夫婦関係とケンカの考察

付き合っている間や、結婚した後についてどこかで必ず聞かれることとして

「ケンカしないんですか?」という問いがある。


江戸の華ゆえについて気になるだけでなく、

「我々はケンカしているけど、うまくいくだろうか」という思いを払拭したい気持ちや「ケンカしてこそ築かれる関係」の実証を聞きたい気持ちがあるのだろうか。



しかし、我々夫婦は付き合っている間も結婚してからも、ケンカらしいケンカはをしたことがない。


人と人のコミュニケーションの在り方は、それこそ人の数だけあるので、何が正しいかはわからない。ケンカを経て結びつく関係性もあるのだろう。


ケンカの話を聞いていると「何度言っても〇〇してもらえない」や「〇〇してくれると思ったのに」「〇〇って言われた」など、相方に対しての不満が爆発しているケースが多いように思う。


ということを背景に、「本音でぶつかりあってこそ強固な関係が築ける」と主張するのだろう。その考えもよくわかる。


一方、ではケンカをしない我々は本音でぶつかりあっていないのか?と思うとそうではないと思う。なんだろうなー。と考えてみると、2つのポイントが導き出された。


ひとつは、「自分の主張を一方的にぶつけない」ということだ。お互い遠慮がちというとらえ方もあるが「一方的にぶつけることによるデメリットの方が大きい」と、深層心理の中でわかっているのかもしれない。

妥協をしているわけでもなく、「一方的にぶつける」ことをしないようにしている。


もうひとつは、ひとつめに関連している話だが、「ズレてると思ったことをため込まない」こと。

ケンカの例を見ていると、積もり積もったものが爆発しているケースが散見されるが

我々は早い段階で、認識のずれを修正しようと試みているので、惨事を招いていないではないかと行き着いた。


「お風呂をあがる際には風呂マットをこうしておいてほしい」といった、些細な要望をこまめに話すようにしている。

それは別にかしこまった場を設けるわけではなく、会話の中でしっかり意思表明をちゃんとしている、ということだ。


ああ、ポイントはもうひとつあった。

こうやって主張をする場合、相手の考えを尊重する ということも大事にしているポイントだ。

尊重するイコール全部認めるということではない。


こう思ったからこう主張しているんだな、ということを汲み取って、ではこうしよう、という結論を二人で考えることが良い方向につながっているのだと思う。


一緒に生活を回していく他人同士、お互いが向き合ってばかりではなく、同じ方向を向いて、お互いが楽にできるようにうまく回せているのだろうなと思う。


方向がずれていたとき、すぐに気づくことができるように、時々様子を伺いながら。

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