第十三話 大団円には程遠い

 剣呑な雰囲気を醸し出している船江に、僕は苦笑いを浮かべた。そんな僕にさらに苛立ったのか、船江の目つきが険しくなる。


「えーっと、僕一回家に帰ってシャワー浴びてもいい? 昨日は走ったりしたから今すごいシャワー浴びたいんだけど」

「あ?」

「はい、すいません」


 逃げることすらできない。たった一文字で僕の退路はなくなってしまった。

船江は自分の正面にあるソファを顎で示した。大人しくそれに従って腰を下ろすと、腕を組んだ船江が僕を見て言った。


「俺に分かるように簡潔にまとめろ」

「結構色々あったんだけど」

「分かりやすく言え」

「注文が多いな……とりあえずあった事を伝えると

1、中村さんの依頼は完遂した。

2、帰りに山火さやに会って良く分からないまま外出。

3、色々あってゆきちゃんを保護」

「俺には幽霊の依頼が完遂したことしか理解できなかった」


 じっと僕から視線を逸らさずに、船江が続ける。


「幽霊の件に文句はない。そもそも俺が行くはずだった依頼を代わってもらったんだからな。だがその次だ。山火さやに会った、って言うのはどういうことだ」

「依頼が終わって帰ろうとしたら路地裏に連れ込まれたんだよ」

「溝の口にいたのか、そいつが」

「うん。今は二子玉川に住んでるらしいけど昔はこっちにいたんだって」


 僕がそう言うと、船江は呆れたように大きなため息を吐いた。肩を縮こまらせていると、次の瞬間大声が飛んできた。


「お前は、どこまで馬鹿なんだ!」

「ひぇ」


 情けない声を上げて目をつぶると、船江の苛立った声が余計鮮明に聞こえてくる気がする。そんな僕に構わず船江は説教を続けた。


「だいたいな、何でお前はいつもいつも厄介事ばっかり運んでくるんだ西萩!」

「いや、無事に帰ったしゆきちゃんも戻ってきたしいいかなって……」

「それは結果論だ! お前はここの所長なんだぞ! もう少し責任と自覚をもって動け!」

「は、はい……」

「そもそもだ。どうやったらそんなに面倒ばかり持ってこれるんだお前は」

「そんなトラブルメーカーみたいな言い方しなくても」

「十二分にお前はトラブルメーカーだ。今まで何回事務所におかしな悪霊やら呪いやらを引っ張ってきたか覚えてるか」

「覚えてないです」

「俺も覚えてない。それくらい頻繁にくっつけてくるんだろうお前が! 毎回祓う俺の苦労を知れ!」

「ごめんなさい……」


 またヒートアップしてきた船江の説教を聞きながら、僕は膝の上で握りこんでいる左手を見つめた。


 船江の言う事はごもっともだ。自覚はないが、僕は霊感が無い癖に霊媒体質のきらいがあるらしい。そのために、事務所に来る船江にぎょっとされることも日常茶飯事だ。船江は気に入らないことがあると手が出る傾向にあるが、その三割くらいは僕に憑いた何かを祓うための動作だったりする。残りの七割は単に船江の八つ当たりだ。


 話を聞くふりをしながらそんな考え事をしていると、唐突に船江が立ち上がって僕の腕をつかんだ。僕は目を瞬かせて船江を見るが、船江は僕ではなく腕を通して何かを見ている。


「は? え、何?」

「術の残滓がまだ付いてる。害はないが、お前これ何をした? 呪詛が全部ズタズタだぞ」

「ず、ズタズタ⁉」

「呪いを浴びてはいるが、害がないレベルまで分解されている」

「いった! 痛いよ! またそうやって叩く!」


 船江は一度僕の腕を思いっきり叩いてからまたソファに戻った。僕はおそらく赤くなっているであろう腕を何度もいたわるようにさすった。本当に痛い。


「残りかすを落とした」

「そりゃどうも……」

「これでその匂いもどうにかなるだろ」


 眉間に寄った皺をそのままに、船江はいつも通り鼻を鳴らした。ふと、僕は今まで抱えていた疑問を口にする。


「前から思ってたんだけど、その船江がいつも言ってる「陰くさい」ってどういう匂いなの? 全く想像つかないんだけど」


 質問されている身で問いかけると、船江は眉を上げた。


「こんなに臭いのにお前、分からないのか」

「全然」


 船江はため息を吐く。


「そうだな……例えるなら化粧品の匂い、あとクロユリとドブ川だな。腐敗臭の中に甘ったるい何かが混ざってるみたいな匂いだ」

「僕からそんな匂いするの?」

「そうだよ。だから一発で分かる」


 僕のしかめっ面を見ながら、目の前の相棒は無駄に長い足を組んだ。一応船江に叩かれた腕の匂いを嗅いでみるが、感じ取れるのはスーツに染み付いた煙草の残り香くらいだ。


「それで? 山火さやと何があった」

「あ、えっと、山火さやの目的は幽霊の中村さんの恋人だった女性だったんだ」


 僕は言葉を選びながら、船江に昨日起きたことを説明し始めた。船江が僕の話を遮る事は無く、ただ無言で聞き耳を立てている。


 山火さやのターゲットが、依頼の捜索対象だった藤井かえでだったこと。知らずのうちに希望の日の出の計画を邪魔していたこと。山火さやに連行されて何故か二子玉川で食事をしたこと(デートと言うのはさすがに憚られたので言葉を濁した)。山火家は過去の祓い稼業で様々な怪異から恨みを買い、その報復から逃れるために怪異を殲滅しようとしていること。ゆきちゃんは害がないと判断されて溝の口に帰されたこと。そのままゆきちゃんを預かって今朝に至る、と。


 写真の事は、話さなかった。怒られるのは目に見えていたし、これ以上怒鳴らせては申し訳ないと思ったからだ。それに、いつも船江に迷惑をかけている分、今回くらいは自分で何とかしようと昨日考えたばかりである。


 僕の話を聞いた船江は少しばかり黙った後、心底疲れたように言葉を吐き出した。


「お前はよくそれで何事もなく帰ってきたな」

「あー……うん、僕もどうしてかは良く分からないんだけどね」


 なるべく視線が泳がないように意識しながら会話を続ける。船江はそんな僕を正面からじっと睨みつけるように見てくる。なんとなく不安になった。


「あの、まだなんか憑いてる?」

「いや、その呪詛を防御した何かが気になってな。切り口から刃物だとは思うが」

「それきっと物部さんが仕込んだやつだ」


 僕が左手を閉じたり開いたりしながら見せると、船江はぎょっとした表情で軽くのけぞった。天を仰ぎながらわざとらしいため息を吐いて、嫌がる表情を作る。


「陰くさいのは山火さやだけじゃなくて「それ」が発動したからか……」

「え? どういうこと?」

「俺が言う「陰」の匂いってのは「女の術者が使う呪術の匂い」って意味だ。その山火さやに限らず、女の術者ならみんな似たような匂いがする」


 顔をしかめながら船江はやれやれと肩をすくめた。


「前にも言ったが物部は危険だ。すこぶる優秀だが何をしでかすか、それなりに付き合いのある俺にも分からない」

「そうなんだ……」

「俺はあいつが嫌いだ。何もかも知ってるような顔をして、そのくせ何もしゃべらない。人を馬鹿にしたような態度のくせに腹の底では何か常に企んでいる。それに」

「……それに?」

「あの小ばかにしたようなあだ名が気に入らない。誰がピヨピヨだ、誰が」


 不機嫌に足を組み替えた船江からは、もう僕に対する怒りは伝わってこない。少しは機嫌が直ったのかと胸をなでおろした。


「ま、まあとにかく、ゆきちゃんも帰ってきたことだし今受けてる依頼は全部完了したから、めでたしでいいんじゃないかな?」

「……分かった。そういう事にしてやる」


 しぶしぶといった様子で船江が頷く。険悪な雰囲気が薄れてきたのを感じて僕の頬は無意識に緩んだ。

 船江はソファから立ち上がり、ブラインドと窓を全開にする。彼は自分の右手に付いているメンズ用の腕時計を眺めてから僕に視線を向けた。


「西萩、お前帰っていいぞ」

「え? だって事務所はまだ」

「シャワー浴びたいんだろ。俺は事務所で調べ物してるからさっさと帰って寝ろ」


 しっしっと手をぞんざいに振られて、僕はものすごい既視感に襲われた。すぐに心当たりに行きつく。船江は昨日の僕と同じことをしているのだ。


「……帰りはちゃんと戸締りしてね」

「誰に向かって言ってんだ」


 苦笑いを浮かべながら立ち上がり、僕は作業机の近くに置いてある鞄を手に取った。そのまま扉を開けて外に出る前に、船江に振り返り言う。


「ありがとう、船江」

「早く帰れ」


 ぶっきらぼうに言葉を放つ彼の分かりにくい優しさを受け、僕はそのまま扉を閉めた。

早く帰ってシャワーを浴びよう。自炊するほど冷蔵庫に食材が残っていたか分からないけど、まあカップ麺さえあればどうにでもなる。







 呑気な事を考えながら、日光を浴びて帰宅する僕は知る由もなかった。


僕が寝ている間に船江が僕のスーツのジャケットから、山火さやが仕込んでいたヒトガタの依代をこっそり抜いていたことを。そして、一人になった事務所で、彼がその依代を燃やしていたことを。

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