第12話 密告者 6.

 空には光がなく、吹雪が吹きすさんでいた。

進むごとに髪が凍りそうになる。寒さが痛みに変わり、息をするたび氷の粒が喉を刺した。暗闇の中に浮かび上がる、ラゲリの壁に塗り込まれた聖人たちだけを手掛かりに進んだ。昼間は団員たちが担ぐ輿に、絵を描けるのは夜だけだ。

 霞む視界の向こうに、うずくまる画家の姿が見える。


 画家は私が目の前に立つまで気づかなかったらしい。彼は絵筆と顔料の容器を持ったまま、驚いて私を見た。

「どうしたんだい。こんな夜中に」

「あなたが、妹を売ったの?」

 画家のくすんだ緑の目が大きく見開かれた。


「あの子が反逆なんてするわけない」

「待って、何の話だ」

 彼が立ち上がる。風が強く吹いた。

「総督が言っていたわ。妹は密告されたのだと。あなたは偶然捕まったといったのに」

「本当に偶然捕まったんだ」

「総督は妹を拘束しても、何も知らないと泣かれて追及できなかったのよ。道端で尋問なんかしない」

 画家の顔は雪と見分けがつかないほど白くなっていた。

「自分が怪しまれていて、妹に罪を被せれば、潔白なふりができるから?」


震える唇で、彼は言葉を紡いだ。

「わかってほしい。教皇を殺すには今しかないんだ……」

「妹に、文書を持たせて、犠牲の羊にしたのね」

 画家は顔を伏せ、静かに頷いた。 

「本当にすまなかったと思ってる。彼女はいつも熱心に学びに来ていて、こんなことしたくはなかった。でもそれしかなかった」

 開いた口に冷気が流れ込み、肺が凍りそうになる。

「僕を、密告するかい?」


 私は口を抑える。吐き気がして、歯が鳴るのも、寒さのせいだと思いたかった。

「いいえ、私が恨んでいるのは、教団だもの」

 画家の目が再び見開かれた。

「文書を、届けるわ。妹がやるべきことだったことをする」

 彼は氷が溶けるようにゆっくりと、泣きそうな、笑うような表情に変わる。私は画家に背を向け、自分の足跡が既に雪で掻き消された道を歩き出した。

カンテラが軋む音がし、光の塊が

揺れる。異端者の父親と同じ髪と瞳と名前を持った少年を視界に入れないよう、小さな影の前を足早に通り過ぎた。


 私は暗い森の道を歩いている。もうすぐ処刑が始まる時間だ。次に視界が開けたとき、ハルデンと執行部隊が見えるだろう。

 文書を届けるのだ。妹がすべきだったことをする。私も妹も反逆などしない。革命を起こそうなどとは思わない。この土地をいつか破滅させる、雪と山ともうひとつ、狂信。それに加担するのだ。


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