第八話 濡れ羽色の鍵を手に

 冷や汗が背中を流れ落ちるのを感じながらも、僕は目の前の物部と呼ばれる術者から目が離せなかった。目を離したら殺される。そんな錯覚が僕の身体を縛り付けている。


 固まった僕を見て、物部は突然顔を背けて噴き出した。


「っぷ。西萩、あんたちょろすぎだよ。術者と目を合わせるなって船江から聞いてないのかい」

「え、あ?」

「今のは簡単な金縛りだ。あんたがどれだけ呪術に耐性を持ってるか調べようと思ったけど……てんでダメだね」


 ぷくく、といたずらに成功した子供のように笑っている物部を前にして、僕は何が起きているのか理解すらできなかった。


「まぁいいよ。栗どら焼き、美味しかったから質問くらいには答えてやろう」


 作業椅子にふんぞり返って座りながら、物部がにんまりと笑う。その笑顔が何時ぞやの山火さやにあまりにも似ていて、術者はどれも似たような顔をするのかとぼんやり思った。


「教えてほしい事はそれこそ山ほどあるんですけど」

「じゃあひとつだ。持ってきた和菓子は一種類だったから、ひとつだけ答えてやる」


 物部は人差し指を立ててこちらに見せる。十個セットを買ってきたんだから十個答えてくれればいいのに、と思ったが口には出さなかった。


「じゃあ、希望の日の出について、知っていることを教えてください」

「おや、いきなり本題から入るんだね。さてはあんた、ショートケーキの苺は最初に食べるだろう」

「そ、そうです」

「分かりやすいねぇ。で、希望の日の出ね」


 肩を揺らして笑いながら、物部は椅子を回してパソコンを操作し始めた。僕は段ボールから立ち上がり、彼女の後ろからモニターを覗き込む。


「希望の日の出ってのは、まあ表向きは宗教団体。ここら辺は自分で調べたんだろう?」

「はい」

「こいつらは世界の浄化と称して妖怪、幽霊、そういった怪異を根こそぎ消そうとしてるのさ。過激派として有名な山火が設立した組織だからね」


 そう言うと、ふと物部は手を止めて僕を振り返って見た。


「あんた、煙草は吸うかい」

「最近は全然ですけど吸ったことは何回か」

「じゃあいいや。吸わせてもらうよ」


 僕が返事をする前に、物部は机の上に置かれた白い紙巻煙草を手に取った。手で先端を覆うと、細い煙がゆっくりと立ち上る。物部はそれを咥えると満足そうに煙を吐き出した。

 僕は目をこすった。火を着けるような動作はしていなかったはずだ。


「あの、物部さん、火は」

「術に詳しくないあんたに教えても分からないだろうさ。何だい、今なら質問を変更できるけどそっちを聞くかい?」


 思いっきり首を横に振ると、物部は船江のように鼻を鳴らしてまたモニターに向き合った。


「山火のやり方はこうだ。まず、自分たちの術を使って適当な人間に危害を加える」

「え?」

「黙って聞け。感想は最後まで話したら聞いてやる」


 物部の言葉に、僕の口は突然閉じた。しまった、また術にかけられたと思ったがもう遅い。


「害があればなんでもいい。事故、病気、不運、借金……挙げればキリが無いが、まぁ呪術的に起こせるものならあいつらはなんでもできる。腐っても術者の名家だ。山火家に伝わってる技術はかなり高い」


 彼女が操作するパソコン画面には、色んな媒体のニュースが次々と現れている。全国ニュースで大々的に連日報道されていたひき逃げ事件の記事や、新聞で見覚えのある殺人犯の顔写真が流れた。


「希望の日の出は術で信者を操ってさらに事件を起こすんだよ。病気なんかは呪いを撒けばいくらでも感染を拡大できるさ。それで、その害を被った人たちを救いと称して入信させる。何度もそれを繰り返して、信者は増え、お布施の金額もうなぎのぼりだ」


 新しい煙草を咥えて、物部がさらに色んな事件の記事を流していく。


「希望の日の出は、教祖の説法としてこの信者たちに「今まであなたたちに降りかかっていた厄は全て怪異の所為だから、それを消すために私たちは活動している」って言うのさ。そうすれば信者たちは進んで自ら怪異を消そうと奔走する。術を使わずに人を動かす方法としてはいいアイデアだ。呪術ってのはな、使うには必ず代価を必要とする技なんだよ」


換気扇もない密室の中で、物部が吐いた煙は消えずに宙を漂っている。


「酷いマッチポンプだろ? ほら、喋っていいよ」


 途端、貝のように閉じていた口が開く。何度かはくはくと動かして、僕は思った事を言葉にした。


「っ、つまり、希望の日の出がやろうとしているのはありとあらゆる「人ならざるモノの撲滅」?」

「察しがいいね。まだ信者の数は関東圏内に収まっているけれど、まあ全国に広がるのも時間の問題だろう」


 視界が急速に狭まるような感覚を覚えながら、僕は額を押さえてゆっくり段ボールに座り込んだ。物部はそんな僕を気にも留めず三つ目のどら焼きにかぶりつく。


「でも、なんだってあんたは怪異に手を貸すんだい?」

「それは、その」

「船江があんたのところの事務所に行くって言いだした時から不思議だったんだよ。そもそも、西萩相談事務所ってのは何なんだ」

「……お話しなきゃいけませんか」

「知りたいねぇ。なんたってワタシは知識の集合体だ。興味の深さは深淵にも負けを取らないよ」


 術者と目を合わせてはいけない。僕はその言葉を頭の中で必死に繰り返した。


事務所が設立された理由は僕と前所長だけの秘密だ。それを暴かれるわけにはいかない。固く目と口を閉ざしていると、物部が喉の奥で笑いながら言った。


「そんなに言いたくないのかい。まぁいいよ、いつか聞けそうな隙ができたらあんたの脳みそから無理やり引きずり出してやるさ」

「……とにかく、僕は希望の日の出を止めます」

「威勢がいいねぇ。変わり者は嫌いじゃないよ」


 物部はどこから取り出したのか、小さな柄のないナイフを器用に弄びながら僕にそれを向けた。よく研がれた銀色は、モニターの光を反射して妙に冷たく輝く。


「西萩。手を出しな」

「え」

「早く」


 ほらほら、と物部に急かされて思わず左手を出す。物部は僕の手を取って、日本語ではない何かを呟き。


 僕の手に、ナイフを突き立てた。


「⁉」


 目を疑った。ナイフの刃は僕の掌に確かに沈んでいるのに、痛みも無ければ出血もない。そのまま溶けるようにナイフは僕の手の中に入り込んで、影も残さず消えてしまった。


「ナイフはね、自己防衛本能の象徴なんだ。あんたに術の耐性が無いなら作ってしまえばいい」


 これはワタシなりの応援だよ、と茶目っ気たっぷりにウィンクをする物部を見て、僕は大きくため息を吐いた。怖かった。船江が言った危ない奴、という言葉が一番実感できた瞬間だ。


「あ、ありがとうございます」

「ワタシはここから出ることができないからね。また何かあったら相談しにくるといい」


 そう言っても物部はまた作業椅子に深く腰掛けて、思い出したように机の引き出しから小さな封筒を取り出した。それを僕に投げつけると、また新しい煙草を吸い始める。


「あんたにあげるよ」

「何ですかこれ」


 そう言いながら封筒を開けると、中から出てきたのは船江に借りたものと同じ黒いカードだ。


「それはワタシの部屋に入るためのカギだ。そいつを見た図書館のスタッフに案内されない限り、この部屋は開かないから」


 じゃ、さっさと出ていきな。


 そう聞こえて顔を上げると、僕は高津図書館の入り口に立っていた。雨が降っていて、タオルで拭いたはずのスーツは濡れている。


「……は?」


 思わず間抜けな声が出た。あれだけ長く話していたはずなのに、手首についている腕時計が指す時間は僕が入館した時間とさして変わらない。

 あれは夢だったのか、と左手を見た。


「あ」






 握られていたのは、カラスの羽根のように真っ黒な一枚のカードだった。

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