Episode 8 - Lonely White


 18


「やっとこれで……」


 ボクはコンクリートがむき出しとなった壁に四方を囲まれた部屋の中、一人でそう呟いた。

 ガラスがなくなり、ただの開口部になった窓からは夜明けとともに上ってきた太陽の光が薄っすらと入り込んできている。

 その光が、薄っすらとボクの目の前で眠っている彼女の顔を照らした。

 あれから、ボクは彼女をあきらめることがどうしてもできなかった……。

 だから、約4年の間世界中を回り、彼女を修理するための技法とパーツを集め続けた。

 それは数多の困難に満ちた旅だったし、幾度もボクは命を落としかけた。

 それでもボクは何とか今日まで生き延び、ようやく今、目の前に眠っている彼女の胸に最後のパーツを組み込んだところだった。

 これで彼女の修理はすべて終了し、あとは彼女の目覚めを待つのみとなった。

 ボクはただ彼女と共にいたいと、ただ彼女に生きていてほしいと、そんな自分のエゴで彼女のことを修理した。

 そんなボクに生き返させられたとして、彼女は喜んでくれるだろうか……。

 それにそもそも、彼女は再び目覚めることを望んでいるのだろうか。

 ボクはそんな悩みと不安を抱えながら彼女の目覚めをただ静かに待ち続けた。

 しかし、結局その日彼女が目覚めることはなかった。


 次の日も、また次の日も彼女が目覚めることはなかった。

 いったい何がいけないのかボクには分からない。

 幾度も検査を繰り返し、身体の修理が完璧であることを確認した。

 だから、いつ目覚めてもおかしくはないはずなのだ。

 だが、彼女のバイタルは何処までも平らで、波打つことはなかった。

 彼女が目覚めないのには、何かほかに理由があるのだろうか……。

 それとも、やはり彼女は望んでいないのだろうか……。

 結局ボクはいくら頭を悩ませても、その理由を見つけることはできなかった。

 ボクは、ただ安らかに眠り続けている彼女を見つめながら、祈りをささげることしかできなかった。


 それからさらに1年の月日が流れた。

 もうだめなのではないだろうか……。

 そんな暗い考えがボクの頭を何度もよぎった。

 そのたびにボクは、そんなことはないと、きっと彼女は目覚めるはずだと無理やりその考えを振り払った。

 ボクは目覚めを待つ間、そんな暗いことを考えないために彼女と過ごした記憶を思い起こしたり、世界中から収集した本を読んだりして膨大な余暇をつぶした。

 その日は、彼女と『博物館』に行ったことを想起していた。

 そこでボクは彼女の『好きなもの』を初めて知った。

 そして、彼女は昔自分が好きだったものを取り戻そうとしていたことも知った。

 あの後もボクたちは旅を続けて、彼女の『好きなもの』をいくつか見つけたけれど、結局それは彼女の五本の指を持つ片手で数えられるぐらいだった。

 きっとまだまだこの世界には彼女の『好きなもの』や、彼女を感動させられるものがたくさんあるのだろう。

 彼女が目覚めたら、また一緒にそれらを探しに行こうとボクは夢想した。


 更に3年の月日が経過した。

 彼女は依然として穏やかな表情で眠っている。

 ボクは彼女が眠る部屋と彼女自身に出来る限りの防塵や防水などの様々な処理を施し、長い間この場所を開けても大丈夫な様に処置した。

 ボクは長いことこの場所に篭って、彼女をただ待つだけの生活を送っていた。

 だけど、もうそんなことはやめようと思った。

 もちろん彼女の目覚めを待つのをやめたわけではない。

 でもここで無駄な時間を過ごしているよりも、目覚めた彼女に少しでも何か新しいものを見せたいと考えたボクは、この場所を今日、一時的にだけど出て行こうと思った。

 それに、ボクはいつ死ぬかもわからない。

 もしボクが死んでしまった後に彼女が目覚めたとしたら、そこにはきっと孤独が待っている。

 だから、もしそうなってしまっても、彼女の孤独を埋められるものを残そうとボクは考えた。

 何処までもボクはエゴイストだと自分でも思う。

 本当に自分勝手だと思う。

 でも、ボクは彼女に生きていて欲しいんだ……。

「アシュさん……行ってきますね」

 ボクは静かに眠る彼女にそう言い、部屋の扉を開けて外へ踏み出した。


 19


「これで良しと」


 ボクは手に持っている端末に今しがた撮影した、蒼く澄み渡る海の画像データとこの場所の座標データを保存した。

 その端末は、彼女を修理するための部品を探す旅で副産物的に発見したものだ。

 端末は人類が以前使っていた『カメラ』のように画像を保存する機能や、音声を保存する機能、他にも文字を入力して『日記』をつけることなど様々なことが可能だった。

 ボクはあれから、彼女が好みそうなものや場所、ボクが美しいと思った景色、その他さまざまなものをその端末に記録しながら世界中を回った。

 1年ぐらいに1度は必ず彼女の状態を見に戻るから、世界中といってもあまり遠すぎるところには行けなかったけれど、それでもその狭い範囲にも世界にはまだまだ沢山美しいものが眠っていた。

 もうこの旅を始めて13年になる。

 その間に集めたデータは膨大になったけれど、この端末はまだまだ容量に余裕にあった。

 だから、ボクの命が尽きる前に一杯になるということはないだろう。

 ここ最近、少しづつだけれどボクに体に不調が見られてきた。

 その部分は交換することができない重要な部分だから、その部分の寿命がボク自身の寿命にそのまま直結する。

 彼女を待つことができる時間も次第に短くなってきたなと、ボクは目の前に広がる広大な海を眺めながら思った……。

 

 20


 さらに29年の月日が流れ、奇しくも彼女を待ち続けて50年の歳月がちょうど流れた。

 その日、ボクは彼女が眠る部屋へ最後の旅を終えて戻って来ていた。

 50年……それは一人で生きていくにはあまりにも長すぎる時間だった。

 ボクは彼女が昔味わったであろうその半世紀の孤独を、身をもって体験した。

 正直正気でいられたのが奇跡のようだった。

 それ程までにそれは寂しくて、辛かった。

 彼女もこの経験をしたと考えるとひどく胸が痛む。

 彼女を待つという『目的』がなければとうの昔に狂っていただろうな……とボクは思った。


「さテ……」


 ボクは一人でそうぎこちなく呟いて、部屋にある椅子へ静かに腰かけた。

 ボクから少し離れた場所にあるベットに横になっている彼女は、あの時となんら変

 わらず美しいまま眠り続けている。


 まだ君を待っていたかった……。

 でも、ボクの活動限界はもうそろそろ訪れる。

 君の目覚めを見届けたかった。

 声をかけて、出迎えたかった。

 しかし、それはもう叶いそうにナい。

 この瞬間も、ボクの視界は暗くナって行っている。

 彼女と共に旅しタ日々は本当に幸せダった。

 本当ニ夢の様だった。

 こンなボクと一緒にいてくレて嬉しかった……。


「ねえアシュさん……ボクは君のことを……」

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