第七話 図書館の魔女

 昼下がりの溝の口。僕は傘の柄を握りしめながら高津図書館までの道のりを歩いていた。天気は最悪だ。灰色の空から重たく降り注ぐ糸のような雨が、傘を差しても風に乗って僕のスーツを濡らしてくる。


 手にぶら下げた紙袋には、僕が気にいっている和菓子屋の栗どら焼き(十個セットで二千七百円。意外と財布に優しかった)を用意したが、果たしてこれでいいのだろうか。そんな一抹の不安を抱えながら、ゆっくりと目的地に向かっていた。


 雨の日の図書館は利用者が多い。僕が図書館の前にたどり着く時間には、既に傘立てに何本も傘が立てかけられていた。館内の椅子はほとんどが使用されていて、座って本を読めるスペースは無いに等しい。だが今日の僕は図書館そのものに用があってきたわけではないので、そんな利用者たちの横を素通りして受付に向かう。


 スーツに付いた水滴を軽くタオルで拭いながら受付の女性に声をかけた。女性は何か作業をしていたが、僕に気が付くと顔を上げて笑顔を作る。


「はい、ご用件はなんでしょう」

「あの、船江鶸の代理って言えば伝わるって聞いてきたんですけど」


 手帳に挟んだ黒いカードを見せながらそう言うと、受付の女性はひどく驚いた顔をして僕をじっと見た。そんな反応されるとは思っていなかったので、僕も思わず女性をじっと見てしまう。しばらく見つめあったが、とうとう僕が我慢できずに声を上げた。


「すいません、僕の顔に何かついてます?」

「あ、いえ、失礼しました。ご案内します」


女性は慌てて立ち上がり、カウンターの向こうから出てきて僕をに先導する。僕は彼女に大人しくついていくことにした。


 案内された先は、事務室の端にある一枚の扉だ。「関係者以外立ち入り禁止」とおどろおどろしいフォントで書かれた注意書きが、わざわざラミネート加工されて貼られている。というか、一般人が入ってくるはずがない事務室になんで立ち入り禁止、と書かなければならないんだろうか。


 そんな僕の疑問をよそに、案内してくれた女性は壁に掛けられた内線電話に何か話しかけている。


「失礼します、船江様の代理の方が……はい、承知いたしました」


 受話器を元の位置に戻し、女性が扉の鍵を開ける。どうぞ、と場所を譲られた僕は扉に近付き、ノブをゆっくりと回した。






 扉の向こうは、薄暗い倉庫のような作りだった。段ボールがいくつも積み重なり、埃臭い空気が充満している。僕が部屋に足を踏み入れると、背後で扉が閉まる重たい音がした。一層暗くなった部屋の中で目をこらすと、どうやら部屋の一番奥に誰かいるらしい。微かに届く青白い光を目印にして、僕は段ボールを避けながら近づいた。


 青白い光は、パソコンのディスプレイから洩れているようだ。誰かがパソコンの前に座ってモニターを眺めている。僕が声をかけるより先に、その人影が振り向いた。


「あんたが船江の代理かい?」


 随分目つきの悪い女性。それが第一印象だった。ばっさりと短く切られた髪は、ともすれば男性と間違えられそうだ。耳にいくつも開けられたピアスが痛々しい。鋭い三白眼から放たれた視線が僕を射抜く。ただ尋ねられただけなのに、無意識に背筋が伸びた。


「は、はい。僕は西萩相談事務所の所長をしている西萩といいます」

「あ? なんだ、あんたが噂の西萩か。船江から色々聞いてるよ。まぁ座んな」


 指差した先にあるのは、封がしてある段ボールだ。まさか、これに座れと。思わず視線が女性と段ボールの間を彷徨うが、やっぱり示しているのは段ボールだ。僕は仕方なしに、茶色い箱に腰かけた。


「あ、これよかったらどうぞ」

「お、和菓子かい。どうせあのピヨピヨに吹き込まれたんだろう? ありがたくいただくよ」


 思ったより優しそうな人だ。きつい人だと思ったがその意見は訂正しておこう。


「お、栗どら。良いセンスしてるね」

「ありがとうございます……」


 目の前で嬉々として栗どら焼きを頬張る女性を見ながら、僕は何故ここに来たんだろうと遠い目をした。


 船江は、僕がゆきちゃんを助けるために手伝うと言ってこの女性を紹介したのだ。しかも、あの船江より呪術に詳しいのだという。一体どんな凄腕の術者なのだろう? 二つ目の栗どら焼きに手を伸ばした女性をじっと見るが、まるで分からない。


 そんな僕の視線に気が付いたのか、女性が目を何度か瞬かせた。


「ん? あぁ、自己紹介がまだだったね。ワタシは物部ってんだ」


 よろしく、と汚れた手をそのまま差し出され、躊躇いながらも僕は一応握手した。柔らかくて小さい暖かな手だ。砂糖のべたつきが気になるが、感触は普通の人間の手である。今までの経験上、怪異と握手すると大体死ぬほど冷たかったり感触が肉ではなかったりするので、確かにこの物部という女性は人間だ。


「船江から聞きました。あいつより呪術に詳しいとか」

「ピヨピヨがそんなことを? あいつも人をおだてるって事を覚えたのかねえ」

「あの、そのピヨピヨって、まさか」

「船江のことだよ。あいつ、鶸って名前だろ? 鶸。知ってるかい? 可愛い鳥だよ」


 だからワタシにとってはピヨピヨなのさ。はっきり言い放つ物部に、僕は思わず見惚れた。今まで近くにいなかったタイプの人だ。超かっこいい。


「それで? あんたは何が知りたくてここに来たんだい」

「え?」

「え? じゃないよ。何か聞きたくてここに来たんだろう」


 不敵な笑みを浮かべ、物部がぐっと作業椅子に身を沈めた。背後に光るパソコンのモニターは彼女の顔に影を作り、その表情を禍々しく彩っている。僕の脳裏にはその時、船江の「割と危ないんだが」という言葉がよぎった。



「ワタシはね、“怪異に関する知識の集合体”としてこの図書館に収蔵されてる術者なんだよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る