第二十話 今日は日曜日。

 今日は日曜日。事務所は定休日で、扉には「休業」の札がかかっている。俺は誰もいない事務所のソファに一人腰かけていた。手元には、以前物部から受け取った生霊を追跡するための札がある。

 普段なら休みでも、暇な西萩が事務所にいるのだが、今日は個人的な用事があるとかで来ないことは確認済みだ。


「……反応なし。どうなってんだ」


 苛立ちに乗って独り言が零れた。物部が粗悪品を俺に掴ませたとも考えられないし、術が勝手に解除されたとも思えない。あの日事務所にいた生霊を追いかける手掛かりは手元の札しかないので、どっちにしろ俺は術の再起動を待つしかなかった。


 もう一度、と札を握って目を閉じる。発信の媒体は俺の血だ。それを、札を通して追いかけるイメージを浮かべる。感覚としては中身の見えない鞄に手を入れて、目的の物を探すのに似ているかもしれない。


 何かが動いた気配がした。目を開くと、今まで沈黙していた札の術式が活性化して蠢いているのが視える。成功だ。


「どこにいるんだ……川……?」


 伝わってきたのは水の流れる音と橋の影だった。思いつく場所はいくつかあるが、まずはその中で一番近い場所に行ってみることにしよう。何か嫌な予感がするが、それは考えないようにした。俺はソファから腰を上げて、札を持ったまま事務所を出る。






 事務所から一番近い場所で思い当たるのは、二ヶ領用水の大石橋だった。何故あの生霊の男がそこにいるのかは分からないが、見つけて問い詰めればいい。俺は札を見ながら橋を目指した。


 だが、そこには俺があの事務所で見た男はいなかった。流れる水に手を浸してはしゃいでいる少女が一人いるだけで、生霊の身体はどこにも見当たらない。外れか、とため息を吐いて別の場所に移動しようとした瞬間、背後から声を掛けられる。


「やっぱり来てくれたんですね、船江鶸さん」


 楽しそうな声色に含まれる憎悪、執着。噎せ返るほどに甘ったるい匂いに混じって鼻に届くのは、この川のモノではないどぶのような匂いだ。


そう、俺はこの匂いを知っている。


「お前、まさか」

「あれ、もしかして私の事知ってるんですか? 西萩さんって案外おしゃべりなのかな」


 季節外れの冷たい風に乗って、少女の黒い髪がなびく。軽くそれを手で押さえながら、目の前の女はおぞましい靄の向こうで笑った。


「初めまして。私、山火さやっていいます」




 思わず鼻を手で覆いそうだ。俺は目の前の術者からする陰の匂いに顔をしかめた。


「まず最初にごめんなさい。船江鶸さんが探してる男は術を剥がしちゃいました。だからここにはいませんし、来る予定もありません」

「……どうやってだ。あの手の術は解除に時間がかかる」

「えぇ。だから、解除じゃなくて剥がしたんです。生気とか魂とかくっついてきちゃったけど、まあ別にいいですよね」


 ほら、と山火さやがポケットから取り出したのは、あの日俺が使った追跡用の呪具だ。おかしな点と言えば、白かったはずの半紙が赤黒く変色していることだろうか。視れば、確かに山火さやの言う通り何かの残滓がこびりついている。顔をしかめてそれを見れば、何が嬉しいのか目の前の女は笑い声をあげた。


「あは、本当に視えるんだ」

「どういう意味だ」

「そのままですよ? だって、西萩さんは何も視えないし知らないから。一緒に働いてる人も普通の凡人だと思ったら違うんですね。教えてもらった通り」


 山火さやが放り投げた札は宙を一瞬だけ舞い、むなしく川に落ちて流れていった。


「船江鶸、西萩相談事務所の所員。仕事に対しては熱意あり。人間が嫌いで、視える人。術者の家系でもないのに視える人って珍しいんですよ?」

「知るかよ」

「つまんないなあ。これだったら西萩さんの方がよっぽど面白かったのに」

「何が目的でここに来たんだ」

「それはもちろん、あなたに会うためですよ」


 革靴のかかとを踏み慣らして、山火さやが近付いてくる。彼女は陰の匂いを纏って、俺の正面で立ち止まった。


「船江鶸さん。私、あなたにすっごい興味があるんです。」

「……は?」

「やだなぁ、そんな顔しないでください。お話ししたくて西萩さんにお手紙だって持たせたんですよ」


 西萩、手紙、の単語でピンときた。いつだったか、西萩のスーツのポケットに入っていたヒトガタだ。


「やはりあれはお前が原因だったのか」

「即興にしてはそれなりに頑張って呪詛を書いたんですよ。気に入ってくれました?」

「燃やした」

「あら残念。まあ知ってましたけど」


 言葉とは裏腹にその口調は軽い。


「西萩さんにあげたプレゼントも燃やされちゃったし、せっかく作ったものをそうやって捨てられるのって寂しいものですよ?」

「どうでもいい。いい加減にしろ、お前は俺に会って何がしたい」


 苛立ちを隠さずに俺は山火さやに問いかける。女は笑顔を崩さずに俺を見て話し始めた。


「船江鶸さん、希望の日の出に入りませんか?」

「は?」

「小さい頃から怪異が視えるせいで苦労してきたんでしょう? きっと嫌な思いもして、悲しい思いもして、苦しんできたんでしょう? 私たち希望の日の出ならあなたを救えるんです。私たちなら復讐できます。ねえ、あんな相談所なんて辞めてうちに来ませんか?」


 こいつは魔女だ。言葉で人を惑わせて操る生粋の魔性。この女のペースに乗せられてしまえば、あとは転落していくだけである。頭の片隅で俺はそんなことを思った。俺はため息を吐き、その言葉を振り払うように頭を掻いた。


「俺を誘い入れて何がしたい」

「怪異の殲滅のお手伝い。それ以外に私たちの目的はないですよ」

「ただの手伝いなわけがない。はっきり言え」


 即答すれば、山火さやの表情に不機嫌な色が浮かぶ。


「……ほんと、敏い人は嫌いです。船江さんも西萩さんみたいに鈍ければよかったのに」


 すると、彼女は一息吐いて纏わせていた靄を潜ませた。風に乱された髪を手櫛で整えながら仕方がないという口ぶりで話し始める。


「お手伝いしてほしいのは本当です。私たちが求めているのは怪異に対してマイナスの感情を抱く人間。私たちが計画している怪異の殲滅にはそういった人が多く必要なんですよ」

「何故」

「説明しなきゃいけないですよねえ」


 面倒だと言いたげな表情を隠さずにさやが頬に手を置いた。喋りたくないという思いが伝わってくるが、ここは無視だ。


「まあ船江さんが西萩さんより鋭いのは聞いてたから仕方ないですよね。いいですよ、お話ししてあげても」


 微笑んだ少女は、川岸に腰を下ろして隣を指した。座れというのか。当然のことながら無視を決め込み、立ったまま少女を睨みつける。数分の沈黙ののち、山火さやが口を開いた。


「ちょっと。座ってくれないとお話しできないじゃないですか。そっちが大人しくしてるうちは何もしませんよ、私」

「誰がお前を信用するか」

「えーん酷い。そういう態度取るんですね船江さん」


 わざとらしい泣き真似をしながらおもむろに、山火さやがポケットからスマートフォンを取り出す。何度かいじってから、画面を俺に向けた。そこに映っていたのは、花束を持って歩いている西萩の姿だ。


「……何だよこれ」

「今日の西萩さん、お墓参りに行くんですね。ご両親なのかな」

「尾行させたのか」

「興味があっただけですよ。ほら、お話を聞いてくれるなら何も手出ししませんから」


 楽しそうに笑いながら山火さやがスマートフォンをポケットに戻す。


「ね?」


 ダメ押しの一言だ。こんなの、人質と変わらない。俺は警戒しながら少し離れたところに腰を下ろした。距離を置いた場所に座っている少女を見れば、自分の要求が通って嬉しいのかその顔に変わらぬ笑みを張り付けている。


「そんな怖い顔しないでくださいよ。私、あなたにお話ししたいことがたくさんあるんです」

「……そうかよ」


 隣にいる魔女と目を合わせないように、川の流れだけを目で追いかけた。無意識のうちに貧乏ゆすりを繰り返す足を手で押さえ、俺はただこの状況をどう打開するかだけに意識を集中させていた。








 花束を持って、溝の口から少し離れた霊園に向かう。電車で行けば一駅だが、今日は天気が良かったので歩いていくことにした。コンビニで購入した仏花のセロファンがこすれる音を聞きながら線路の横を歩き進めていく。




 今日は日曜日。丹田さんの墓参りにはちょうどいい晴れ模様だ。

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