第四話 情報屋は変わり者

 厄介ごとが起きた時に、事前に電話で相談してくる客は少ない。だから、まだ日が昇って間もない時間に鳴り響いた着信音に僕は飛び上がるほど驚いた。久しぶりに聞いた電子音に慌てて駆け寄り、受話器を取る。


「はい、こちら西萩相談事務所です」

「あの、そちらで迷子探しをしてもらえると伺ったんですが」


 落ち着いた女性の声だ。丁寧な言葉遣いからも好印象を持てる。僕は手近なメモ用紙を引きよせ、肩で受話器を挟みながら内容を紙面に落とした。


「迷子ですか。本日はほかのご予約もありませんので、事務所にいらっしゃってもらえれば相談をお受けしますよ」

「ありがとうございます、では本日の午後二時にお伺いいたします」

「かしこまりました。失礼ですがお名前を控えさせていただいてよろしいですか?」

「はい、猫又のしろと申します」


 猫又。人家に飼われていた猫が化けたもの。化け猫ともいわれる妖怪だ。ここら辺は人に捨てられた猫も少なからずいるが、多分今回の依頼主もそういう類の猫又なのだろう。電話を使えるとは珍しい。


「ご相談、西萩が承りました。それではお待ちしております」


 僕の言葉を合図に、電話は切れた。受話器を置いてから僕は自分のスマートフォンのメッセージアプリを起動する。あて先はもちろん船江だ。


「電話予約入ったよ。猫又だった」


 船江は朝が弱いので、きっとこのメッセージを見るのはもう少し先だろう。僕はスマートフォンを机に置いてから事務所の窓を開けた。お客さんが来るなら、軽く掃除でもしておこう。





 ある程度掃除も終わり、観葉植物の水やりをしていると机のスマートフォンから着信音が聞こえた。ロック画面に表示されているメッセージは船江からだ。


「すぐ行く」


 相変わらず愛想が無い文章だ。彼の返信がそっけないのはいつものことなので、気にせずに「了解」とだけ返事をした。


 さて、猫又で迷子探しときた。つまりこれは売れない探偵にありがちな猫探し、という事だ。

 猫又は、化けた後でも猫と子をなし、その子供もしばらくすれば妖力を蓄えて猫又になる。視える人には割れたしっぽがはっきり分かるらしく、見分けるのはそう難しくないそうだ。生憎僕はそれが視えないので、こういう相談をされたときは写真を頼りに一匹一匹調べることになってしまう。だから大体こういう時は、窓口として僕が相談を受け、船江が捜索担当として外で動くのがパターン化しているのだ。

 そんなことを考えていると、事務所のドアが開いた音がした。視線を送れば、寝癖が付いた船江が大きな欠伸をしながら入ってくるのが見える。


「おはよう。本当に早かったね」

「おかげで朝飯食ってねえ。何かあるか」

「そこのセブンのサンドイッチくらいなら行きに買ってきたけど」


 緑のロゴが入ったビニール袋をちらつかせると、船江は無言で手を伸ばす。はい、と手渡せば返事らしき呻き声を返して中身を漁り始めた。


「レタスか……」

「安いんだもん」

「ミックスサンドにすりゃいいのに」

「自分で食べる用に買ってきたんだから文句言わないでよ」

「うるせえ」


 船江は来客用のソファに座り込むと、サンドイッチを広げて咀嚼し始めた。ボロボロと食べかすが落ちるが本人は気にしていないようだ。ああ、せっかく掃除したのに。


「猫又はいつ来るんだ」

「二時に来るって。その前に僕お昼済ませてくるから、船江は事務所で待ってて」

「またうどんかよ」

「だっておいしいんだもん」

「その、大の大人が「もん」って言うのやめろ、気持ち悪い」


 朝早くに起こされたためか、今日は妙に不機嫌だ。単にサンドイッチが気に入らなかったのか、それとも別の理由があるのか僕には分からなかった。


「水」

「はいはい」


 単語で物を要求してくるのにも慣れた。船江と働くようになってからそれなりに時間が経つが、最初はずいぶん振り回されたものだ。懐かしい事を思い出しながら給湯室にあるグラスに水を入れて船江に手渡せば、船江はまたお礼らしき声を出して素直に受け取った。


「……この前サイゼで飯食ったろ」

「ん? あぁ、それがどうしたの」

「あの後、俺は家で「山火」について調べてみた」


 山火。例の宗教団体の教祖であり、僕が二子玉川で出会った謎の少女の名字だ。僕はただ珍しい名字だ、とだけ思っていたがどうやら船江は違ったらしい。


「山火ってのは術者の家系の一つだ。怪異殲滅を提言してる過激派だな」


 資料はそこにある、と指さした机には写真付きで何枚かコピー用紙が置いてあった。ホチキスで留められたそれは、触ってみれば薄い。


「いろいろ探ってみたが、どこもかしこも隠蔽された跡があった。小賢しい真似を……」

「隠すってことはやましい何かがあるってことだよね」

「だろうな。実際、怪異を殲滅しようとしてる奴らはやることが汚い。一昔前なんて幽霊が憑いたってだけで、憑かれた人間を殺すことも普通にありえたからな」

「びっくりするほど真っ黒だね。そりゃ隠蔽工作も捗るか」


 資料には、山火という術者家系が今まで行ってきた表向きの退魔の歴史が少しだけ書かれている。平安時代は悪鬼を撃ち滅ぼし、陰陽道にも明るかったと書かれているが正直眉唾物だ。僕はため息を吐いて資料を元の通りに机に戻した。


「ところで船江、僕今日事務所掃除したからそこの食べかすはちゃんと綺麗にしてよね」

「は?」

「自分で汚したんでしょ」


 僕朝ご飯買いなおしてくるから、と言い置いて事務所を出ようとする。背後から舌打ちが聞こえたような気がしたが、無視してコンビニに向かうことにした。





 コンビニで同じレタスのサンドイッチを購入し、事務所に帰ろうとすると見知った背中を見つけた。目に刺さるビビッドな赤い髪の毛は風に煽られて揺れていた。確か、この前会った時の髪の毛は緑だった気がする。見るたびに髪の毛の色が変わっているが、例え夏でも脱がない黒コートを見間違える事は無い。


「よ、明日香」

「あ! 西萩さんじゃないですか! お久しぶりです!」


 声に気が付いて振り返った女性は、顔を輝かせてずり落ちる眼鏡をかけなおした。


 島永明日香。こいつは西萩相談事務所がたまにお世話になる情報屋だ。溝の口周辺の事なら、スーパーのタイムセールから胡散臭い呪符の受け渡し場所まであっという間に調べ上げてくれる。ただ、唯一の欠点が。


「最近は船江さんとどんな感じなんですか? いつも事務所に引きこもって全然私のこと使ってくれないじゃないですかぁ」

「別に、明日香に頼むような用事がないだけだよ。船江とも何もないから」

「えー? それおかしくないですか? 人気のない事務所に二人きり、何も起こらないはずもなく! 絶対お似合いだと思うんですよねぇ。ぶっきらぼうだけど本当は相棒のことちゃんと考えてる無口攻めと、へたれで能力はないけど人当たりは良くて優しい包容力高い受け! タイトルは「秘密の事務所でふたりっきり」! これ売れますって! 新刊のネタにしていいですか?」

「僕、たまに明日香が何言ってるか分かんなくなる」


 そう、この通り明日香は世間一般に言う腐女子なのだ。西萩相談事務所に情報を売るようになってから、彼女は僕と船江の関係が相当気になるらしく会うたびにいつもこの調子だ。興奮のあまりまたずり落ちた眼鏡を掛けなおしている明日香に、僕は当たり障りのない答えをしておいた。


「まぁ、もしかしたら次の依頼はお願いするかもしれないけどね」

「西萩さん、そう言っていつも使ってくれないじゃないですか。それが社交辞令ってことぐらいさすがに分かりますよ」


 拗ねたように頬を膨らませる明日香に苦笑いを向けるが、彼女の機嫌は直りそうにない。


「今日の昼に猫又の迷子探しの相談が入ってるんだ。船江がお手上げだったら連絡するよ」

「お、久々に私の出番ですか? いいですよ、今日はずっとスマホ握りしめて待ってますから!」

「本当に相談するかは分からないけどね」

「じゃあ船江さんが見つけられないことを祈ってます!」

「それはちょっと……」


 僕の反応を見て明日香が笑う。そんな時、僕のスマートフォンが震えた。メッセージは船江からで、「まだ外にいるなら炭酸買ってこい。甘くないやつ」と書かれている。


「じゃあ僕、ちょっと買い物してから事務所戻るよ。明日香も頑張ってね」

「はい! 西萩さんも頑張ってください!」


 元気よく返事をする明日香を見送りながら、僕はまたコンビニに足を踏み入れた。すぐ戻らないと船江から催促の連絡が来るだろう。なるべく急ごう、と来た道をUターンして少し駆け足になる。


 事務所にお客さんが来るまでまだ時間はある。戻ったら僕も例の宗教団体について調べてみよう、と考えた。

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