第十四話 振り返るとそこに

 西萩昇汰という男は、おおよそ怪異に関わるには不適格な男だ。常にニコニコへらへらと気の抜けた笑いを浮かべ、危機感を欠片も持たない、どこにでもいる一般人。これが俺、船江鶸から見た西萩相談事務所の所長に対する見解である。





「船江、僕ちょっと外出てくるね」

「見回りか」


 読んでいた本から顔を上げずに言う。西萩はハンガーに掛けていたジャケットを羽織りながらこちらに話しかけてきた。


「ううん。昼ご飯買ってこようと思って。何か食べたいものある?」

「刺身」

「生ものはちょっと難しいかなあ」


 苦笑いを浮かべながら事務所を出ていく。俺はその西萩の背中を睨みつけた。

正しくはあいつの背後にずっと立っている得体のしれない誰かを、だ。


 西萩と共に事務所を出ていった男は、扉が閉まる間際に俺を一瞥してから消えた。しかもご丁寧に、口元にむかつく笑みまで浮かべている。俺は扉が完全に閉まったのを確認してから、大きく舌打ちをした。


 あの男はどうやら西萩には視えていないらしい。そこまでは普段と変わらないのだが、問題なのはあれが依頼人ではないという事だ。

 買い物だけならそう時間はかからないだろう。俺は読んでいた本に自分の名刺を挟んで閉じた。栞が無かったので、一番手近な紙を使っただけだ。たまに挟んだまま忘れることもあるが、普段使う機会もないのでポケットで腐らせておくよりマシだと自分では思っている。


 案の定、西萩は時間をかけずに戻ってきた。手にはチェーンで経営している弁当屋のロゴ入りの袋が二つ下げられている。


「ただいまー。刺身はなかったから焼き鯖弁当にした」

「別に魚が良かったわけじゃないがな」

「そうなの? じゃあ親子丼にすればよかった」


 おなか減ったと呟きながら、西萩がレンジに弁当を入れる。当然のようにその後ろには半透明の男が立っていて、俺は思わず眉間に皺が寄るのを感じた。足音を立てて歩み寄り男に触ろうと手を伸ばしたが、その手は空を切るだけに終わる。鼻につく男の笑いに腹が立ち、俺は目の前にある西萩の背中を平手で叩いた。


「痛いっ⁉ いきなり何⁉」

「……何でもない」

「やっぱり刺身が良かったの⁉」

「ちげえよ。うるせえな」

「理不尽すぎる……絶対これ赤くなってるって……」


 文句を垂れ流す西萩をよそに俺は辺りを見回すが、男の姿は影も形もなくなっていた。だが、気配はする。

 また面倒なものを連れてきた西萩に大きくため息を吐いてから、俺は軽く身支度を整え始めた。それを見て、西萩は不思議そうな顔をしながらレンジの前に立っている。


「え、船江どこか行くの?」

「調べ物だ。気になることがある」

「お昼買ってきたのに」

「戻ってきたら食べるから残しておけ」

「どれくらいで戻ってくるの?」


 割り箸を片手に間抜けな顔をした西萩がこちらを見ている。俺は右手の時計を確認した。


「一時間もしないな」


 瞬きを繰り返す西萩は放っておいて、俺は目的地に足を運ぶことにした。得体のしれない男は、まだニヤニヤと笑っている。






「すみません。船江鶸といいます」

「あ……はい、かしこまりました。ご案内いたします」


 訪れたのは高津図書館だ。俺は受付に見せた鍵をポケットに戻しながら、ため息を吐いた。本当ならここには近寄りたくないのだが、背に腹は代えられない。女の後に続いて事務室に入り、開かれた物部の扉をくぐる。


「ピヨピヨじゃないか。お前の顔を見るのは久しぶりだ」

「うるさい」

「つれないねえ」


 俺が来るのが分かっていたかのように、驚きもせず物部は振り返った。その手には煙の上がる煙草が存在を主張していた。その匂いに目を細めるが、物部は吸うのをやめない。


「まだそんなもん吸ってんのかよ。くせえからやめろ」

「こんなところに閉じこもってると如何せん娯楽が少ないんだよ。分かるだろう?」

「ふざけんなババア」


 そう言いながら持っていた紙袋を投げ渡す。腹立たしくもそれを難なく受け止めて物部は嬉しそうに笑った。


「ほーう……カステラと月餅かい。和菓子じゃないけどまあいいよ」


 紙袋を一瞥して、物部は笑みを深める。早速開封し始めた女に俺は苛立ったまま声をかけた。


「俺が聞きたいのは生霊の祓い方と、祓った後の生霊を追いかける手段だ」

「そりゃまた面白い事を聞く。座りな」


 物部が指す段ボールに腰かけ、足を組む。物部は煙草をもみ消してからカステラを頬張った。


「まずはどういう経緯でそれを知りたいのか教えておくれ」

「言わなきゃダメか」

「まぁ教える気は起きないね」


 二、三個まとめて口の中にカステラを押し込む物部を見て、俺は腕を組み渋々だが話すことにした。


「最近、西萩に憑いて事務所を出入りしている生霊がいる。普通の霊くらいなら祓えるが、あいつは大元の身体が呪術で西萩に張り憑けているから手の施しようが無い。術者の手先に入り浸れるとこっちが困るんでな、祓う方法を探してる」

「あー……確かに、あの坊やにあげたナイフじゃ触れていない術には効果がないからね。いくら術を滅多切りにできても、間接呪術は切れないってわけか」

「西萩にアレは視えていない。まだ直接悪さをしたわけじゃないが、不穏分子は消しておきたい」

「不穏分子? ピヨピヨ、お前どんな厄介事を抱えたんだい?」


 興味深そうに身を乗り出した物部に視線を向けて、俺は軽く頭を掻いた。


「前に西萩が俺の鍵を使って、ここに希望の日の出について聞きにきただろう」

「あったねえ。山火が仕切ってる奴」

「その山火の人間とあいつは以前関わっている。ジャケットに追跡用の呪具が仕込まれていた」


 俺は自分のスマートフォンを取り出し、燃やす前に写したヒトガタの写真を表示する。物部はそれを受け取ってまじまじと見つめた。しばらく観察してから、スマートフォンを俺に差し出す。俺が受け取ってポケットに収めるのを見届けてから、物部は口を開いた。


「なるほどね、相手もあんたの所の情報が欲しいと見た」

「恐らくな。この呪具は処分したからもう手元にはない。俺は希望の日の出の手掛かりが欲しい」

「それで、相手に情報がこれ以上リークされないように生霊を祓い、なおかつ対象を追いかけて相手の居場所を特定する、と」

「そういうことだ。方法はあるか」


 俺がそう言うと、物部は面白いものを見たようにニヤニヤと笑う。手で顔を覆っているが、その雰囲気までは隠せない。


「ピヨピヨにとって西萩相談事務所ってのはそんなに大事なのかい。あんなに勤めるのを嫌がっていたのに変わったね」

「うるせえ」


 眉をひそめる俺をよそに、物部はどこからか煙草を取り出して咥えた。


「おい、吸うなよ」

「お前の都合なんか知らんよ」


 これ見よがしに煙草に火をつけるのを見て腹の中が熱くなるほど苛立ったのが自分でも分かったが、物部を相手に向きになるのは得策ではない。煙草の匂いをできるだけ感じないようにそっぽを向いて深呼吸をする。


「そんなに大事かい、あの事務所」

「今の俺の居場所だ。なくすわけにはいかない」

「お前も強情だね。面倒くさいところは変わっちゃいない」

「余計なお世話だ。それで、方法はあるのか」


 そんな俺の言葉も物部には届かないようで、わざと煙を吹きかけられた。咄嗟に反応できずにそれを顔面で受け、苦しさに咳き込む。


「ぐっ、ごほっ」

「ピヨピヨがいっちょ前に偉そうなこと言うんじゃないよ。ワタシを誰だと思ってるんだい」


 喉を鳴らして笑う物部を睨みつけるが、そんなことはお構いなしだ。女は机に向き直り、半紙を取り出して筆を滑らせ始めた。こいつのこういうところが嫌いなんだ、と思うがどうせ言ったところで無駄だ。


「ここを、こうして、こうっと」


 鼻歌混じりに何かを書いていく物部の背中だけが見える。しばらくして、満足のいくものが完成したのか、振り向きざまに俺に二枚の札を渡した。

 一枚は白地に墨で乱雑に術式が書かれている札で、もう一枚は何も書かれていない。


「ほら、持っていきな」

「……どうやって使う」


 紙面に視線を落としながら問うと、物部は耳に付いたピアスをいじって指差しで説明を始める。


「術式が視える方はあんたが持ってな。そいつは対応する札の居場所を示す羅針盤の代わりだ」

「こっちは?」

「そっちは発信機だね。霊体に付くまじないが籠ってるから貼りつければ作動するようになってる。憑依している相手から強制的に引き剥がす効果もあるよ。スイッチはお前の血だ」


 眉を上げて物部を見ると、彼女は煙を長く吐き出した。


「血だよ。それは発信用の札に付着した血の持ち主と、片割れの札の持ち主が一致して初めて起動する術さ」

「使い方は分かった。助かる」


 俺は札をしまい、段ボールから腰を上げた。部屋を出ようとした時、ふと物部が口を開いた。




「船江」


 珍しく、物部が俺の名前を呼んだ。驚いて振り返ると、彼女には珍しい深刻そうな顔をしてこちらを見ていた。すっかり短くなった吸殻を灰皿に置いて、ため息を吐く。


「気を付けなよ。下手に首を突っ込んでどうなっても知らないからね、ワタシは」

「……それこそ、余計なお世話だ」


 ふん、と鼻を鳴らして今度こそドアノブに手を掛ける。






 開ければ、そこは図書館の入り口。いつもの事だと、気にせずに事務所に帰る道を歩きだす。スーツに残っている煙草の匂いが気に入らないが、こればかりは仕方ないとあきらめるしかなかった。

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