第二十一話 本日は晴天なり
墓石は綺麗にした。いつも通り丹田さんが好きだった缶コーヒーをお供えして、花をそっと置く。しゃがみこんで手を合わせた僕は、そこにいるはずもない故人に話しかけた。
「お久しぶりです、丹田さん。最近あんまり来れなくてすいません」
返事は、もちろんない。僕は霊感が弱いから、仮に丹田さんがここにいたとしても視えるはずがなかった。だからこうして、一方的に話し続けるしか僕にはできないのだ。
「何から話そうかな……仕事は順調ですよ。この前は幽霊の成仏に手を貸して、のっぺらぼうの落し物を探して、結構色々ありました。丹田さんが所長だった頃に比べたら仕事は少ないですけど、それなりに事務所の名前も広まってるんだと思います」
一度言葉を切り、僕は少し俯いた。
「そういえば、この前初めて物部さんに会いました。丹田さんは物部さんと知り合いだったんですね。酔っぱらった船江が言ってました」
二人で飲んだ時、赤い顔をしながら自分の生い立ちを語っていた船江を思い出す。
「物部さん、結構優しい人でしたよ。船江は危険だとか言ってましたけど、どんなところが危ないんですかね? 僕に術の耐性っていうのかな、つけてくれたし。質問にもちゃんと対価を払えば応えてくれるあたりかなり良心的な人だと思うんですよ、僕は」
話し相手がいない会話は続いた。
「丹田さんは、希望の日の出って知ってますか? 僕最近知ったんですけど、宗教団体らしいんです。怪異を撲滅させる、とか言ってて。僕、どうしたらいいんですかね……」
答えが無いのを分かっていながら、僕は墓石に話しかけ続ける。時折横を通る人たちは不思議そうに僕を見るが、そんなことはお構いなしだ。
「怪異を殲滅されたら、僕仕事なくなっちゃいますね。そしたら西萩相談事務所は廃業かな。困ったな、せっかく丹田さんからもらった事務所なのに」
あはは、と苦笑いをこぼしながら僕は墓石にゆっくり触れた。ひやりと冷たくて硬い感触が指に伝わってくる。
「結局、なんで僕を所長にしたのかは教えてくれませんでしたね、丹田さんは」
僕が事務所の所長になったのは、丹田さんが事故死してから見つかった一枚のメモのためだ。そこには「西萩相談事務所」の一言だけが書かれていた。船江は前からそれを知っていたらしく大した反応を見せていなかったが、正直僕は信じられない思いでいっぱいだった記憶がある。
「丹田さん。僕、所長としてちゃんと働けてますか」
触れた墓石が僕に応えてくれるわけもなく、ただ霊園には花を揺らす風が吹くだけだった。
「何からお話ししたらいいですかね……ねえ船江鶸さん、何から知りたいですか?」
風に髪を遊ばせながら山火さやが笑う。俺はそこから少し離れたところに腰かけて彼女を睨みつけていた。
「……ふふ、こわあい。目つき悪いですよ、船江鶸さん」
「うるさい」
「そんな怒ることないじゃないですか? こっちだって船江さんに入信してほしくてお話しするんですから。んー……そうだなぁ、じゃあ何で希望の日の出が信者を集めてるか」
説明しますね、と言いながら俺のすぐ隣に身を寄せてくる。ぎょっとしてのけぞれば、その反応を喜ぶように山火さやが笑みを深めた。
「ほら、逃げちゃだめですよ」
目を合わせようとする少女から顔を背け、俺はため息を吐くしかない。
「早く話せ」
「そうこなくっちゃ」
山火さやは膝を抱えて、自分のつま先を見つめながら話し始めた。
「そもそも、怪異ってどうやって存在してるかご存知ですか?」
「人間の認識だろ。あいつらは「ここに何かがいる」って勘違いと迷信の中に生きている」
「その通りです。皮肉ですよね。私たちが怪異を信じている限り、彼らはいなくならない。忘れられないように、稀に私や船江さんみたいな「視える人」が現れてその存在を世界に繋ぎとめている。逸話や迷信を依代にしなければ存在することすらできないくせに」
一度言葉を区切ってから、山火さやはまた笑みを浮かべて話を続ける。
「私のおじい様はそこに目を付けました。「大勢の人間が怪異を信じることなく生きていけたのなら、認識の中に存在する奴らも消え去るのではないか」とおっしゃったんです。怪異の存在を根本から否定することで、彼らを消し去る。それが、希望の日の出が掲げる世界の浄化です」
「そんな言葉で信者を釣っていたのか」
「ええ。皆さん、とても快く賛同してくれました。これ以上、誰の身にも呪いが降りかかることのない、一番平和的な解決方法。私が待ち望んでいた世界の実現ができるかもしれない唯一の方法なんです。でも、それには多くの資材が必要になります」
「資材、だと」
「はい。怪異が存在するのは人の認識の中ですから、必要なのはその人間が「怪異を否定する」という強い感情と記憶。有体に言ってしまえば恨みですね」
「……そうか、相殺するつもりか」
「……聞いてはいたけど、本当に頭の回転が速いんだ。すごいですね船江さん、ますますうちに来てほしくなりました」
「余計なことは良い。話を続けろ」
「あはは。船江さんってモテないでしょ」
「……ちっ」
西萩と似た笑い方だ。言葉の内容も相まって苛立ちが募り、俺は思わず舌打ちをした。
「いいから続けろ」
「ふふ……そう、船江さんの言う通りです。私たちが行おうとしている術は怪異の存在の相殺。対消滅、みたいな言い方もできますね。怪異が存在するための認識に「存在してほしくない。恨めしい」という思いをぶつけて両方を消滅させるんです」
「それなら怪異の存在そのものを人間の頭の中から消せる、と」
「それだけじゃないですよ? 怪異を消すためにぶつけた記憶も消滅するので、儀式に参加した人間はみんな「怪異が存在する」っていう事すら忘れます。消えた記憶は戻らないので、彼らが怪異をこの世に繋ぎとめる楔になることは二度とありません」
山火さやは立ち上がり、スカートを軽くはたいた。軽やかな足取りで流れる水に近付き、川に手を浸して濡らす。俺が来るまでそうしていたようにはしゃぎながら、年相応の表情を浮かべていた。
「でもね、この儀式って準備にすごく時間がかかるんです。規模が大きいのもそうだし、それなりの場所を確保しなくちゃいけないし」
「だろうな。儀式が必要な術なんてどれもそんなもんだ」
俺は呟くように言う。水の跳ねる音が響いている中で、声が山火さやに届いているかはわからなかったが、こちらを向いたという事は聞こえていたのだろう。山火さやは濡れた手をおざなりにスカートで拭いてまた俺の隣に座った。
「私はこの儀式の準備にかなりの時間を費やしました。儀式の場は溝の口。私の生まれた場所で、一番最初に邪悪な怪異を消すことが生きる目的だったんです。ようやく、それが叶おうとしています」
一息置き、今までよりさらに喜びを滲ませた声色で語る。熱を込めて話す姿は普通の少女なのに、その口から流れる言葉はあまりに普通と程遠い。
「ついさっき、儀式の準備が最終段階に入りました。これで、この溝の口一帯の怪異を消し去ることが可能です」
「……それで、お前は満足なのか」
「もちろん。やっと念願がかないます」
俺は、目の前の女に掛ける言葉を見つけることができなかった。
この女が言いたいことは理解できる。幼い頃から色んなものが視えるせいで、面倒に巻き込まれ嫌な思いをしたのは俺も同じだ。視えなければよかったのに、などと思ったこともないわけではない。俺には丹田さんがいて、そういうモノとの付き合い方を教えてくれた人がいたから、割り切って生きていくことが出来ている。今は間抜けなあの所長と働いているおかげで毎日を忙しく過ごせている。
丹田さんを追いかけて事務所で働くことにしたのも、怪異との境界をはっきりさせるためだ。怪異は怪異として、人は人の領域で過ごせるように。あの相談事務所は、怪異を助けて人間の脅威から彼らを守るための場所だ。西萩は怪異に対してどう思っているか知らないが、少なくとも俺はそういうつもりで西萩相談事務所の所員をしている。
「それで、俺に儀式の手伝いをしろとでも言うのか。言っておくが、俺は知識があるだけで術が使えるほど器用じゃない」
俺は山火さやを見ながら言った。彼女は微笑みながら、首を横に振る。
「あなたには、その記憶と感情を提供してもらいたいんです。今まで回収した怪異たちに、集めた信者の感情が足りるか分からなくなっちゃったんですよ。理論上は大丈夫なんですけど、やっぱり不確定要素って怖いじゃないですか」
「俺以外にも適任は探せばいるだろ」
「船江鶸さんがいいんですよ。さっきも言いましたよね、「視える人は貴重だ」って」
山火さやは、おもむろに俺の手を握った。その冷たさに気を取られ、振り払う事すら忘れる。水に浸けての温度なのか、この少女そのものの温度なのか分からない。
「儀式は二日後。深夜三時に区役所の前の道路で待ってます。船江鶸さん」
口元だけ歪めた笑みを残して、瞬きをする間に山火さやは姿をくらました。転送術の応用か、と頭の片隅で思う。
俺はスラックスのポケットに入っていた自分のスマートフォンを取り出して電源を入れた。ほとんど空白しかない連絡先の中から目当ての名前を探して電話を掛ける。
「……おい。今どこにいる」
「もしもし? え、今? 津田山の霊園だけど」
「用事済んだら事務所来い。話がある」
「え、突然どうしたの……船江、なんかあった?」
「それも含めて話すことがある。三十分で事務所だ」
「いや、さすがに三十分は無」
最後まで聞かずに通話を切った。西萩と連絡がつくと言う事は、恐らく山火さやの話は終わったのだろう。後は、二日後にどうするかだ。
俺はため息を吐いて空を見上げた。どうしようもないくらいの快晴で、無性に腹が立った。
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