。
彼が残してくれたモノは、本当に素晴らしくて、一つ一つが私に感動を与えてくれた。
私の忘れていた、知らなかった『好き』を沢山教えてくれた。
私は一体何度目になるかもわからない感謝の言葉を胸の内で唱えた。
『ありがとう、エウペ……』と。
「エウペ……」
私はそう名を呼び、彼の横に座った。
それからしばらく彼の隣で風になびく草原を眺めていたけど、私は急に胸に苦しさを感じ「うっ……」と思わず唸った。
長いこと活動していた私には、もうそろそろ終ワリの時が来ようとしている。
私は瞼を閉じて彼の肩に頭を預け、最後の時が訪れるのを待った。
次第に草原にそよぐ風の音も、揺れる草の音も、瞼越しに感じる光も、全てが遠くなっていく。
そして最後には彼の肩に寄りかかっている感触だけが残った。
君と出会うまでの私は、ただアンドロイドを殺すことに明け暮れ、父に託された命を自ら捨てることもできず、まるで亡者の様にこの世界を彷徨っていた。
でも君と出会ったことで私の灰色の世界には色が灯った。
私の暗い心には光が灯った。
始めて自らの意思で生きたいと願った。
辛いことだらけの私の人生で初めて幸せだと心の底から思うことができた。
出来ることならそれらを私に与えてくれた君に、もう一度感謝を伝えたかった……。
もう一度だけ君と会いたかった……。
「エウペ……私は君のことを……」
- 終 -
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