第九話 愛の形と一対のピアス
図書館を訪れてから数日が経った。猫又のしろさんの依頼は未だ続行していて、僕と船江は他の依頼を受けつつゆきちゃんを探している。船江はあの呪具の調査で毎日徹夜が続いているらしく、最近は事務所の机に突っ伏して仮眠をとる姿を見ることが多くなった。
僕が外でのゆきちゃんの捜索を一旦切り上げて事務所に戻ると、思った通り船江は調べ物の途中で寝落ちしていた。うつ伏せになっている腕の下には、僕には理解できない図式が記されたメモが散乱している。僅かに寝息を立てている顔は安らかとは言い難く、眉間には深いしわが寄っていた。目の下にもうっすらと隈が出来ていて、寝不足なのが伝わってくる。
これから船江は新しい依頼人と外で落ち合う予定になっていたが、この様子だと無理そうだ。
僕は船江の肩に手を置き、彼を揺り起こす。船江はゆっくり目を開けて、何度か瞬きを繰り返してから不機嫌そうに僕を見た。
「なんだよ……」
「船江、今日の依頼は僕が行ってくるからもう家帰っていいよ」
そう言うと、船江の表情がいつも以上に険しくなる。上体を起こして、僕の手を振り払った。
「いい。まだ仕事は残ってるんだ」
「一回帰って寝た方がいいって。というか、顔色悪いから帰って」
少し語気を強めて言えば、船江は顔をしかめた。しばらく睨みあいになるが、僕が折れないのを悟るとため息を吐いて大人しくパソコンを閉じた。
「今日だけだ。明日はまた朝から調べる」
「分かったよ」
船江は僕の言葉を聞いて、いつものように鼻を鳴らした。そのまま荷物をまとめ、帰宅の準備を始める。あっという間に支度は終わり、船江は無言で僕の横を通り過ぎた。まだ事務所に来たばかりなのに帰宅させるのは可哀想な気がしたが、ここで寝るくらいならしっかり休んでほしい。
船江、怒ってるだろうな。そう思ったけれど、僕は事務所の扉に手を掛けた彼に声をかけることができなかった。扉を開け、事務所を出る前に船江が一言、小さな声で呟いた。
「悪いな」
僕の返事を待たずに、そのまま船江は事務所を出る。ぱたん、と静かな音だけが事務所に響いた。
少し気まずい思いもあるが、仕事はこなさなければならない。
約束の時間になり、僕は事務所に新しい依頼人を迎え入れた。目にかかる程の長い前髪以外はどこにでもいる人間と変わらないが、この男性は紛う事なき幽霊だ。名前は中村と言うらしい。
「わざわざ姿作ってもらってすいません。僕、霊感がそんなになくて」
「噂には聞いていたので大丈夫です。それで、ここなら依頼を受けてもらえると」
「確か、生前の恋人探しだとか」
「はい。この人なんですけど」
中村さんが見せてくれた写真には、幸せそうに笑う男女が映っている。男性は中村なので、この女性が今回の捜索対象だ。女性の名前は藤井かえで。長い茶髪がよく似合う人だ。
「僕が死ぬ前に渡せなかったピアスを、彼女に贈りたいんです。本当は事故に会う日にサプライズで渡すつもりだったんですけど、運が無いですよね」
はは、と疲れたように力なく中村が笑った。
「それじゃあ、その藤井さんを探してピアスをお渡しすればいいんですね」
「それだけがオレの心残りですから」
「そうなると、依頼を達成したら中村さんは成仏することになります」
「いいんですよ。オレにとって一番大事なのはかえでなんですから」
中村の笑顔は、顔色が悪いのに安らかだ。きっと彼女の事が本当に好きなんだろう。そんな中村の力になりたい。
「僕が必ずピアスを藤井さんにお渡しします。任せてください」
「お願いします」
中村はそう言うと、文字通り姿を消した。残されたのは記入済みの契約書と恋人たちが写された写真、そして件のピアスだけだった。
写真の中で笑う藤井かえでという女性は、見た目は平凡な女性だ。特徴と言えば左目の泣きぼくろと笑った時に出来るえくぼだろうか。僕はメッセージアプリの会話履歴から明日香のアカウントを開いて「この女性を探してほしい。名前は藤井かえで。溝の口にいないならそれでいいから」と送る。
返事は恐ろしいスピードで返ってきた。一瞬こいつは暇なのか、と疑ったがその疑問は胸の内に留めておく。
『あ、この女の人知ってますよ。ノクティのフードコートでバイトしてる人ですね。今日のお昼シフト入ってます』
『前から思ってたけど、明日香はなんでそんなに色々詳しいの?』
『やだぁ! The girl is made of Sugar, Spice, and All things secret ですよ? 内緒に決まってるじゃないですか』
『それを言うならAll things nice だろ』
『あらま、西萩さんってマザーグース好きなんですか?』
『有名な一節だからな。とにかく情報ありがとう』
そう返信してスマートフォンをポケットにしまう。昼からのシフトに藤井がいるのなら、今から行けばきっと会えるだろう。僕はハンガーに掛けていたジャケットを羽織って事務所を出た。
明日香の情報通り、藤井かえではノクティのフードコートにあるファーストフード店で働いていた。長い茶髪は黒いキャップ帽に隠れていたが、あの泣きぼくろと、接客の際に見えるえくぼは間違いない。幸い、今の時間帯は人が少ない。僕はレジに立つ彼女に近付いた。
「いらっしゃいませ」
「あの、藤井さんですよね。中村さんから預かり物があるんですが、お時間いいですか」
僕の言葉に、藤井の笑顔が強張る。困惑しながらも「少々お待ちください」と言い置いて奥にあるだろう事務室に駆け込んだ。彼女と入れ替わるように別の店員が表に出てくるが、僕に話しかけようとはせず離れたレジで接客を始めた。
しばらく待つと、藤井が帽子を脱いだ状態で店から出てきた。不安げに胸元で握りしめられた左手には細い指輪が嵌められている。
「お待たせしました……あの、貴方は一体……?」
「ここじゃなんですから、ちょっと外でお話しませんか」
屋外を指すと、藤井はゆっくりと頷いた。
外に出た途端、彼女は怯えたような表情で僕に問いかけた。
「どうして雄吾の事を知っているんですか? あなたは雄吾の友達なんですか?」
「雄吾……ああ、中村さんの事ですね。亡くなっているとお聞きしています」
「そうです。なんで今、雄吾の名前が出るんですか」
藤井はしきりに左手の指輪に撫でている。僕は胸ポケットからピアスの入った小さな袋を取り出した。
「これを、中村さんから預かってきました。事故に会う前の彼があなたに渡したかった品だそうです」
だが、彼女はそれを受取ろうとしない。ただ怯えた目で僕とピアスを見ているだけだ。
「だって、雄吾が死んだのはもう半年も前なんですよ。今更こんなもの渡されても困ります……もう、結婚だって決まったのに」
藤井が触れていた指輪は、新しい婚約者からもらったものなのか。僕の胸内にやるせなさが広がった。中村は死んでも尚、まだ藤井かえでという女性を愛しているというのに。
「それでも、僕はこれを渡してくれと頼まれたんです。受け取ってください」
僕は藤井の右手を取って、その掌にピアスを握らせた。藤井はそれをじっと見て、やがてゆっくり袋を開封する。
中から現れたのは、シンプルなピンクゴールドのバックキャッチピアスだった。短いチェーンに吊られて十字架のモチーフが上品に揺れるデザインになっている。四本爪に留められているのはジルコニアなのかダイアモンドなのか、宝石の知識に乏しい僕には見ただけでは分からなかった。
しばらく、藤井は何もしゃべらずにそれを見つめた。
「思い出の品、なんですか?」
「……はい。これ、私がずっと欲しいって言ってたピアスなんです……」
そう言って、ピアスを握った手を胸に抱えた。膝をつき、肩を震わせて嗚咽を漏らしていた。
「何でよぉ……なんで、今なのよぉ……なんで死んじゃったのよ、雄吾ぉ……」
メイクが落ちるのも構わずに、彼女はぼろぼろと涙をこぼした。それを慰める言葉も見つからず、僕はただ藤井を見ることしかできなかった。
刹那、今の時期には少し冷たい風が吹く。泣き崩れる藤井の髪を揺らした風は一瞬で止んだが、彼女がそれに気が付く事は無い。だが僕は確かにその風に、彼女のかつての恋人の面影を感じた。
中村は藤井を一瞬だけ抱きしめ、何かを囁いて煙のように消えてしまった。泣いている藤井には聞こえていなかったようだが、僕の耳には確かに届いていた。
「さよなら、かえで。幸せになってね」
表情が少し明るくなった藤井を思い返しながら、僕は事務所へ戻っていた。中村は無事に成仏し、これから藤井は前を向いて生きていくことができるだろう。一組の恋人が救われたという実感が足取りを軽くする。
今日も夕飯はカレーうどんにしようかな、などと気楽に考えていると、突然路地裏から伸びた手に腕を掴まれた。あまりに急な出来事だったので、反応できずにそのまま引きずり込まれてしまう。
「は、え⁉ 離せよ!」
「うふふ、こんにちは。西園さん」
聞こえた声に、凍り付いたように動けなくなった。僕の事を「西園」と呼ぶ人間に一人だけ心当たりがあったからだ。
「お前、山火さや……!」
黒い髪をなびかせた少女が、目を細めて笑っていた。
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