第五話 猫探し、人探し
午後一時四十五分。無事に今日のノルマと言えるカレーうどんを食べ、現在は満腹感に幸せを覚えて事務所でのんびりしているところだ。この前は夕飯にカレーうどんを食べようと思ったのに臨時休業で仕方なくサイゼリヤに行くことになったが、今回はちゃんと食べられた。僕は希望の日の出について調べるのも忘れ、ただ幸福感に身を任せて時間をつぶしていた。
「西萩、客が来る前にそのだらしない顔なんとかしとけ」
「お客さん来たらちゃんと対応するよ」
「ふん、どうだか」
そんな会話をしていると、事務所の間延びしたインターホンの音が来客の訪問を告げた。
「あ、はーい」
声を張り上げると、扉をそっと開けて女性が顔を出す。強気な釣り目が印象的な美女だ。名前の通り白い肌。きっと猫の姿になったら綺麗な毛並みなのだろう。美人、いや、美猫に違いない。
「あの、お電話した猫又のしろです」
「お待ちしておりました。どうぞこちらにおかけください」
僕が来客用のソファに促すと、しろさんは頷いて音もなく腰かけた。船江に目配せすると、分かったと給湯室に向かった。悔しいが船江が淹れるお茶は美味しい。来客の時のお茶はいつも船江が淹れてくれている。
「それで、迷子探しとのことでしたが」
「はい。実は数日前から私の子供の行方が分からなくなってしまったんです。最近は誘拐だの消失だの、何かと物騒ですので、こちらの相談事務所のお力を借りたいのですが、大丈夫でしょうか」
電話では気丈に振舞っていたらしく、今の彼女の表情はかなり焦っていた。どうやらしろさんは、人外集団失踪事件の噂を知っているらしい。船江がお茶を盆にのせて運びながら口を開いた。
「多摩川周辺で行方不明者が後を絶たない事件ですね。確かに、それだとお子様が心配です。これ、よかったらどうぞ」
湯呑を置いて僕の隣に来る船江は真剣そのものだ。その真摯な態度に安心したのか、しろさんも喋り始めた。
「ありがとうございます。うちの子、えっと、ゆきと言うんですけれど、いなくなってしまったのが四日前なんです」
「思ったよりいなくなって時間が経ってますね」
「自分でなんとか見つけられないかと頑張ったんですが、どうしてもダメで……最近やっと人の形を取れるようになったので遠くまで行ってるんじゃないかって私、心配で」
常に持ち歩いている手帳の新しいページを開いて、いつものように要点をメモする。猫又、子供、四日前から行方不明、最近ヒトガタになれるようになった、人外集団失踪事件に巻き込まれている可能性がある、と。
「ゆきさんの写真とかありますか」
少し考え込んでいた船江が、しろさんにそう問いかける。しろさんは、はい、と返事をして鞄の中から二枚の写真を取り出した。
一枚目は、毛並みが綺麗な白猫の写真だ。黄色の瞳と真っ白な体毛が美しいコントラストを生み出している。撮影した場所はどこかの駐車場か。
「これが、普段の姿なんです。私と同じ白猫なので、ゆきと呼んでいます」
「めっちゃ美人さんですね……」
僕が思わずそう呟くと、船江にわき腹を小突かれた。そんな僕らのやり取りを見て、しろさんが少しだけ笑う。
「えぇ、本当に。この子はお父さんに似て綺麗に育ったんです」
お父さんは存じ上げないが、きっとこれはしろさんの遺伝子だろうと言おうとしたがやめた。隣から「余計なことは言うな」と無言の威圧を掛けられているからだ。
「それで、もう一枚は」
「こっちは人の姿を取ったものです。急いで撮ったものなのでブレてますけど……」
こちらに写っているのは、おかっぱ頭が可愛らしい少女の写真だ。白いワンピースを身に着けているのは分かるが、詳細は手ブレが酷くて分かりにくい。光る黄色い目だけが特徴的だ。
「これ、お預かりしていいですか?」
「もちろんです。娘をお願いします」
深く頭を下げたしろさんを前にして、僕と船江は顔を見合わせた。うん、と頷くと船江は何も言わずに必要書類が入っているファイルを取りに行った。僕はしろさんに改めて身体を向け、真っすぐに見つめる。彼女も頭を上げて僕を見た。
「それじゃあ、契約書の記入をお願いします」
しろさんは希望を託すように、一度深く頷いた。
溝の口にいる猫の中からたった一匹を見つけ出すのはなかなか難しい。その日のうちに見つかるかは分からなかったため、とりあえずしろさんには一旦家に帰ってもらうことにした。あとは僕と船江で出来る限り迅速にゆきちゃんを見つけるだけだ。
「俺はマルイの方を当たってみる。西萩、お前は商店街の方を見ろ」
「分かった。見つけたら電話して」
「了解」
そんなやり取りをしてから、もう数時間が経った。想像以上に捜索は難航していて、似たような猫を見つけても別人、いや、別猫だったりする。ワンピース姿の少女もいないし、もしかしたら公共交通機関を使ってしまったのだろうかと嫌な考えが頭をよぎった。
溝の口駅は交通の便がいい。東急田園都市線、東急大井町線、JR南武線、さらには市バスも通っている。猫の姿のままでうっかり乗ってしまったのなら、かなり遠いところまで行ってしまった可能性も考えられる。最悪の場合、田園都市線と繋がっている別の路線の電車に乗ってしまうともう追いかけるのは困難だ。捜索範囲を一気に広げなければならない。せめてもう少し連絡が早ければと思わずにはいられないが、考えたって仕方がない。もう少し溝の口周辺を探してみよう、と僕は歩みを進めた。
商店街で子供が心惹かれそうな場所をいくつも訪ねてみたが、写真を見せても知らないとしか返事が返ってこなかった。ゲームセンターも駄菓子屋も、まさかと思って訪ねた寿司屋も外れだ。正直八方塞がりでどうしようもない。かくなるうえは、と僕はスマートフォンを取り出して目的の人物の番号を呼び出した。
数コールした後、相手が電話に出る。弾んだ声が彼女の嬉しそうな表情を想像させた。
「もしもし、明日香?」
「あー! 西萩さん! 朝の話の仕事ですかぁ?」
「うん、猫又探し。明日香、何か知ってる?」
電話の相手は、情報屋の島永明日香。普段の腐女子トークには全くついていけないけれど、仕事となると彼女は驚くほど有能になる。
「うふふ、電話握りしめて待ってた甲斐ありましたよ」
「ありがとね。探してるのは白い猫又の幼生なんだ。人間の形も一応とれるみたいで、その時は白いワンピースを着たおかっぱの女の子」
「なるほど、白でおかっぱ。ここら辺で最近見かける野良猫又で白い子だと……あ、いますねえ」
「ほんと?」
やはり、彼女は仕事に関しては本当に有能だ。ほとんど時間を掛けずにほしい情報を確実にこちらに渡してくれる。明日香はさらに情報を続けた。
「ここ数日で突然現れた白い子ですね。ずっと一人でふらふらしてるから変だと思ってたんですよ。同じタイミングで何回か白ワンピースの少女も目撃されてます。髪型まではちょっと特定できてないですけどね」
「情報が合致してるから行く価値はあるよ。その子、どこらへんで一番多く目撃されてる?」
「えー……イトーヨーカドーの隣に広場ありますよね? 一番最近はそこで一人でいる姿が目撃されています。西萩さん、そっちは見ました?」
「まだ見てない。行ってくる、ありがとう明日香」
「いえいえ。代金はいつもの口座に振り込んでおいてくださいねえ」
今回の支払いはすこし多めに送っておこう。僕はそう心に誓いながら通話を切って、商店街の東を向く。船江にも連絡しようか迷ったが、まだ見つかったわけではないので思いとどまってスマートフォンをポケットにしまった。
件の広場は歩けばすぐだ。溝の口から離れてなくて本当に良かった。そう思いながら僕はすこし歩き疲れた足に鞭打って歩を進める。
商店街を抜けると、人通りは一気に少なくなる。量販店を利用する客はそれなりにいるが、街灯も少なくなるこの地域は治安があまりよろしくなかった。
ゆきちゃんは子供だ。もっと人が寄りそうな明るくて楽しそうな場所にいるんじゃないかと思っていたため、こっちのエリアは盲点だった。もっと精進しなければ、と軽く頬をはたいて気合を入れなおす。
手帳に挟んでいた写真を取り出し、似た姿が無いか辺りを見渡してみた。草むらの中まで見たが白猫の姿はない。じゃあ今は人の姿なのか、と少し歩いてみた。
視界の端を白がわずかにかすめた。
咄嗟に目で追うと、そこには確かに、写真と同じおかっぱ頭で白いワンピースを着た少女がいる。離れているが特徴的な黄色い目ははっきり見えた。あの子がゆきちゃんだ。
だが、おかしい。
彼女は一人ではなかった。隣には、何やら飴玉のようなものを手渡す青年がいたのだ。手ぶらのゆきちゃんとは対照的に、青年は大きなリュックを背負っている。嬉しそうにそれを受け取る少女と、彼女の頭を優しく撫でる青年。傍から見れば兄弟のようだが、僕はその青年に見覚えがあった。
二子玉川の駅前でチラシを配っていた、大学生くらいの青年。のんびりとした声を上げ、道を行く人に手元のチラシを手渡していた彼が、確かに溝の口にいる。
驚きで硬直している僕のことなど知らず、青年はゆきちゃんの手を取って何処かへ歩き出した。仲良く歩いていく姿に我に返って追いかけるが、二人の姿は量販店の裏手に消えてしまう。
急いで裏に駆け込んだ僕の前には、思わぬ光景が広がっていた。
ゆきちゃんが、いなかった。
量販店の裏手は暗いなりに見通しのいい一本道だ。障害物もないので隠れるような場所もない。そんな地形にもかかわらず、僕が見たのは大きなリュックを地面に置いて中から何かを取り出そうとしている青年だけだ。
青年は僕を一瞬だけちらりと見るが、何も言わずにまた荷物漁りを再開した。
「あの、すみません。ここに女の子いましたよね」
声をかけても青年は応えず、ただリュックを漁り続けている。僕は思わず声を荒げた。
「知ってますよね、君が連れ込んだ女の子ですよ!」
周りに響くほどの大声ですら、青年の手を止めることはできない。やがて、青年はリュックから何かを取り出した。
黄色いジャンパーだ。二子玉川でチラシを配っていた人間が着ていたもの。そして、あの山火さやが着ていたものと全く同じ服。特定の宗教団体に所属していることを示すその衣装を、彼はただ無言でリュックから引きずり出した。
「それ、希望の日の出の……」
絶句した僕の前で、青年がゆっくりとそれを着る。ジッパーを上げてリュックを背負いなおすと、彼は僕をじっと見てこう言った。
「世界の浄化ですよ。不浄の怪異を消し去ることは、オレたちにとって本当に名誉なことなんです」
無表情だった顔に仮面のような違和感のある笑みを張り付け、青年はこちらに向かって歩き出す。気味の悪さに思わず後ずさると、青年はすれ違いざまに囁いた。
「気を付けてくださいね。異端はいつだって、教祖様が見ておられますから」
僕は、そのまま青年が立ち去るのをただ見るしかできなかった。青年がいた場所には、ゆきちゃんにあげたと思われる飴玉が一つ落ちているだけだった。
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