第六話 風吹いた後に

 青年が立ち去ってからも、僕はしばらくその場に立ち尽くしていた。世界の浄化、という言葉と青年のアンバランスな笑顔が頭をぐるぐると回っている。なんだ、あれは。希望の日の出って何なんだ。


 ゆっくりと足を前に出し、僕は地面に残された飴玉を拾い上げた。小さなビニールに包まれた飴玉は中身が残っている。包みの色合いは女の子が好きそうな淡いピンクだ。


 僕は、その飴玉をぐっと握りしめた。怪異に対して力も知識もない自分の無力を痛感して、ただ虚しさが胸を苛む。


 その時、飴玉から微かだが匂いがした。もちろん、飴玉の甘味料が香ったわけではない。郷愁の念を掻き立てる、どこか懐かしい線香のような香り。僕はこれを知っている。どこで嗅いだのか、必死に記憶の糸を辿った。唐突に、答えに行きつく。

 確か、ビャクダンの香だ。リラックス効果を持つお香だと聞いたことがある。国外の宗教儀式にも使われている神聖な代物だ。確か、身体と魂を浄化するための儀式だったような。


ゆっくりと包装紙を剥いた。中から現れたのは飴玉ではなく、黒い何かを丸く固めた物体だ。

 僕は咄嗟にスマートフォンを取り出し、船江に電話を掛ける。繋がれ、繋がれと祈りながら待つこと数十秒、コール音が途切れた。


「んだよ」

「船江!」

「うるさ。何だよ、見つかったのか?」

「それが、消えちゃったんだ」

「消えたから探してんだろ。歩きすぎて頭おかしくなったのか」

「違う、見つけたんだけど、あぁもうとにかく来てくれ! 僕今、商店街抜けたところにあるイトーヨーカドーの裏にいるから!」

「……分かった。待ってろ」


 僕の支離滅裂な言葉から何か感じ取ったのか、船江は真剣な声色を残して通話を終わらせた。


 電話を切ってから数分後、船江が走ってきた。いつも余裕そうなのに、今は息が若干上がっている。相当遠くまで探し回っていたんだろうな、と思った。


「おい、何があった」

「希望の日の出の信者がいたんだ。そいつが多分、ゆきちゃんを消した」

「何だと?」

「やっぱり人外集団失踪事件にはあの宗教団体が関わってるよ。間違いない」

「それで、その握ってるのが証拠ってわけか」

「うん。船江に視てほしい」


 船江に包装紙ごと謎の球体を差し出すと、彼はそれをそっと慎重につまみ上げた。身じろぎ一つせず、じっとそれを見つめる。


「ビャクダンの匂いがしたから、何か呪術に使われたんじゃないかって思ったんだ」

「お前にしては鋭いな。確かに、なんか残ってる」


 船江はスーツの胸ポケットに入っていた細身のペンライトを取り出し、球体を色んな角度から照らして観察する。普段からあまりよくない目つきがいつもに増して悪い。


「一回事務所戻るぞ。作戦会議だ」

「分かった」


 僕たちは事務所の方角に足を向けた。僕は一度だけ振り返ったが、あの白いワンピースを見ることはできなかった。






 事務所に戻り、表には「臨時休業」と書いた紙を張り付ける。僕が人払いの準備をしている間にも、船江はソファに腰かけて視えたものをぽつぽつと漏らしていた。


「……使われたのはビャクダンと……うわ、なんだこれ気持ち悪……蟲か……いや違う埃……どっちかというと灰……燃やした痕……煙だな。燃やした……?」

「船江、どう?」


 グラスにいれた水を手渡しながら僕が聞くと、船江は観察が終わったのかこめかみを軽く揉みながら眉間に皺を寄せた。


「……はっきりとは言えないが、多分こいつは転送用の呪具だな」

「転送?」

「高等呪術だ。手順は単純だが大がかりで、最近はほとんど見なくなった古臭い術。大昔は荷物の運搬とかにも使われてたらしいが、歴史が知りたいなら詳しい事は自分で調べろ」


 そう言いながら、船江は白紙を取り出して図を交えながら術の説明を始める。



「転送術ってのは、他の木に寄生して成長するビャクダンを媒介に使った術の一種だ。手順として、まずはビャクダンに寄生された木を用意する。寄主はなんでもいいが、大事なのは「ビャクダンに寄生されていること」だ。まず、この木を半分に割って片割れを燃やす。完全に粉末状になるまでしっかりと燃やすのがポイントだな。その燃やした灰を、土人形に使われる粘土に練りこみ成型する。術と念を吹き込めば、転送用の呪具の完成だ。この呪具に触れた状態で術式が発動すると、燃やさなかった方の木に喚ばれる、というのが一応の基本理論で、寄生したビャクダンの癒着力を呪術で強化して「残っている形が大きい方」に呼び寄せるという原理で動く。だから一方通行にしか使えないが、まあ距離を無視して物体を動かす呪術にしては上出来だな。それが転送術の仕組みだ。分かったか?」


「ごめん船江、全然分からない」


 船江が書きこんだ大量の図と説明書き、僕には理解できない呪術用の記号を前にして正直な感想を述べた。怒られるかと思って船江を見るが、呆れたように僕を見下すだけだ。


「だろうな。説明の途中から理解してない顔してた」

「本当こういうの昔から苦手で……」

「なんでお前みたいなのがここの所長なんだかさっぱり理解できない」


 ぐうの音も出ない。がっくりとうなだれると、船江は仕方ないと言わんばかりの大きなため息を吐いた。おもむろに立ち上がり、作業用の机の引き出しを開けて中からあるものを取り出した。


「磁石? なんで?」

「こっちの方が分かりやすいだろう。見ろ」


 僕が頭に疑問符を浮かべていると、船江は大小二つの磁石をまずくっつける。


「こうやってくっついている状態の磁石が最初のビャクダンに寄生された木だ。これを無理やり引き剥がす」


 そう言いながら、船江はくっついた磁石を引き剥がして片方ずつ握った。小さいほうの磁石はポケットにしまい、大きい磁石を机にセロテープで留める。


「この大きい磁石が燃やされなかった方の木で、小さいのが灰にしたビャクダン。ここまではいいか?」

「なんとか」


 僕がそう答えると、船江は続けるぞ、と言いながらポケットから先ほどの小さい磁石を取り出した。


「灰にしたビャクダンを練りこんだ呪具、この場合は小さい磁石だが、こいつは術が発動すると大元の大きい磁石に吸い寄せられる。呪具側からも吸い寄せる力は働いているが、より軽い方が重い方に向かう」


 船江が机に小さい磁石を置き、それを少しだけ留められた大きい磁石に近付けた。手を離した瞬間、小さい磁石は磁力に従って大きい磁石にくっついた。大きい磁石はセロテープで固定されているため、その場から動く事は無い。


「だから呪具に練りこむ灰は、完全に粉末にして軽くしておく必要があるんだ。うっかり呼ぶ側の木が来たら困るからな」

「分かったような、分からないような?」

「とりあえず、この飴玉もどきが猫又の子供をどこかに運んだのは確かだ。だが行先を割り出すには時間がかかるぞ」


 船江が机のセロテープを剥がす音を聞きながら、僕はふと浮かんだ疑問を口にした。


「じゃあ、なんでその呪具はここに残ってるの? 引き寄せられるなら呪具ごと運ばれるんじゃないのかな」

「あぁ、だからこれは使ってことだ」

「は?」


 あっさりと返された言葉に思わず間抜けな声が出た。それを気にすることもなく、船江は淡々と磁石を机の引き出しにしまいながら言葉を紡ぐ。


「多分、その希望の日の出ってのはいくつもこれと同じ呪具を持っている。これは、猫又の子供を消したやつが偶然落としたか、あるいは」

「あるいは?」

「挑発だ。ってな」



『気を付けてくださいね。異端はいつだって、教祖様が見ておられますから』



 青年の囁き声を思い出して、僕は無意識のうちにこぶしを握り締めていた。顔を上げて船江を見ると、いつもよりほんの少しだけ優しい目と視線がかち合う。


「船江。僕、どうしてもゆきちゃんを助けたい。どうすればいいの」

「いいのか? ただでだえお前、今変な術者に目を付けられてるんだろ」

「依頼を完遂できないままなんて、所長失格だよ」


 その言葉に、船江の目が丸くなる。そして。


「……っふ、分かった。じゃあ特別に手伝ってやる」

「え?」

「俺の知り合いに、俺より呪術に詳しい奴がいる。割と危ないんだが、まぁお前も本気みたいだからな」


 そう言って、船江は僕にポケットから取り出した何かを投げつけてくる。何とか受け取ったそれは、真っ黒いカードだった。透かしでも入っているのかと光に照らして見るが、特に何も見えない。


「なにこれ」

「高津図書館の受付にこれを見せて「船江ひわの代理です」って言えば分かる」

「図書館に行けば、誰かいるの?」

「あぁ。お前が使ってるあのうるさい情報屋みたいなもんだ」

「へえ……分かった。行ってみる」


 カードを手帳に挟み、そう頷く。船江は満足したのか、ソファにどっかりと座り込んで長く息を吐いた。何かを思い出したのか、あ、と声を上げてまた僕を見た。


「そうそう、そいつに会う前に和菓子買っとけよ。差し入れしないと何も話してくれないからな」

「前払い制かぁ」


 僕は財布の中にいくら入っていたか考えながら、船江が利用するというまだ見ぬ情報屋に思いを馳せた。



 少し、疲れた。僕は椅子に腰かけて休息のために目を閉じたのだった。

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