君と共有したくない。

月乃ひかり

君とは共有したくない。

ひさしぶりに、私は頰を叩かれた。


ぱしっ、とまぬけな音が響いて、思わず手で顔をおさえる。

さやはたった今私の頬をぶった手をぷるぷる震わせて、はぁはぁと息を吐きながら肩を上気させていた。

顔は赤く、口は真一文字に結ばれている。

「だからごめんって言ってるじゃん」

なにも打たなくたっていいじゃん。

「あんたずっと騙してたんだよ」

さやの目が、ぎろりと私を睨んだ。

「コウのことも」

すこし逡巡したけど、私は我慢できず喉の奥に押し込めた言葉をさやに向かって投げ出してしまう。

「だからコウはただの…」

「幼馴染?」

私の言葉を遮ったさやの顔は、少し口元が歪んでいた。笑っているように見える。

「あんた小学生の頃からの幼馴染とか言ってるけどさ、幼馴染だったら土日にスタバとかで仲良く話すんだ?夜になったら路上でキスとかするんだ」

「はぁ?そんなの知ら」

「ほんと頭がおかしいんじゃない?やってること意味不明だね」

責められている状況がみじめで、目のあたりが少し熱くなってくる。さとられちゃダメだ。必死にポーカーフェイスを保ちながら

「もう、本当誤解だから。やめて。私、帰るから」

と言い放って走り出した。

「おい待てよ!泥棒猫!」

さやの叫び声が、背中に響いた。夜の住宅街に、冷たい風が吹いた。

イヤホンから流れてくる歌声は、じんわりと俺の心に沁みていく。鳴り響くビートがとっても気持ちいい。疲れて電車に揺られながらつり革を握っているだけの身体をなんとか自立させている原動力は、間違いなくこの歌だ。

車窓の外の夕暮れの河原のグラウンドでは、部活の少年たちの練習風景が広がっている。

俺、今、あれだな。黄昏てるな。

あの少年たちみたいに、叫んでボールを投げて走り回る日々も悪くはないのかもしれない。でもあんまり俺には性に合わないんだろう。

こういう音楽を聴くひとりの時間が大好きだから。

音楽の中に異物の電子音が割り込んできた。

【コウくんが好きって言ってた曲、めっちゃいい!今度アルバム買っちゃおうかな】

さやからのラインだ。曲とは、今聴いてる曲のことだ。

って言ってみたけど、さやって誰だっけ。

あ、そっか、三日前から付き合ってる、同じクラスのさやちゃんね。

車窓の風景が途端にチープに見えた。少年たちが、ただの馬鹿に見えた。

これはあれだな。興醒めってやつだな。

音楽は一人で楽しむものなのだ。どんなに好きな曲でも、一度ほかの誰かが好きという情報を知ってしまうと、途端に気持ちが醒める。メロディが他人の姿を想起させる呪いに変容する。純粋な美しい液体に、墨液を流しこんだようだ。

俺は連絡先を眺める。さて、誰にしようか。

小学生の頃から友達のあいつ、お願い。

さやちゃんと俺を引き離す役、頼む。

大好きな音楽を取り戻すんだ。さっそく明日からの計画を頭の中で鳴り始める。

このアルバムは好きだから、そう。

君とは共有したくない。


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