Episode 4 - Sorrow and Pain
09
「エウペ、大丈夫か?」
彼女はボクから30メートルほど前方の位置に立ち止まり、そう言った。
ボクたちはいま、新たな街へ向かうために高低が少し激しい野道を歩いている。
野道の周りに生える木々達は季節も秋に移り変わり、すっかり枯草色に色づいていた。
「大丈夫です。すぐに行きます」
そう返事をして、ボクは斜面の少しきつい坂を上って行った。
ボクの体の構造は彼女のように素早く動けるようにも、しなやかに動けるようにもなっておらず、どうしても苦手な地形に入ると遅れを取ってしまう。
そのことが彼女に申し訳なかった。
ボクは足早に彼女の横まで着くと、言った。
「お待たせしてすいません」
彼女は首を横に振る。
「いいや、大丈夫だよ。謝らなくていい」
斜面を登りきった先には今まで隠されていた風景が見えた。
そこには最初に彼女と出会った街と比べて、比較的新しい建築様式の街が広大な山々を背景に広がっていた。
また、その近未来的な街は他の街とは異なり、植物による浸食がそこまで見られなかった。
ボクはそのことを彼女に伝えた。
「随分とこの街は状態がいいですね」
「ああ。この街はおそらく整備用のロボットがまだ生きているんだ」
吹き付ける風に灰色の長い髪を流されながら、彼女はそう返した。
そんな彼女の横顔を眺めながらボクは、二人で旅を始めてもうかれこれ1年=8649時間34分11秒も歳月が流れたんだなと思った。
その間にも様々な街をめぐり、ボクたちは多種多様なものと出会った。
それは人類がかつて使っていた住みかの名残やその他の巨大な建築物、残されたままとなったロボットたちだ。
しかし、一つだけボクはまだ彼女と旅をしていて直接出会っていない――厳密には一度あるがその時は姿を見ていない――ものがあった。
それは彼女の旅の『目的』の一つでもある、他のアンドロイドだ。
ボクは正直、出来ることならば出会わなければいいなと思っていた。
だって危険なことはしたくなし、彼女にもしてほしくないのだから……。
雄大な景色と彼女を見ながら呆然とそう考えていたボクの方を、彼女は振り返った。
目が合い、ボクは一瞬ドキリとした。
彼女はそんなボクの内心に全く気付いていない様子で口を開いた。
「そろそろ街へ行こう」
10
全面白塗りで統一された家々の壁がどこまでも続いている街の中は、ところどころ風化して壊れている部分はあったがそれでもやはり他の街と比べて綺麗だった。
彼女の言った通り整備用のロボット達が建物の外壁修理をそこらかしこで行っているのだ。
整備ロボットたちはきっと、自らが遣えるべき者の不在を今も知らないままなのだろう……。
しばらく道を進んだが、相変わらず街の中は静かで、時々通りかかる整備ロボットの作業音を除けばボクと彼女の歩く音だけが響いていた。
それから特にこれといった変化のない中、ボク達は他と比べても一段と大きな建築物の前に通りかかった。
その巨大な建物は他の建物と比べて構造が大きく異なり、少し異質な空気を放っている。
正面には何本も大きな白い柱がそびえ立ち、三角形の屋根を支えていた。
彼女はその建築物を見ると、不意に立ち止まり小さな声でつぶやいた。
「ここは……」
ボクは彼女が突然立ち止まったので、一体どうしたのだろうと不思議に思い、聞いた。
「この建物がどうかしましたか?」
彼女は静かに首を横に振り答える。
「いや……」
そうは言ったものの、彼女はその建物を心ここにあらずといった状態で見つめている。
どうやら彼女はこの建物内にあるものにひどく興味があるらしい。
それならばと、ボクは提案してみた。
「中に入ってみますか?」
ボクにそう提案された彼女は一瞬驚き、質問で返した。
「いいのか?」
そう言う彼女は少し恥ずかしそうにみえる。
ボクは彼女がこんなにも恥ずかしそうにしているところを初めて見たな、と思った。
「アシュさんが行きたいのならもちろんです。ボクに遠慮なんてしないでください」
ボクがそう言うと彼女はすこし嬉しそうにして言った。
「そうか……ならお言葉に甘えて」
そして、ボクたちはその建物の中に入って行った。
11
建物の中には様々な動植物の標本や模型、その他にも人間よりもはるか昔に生息していた『恐竜』と呼ばれている生き物などの化石が展示されていた。
それらのことから、ここは以前『博物館』と呼ばれていた施設なのだということが分かった。
また、この場所にある展示品は幸いなことにどれも整備ロボットが維持しており、長い年月がたったにもかかわらずとてもきれいな状態で残されていた。
「すごいな……」
彼女はそれらの状態のいい展示品一つ一つを見るたびに目を輝かせてそう呟いた。
どうやら彼女は遠い昔の生き物の化石が好きらしい。
ボクは普段から冷静沈着で、どちらかというとクールな女性という印象を彼女に持っていたので、その新たな一面を見てとても驚いた。
そしてその姿を見るにつれて、以前人間だったころの彼女は今とすこし違った性格を持っていたのではないかと考えた。
それから、ボク達は高さが13メートルもある『ブラキオサウルス』という恐竜の化石標本の前にたった。
それは本当に巨大で、本当にこんな生き物が過去にいたのかとボクは驚かざるおえなかった。
その化石を他の展示物達よりも一段と目を輝かせて見上げていた彼女は、不意にボクの視線に気が付いたらしいく、展示物から目をそらしてボクの方を見た。
そしてその後、顔を紅くして言った。
「その、そうやって見られていると照れる……」
ボクは慌てて謝った。
「ごめんなさい。アシュさんがあまりにも幸せそうだったので……」
「いや、私もこんなことにわざわざつき合わせてすまない。その……こんな私に幻滅したか?」
ボクは首を横に振って否定した。
「いえ。それどころか、アシュさんの新しい一面を見れてボクは嬉しいです」
「そ、そうか……」
それからその言葉に続いて彼女はどこか儚げな声音で言った。
「私も……君ほどではないが記憶のところどころに穴があるんだ。
だから、生前自分が『好きだったもの』を忘れていることが多々ある。
だけど、記憶がなくてもなぜかこの場所に強く惹かれた。
ここにあるものに強い感動を覚えた。
昔の私はこういうものを見るのがきっと好きだったんだな……」
彼女も記憶を一部失っているという新たな事実を知り、ボクは驚いた。
「……そうだったんですか」
それならばと思い、ボクは言った。
「じゃあ、これからもアシュさんの好きなものをどんどん見つけていきましょう。思い出していきましょう。ボクはそのお手伝いが出来るように頑張ります」
彼女はボクのその発言を聞いて少し驚いた顔になったのち、微笑んで言った。
「君は本当にいいやつだな……ありがとう」
彼女にそう褒められて、顔の温度が上昇したのを感じた気がした。
ボクはこれが『照れる』という感情なのだと初めて知った。
12
「もういいんですか?」
まだ施設内を見て回っていても全然かまわなかったボクは、出口の扉を開いた彼女に聞いた。
「ああ、もう十分だよ。わざわざ私の我儘に付き合ってくれてありがとう」
彼女は扉に手をかけながらそう答えた。
「いえ、ボクはただ着いて行っただけですから……」
「いや、私は君が共にいてくれるだけで嬉しいよ」
ボクはまたしても彼女の言葉に『照れる』という感情を持った。
そして、その他にもボクは自分の深い場所が熱くなるのを感じた。
この感覚は何なのだろうかと、ボクは疑問に思った。
しかし悩みに悩んだが、どうしてもその感情の名前は分からなかった。
きっと彼女の雰囲気がいつもと違うせいでペースが崩れたのだろう。
ボクはそう結論づけた。
博物館の出入り口から伸びていた階段を先に降り切った彼女は、「それじゃあ探索を続けよう」と階段を下りているボクに言った。
ボクは「はい。行きましょう」と答えた。
そうしてボクたちは再び静かな白い街を歩き始める。
歩きながら、ボクは彼女が忘れていた『好きな物』を思い出させてくれたこの街に感謝した。
そして、この街を訪れて本当に良かったと心から思った。
「そういえば……君の記憶はあれからどうだ?」
ふいに彼女がそうボクに話しかけた。
「ボクの記憶は……あれから特にこれといった進展はないです……」
ボクは正直に彼女へそう伝えた。
「そうか……」
彼女は静かに呟く。
その後少し間を置き、彼女はつづけて言った。
「きっと君も、この世界を巡っていればいつか失われたものを取り戻すことが出来るはずだ。だから、一緒に失ったものを取り戻していこう」
彼女のその言葉は純粋にボクの心に響いた。
ボクは相槌を打った。
「そう……ですね。ボクもきっと取り戻せると思います……」
なんの根拠もないが、それでもきっと彼女といれば自分の失われた記憶を取り戻せると、ボクは思った。
歩きながらそこまで会話をした時、彼女は突然立ち止まり、「ッ」っと息をのむ声をあげた。
それから彼女は片腕を上げてボクの進行を妨げた。
いったい急にどうしたのだろう。
ボクは何故立ち止まったのかを聞こうとした。
しかしボクが言う前に彼女が小さな声でその理由を言った。
「アンドロイドだ」
その声は先ほどまでの優しい声音とはうってかわり、鋭く冷たい声音だった。
ボクは彼女に言われて、ようやく前方に広がる道のはるか先に何か人型のようなものが見えていることに気づく。
ボクには距離がありすぎて黒い何かの影があると言った程度にしか分からなかったが、どうやら彼女にはあの人型がアンドロイドだとわかるらしい。
ボクは彼女の視力の高さに驚き、彼女がこの位置から視認できるのならば、あちらもボク達のことを視認出来てもおかしくないと思った。
気づかれるのは時間の問題だ。
正直ボクはこのまま何事もなく、アンドロイドを見なかったことにしてしまいたかった。
この場から立ち去ってしまいたかった。
しかし、きっと彼女はそうはしないだろうと言うことも内心分かっていた。
彼女は見て見ぬ振りなど決してしないはずだ。
ボクは静かに横に佇む彼女がこれからどういった行動に出るのか、緊張しながら見守っていた。
しばらくそんな沈黙が続いたのち、遠くに見えている人影が動き出した。
人影はどうやら想定していたよりも早くこちらへ気がついたらしく、凄まじい速さで此処に走ってきているようだった。
ポツリと遠くに見えていた程度だった影が、時が経つにつれて次第に大きくなっていく。
その光景を確認すると、彼女はボクに静かに告げた。
「何処かに隠れていてくれ。もし私が殺されたら、君はしばらく時間を置いて奴がいなくなってから逃げろ」
ボクはその縁起でもない言葉に何かを言いたかったが、彼女の真剣な表情に気圧され、口を噤んだ。
そして「分かりました。気をつけて下さい」と彼女に短く伝え、横にある建物の陰へ一刻も早くと隠れた。
彼女の役に立てないのは悔しいが、それが非力なボクにできる唯一のことだった。
ボクは物陰に隠れながら、顔を覗かせて人影の様子をうかがう。
すでに人影はだいぶ大きくなっており、ボクでも完全に姿形を目視できる距離にまで近づいていた。
その人影は彼女が言った通りアンドロイドで、黒髪の女性型だった。
きっと普通の状態だったらさぞ綺麗だったと思われるそのアンドロイドの美しい顔は、憎悪と苦痛に歪んでいた。
ボクはその憎悪に満ちた表情にいったいどれほどの苦しみをあのアンドロイドは感じているのだろうか、そして今まで感じてきたのだろうかと考えずにはいられなかった。
それ程までにそれは凄まじいものだった。
彼女はアンドロイドがある程度の距離まで接近したのを確認すると、背中にかけてあった比較的短めな黒い槍のような武器を手に取って構えた。
その動きと構えは何処までも洗練されており、いかにその武器を使い慣れているかがわかった。
彼女は構えをとったまま、一切動くことなくアンドロイドをその場で待ち受けた。
それから彼女のいる場所から18メートルほどの距離に接近した時、今まで一言も発さなかったアンドロイドは突然奇声を上げた。
「ア アア ア ア」
その声には人間らしさといったものはカケラもなく、やはり憎悪に歪んでいた。
しかしそれだけではないことにボクは気がついた。
その声には他にも感情が含まれていた。
それは悲しみだった。
それはまるでもう終わりにしてくれと懇願している様だった……。
その嘆きを聞いて、なぜ彼女がこんなにも危険なことをわざわざ行なっているのかがボクにもようやく分かった気がした。
彼女は応えているだけなのだ。
彼らからの救済を求める声に……。
彼女とアンドロイドの間隔は刻一刻と縮まっていく。
もう少しで彼女達の殺し合いが始まると考えると、ボクはどうしようもなく不安になった。
それからアンドロイドは彼女のすぐ目の前――5メートルほどの距離――といった所まで来ると、突然走るのをやめてその場へ立ち止まり、彼女を凝視したまま動かなくなった。
その全く予想の付かなかった動きにボクは動揺せざるおえなかった。
また、それはどうやら彼女も同じだったようだ。
彼女の顔に困惑の表情が浮かんでいる。
彼女は槍を構え直して、目の前に不気味にたたずむアンドロイドに対してさらに警戒を強くした。
その後そんな拮抗状態のまま両者は一歩も動くことなく、静寂の時が流れた。
ボクはその永遠ともいえる静寂の時間に、どちらがいつ先に動くのかと思わず息をのんだ。
そしてとうとうその静寂は、アンドロイドが先に攻撃を仕掛けることにより終わりを告げた。
アンドロイドは突如彼女へ突進し、ボロボロに損傷して人工皮膚が殆ど剥がれ落ちた黒い右腕を彼女に振り下ろした。
その攻撃はすさまじい速さだったが彼女は冷静に槍を両手で横に持ち変え、アンドロイドの腕を受け止める。
見た通りアンドロイドの腕力はすさまじいものだったらしく、彼女の攻撃を受け止めた槍からは「ガキッ」という金属音が鳴り響いた。
それから一瞬の間もなく彼女は槍の太刀打ちに振り下ろされた右腕を弾き返し、仰け反ったアンドロイドの胸部へと流れるように槍を持ち換えて刺突を試みた。
だが、その攻撃はすんでのところでアンドロイドが飛びのくことによってかわされた。
飛びのいたアンドロイドは地面を乱暴に転がり、すぐさま立ち上がる。
そうして両者はまたしても距離を取り、にらみ合う形となった。
アンドロイドは睨み合う間、まるで獣のような「ガ がガグ」という小さな声を絶えず発し続けていた。
その声はまるで、犬やそれに類する動物が敵を威嚇する際にあげるあの低い音と似ていた。
ボクは、もとは彼女と同じ人間だったはずのアンドロイドから、その獣のような声が発せられることに恐怖と哀しみを覚えた。
そんなボクに対して彼女は特にこれといった反応を表さず、相変わらず冷静なまま佇んでいた。
その様子から、きっと彼女はこのような声など聞きなれているのだろうとボクは思った……。
それから数巡の睨み合いの果てに、次に先に動いたのは彼女だった。
彼女は槍の中ほどを持ち、再びアンドロイドの胸部に刺突を試みた。
だが動きの素早いアンドロイドにその攻撃はまたしてもかわされる。
アンドロイドは槍による刺突を飛びのいてかわした後、そのまま身を捻らせ彼女にとびかかった。
しかしどうやらそのことを彼女は予想していたらしく、すでにアンドロイドの方へ槍を力の限り払っていた。
「グキリ」という嫌な音が鳴るとともに、その横に払われた槍の太刀打ち部分がアンドロイドの腹部をとらえめり込む。
彼女はそのままアンドロイドの体を槍の太刀打ちにめり込ませたまま振り払い、吹き飛ばした。
アンドロイドは身体をくの字に曲げて飛ばされ、体で地面を削った。
それからアンドロイドはしばらく動きを止めたが、やはりその一打は無力化するには足りなかったらしく、ゆっくりとした動作で立ち上がった。
不意に、立ち上がったアンドロイドから「う ウう……」と苦しそうな声がボクの耳に届いた。
ボクはそのアンドロイドの辛そうな声に、敵だということを分かっているにもかかわらず思わず胸の奥が苦しくなった。
だからもう一刻も早くその名前も知らない女性型のアンドロイドに、安息を与えてほしいと願わずにはいられなかった。
最後の足掻きなのだろうか、アンドロイドは彼女に声を上げてとびかかった。
だが、その攻撃にはもはや先ほどのような切れも力強さもなく、彼女は難なく体を横に反らして避けた。
そして、すれ違いざまのアンドロイドの脚を両手で握りしめた槍の太刀打ちでまたしても打った。
それと同時に「グギッ」と嫌な音が鳴る。
その音の大きさから、おそらく今の一打でかなりの破損を脚部に与えたであろうことが推測できた。
案の定脚を打たれたアンドロイドは、もはやとても立っていることすら出来なくなり、そのまま地面へ前かがみに転がっていく。
そんなアンドロイドのもとへ彼女は静かに歩いて近づいた。
その間もアンドロイドは地べたを這いずり回り、逃れようと地面を掻きむしっていた。
それから彼女はとうとうアンドロイドの目の前まで近づくと、槍を両の手できつく握りしめ、空高く振り上げた。
アンドロイドは相変わらず彼女に背中を向けたまま地面を這っている。
彼女はそんなアンドロイドの様子を悲しそうな目で一瞬見つめ、アンドロイドの背面胸元へと振り上げた槍を一切の容赦もなく突き刺した。
「グサリ」とアンドロイドの体の奥深くまで槍が刺さる音が鳴り響く。
それと同時に白い液体がアンドロイドの傷口から溢れ出した。
彼女は飛び散る血に体が濡れることを一切気にせず槍を深く深くへと突き刺していった。
そのたびにアンドロイドの口からは悪夢のような「アあアアアアアアああアアあアアアアア」という悲鳴が鳴り響く。
ボクはその光景をみて、胸が張り裂けそうになるほどに苦しくて苦しくて仕方がなかった。
実際にやっている彼女はいったいどれほどの苦痛を感じているのだろうか。
きっとそれはボクとは比べ物にならないほどなのだろう……。
アンドロイドの嗚咽ともとれるその叫びは次第に先細りになって消えていった。
そして、アンドロイドが槍に貫かれたまま完全に動かなくなると同時に一切の音が止んだ。
彼女はその死の合図ともとれる光景を見届けると、ピクリとも動かなくなったアンドロイドの背から槍を引き抜く。
その後、彼女は槍を片手に持ったまま地面に跪き、槍を持っていないほうの手でそっとアンドロイドの亡骸に触れた。
そして頭をうなだれ、「すまない」とただ一言だけ声を発した。
その声はどこまでも深い哀しみを含んでいた……。
ボクの視界の中に不意に、白い血溜まりの中に倒れるアンドロイドの顔が映る。
あれだけの悲鳴をあげていたはずのアンドロイドの顔は先ほどまでと比べ物にならないほどに穏やかで、まるで感謝をしている様だった。
13
あれからボクは道の真ん中に座り込んだままの彼女のもとまですぐに駆け付けた。
戦いを終えた彼女はかなり消耗をしており、その場から動けなくなってしまっていた。
だから、ボクは消耗した彼女のことを担いでひとまず街の外まで避難した。
その間彼女は「待ってくれ……彼女の墓を……」とボクに言った。
確かに先ほどのアンドロイドの墓を作って弔いたいという気持ちはボクにもあった、だが今の状態でもしあの街にいるかもしれない別のアンドロイドと遭遇したら、命はないだろう。
だからボクは彼女に「またあとで戻って、必ず作りましょう」と言って、渋る彼女を無理やり納得させた。
それから街の外に出たボクたちは、少し離れた場所にあった巨大な木の下で休息をとることにした。
その木を見つけたときにはすでに、さっきまで明るかったはずの空はすっかり暗くなっており、幾万の星々が瞬いていた。
巨木の根の元まで辿り着くと、ボクに担がれている彼女は「もう大丈夫だ……ありがとう」と言った。
ボクはその言葉を聞いて、彼女のことを地面にできるだけ優しく降ろす。
その際に見えた彼女の顔には先ほどと比べ幾分か回復したようだったが、それでもまだ疲労の色が濃く出ていた。
それからしばらくの間身体を仰向きに地面へ横たえ、夜空を眺めながら休息を取っていた彼女は、不意に顔をこちらへ向けて言った。
「すまないが、私はもう休むよ」
「分かりました。おやすみなさいアシュさん……」
「ああ……おやすみ」
その言葉を最後に彼女は瞳を閉じ、完全なスリープ状態に移行した。
ボクや彼女の様な機械に睡眠という概念はないが、それでも長い間活動を続けるとどうしても体内の各器官に熱が溜まる。
そして熱が貯まりつ続けると当然のようにオーバーヒートを起こし、体のあちこちに異常が出る。
そのためボク達も幾日かに一度、人間の様に休息をとらなければならなかった。
それに今日の彼女は凄まじい疲労と負担を感じたはずだ。
だから普段よりも長い休息が必要だろう。
先程の緊張した表情とはうって変わり、目を閉じて穏やかな表情で眠る彼女の顔をボクは見つめた。
唯一の光源となる月光に優しく照らされた彼女のその顔は、いつもより一回りも二回りも幼く見えた。
彼女はいったい今まで何度あんなことをたった一人で繰り返してきたのだろうかとボクは思った。
その数はきっとボクの想像もつかないほどなのだろう。
人工皮膚が所々剥がれ、傷だらけになった彼女の腕や脚から、そのことは明らかだった。
ボクはその事実にまたしても酷く胸の奥が痛む様な感覚を感じた。
出来ることならば、ボクが彼女の背負った業苦を肩代わりしたい。
しかし、それは叶わぬ夢だ。
非力なボクでは到底アンドロイドに太刀打ちなど出来ないのだから……。
ボクは、目の前に眠る女性一人すら助けられない自らの力の無さを呪った。
何故ボクにはアンドロイドを打ち倒せるだけの力がないのだろう。
何故ボクには、何故、何故……。
ひたすらにそんな意味のない悩みを巡らしていたその時、目の前で眠っていたはずの彼女はゆっくりと瞼を開いた。
ボクと彼女は目が合う。
しばらくボクのことを静かに見つめた彼女は横になったまま言った。
「まだ休まないのか?」
ボクは今まで考えていたことのせいで一瞬暗い声がでそうになったが、努めて気持ちを落ち着かせて応えた。
「はい。もう少ししたらボクも休みます……」
その言葉を聞くと、「そうか……」と彼女は短く言った。
それから少しの間を置き、何処までも落ち着いた声で言った。
「私の勘違いだったらすまないが、もしかして今日のことで何か思い悩んでいるのか?」
ボクは彼女の言っていることがあまりにも的確だったため、動揺せざるおえなかった。
嘘は極力つきたくないが、いま本当のことを言えば彼女にまた心配をかけてしまうかもしれない。
だからボクはざわつく心を無理やり押さえつけ、「いいえ……」と否定した。
そのボクの言葉を聞いた彼女は微笑した。
「君は本当に嘘をつくのが苦手だな。声が震えていたぞ」
痛いところを指摘されボクは思わず押し黙ってしまった。
「……」
彼女は語りかけるように優しい声音で続けた。
「これは私の単なる独り言だから、聞き流してくれ……今日の出来事も、今まで私が行ってきたこともすべて、私が勝手にやりたいからやっているんだ。
ただの自己満足のための行為なんだ。
だからエウペ、君が何かを気に病む必要は全くないし、悩む必要も全くない」
どうやら彼女には全てお見通しらしい。
しかし、そんなことを言われても心配するに決まっている。
悩むに決まっている。
だってボクの『目的』は君の役に立つことなのだから……。
「そんなこと言われても。ボクは心配します……」
その言葉を聞いた彼女は少し困った顔をして、申し訳なさそうに言った。
「そうだな……心優しい君ならきっとこんな私のことでも心配してくれるんだろう……すまない。
でも、私は彼らを殺すことをやめない。見て見ぬふりなんて私にはできないんだ……」
何処までも心優しい彼女は、そう言うはずだとボクは知っていた。
だからボクは、心の底から思っていることを彼女に伝えた。
「ボクは……ボクはアシュさんの行いは正しいことだと思います。
彼らは、みんな救われたと……長い長い苦しみから解放されたと思います。
少なくとも今日、ボクにはそう見えました」
彼女は一瞬驚いた顔をし、それから微笑んだ。
「……ありがとう。君にそう言ってもらえるだけで私は救われる……」
ボクの今の発言は思ったことをそのまま言っただけだったので、そんなつもりはなかったが、それでも彼女にそう感じてもらえたなら良かったと思った。
それから彼女は不意に、まるで照れを隠すように無理矢理作った様な明るい声で言った。
「さて、話はこれくらいにして私はもうそろそろ本当に休むよ。エウペも早く休んだほうがいい」
ボクは相槌を打ち、同意した。
「そうですね……おやすみなさいアシュさん」
彼女は静かに瞼を再び閉じ、「ああ……おやすみエウペ」と言った。
そしてそれを最後に次こそ彼女は眠りについた。
その様子を見届けて、ボクもいい加減眠ろうと思った。
ボクは全く意味はないが彼女の真似をして、まるで人間の様に仰向けに横になった。
視界一面に広がる星空は何処までも美しくて、ボクはその空へまるで吸い込まれていく様に眠りについた。
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