第11話 密告者 5.

寮に戻ると、いつも通り飴色の明かりがぼんやりと部屋を照らしていた。コトヌーは私の顔を見るなり、

「辛そうね」

「少し疲れただけよ」

 彼女は視線を逸らさなかった。

「死んだひとは責めても許してもくれないものね。そのひとが生きていたときの言葉を思い返して、自分を傷つける材料を探さないで」

 呟くような声でそう言ったコトヌーは自分の腹部に手を添えていた。私はベッドに横たわる。今日聞いた言葉が頭を巡る。

 画家は、妹は伝達係だったと言い、ハルデンは、妹は何も知らなかったと言った。画家は、妹は自分たちを庇って自白しなかったと言い、ハルデンは、追及できなかったと言った。


起き上がって、上着を羽織る。コトヌーが横たわったまま、毛布の下から私を見つめて訊いた。

「どこに行くの、ディヤラ」

 部屋は暖かいのに震えが止まらない。

「一緒に行くわ」

「先に寝ていてよ」

 彼女は固く口を結んで、そうじゃなくて、と首を横に振った。

「友だちでしょ、ディヤラ」

 私はしっかりと頷いてから、ランプを掴み、ドアを開けた。


 空には光がなく、吹雪が吹きすさんでいた。進むごとに髪が凍りそうになる。寒さが痛みに変わり、息をするたび氷の粒が喉を刺した。暗闇の中に浮かび上がる、ラゲリの壁に塗り込まれた聖人たちだけを手掛かりに進んだ。昼間は団員たちが担ぐ輿に、絵を描けるのは夜だけだ。

壁の先にぼやけた人影が見える。画家にしては小さい。子どもだ。

足踏みをしているのか小刻みに揺れている後ろ姿に近づくと、カンテラをぶら下げた少年がこちらを向いた。異端者たちの集会所で見た顔だ。烏の羽のように黒い髪と、寒さで赤らんだ頰と鼻。まだ幼い丸みを帯びてはいるが、上を見ると三白眼にも見える緑の瞳が画家によく似ていた。

「お父さんは、あっち?」

尋ねると、子どもは身を震わすように小さく頷き、しばらく考えてから呟いた。

「父さんの、仲間のひとだよね」

私は何も答えず、ぎこちない笑みを作った。

「名前は、何ていうの?」

「父さんといっしょ」

「そう」

少年は睨みつけるようにこちらを見つめたが、敵意はこもっていない。鋭い目つきを、父親のように微笑みでごまかす術はまだ知らないのだろう。

少年の前に屈んで、視線を合わせる。

自分の吐き出す白い息を見つめてから、私はゆっくりと一言ずつ区切って尋ねる。

「ねえ、私と似た女のひとが、あなたのお家に来たことがある?茶色い髪をしていたの。名前は、バクルっていうのよ」

少年は考えるように一瞬眉をひそめると、短く「ない」と答えた。私にはそれで充分だった。


私は膝を伸ばして、立ち上がる。

「寒いしもう遅いから帰った方がいいわ」

「父さんを待つから」

そう答えた揺るぎのないふたつの瞳を見て、胃の腑を冷たい鎖で締め付けられたような感覚になった。そう、と答えて、少年の前を横切り、私は再び壁に沿って歩き出す。

私もあの日、妹を待っていたのだ。二度と帰らなかった妹を。ひどく眩しいのに熱のない橙の陽が、窓の氷柱を溶かす夜明けまで。

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