自動車世界はどこへ向かうか

@autorepo_editor

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最近の自動車業界のトピックとして、自動運転というものが盛んに取り沙汰されるようになってきています。特に経済系メディアでは「果たして、日本の自動車メーカーは世界の時流についていけるのか」という論調でよく語られている印象があります。


しかし、時流に流されたその先に果たしてどんな世界が広がっているのでしょうか。そんなことについて考えてみたいと思います。


自動運転の実現した世界を想像してみましょう。ここで言う自動運転とは、日産の言うところの自動運転(註釈付き)ではなく、乗員が全員酒を飲んでいようが眠っていようが走ることのできる、いわゆる完全自動運転のことです。


事故も渋滞もない世界が実現すれば、それは道徳的に素晴らしいことです。車を運転する楽しさを奪われた私のような車好きは不満に思うかもしれませんが、車から興味を失いつつある現代人の大半からすれば、そんなことはどうでもいいはずです。


しかし、自動運転を開発しているメーカーが思い描き、そして顧客に見せている美しい夢風景だけでなく、もっと別の、起こるかもしれない問題についても想像してみることにしましょう。


自動運転が普及すれば、おそらくはカーシェアリングが主流になっていくことでしょう。


車自体の価格や維持費はあまりにも高額で、それが車離れの原因であるとも言われています。


しかし車は、公共交通機関と違って自分一人、もしくは気心の知れた人間としか乗り合わせることはなく、駅の中を重い荷物を持って歩き回る必要もありません。なにより、ドア・トゥ・ドアで目的地に辿り着くことができます。要するに、利便性では(速度では飛行機や新幹線に劣るかもしれませんが)ほとんどあらゆる公共交通機関を上回ります。


つまり、自動運転カーシェアリングによって自動車が低価格で利用できるようになれば、車はより多くの人に利用されるようになるでしょう。


そして、それまで自家用車を利用していた人たちも、自分で運転しなくてよいカーシェアリングが登場すれば、家の前まで車を呼び寄せることができるのだから、わざわざ自家用車を保有する意味はないと考えていくようになるでしょう。


おそらく、自動運転カーシェアリングの時代には、3社寡占の携帯通信ネットワークのごとく、数社の企業が大量の自動車を日本中に配備し、会員が車を要求した場合、もっとも近い場所にある使われていない車が無人運転により顧客の元へと届けられるようなシステムが構築されていくことでしょう。


この場合、自家用車と違って、「思い立ってすぐに出掛ける」ということができません。しかし、毎日の通勤通学であれば時間はだいたい決まっていますし、僻地でもない限り、配車要求からタクシー程度の待ち時間で車を送るシステムは作れるのではないかと思います。


配車要求をして10分や20分待つのが嫌だからと、数百万円の車をわざわざ自分で購入する人がどれほどいるのかと考えると、ほとんどいないのではないでしょうか。


少し話は変わりますが、日本には自分の車を「愛車」と呼ぶ文化があります。愛犬と同じように、「愛」を付けて車を呼ぶという風潮を、車に興味のない人は、あるいは気持ち悪いとさえ感じるかもしれません。しかしどうしてそこまで自分の車に愛着を感じるのか考えてみると、その理由のひとつは自分(と家族)だけの居場所であること、そしてもうひとつは、自分が運転するから、それに尽きると思います。


自分が使うカメラに愛着を持つ人はいても、自分を撮ってくれるカメラマンが使っているカメラに愛着を感じる人はいないように、自分が運転しない車には「所有欲」をあまり感じないのではないでしょうか。そういう意味でもやはり、自動運転の時代にはカーシェアリングが主流になるのではないかと予測されます。


話を自動運転カーシェアリングのシステムの話に戻しましょう。自動運転車が配車要求をした顧客の居場所に到着したとき、車がどこに停まって顧客を待機するのか、疑問に思った人もいるかもしれません。当然ながら、自家用車を保有していない人の家に駐車場などあるはずがありません。


しかし、解決策はあります。路上駐車すればいいのです。当然、車を人が運転する現代の価値観であれば「路上駐車=危険」と考えられますが、自動運転車がネットワークで繋がった未来においては、路上駐車している車を安全かつ迅速に避けることなど容易いでしょう。


自動運転の普及によって起こるかもしれない問題について論じると言っておきながら、それについてまるで論じずにカーシェアリングの話を延々と続けてきました。しかしようやく本題に入ることができます。


大半の自動車はほとんどの時間を駐車場で過ごします。それはあまりにも無駄です。カーシェアリングが主流になればその無駄が排除され、世の中に存在する自動車の数は大幅に削減されるでしょう。そうなれば、環境負荷は減少し、渋滞もなくなり、そしてほとんどの自動車メーカーが潰れて、大量の失業者が出てくることになるでしょう。


もちろん、地球環境のことを考えればその程度の(果たして、大手自動車メーカーの大量倒産ないしは規模縮小が「その程度」で済まされるのかは分かりませんが)経済的影響は仕方がないと考える人もいるでしょう。それはそれで結構です。


私が疑問に思っているのは、どうして自動車メーカー自らが自動運転の開発に注力し、自滅への道程を歩んでいるのか、ということです。


もし仮に自動運転の開発リーダーになれたところで、果たしてその自動車メーカーの未来は明るいのでしょうか。よしんば明るかったとしても、その明るさの影で他のほとんどの自動車メーカー(そしてあらゆるバス会社、タクシー会社)が苦しみながら消えていくのではないでしょうか。

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