第二十五話 希望の日の出

 嵐のような風に煽られて目を細める。強風の中でも平然と立つ山火さやを見て、僕は一歩踏み込んだ。


「西萩、止まれ」

「えっ、うわ」


 肩を掴んで僕を引き留めたのは船江だ。まだ顔色は悪いが、その目はまっすぐに儀式の場を見つめていた。


「ここから視て、山火さやから左右五メートルに一つずつ術式がある。怪異が封じられてるのが左側だ。右側はまだ起動してないが、ものすごく嫌な何かが出てるぞ」

「どうしようかな……妨害策って結局見つかったの?」

「この手の儀式は取り仕切ってる奴を止めれば中断できる。この場合は山火さやだが……」

「つまりほとんど無理ってことだよね」


 顔をしかめるが、それで事態が好転することはない。

 さやは陳列された菓子を選ぶように並んだ信者を眺め、やがてそのうちの一人を指さした。


「じゃあ、まずはあなたから」


 示された男は歩き出し、船江が言った術式のあたりで立ち止まった。男は何かを呟く。僕からは距離がったので何を言っているかは聞き取れなかった。数秒の間をおいて、男の口から黒い靄が吐き出され、その頭上に渦を巻くように停滞する。僕にも、視えた。


 男は黒い靄を吐き出し終わると、そのまま風にかき消されるようにいなくなった。きっとこれも、人外集団失踪事件に使われていた転送術なのだろう。

 その後を追うように、今度は別の信者が術式に足を踏み入れる。それをひたすらに繰り返しながら、儀式は着々と進んでいた。


「この儀式、一度に大量の怪異を除去できるんですけど、人間から記憶と感情を抽出するのに時間がかかっちゃうんです。あらかじめ採取できれば楽なんですけど、こういうのって新鮮じゃないとダメなんですよね。ほんと、不便」


 物憂げな顔をして、さやが言った。表情を一転させ、今度は笑顔を張り付けて少女が僕たちを見た。


「だから待ち時間の話し相手として、お二人をご招待しました」

「俺を呼んだのは手伝いらしいが」

「はい。ここにいる信者でもリソースが足りなかったら船江さんにもお願いしますよ」


 僕の肩を握る船江の手に力がこもった。見れば、その目から嫌悪と怒りが滲んでいる。


「西萩さんは観客です。こんな記念すべき日なのに誰も見てくれないってのも寂しいですからね」

「観客?」

「だって、怪異を助ける事務所なんて忌々しい場所の責任者なんでしょう? だったらこの儀式を見届けてもらわなくちゃ」


 さやはポケットに手を入れて僕に微笑んだ。風に弄ばれる黒髪が顔にかかっていて、目元がよく見えない。


「私ね、二子玉川で初めてお二人を見た時驚いたんです。勧誘しながら、なんか変な二人組が探し物してるな、としか思ってなかったんですけど。お二人が手分けするみたいに別れて、船江さんがのっぺらぼうの顔を追いかけてて、その後西萩さんに会って声を掛けたらやっぱり変な人で」


 楽しかった記憶なのか、少女の声は不自然に明るい。


「次に会った時に声を掛けたら面白いくらい動揺してて。チラシ燃やされたの怒ってると思ったのかな? あぁそうそう、デートもしましたよね。あの時のシナモンロール、美味しかったなぁ。お金も払ってもらって、ごちそうさまでした」


 弾んだ声色のまま、さやは僕を見た。少し首を傾げながら、親愛の滲む声で語り掛ける。


「ねえ、西萩さん。写真、覚えてますか?」


 心臓のあたりが嫌な軋みを覚えた。思わず生唾を飲み込み、息を止める。確かに僕は、あの時ゆきちゃんと引き換えに写真を残すことを許した。が、今になってそれが出てくるなんて。


「写真? 西萩、何のことだ」

「私と西萩さんのツーショットですよ。すごい綺麗に撮れてるんです……おかげで、加工の手間も省けました」


 ポケットから何か白いものを取り出す。その形は人間をかたどっていて、顔の部分には別の紙が貼られていた。まさか、と声を出す前にさやはそのヒトガタに何かを唱えた。


「あ、れ?」


まず、膝から力が抜けた。まっすぐ立つことが出来ず、無様にその場で尻もちをつく。視界がぐるりと回って、どんなに目を凝らしても辺りが水面に映った風景のように絶えず歪んでいた。まるで酷く酔っぱらった時のようだが、不思議と吐き気はない。


 僕は立ち上がろうとして、また地面に激突した。ダメだ、力が入らない。


「西萩!」

「甘いですよね、西萩さん。私が術者だって分かっててどうして写真をそのままにしたのか不思議だったんですけど……なぁんだ、別に防衛策があったわけじゃなかったんだ」


 山火さやの声が聞こえる。その音も反響して僕の意識を歪ませた。


「簡単な嫌がらせですよ。ちょっと強めに調節してあるから、しばらく立てないんじゃないですか?」

「う、あ……?」

「おい、聞こえてんのか。札使え、札」


 船江の声も聞こえた。僕は力が入らない腕に必死に活を入れてスーツの内ポケットから一枚取り出した。握りこめば、身体が軽くなる。反響を繰り返して耳障りだった音もすっかり元に戻った。


「ほんとこれ不思議だよね……」

「呪いってのはほとんど思い込みだ。「呪われた」と思うから余計にドツボにはまる。それくらい覚えとけ、馬鹿」


 船江の悪態に苦笑いをこぼして僕はゆっくりと立ち上がった。まだ足は覚束ないし視界は渦を巻いているみたいで最悪だ。まだ呪詛の大元であるヒトガタを処分できていないせいだろう。僕のなけなしの知識でもそれくらいは分かった。


「なんで、何で君は、そこまでして怪異を消したいんだ」


 僕の言葉に、さやはきょとんとして答えた。


「前にもお話ししましたよね? 私は、私を苦しめる存在がいない世界を作りたいんです」

「でも君は既に、身を護る術を知ってる。それでも消すって言うの?」

「……それじゃ、ダメなんです」


 さやは頬を押さえて、冷静さを保とうとしながら言葉を続ける。


「ダメなんですよ……。私だって、あんな家に好きで生まれたんじゃない……毎日毎日、学校が終われば希望の日の出の集会に出ました。オカルト好きの変人だって嫌がらせを受けて、学校にも居場所が無かった……! 家に帰れば術の訓練! もううんざり! 勧誘の時だって、酷い事を言われたこともたくさんある! 「あそこのおうちは変な宗教だから近付いちゃだめよ」なんて言葉は小さい頃から付きまとって! 私だって……私だって、





私だって、普通の女の子でいたかったのに!」


 少女の悲痛な叫びが響いた。今にも泣きそうなその顔は、ずっと仮面のような笑顔を浮かべていたさやとは別人のようだ。彼女は頭を緩く振って堰を切ったように声を上げた。


「どうして私なんですか!? 小さい頃から、何度も何度も酷いけがをして、周りの友達も傷つけて、それが怪異の所為なら消すほかにないじゃないですか! 私だって、みんなみたいに、普通がよかった……どうして私は、友達と一緒に勉強会にいけないんですか? どうして私は、恋もできないんですか? どうして私は、こんなに苦しまなくちゃいけないんですか!?」

「……君、は……」

「普通の生活に憧れを持って何がいけないんですか!? 学校に行けば仲良く同級生と授業を受けて、帰りはちょっと寄り道してカフェでおしゃべりしたり美味しいもの食べて、家に帰れば優しい家族が待ってて、休日は好きな人とデートして、どうしてそんなことを望んじゃいけないの!?」


 その時、僕の背後で船江が身じろぎした。僕が反応する前に、さやが鋭く叫ぶ。


「邪魔しないで!」


 飛んできた言葉を受け、船江はその手から一枚の札を取り落とした。見れば、手が震えている。顔をしかめて彼が呟いた。


「視えてたのに防げなかった……あいつ、本当に化け物か」

「……ふふ、あはは……船江さん、攻性の呪符なんて持ってたんですね。そんな物騒なもの私に向けて……酷いなぁ。ほんっと、酷い人」


 そう言いながら、さやは頭上で増え続ける黒い塊を仰いだ。気がつけば、あれほどいた信者たちの姿は影一つ残さず消えていた。しばらく頭上を見つめてから、わざとらしく顎に指を添えて唸る。


「これじゃやっぱり足りなさそうです。計算では間に合うはずだったんだけどなぁ……取れ高、意外と少なかったみたい」


 その言葉に船江が目を見開いた。驚く船江に満足したのか、さやは楽し気な笑みを形作って船江に手を伸ばす。


「思い出してください、船江さん。怪異によってひどい仕打ちを受けた過去、記憶、その憎しみ……思い出して、思い出して、思い出して思い出して思い出して思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ! 船江鶸!」

「がっ」

「船江!」


 奇妙な声を出して、船江が崩れ落ちた。頭を押さえながら目を固く瞑っている。背中に触れようとして、その手を弾かれた。


「やめろ……触んな……」

「船江……」

「……やめろ……嫌だ……」


 呻きながら頭を抱える船江に、僕は何もしてやれない。さやはそんな僕を嘲笑った。


「怪異を助ける事務所の所長さんなのに、何もできないんですね。たった一人の所員も助けられないなんて、お笑い草です」


 僕はその言葉に拳を握りしめた。物部が左手にくれたナイフも、結局は護身用だ。彼女の言う通り、僕は結局何もできない。




 瞬間。僕の頭にあるアイデアが浮かんだ。意味があるかもわからないし、成功する可能性だってないかもしれない。突拍子もない考えだが、今の僕にはそれしか思いつかなかった。




 要は、山火さやを無力化して、彼女を怪異から遠ざける方法があればいいのだ。

 僕は懐の札を四、五枚取り出して握りしめた。視える船江ですらあの有様なのに、果たして僕が対抗できるのか。


 ――でも、やるしかない。


「思ったより強情なんですね船江さん。自己暗示が上手い型の人間なのか、あるいは単に意志が強いだけなのか」


 困ったように眉尻を下げてさやが呟く。僕は彼女に向けて一歩踏み出した。今度は、船江は僕を止めない。


「山火さや。君の言う「普通」って、怪異があっても実現できるものじゃないの?」

「……えっ?」

「学校に行って友達を作って、寄り道もするけど家に帰って……それって、怪異がいてもいなくても変わらないんじゃないかな? 親の因果が子に報うって言うし、人間同士だって当たり前にあることなんだから」


 歩みを着実に進めていく。僕とさやの距離はみるみるうちに縮まっていき、怯えたようにさやが叫んだ。


「こ、来ないで!」


 意志を持った言葉が僕の足をその場に縫い留めようとする。僕は握りしめた札に意識を集中させて、止まろうとする足を動かした。あっという間に護身用の術式が書かれた紙は黒い燃えカスと化し、使い物にならなくなる。懐から新しい護符を抜きながら後ずさるさやを追いかけるように、僕はそのまま進み続けた。


「怪異って、人の頭の中に存在するんだったよね……だったら、君の頭の中にも存在している」

「やだ、やだ! 来ないでってば!」

「っ、だから、君がそもそも怪異を認識できなければ、その度重なる呪いだって、ただの不幸になる」

「来ないでよ……来るな!」


 ひと際強い言霊が呪いとなって飛ぶ。一瞬、護符に触れるのが遅かった。


 破裂音が僕の頭の中で鳴った。視界が白く染まる程の衝撃が脳を走り抜ける。


 あ、これ、死んだかもしれない。


 頭の隅でどこか冷静にそんなことを考えていると、ふと煙草の匂いが鼻をくすぐった。僕が愛飲している煙草の匂いではない。これは、儀式場に来る前に吸った、物部の――。


 そこまで思い出した瞬間、一気に視界が開けた。瞬きを繰り返せば、いつも通りの溝の口の風景が目に飛び込んでくる。どうやら、もろに山火さやの言霊を受けて数秒だが意識が飛んでいたらしい。茫然と立ち尽くしていた足は問題なく進むし、札に触れなかった手も動く。


 さやは荒く息をしながら肩を上下させ、涙を浮かべて僕を睨みつけていた。僕は、そんな彼女と目を合わさないよう、俯きながら距離を狭めていく。

 手を伸ばせば届く距離まで近付いた山火さやは、怒りと恐怖で顔を歪ませていた。彼女の背後には、既に信者たちの記憶と感情を吸い取った術式が広がっている。


「あ……やだ、やだよ……」

「山火さや。君は普通を求めていた。自分に害を与える世界を変革するって言ってた。でもさ、それじゃまかり通らないことだってあるんだよ」


 僕より背の低い女の子の肩に手を置き、そのままそっと押し出す。


「何か求めるなら、まずは君から変わらなくちゃいけなかったんだ」


 力をそれ程入れずとも、少女の軽い身体は簡単に倒れた。最後に見せた表情は泣くまいと堪える子供のようで、きっとこれが本当の彼女なんだろうな、と思った。


 僕には視えない術式に山火さやは足を踏み入れ、そのまま数瞬。その身体から彼女を今まで苦しめてきた記憶、行き場が見つからずどうしようもなかった感情が形を成して溢れ出てくる。もともと頭上に浮いていた靄と一つに溶けあうが、術を行使するはずだった術者が消えたことで行き場を失ったように揺らぎ始めた。そのまま、怪異に苦しんだ人間たちの感情と記憶はゆっくりと煙草の煙に似た速さで夜気に染み込んだ。


「……西萩」

「あ、船江。大丈夫?」

「なんとかな……頭が割れるかと思った」

「物部さんに視てもらう?」

「断固拒否だ」


 顔をしかめながら近付いてくる船江に振り返りながら、僕は苦笑いを浮かべた。

 僕の横を通り過ぎ、船江は倒れている山火さやの手首に触れて脈を確認すると、「生きてるな」と呟いた。


「……お前、あれでよかったのか」

「あれって?」

「怪異に関する感情と記憶を消して認識を薄めたところで、こいつへの攻撃は止まない。むしろ抵抗する手段がなくなって死ぬかもしれないんだぞ」

「でも、「怪異の仕業だ」って思わなければ効果は弱くなるでしょ? だって彼らは人間の頭の中にいるんだから。それでもだめだったら……その時は、もうご先祖様を恨むしかないよね」

「……山火さやも言ってたがお前は薄情だな、西萩」

「そうかもね」


 気がつけば風はすっかり穏やかになり、周囲は静けさを取り戻していた。東から明るくなる空は厚い雲に覆われていて、今日という日が陰鬱になるのを示しているみたいだ。


「希望の日の出、か」


 船江がふと口を開いた。目を細めて山火さやを見つめている表情から、僕は船江が何を考えているのか読み取れなかった。


「こいつの結末からすれば、皮肉な名前だな」

「……そうだね」


 僕はポケットからスマートフォンを出して、三回画面を押した。耳に当てた部分から聞こえる声に、返事をする。







「……すいません。女の子が倒れてるんです。場所は、溝の口の高津区役所前で――……」

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