第二十二話 あと、ふつか

 返答のない丹田さんとの会話をしていると、上着のポケットが震えた。スマートフォンの画面には船江、と書かれている。休日に船江から電話がかかってきたことは今まで一度もなかったので、目を丸くしながら通話を繋げた。


「……おい。今どこにいる」

「もしもし? え、今? 津田山の霊園だけど」

「用事済んだら事務所来い。話がある」

「え、突然どうしたの……船江、なんかあった?」

「それも含めて話すことがある。三十分で事務所だ」

「いや、さすがに三十分は無」


 切られた。挨拶もなしにいきなり呼びつけてくるなんて、本当に船江はどうしたのだろう。首を傾げながらも、遅れると飛んでくるであろう蹴りを回避するために僕は事務所へと急がなくてはならなかった。


 事務所に到着すれば、そこには既に船江が待っていた。眉間に皺こそ寄っているが、考え事をしているのか意識はほとんどこちらに向いていない。


「お待たせ。珍しいね」


 声を掛けると、こちらを見て船江の表情が一瞬で歪んだ。これは相当機嫌が悪いらしい。背負っていたリュックを適当に放り投げて、僕は来客用のソファに座った。船江は僕をしばらく無言でみつめてから、質問をぶつけてきた。


「道中誰かに会ったか」

「いや? 別に知ってる人には会わなかったけど」

「煙草は」

「今日は吸ってない」


 そこまで言うと、船江が大きくため息を吐いて僕に近寄り、突然僕のパーカーのフードの中に手を突っ込んだ。


「わっ、な、なに!」


 無言の船江はフードから取り出した札をひらつかせて見せる。呆気にとられる僕に腹が立ったのか、そのまま札を握りこんで拳で僕の頭を殴打した。鈍い音が静かな事務所に響いて、僕はその痛みに目を白黒させる。若干涙も出てきたかもしれない。


「いっ……たい! 何! 休日に呼び出していきなりこれ⁉」

「尾行されてんじゃねえよ。術掛けられたぞお前」

「げ、嘘」

「陽の匂いだった。大方、すれ違いざまに掛けられたんだろ。術式も杜撰だから男、しかも初心者の仕業だな」


 下手くそめ、と船江が不機嫌そうに鼻を鳴らす。僕はまだ痛む背中をさすることもできずにいた。痛い。


「陽って……ただの興味だけで聞くんだけど、それって陰とどう違うの?」

「黴と煙草の饐えた匂いがする。だから煙草は嫌いなんだよ」

「あ、そういう理由だったんだ」

「紛らわしいからな。あとは単純に匂いが気に入らない」


 船江は札を引き裂いてゴミ箱に投げ捨てると、ソファに勢いよく座り込んだ。足を組み、背もたれに腕を掛けて疲れたように頭を掻く。


「それで、話って何?」

「山火さやに会った」

「は?」


 思わぬ一言に間抜けな声が出た。驚く僕を放って船江は話を続ける。


「話には聞いていたが、あれは相当厄介な術者だ。お前、本当によく無事だったな」

「いや、全然話が見えないんだけど、何で山火さやに? 連絡先とか知ってるの?」

「知ってるわけないだろ馬鹿か。野暮用で外に出たらいたんだよ」


 普段、僕に憑いてきた(らしい)呪詛を祓う時より船江は不機嫌そうだ。


「何を話したの?」

「希望の日の出の目的と手段。それが成功すれば、溝の口にいる怪異はほとんど全滅だ」

「は?」

「お前はそれしか言えないのか」


 突拍子もない話なのだから、それくらいは勘弁してほしい。


「だって、全滅って……確かに山火の目的は怪異の撲滅って言ってたけど、そんなこと本当に可能なの?」

「理論上はな。奴らからすれば、いちいち一体ずつ祓っていくよりもずっと効率がいいんだろうよ」

「それ、どうやってやるの?」

「……説明してわかるのか?」

「う……何とか頑張ってみる」


 僕の心もとない返事に船江は眉を顰めるが、何も言わず目の前のテーブルに紙とペンを用意した。


「西萩。一にマイナス一を足すとどうなる」

「ゼロでしょ。それくらいわかるよ」

「そう言う事だ」

「どういう事!?」

「怪異が人間の認識の中に存在してるのは知ってるだろ」

「知らなかった……」

「……お前、本当になんでここの所長やってんだ」


 そんなの、僕の方が聞きたい。その言葉は飲み込んで、僕は苦笑いを浮かべるしかなかった。船江は紙面にペン先を滑らせながら説明を始めた。


「とにかく、怪異は人間が「いる」と思うから存在する。視えない人間ははっきり怪異を認知できないからな。怪異が存在することで起きる出来事は見えるから、そういうモノを感じて「ここには視えない何かがいる」と思うわけだ。ここまでは良いか」

「うん」

「続けるぞ。今回希望の日の出がやろうとしているのはその存在の否定だ。人の頭の中の「いる」という認識に「いてほしくない」というエネルギーをぶつけて対消滅を企てている」

「なるほど、だから一マイナス一でゼロになるんだね」


 僕は船江が書き記した紙を見ながら呟いた。コピー用紙には左右に「怪異 肯定(信仰)」「認識 否定(恨み)」と分けて書いてあり、双方から伸びた矢印が真ん中でぶつかっている。そこに大きくバツ印がつけられていた。


「対消滅だから両方とも消える。怪異も、儀式に使われた記憶も感情もだ」

「じゃあ、怪異に関する情報も消える? やっぱり仕事なくなっちゃうのかな……」

「呑気な事言ってる場合か」


 僕は眉間に皺を寄せた船江に手元の紙を返した。船江はその紙を適当な場所に放って天井を仰いだ。


「山火さやの話によれば、儀式は二日後だ。それまでに何とかする方法を探すぞ」

「具体的にどうしたらいいかな」

「俺は連絡が取れる怪異の連中に避難を呼びかける。あとは儀式に使われる術式の調査と、妨害策を探すからお前は……そうだな、護符をかき集めてこい。効力が弱くてもいいからありったけだ」

「分かった。明日には注文した護符も届くし何とかしてみるよ」


 僕は船江に頷いてみせた。船江はソファから立ち上がって自分の作業椅子に腰かけ直しパソコンを起動した。


「西萩」

「何?」

「手が空いたら物部のところに行って護身用の道具でも借りてこい」

「……なんか、今日は良くしゃべるね船江」

「うるせえ。時間が惜しいんだよ」


 キーボードを叩く手を休めずに船江が舌打ちをする。僕は焦っているらしいそんな彼に何も言う事ができなかった。





 事務所の護符を集め終わった僕は、船江に言われた通り高津図書館に来ていた。今日の手土産はせんべいの詰め合わせ。急遽コンビニで調達してきたものなので見てくれはそこまで良くない。いつも持ち歩いている手帳に挟んでいた黒い鍵を持って中に入り、何時ぞやと同じように物部の部屋に案内される。


 物部は煙草を吹かしながらこちらを見て楽しそうな笑みを浮かべた。


「来たね、坊や。今日は何の用だい」

「こんにちは物部さん。これ、よかったらどうぞ」

「二回目だってのにすっかり慣れたみたいだねぇ……せんべいかい? 甘い方が好きなんだけどまぁいいか」

「今度から気を付けます」

「殊勝なことで。ピヨピヨとは大違いだ」


 ご機嫌な様子で火のついた煙草を咥えながら喉の奥を鳴らすように笑った。


「それで? 何かあって来たんだろう? 大方予想はついてるがね」

「あはは……えっと、護身用の道具を借りれるって船江から聞いたんですけど」

「何から身を護るんだい。呪詛、人外、術式、障害、種類はあげりゃキリが無い」

「……えっと」

「というか、術の耐性は前にやっただろう? あれはどうしたんだい」

「あ、それは本当にありがとうございました。おかげで命拾いしたみたいで」

「ふーん……手、見せてみな」


 言われるがままに、僕は以前ナイフを刺された手を差し出した。ふむ、と物部はその手を興味深そうに見る。


「あぁ本当だ、刃こぼれしてるねえ。結構な呪いを切ったと見える。普通じゃ短期間でこんなにはならないんだけど、あんたよっぽど変なのに触ったのかい」


 僕の手を触ったりひっくり返して手の甲を眺めたりしていた物部は、やがて満足したのかその手を離した。


「一応手入れはしたけど、こんなのが続くようじゃすぐに使い物にならなくなるよ」

「え、今ので手入れできたんですか」

「当たり前だろう?」


 なんてことないように、新しい煙草に火をつけて物部は吸い始めた。何度か手を開いたり閉じたりするが、特に変わった様子も違和感もない。


「しかし……あんたもピヨピヨも面倒に首を突っ込んで。あんたたちがいなくなったら誰がワタシに和菓子を持ってくるんだか」

「多分大丈夫ですよ。根拠はないけど、きっと今回も何とかなりますから」

「変な奴だね、あんた。なんていうか、危機感が薄い。それに、怪異が消えるってのに動揺も見えない」

「そんなことないですよ。僕だって、怪異が消えるなんて事態に遭遇するの初めてでどうしたらいいか分からないだけです」


 物部は僕をじっと見つめていたが、飽きたのか視線を逸らして短くなりつつある煙草の火をもみ消した。灰皿から立ち上る煙が薄まって、途切れた頃合いを見てまた新しい煙草をパッケージから取り出す。僕の視線に気が付いたのか、物部は一度瞬きをしてからその煙草を僕に差し出した。


「ほれ」

「え?」

「坊やは吸うんだろう? ピヨピヨより付き合いが良さそうだからねえ。一本」

「あ、ありがとうございます……」


 物部は僕が咥えた煙草の先端に指で触れた。途端に細い紫煙が燻りはじめ、いつも吸っている煙草とは違う匂いが漂った。


「うっ、ごほっげほっ、ぅえ」

「おやおや。そんな咽るほどかい」


 物部が笑っているが、それに返事をできるほど余裕がない。想像以上にきつい煙草だった。僕がいつも吸っている銘柄とは比べ物にならない。僕は目尻に浮いた涙を手の甲で拭って、今度は慎重に煙を吸い込んだ。


「そいつは私が気に入ってる特別な煙草だよ。一箱くれてやるから、それ吸ったら帰りな」

「え、いや、僕別に要らない……」

「大人しく持っておいきよ。いいかい、その煙草は大勝負の前に吸うんだ。ピヨピヨは嫌がるだろうが、そこは気にせずに「物部のまじない」とでも言っておけばいい」


 物部は僕が渡したせんべいの袋を音を立てて開け始めた。中身を投げるように口に放り込んでいくのを見ながら、僕はただ赤く燃える先端がフィルターに届くのを待っていた。




 煙草を吸い終わったと思ったら、図書館の外に放り出されていた。放り出された、と言えば語弊があるかもしれないが、瞬きをした瞬間外のベンチに座っていたのだからあながち間違いでもない。


 ポケットに違和感を感じて触ると、スマートフォンとは違う何かに手が触れる。取り出せば、普段僕が吸っている銘柄ではない煙草のパッケージが入っていた。これが、物部の煙草だろう。僕はさっきまで吸っていたキツい味を思い出して顔をしかめ、ポケットに煙草を戻し代わりにスマートフォンを取り出した。連絡は来ていないかと確かめれば、そこには船江から「用が済んだら事務所に戻れ」とメッセージが届いていた。たった二日で知っている連絡先全てに避難を促すのはさすがに船江でも難しいようだ。


メールを送る程度なら視えない僕にもできる。僕は「今から戻るよ」とだけ返してから駆け足気味に事務所に向かった。





 儀式まで、あと二日だ。

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