Episode 6 - Ash Flower


 15


「ここがアシュさんが生まれ育った街『アートルム』ですか……」


 ボクは横に立つ彼女にそう話しかけた。

 彼女はたった今、中に入ったばかりの街の様子を少し寂しそうな目で眺め、答えた。


「ああ……ここに来るのはだいたい20年ぶり位だ……すっかり様子が変わってしまった……」


 ボクたちが初めて出会ったあの日から季節は幾度も巡り、約5年間=43813時間43分15秒もの歳月が流れた。

 その間もボクと彼女は人間たちが残していった様々な建築物や街、そして美しい自然を見て世界を旅した。

 しかしその旅はただ美しいものを見ているだけでは決してなかった。

 道中には様々な困難がそこら中に転がっていた。

 ボクたちはそれらの幾度も訪れる困難を二人で力を合わせ、潜り抜けてきたのだった。

 また、それだけ長い時間が経ったために変化は大きく、ボクは体のパーツを組み替えて――脚や腕などを主に――最近では彼女がアンドロイドとの戦闘をおこなう際に手助け――実際に戦闘に参加するために彼女を説得するのには長い年月を要したが――ぐらいはできるようになった。

 ようやくボクはただ指をくわえて彼女が戦う姿を見守るだけの情けない自分から抜け出したのだった。


「わざわざ付き合ってもらって悪いな」


 季節はすっかり冬となり、枯葉が覆う道を共に歩きながら彼女はボクにそう言った。


「いいえ……ボクもアシュさんの故郷に興味がありましたから、この場所にこれてよかったです」

「そうか……ありがとう、エウペ」


 いまから半年ほど前のある日に、旅の途中で彼女は自分の故郷に道すがら寄りたいとボクに言った。

 それはちょうど彼女の故郷の街、ここ『アートルム』が当時いた場所から近くにあったからだった。

 ボクは彼女のその希望を断る理由などなに一つもなく、当然のように了承した。

 それにボクは彼女が人間だった頃に生まれ育った故郷に興味を持ち、むしろ自分も行ってみたいという気持ちになった。

 その様な経緯を経てボクたちは今この場所に立っている。


 彼女の故郷『アートルム』は比較的科学技術が発展している街ではあったが、それでも多くの建物があちこちで崩落しており、季節柄茶色く色づいた植物たちが根を張り巡らせて侵食していた。

 また、この街には整備ロボットたちの姿や案内のロボット等も一切見受けられなかった。

 彼女は先ほどここに来るのは20年ぶりだといって言っていたけれど、整備する者がいないのであれば、その姿の変化に驚くのも無理はないだろうとボクは思った。


 二人で、動く者のいない街を見て回るにつれて、ボクはなぜか次第にこの街に見覚えのようなものを感じ始めた。

 しかし、自分はこの街に来たことはないのだしそんなことはありえないはずだ。

 それともボクはただ忘れているだけで、この街に来たことがあるのだろうか……。

 ボクは彼女にそのことを伝えたほうがいいような気がして、一応言っておくことにした。


「アシュさん。ボク、なぜだかこの街に見覚えがあるような気がします……」


 彼女はボクの発言に少し驚いた顔になり、返した。


「それは本当か?でも、なぜ君がこの街に……」


「ええ……でも、理由は分かりません。もしかしたら、記憶を失う前のボクはこの街に来たことがあるのかもしれません……」


 彼女はいつもの癖で顎の下に手を置き、考え込みながら言った。


「なるほど……もし君がこの『アートルム』の街に本当に以前来たことがあるのならば、私たちがここから遠く離れた地で出会ってここまで来たのも偶然ではないのかもしれないな……」


 確かに彼女の言う通り、もしボクが持っているこの街に対する既視感のようなものが真実であるならば、同じ街出身の彼女と遠い地で出会ったのはとても偶然とは考えられないなと思った。

 それは運命によるものなのか、それとも何者かにそうなるよう意図的に仕組まれたものなのだろうか……。

 ボクはどうにかしてその問いに答えを与える手がかりを掴もうと、必死に頭の中で奮闘した。

 だが、やはり結局何も思い出すことはできなかった。

 そのことにもどかしい気持ちを感じながら、ボクは言った。


「確かに偶然とは考えられません……ボクの記憶さえ戻ればきっとなにかが……」


「そうだな……まあ、そう焦ることもないさ。それに、この街を見て回っているうちに何か思い出すかもしれないぞ」


 ボクはその彼女のもっともな意見に「確かにそうですね……」と相槌を打った。

 彼女とボクは今、ある場所に向かっている。

 そこにたどり着くまでにボクは街の様子をしっかりと観察し、何か記憶復元のファクターになりそうなものはないかと探し回った。

 しかし、既視感はあるが何一つとして決定的な一打になりえるものはなかった。

 そうこうしているうちにこの街に来た『理由』の一つであり、最も彼女にとって重要な場所にたどり着いた。

 彼女はもはや完全に倒壊してしまった、かつて家だったものの前に立って口を開く。


「……ここが私が生まれ育った家だ」

「ここがアシュさんの……」


 ボクはその彼女の家を一目見た瞬間、強烈な既視感を覚えた。

 その原因はしばらくの間分からなかったが、やがてボクの頭の中にある一枚の画像と結びついた。

 画像はボクが自らの名前を取り戻したときに共に得たものだった。

 家は倒壊しており画像の小さな家とはもはや似ても似つかない形相だったが、それでも屋根の材質や扉の形状、その他さまざまな点が酷似している。


 そのことを覚った瞬間、ボクの頭に大量の『error』が発生した。

 さらに痛みを感じるはずがない頭になぜか痛みのようなものが走り、思わず頭を抱えてボクはその場へしゃがみ込んだ。


 「ウッ」と無意識に声が口から漏れる。


 今まで家を見ることに気を引かれてボクのその変化に気づいていなかった彼女は、ボクが上げたそのかすかな声を聴いて振り返り、「エウペ、大丈夫か」と焦った声で言った。

 それからすぐさま近くに寄り、彼女は自らも片膝をついてしゃがんでボクの体に手を置いた。

 そのことを確認したのを最後にボクの視界はしばらく砂嵐のような映像に覆われ、それと共に音もすべて遮断された。

 そしてその後、誰かの視覚映像らしい別の映像が流れだした。


{

 映像の主――おそらくこれはボク?――は、まだ綺麗な状態のアシュさんの家を離れた場所から見つめていた。

 ボクは今とは似ても似つかず、あの画像と全く同じ姿の家を見て、きっとこれは相当古い記憶なのだろうと思った。 

 街には雪が降っており、その音だけがボクの耳に届く。

 驚くことに家には明かりがついており、その窓からはベットに横たわる女性の姿が見えた。

 その女性が誰だかを判断するのにはそう時間はかからなかった。

 その女性はアシュさんだった。

 しかし、今の彼女と大きな相違がみられた。

 彼女は今にも死んでしまいそうなほどにひどく痩せこけていた……。

 その痩せ方は異常なもので、ボクは内心気が気でなくなってしまった。

 いったい何が彼女をあんな姿に変えてしまったのだろう……。

 窓の内側から外を眺めていた彼女は、不意にこちらをの方を向き、映像の主を見つけた。

 二人は目が合い、静かに見つめ合う。

 すると、彼女がこちらへ片手を伸ばした。

 その手はやはりひどくやせ細っており、今にも折れてしまいそうだった。

 そしてボクの意図せず、映像の主も彼女に答えるかの様に手を伸ばした。

 映像の主から延ばされたその手は見慣れた自分のもので、やはり腕には小さく『エウペ』と書かれていた。

 それから腕を伸ばした映像の主はなぜかそこから動こうとはせず、ただただその場へ佇んでいた。

 ボクは一刻も早く彼女のもとに向かいたかった。

 だが、これは結局過去の映像でしかなく、ボクの意思が反映されることは決してない。

 なぜ映像の中の自分は彼女のもとに行ってあげないんだと、そう憤りを感じずにはいられなかった。

 その後も、結局映像の中のボクはその場から一歩も踏み出すことなく、弱弱しくこちらに腕を伸ばしている彼女をただ見つめているだけだった。

 次第に視界の周りが暗くなっていく。

 そしてとうとう闇はボクの視界を完全に閉ざし、完全な暗闇が訪れた。

 }


 そこで映像は終わりをつげた。

 その後また先のように砂嵐が流れ、ボクの視界と聴覚はもとの世界へと徐々に戻って行った。

 それと同時に「おい、大丈夫かエウペ。返事をしろっ」と必死に呼びかける彼女の声が聞こえてくる。

 ボクはまだいまいちはっきりしない頭を無理やり叩き起こし、「はい……大丈夫です。すいませんアシュさん」と彼女に謝った。

 それを聞いた彼女は


「いや、謝らなくていい。それより急に頭を抱えてしゃがみ込んでどうしたんだ。

 それにしばらくの間全く反応がなかった……」


 と心配そうな声で返した。

 ボクは彼女にまた心配をかけてしまったと思いながら、今の出来事と映像の内容を出来るだけ詳しく伝えた。

 ボクのその説明を静かに横で聞いてくれた彼女は「そんなことが……」と呟いた。

 ボクはさらに続ける。


「多分、映像の主はボクだと思います。腕に『エウペ』という文字が一瞬見えました」


 彼女は「そうか……」と言い、しばらく押し黙って考え込んだ。

 その様子は、必死に何かを思い出そうとしているようだった。

 それからしばらくして、ふと彼女は口を開いた。


「疑うわけではないが、その映像の内容が本当で映像の主がもし君なのならば、君は私と過去に会ったことがあるということになる。だが……私にはその記憶がないんだ……」


 彼女にはボクと出会った記憶がない。

 では、ボクの見たあの光景はいったい何だったのだろうか……。


「じゃあボクが見たのはいったい……」


 ボクの思考がそのまま無意識にそう口に出た。

 彼女は「もしかしたら……」と呟き、その先を続けた。


「私の人格や記憶のデータは人間だった私が死亡する一年前までのものが使用されている。

 だから、移植された後しばらく生きていた間の記憶は今の私には無いんだ。

 君の見た映像に出てきたその病床に臥していた私というのは、今の私に移植されなかった『私』なのかもしれない……」


 確かにアンドロイドに記憶や自我を移植したとしても、そのオリジナル本人がすぐに死ぬわけではないし、移植した後もしばらくの間は生きているはずだ。

 そしてその期間、オリジナルとなる人物の記憶は当然アンドロイドには引き継がれないだろう。

 ボクはいま彼女が述べた考えで間違いないと思った。


「確かに……それなら筋が通ります。ほかにボクが何か思い出せることは……」


 ボクは他にも何か思い出せることはないかと自分の頭部に手を置き、必死に想起を試みた。

 しかし、ボクは結局それ以上のことは分からず、思い出すことも出来なかった。

 なかなかことが上手くいかないボクは、がっくりと肩を落とした。

 そんなボクの様子を見つめていた彼女は言った。


「過去の君が、映像の中で人間だった頃の私を見ていた理由は分からない。でも、今のことを思い出せただけでも十分だよ。だからそんなに落ち込まなくてもいい、エウペ」


 彼女の言う通りだ。

 ボクは自分の記憶に関する事になると直ぐに焦って、熱くなってしまう自分を恥じた。

 そしてこの悪い癖を治さなくてはなと思った。


「そう、ですね……」


「ああ……ゆっくり思い出して行けばそれでいい。それより、もう身体の調子は大丈夫か?」


 彼女はそのことが一番気になるといった感じで言った。

 ボクは彼女にそう聞かれて、先程まであった頭痛の様なものが消えていることにようやく気がついた。

 ボクは彼女にそのことを伝えた。


「はい。もう何処にも異常はなさそうです」


 それを聞くと、彼女はいつもの優しい声で言った。


「そうか。君が無事で良かった」

「心配をおかけしました……」

「いや。気にしなくていい」


 そう言った後、彼女は不意に「さてっ」と呟いて立ち上がり、しゃがんだままのボクに手を差し出した。

 ボクは少し照れながら「ありがとうございます」と礼を言い、彼女の手を借りて立ち上がった。

 それからボクのことを完全に立ち上がらせると、彼女は自分の崩れ果てた家の方を再び向いた。

 ボクも彼女の横に立ち、その家を共に見る。

 家を見つめているボクと彼女は一切の口を開かず、二人の間には暫くの静寂が訪れた。


 冷たい風が、近くにある葉の散った木の枝を揺らす音だけがボク達の耳に届く。

 まだ人間だった頃の彼女はこの家でどんな生活を送っていたのだろうか。

 そして、そこにはどんなモノガタリがあったのだろうか。

 そんなことをボクはその間に考えていた。

 それからしばらくして不意に彼女が口を開き、静寂を破った。


「君が今さっき見た映像の通り、私は幼いころからずっと病を患っていてな……この窓から外を眺めていたんだ」


 彼女はそう言ってガラスの割れてしまった、かつて窓だった場所を少し寂しそうな目で見つめた。

 彼女の病についてあまり聞くべきではないとも考えたが、それでも彼女の過去を知りたいという気持ちを抑えられないボクは聞いた。


「病……それはどんなものだったんですか」


 彼女は「ああ」と返事をし、自身が患った病の話を始めた。


「それは……人類が生殖能力を失ったのとほぼ同時期に出現した『灰化症候群』という名の病だった。

 その病を患った者は時を重ねるにつれて徐々に体や髪が灰色に変色していき、その間に体もだんだんと動かなくなっていくんだ。

 そして発症から10年ほどで確実に死に至る……

 この髪が灰色なのも、その時の変色した名残を残しているんだ」


 ボクは、人間だったころの彼女もまたそうして苦しみを背負っていたことを知り、ひどく胸が痛んだ。

 いったい、彼女がなにをしたというのだろうか……。


「そんな……」


「ああ……確かに最初は私も自分の運命に泣き叫んだよ。

 それに発病当時はまだ10代だったしな……

 でも、別に私だけがこの病に伏しているわけではないと……世界には何人も同じ境遇の人がいると知って、もう私はいつまでもウジウジしているのはやめようと改心した。

 そして残された時間を大切に生きようと思ったんだ」


 ボクに10代の人間の精神を推し量ることはできないけれど、彼女のその思考はとてもマネできるものではないと思った。

 果たして、もし同じ立場に自分が置かれたとしたら、ボクはそんな風に考えられただろうか……。

 それから彼女は「だが……」と呟いた。

 しかしそこで彼女は言葉を切って、その先を話すのを躊躇った。

 ボクは急に話すをやめた彼女が心配になって聞いた。


「どう……しました?」


 その問いに彼女は「いや……」と呟き、言った。

「この先はあまり聞いてて気持ちのいいものじゃない」

 ボクは、それがどんなにつらいものであったとしても彼女の過去を知りたい。

 そして知ることで少しでも彼女のことを理解したい。

 だから、ボクはその心からの願いを言った。


「ボクは……アシュさんのことを、過去を知りたいです。だから、話を聞かせてください」


 そのボクの言葉を聞いた彼女は「そうか……ありがとう」と静かに言った。

 そして無理矢理自分を奮い立たせるように話の先を続けた。


 私は残された時間を生きようと考えることが出来た。

 だが、私の父はそうは考えなかったんだ……

 私の父はこの街にある小さな研究所の研究者だった。

 それまでも非常に熱心に研究に取り組んでいてとても真面目な人だったけれど、私が病気に罹ってからは目の色を変えて、まるで取り憑かれたように研究に打ち込むようになってしまった。

 父が憑かれたように取り組むようになったその研究の内容は、きっともう予想がついていると思うが『アンドロイドの体への魂の移植』だ……

 若くして母を失った父は、きっと私だけはなんとかして助けたいと考えたんだろう。

 その気持ちはもちろん嬉しかった。

 でも、父はほとんど眠ることもなかったし、休みもしない。

 そんな生活を送っていくにつれ当然の様に日に日にやつれていき、目の下には深いクマが刻まれていった。

 私は……もう私のせいで日に日に壊れていく父を見ていられなかった。

 私は父が家に帰ってくるたびに『もう研究はやめてと』と何度も何度も懇願した。

 しかし、そんな私に父はいつもみたいな優しい声で、そして笑顔で『大丈夫だ。絶対にお前は助ける』と返した。

 もうその頃には半分程寝たきりの状態だった私は、それ以上のことはできなかった。

 とても父を止めることはできなかった……

 いっそ私が死んでしまえば、父は呪縛から解放されるのかもしれないとも考えた。

 でも、その行いが最悪の結末に向かうかもしれないと思った私は、死ぬこともできなかった。

 それからさらにそんな日々が一年ほど歳月が流れたある日、父は満面の笑みで家に帰って来たんだ。

 そして私にこう言った。

 『ようやく、研究が完成したぞアシュ。これでもう病気に苦しまなくて済む。これでこれからも生きていける』と。

 最初聞いた時はとても信じられなかったよ。

 だって、その父が成し遂げたという『アンドロイドへの魂の移植』は、だれも成し遂げることのできなかった人類の悲願だったと聞かされていたのだから。

 でも、話が進むにつれてどうやらその父の言っていることは本当らしいことが分かった。

 それにもうすでに何人ものアンドロイドへの移植実験に成功しているらしかった。

 だから、私はその話を聞いて心の底から本当に喜んだ。

 父はようやく眠ることが出来ると。

 休むことが出来ると。

 そしてそれから、私も自分と全く同じ姿かたちのアンドロイドという器に魂を入れることになった。

 そこまでが私に移植されている記憶だ……

 もう思い出しているかもしれないが、この後私の父が手掛けたアンドロイドは私を除いてなぜか次から次へと発狂していった。

 そして、父の技法を取り入れた世界中のアンドロイドもその後に続き、次から次へと発狂していった。

 私は、私のことを必死に救おうとした父を攻めようなんてことは決して思えない。

 それに父のせいだとは限らない。

 だけど、もしかしたら世界をこんな姿にしてしまったのは、私の父なのかもしれない……

 そして……そんな父を止めることが出来なかった私のせいなのかもしれないんだ……

 前に話したときはその始まりの研究所がここで、その研究者が私の父だということを、私は君に隠していた。

 それはきっと、君に嫌われたくなかったからだ……

 君に見放されたくなかったからだ……

 こんな私をどうか許して欲しい……

 】


 その言葉を最後に、彼女は不安と哀しみが混ざった、そんな複雑な表情をボクへ向けた。


「…………」


 ボクは彼女の壮絶とも言えるその過去を知って、しばらく何も言えなかった。

 でも、ボクは今の話を聞いて彼女のことを少しも嫌いになどならなかったし、彼女の元から離れたいとも思わなかった。

 それどころか、彼女と共にいたいという想いがむしろもっと強くなったのをボクは感じた。

 だから、ボクは心から思ったことを彼女に伝えた。


「ボクは……アシュさんのせいでも、アシュさんのお父さんのせいでも、無いと思います。

 お父さんはアシュさんを救いたかった。

 ただ、それだけだったはずです。

 そこには何ら悪意といったものはなくて、ただ人の善意が、親子の絆があったはずです。

 それに、アシュさんのお父さんがアンドロイドを初めに開発したとしても、大した検査もせずにその技法を世界に広げた者たちにも……

 そして世界にも責任があるはずです。

 だから、ボクはアシュさんのことを嫌いになったりなんてしません。

 見放したりなんて絶対にしません。

 アシュさんは誰よりも優しい人だと、ボクは知っていますから……」


 その言葉をボクが最後まで言い終えた時、彼女の瞳からは一滴の水滴が流れ落ちた。

 ボクはその瞳から落ちた水滴の正体が『涙』という名のものであるということを遅れて認識した。

 そしてその『涙』というものが、人間が悲しいと感じた時に流すものであるということを思い出した。

 ボクはそのことを覚ると、途端に不安になった。

 きっと、彼女を悲しませるようなことをボクは言ってしまったのだろう……。

 だから、ボクはそれからも涙をポロポロと流し続けている彼女に慌てて言った。


「ご、ごめんなさい。ボク、何かアシュさんを哀しませるようなことを言ってしまいましたか?」


 それを聞いて彼女は「えっ」と呆けたように言うと、急いで腕で目元をゴシゴシとこすった。

 その様子は、まるで自分が泣いているということに今まで気が付いていなかったかのようだった。

 彼女は涙をすべて目元から払いのけると、首を横に振って少し震えている声で言った。


「いいや、哀しいんじゃない……私は君にそう言ってもらえて嬉しかったんだ。

 ありがとう……エウペ……」


 彼女は目元を紅くしながら、儚く微笑んだ。

 その表情にボクはまた、一瞬胸の奥がドキリとする感覚を味わった。

 そしてボクの脳裏に、彼女を哀しませてはいなかったという安堵や、人は嬉しい時にも涙を流すという新たな理解など、様々なものがよぎった。

 しかし、そんなどうでもいい考えよりも最も強くボクが思ったことがあった。

 その思いの名をボクは知らなかったけど、その思いがなによりも尊いものであるということだけは分かった。

 いつか、ボクはこのまだ名も知らない『思い』を彼女に伝えることが出来るだろうか……。

 ボクはそんなことを、目の前で微笑む彼女を見ながら考えていた。


 16


 並んで立つボクと彼女の間を冷たい風が吹き抜けていく。

 ボク達の目の前には、何処までも続く一面の墓石が広がっていた。

 あれから彼女の生まれ育った家をあとにし、ボク達はこの『アートルム』の街にある墓地へ向かった。

 この場所は、彼女がこの街へ来たもう一つの『目的』だ。


「この中に私の父と母が眠っている……」


 ボクの横に立つ彼女は、墓石の海を黒い瞳で見つめながら静かにそう言った。


「ここに……」


 ボクはここからでは果てすら見ることができない墓地の広大さ、そして墓石の量の膨大さに圧倒されながらそう呟いた。

 彼女は「ああ……」と小さく肯定し、「そろそろ行こう」と言って墓地の敷地へと一歩を踏み出した。

 ボクも「わかりました」と返事をして、その迷いのない彼女の背中に導かれるように墓地への一歩を踏み出した。


 広大な墓地の敷地にはそこらかしこに、灰色の美しい花が咲き乱れていた。

 色素の薄い灰のような色の花びらを持つその花はとても綺麗で、どこか儚さも感じられる。

 また、その色は彼女の髪の色にと同じで、どこか目の前を歩く彼女を思わせた。

 ボクがその名も知らない花をあまりにも気にしながら歩いていたからなのか、彼女は不意に言った。


「その花は『灰ノ夢』と言うんだ」


「『灰ノ夢』というんですか……知りませんでした。とても綺麗ですね……」


 彼女は相槌を打ち、「ああ……綺麗だ……」と肯定した。

 ボクはその美しい花を踏みつけないように、花と花の間を縫って慎重に歩いた。

 彼女もボク同様に花を踏まぬように歩いていたが、それはボクよりもずっと器用で、ボク達には少しの間が定期的に開いた。

 その度に彼女は一度立ち止まり、少し先でボクのことを待つ。

 そんな調子でそれから15分ほど墓石と暮石の間をまっすぐ進み、さらに今度は左折をして20分ほどさらに直進した。

 その間、十字架を模した形状の暮石に一つ一つ丁寧に刻まれている人々の名前がボクの目に入った。

 それらは当然だがどれも皆、違っている。


 きっとこの白い十字架の下に眠っている大勢の人々には、一人一人にその数だけの異なる『モノガタリ』がかつてあったはずだ。

 それは、苦悩と孤独に満ちた『モノガタリ』だったかもしれないし、幸せと栄光に満ちた『モノガタリ』だったかもしれない。

 だが、それがどんなものであったとしても、一つ一つがかけがえのないものであったことに変わりはないはずだ。

 一つ一つに様々な想いや、願い、そして祈りがこめられていたはずだ。

 そう考えると、ボクはこの『墓場』という場所が堪らなく切なくて悲しいものであるということを知った。


 そんなことを僕が考えていたその時、目の前を歩く彼女は突然立ち止まった。

 ボクも足を止める。

 彼女は目の前にある墓石を目を伏せて見つめた。

 そして「此処だ……」と静かに呟いた。


 その墓石は他の墓石と比べて別段何が違うといったこともなかった。

 彼女に応じるように「此処が……」とボクも呟いた。

 彼女はそのボクの言葉に静かに頷く。

 それからボクの目の前で彼女はゆっくりとしゃがみ、先ほど摘んだ花で作った花束を優しく墓石の前に捧げた。


 その花束にたもられている花は、この墓地にも咲いていた『灰ノ夢』だ。

 彼女は花を捧げ終えると、再び立ち上がった。

 そして、何も言わずに瞼を落としてその墓へ祈りを捧げた。

 ボクもそれに習い――彼女のように瞼は閉じられないが――彼女の両親の冥福を祈った。

 それからしばしの間祈りを捧げて、彼女は物言わぬ墓に向けて言った。


「お父さん、お母さん、来るのが遅くなってごめん。私は……まだ生きているよ……」


 彼女がそう言い終えたその時、突然強い風が吹き荒れた。

 そして、その風に煽られた『灰ノ夢』の花弁が散り、空へ舞い上がった。

 舞い上がった花弁は緩やかに地面へ向けて落下を始める。

 その様子はまるで灰色の美しい雪が降っているかのようだった。

 彼女は右の手のひらを差し出して、その雪のような花びらを優しく包み込む。

 彼女が今言った言葉には決して返事が返ってくることはない。

 それでもボクは、無言で佇む彼女の両親の墓が、花びらを降らせることで彼女に答えているような気がした。

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