第5話 密告者 3.

日の出はとうに過ぎたというのに、空は夜を希釈したように薄暗い。私はラゲリの壁画の恐ろしい聖人たちに見られながら歩いている。正門の近くまで行けば、画家が作業をしているはずだ。

視線を上げると、壁に並んだ生首のように、数人の子どもたちが私を見下ろしていてぞっとした。生贄に選ばれなかった子どもたち。


教団では団員どうしの婚姻が結ばれる。その中で、ごく稀に男でも女でもない子どもが生まれる。その子どもたちはみな、あの山の下を這うマグマの流れや力を見る焔の目を持っているらしい。どう見るのかはわからない。私が昔見た子どもは何の変哲もない鳶色の目をしていた。それでも、私たちが色を見るのと同じように、彼らは地脈を見るのだ。その子どもを輿に乗せて山を登り、壮大な宴の渦中で火口に投げ込む。神の子を、神の元に還し、集落の安寧を祈るのだ。

祈るべき安寧がこの地にあると、私は思わない。


向こうで橙色の影が怪しく蠢くのを見て、私は足を速めた。亡霊の息のような冷風に煽られて、カンテラが揺れている。画家は、雪の上に置かれた、まだほとんど色のついていない儀式用の輿の前に片膝をついていた。私に気づいて、彼は緑の顔料で汚れた顔を上げた。

「邪魔だった……」

尋ねると、彼はちょうど今撤収するところだと、かき集めた画材を示した。散らかった絵筆を拾うのを手伝う。雪に埋もれた白い柄の筆を拾い上げたとき、指に刺さる冷たさと同時に、が閉ざされた氷の柱がまぶたに浮かび、私は目を閉じた。


「バクルのこと、何と言っていいのかわからない。僕も辛いよ」

 私と画家は元来た方角へ歩いている。ここで生きるということは、ラゲリの壁を周回することだ。

「柱を、僕は見に行けなかった」

「見なくていいわ。私も寒波が過ぎるまで行かない。氷が溶けなければ、あの子を引き取れないもの」

「そうだね、この冬は寒すぎる」

 それからは互いに何も言わなかった。凍った道には、血の付いた下着や、寝ているのか死体かわからない毛布をかぶった人間が転がっている。

家に着くと、画家は扉の前で足を止め、私を見据えて言った。

「教団を、恨んでる?」


 画家に続いて家に入ると、腐りかけた木の匂いと共に暖かい空気が広がった。私は息を呑む。小さなリビングの、救世主の陰惨な逸話が刺繍されたカーペットにひしめき合って、年も性別もそれぞれのひとが集っている。一番奥、暖炉の手前に女性が微笑んだ。その首からもうひとつ首が生えたように、小さな顔が飛び出した。

「妻と息子だよ。五歳になる」

 私が言葉を探す前に、少年はぱっと母親の背後に隠れた。

「名前は?」

「僕と同じだ」

 画家は笑う。敷物の上のひとびとの視線は、画家を通り過ぎ、私に集中した。暖炉の照り返しを受けて、橙に染まった顔、顔、顔。

「僕と妻、それから息子を入れて二十三人になる――僕たちは全員異端者で、教団の画家なんだ」

「教団の画家じゃなかったの?」

「近づいて情報を得るためだ」

 私は何も言えなかった。画家は私の肩に手をかけた。

「君の妹は仲間だったんだ。団員に捕まっても、最期まで僕たちのことを売らなかった」

「妹は、私に、あなたから絵を習うと聞いていたのよ」

 彼は首を横に振った。ラゲリに望遠鏡を届けるとき画家と知り合ったのだと、屈託のない笑顔で語っていた妹が、教団に反逆を企てていた。画家の唇から、言葉と一緒に白い吐息が漏れる。

「ディヤラ、君にも加わってほしい。君たち姉妹の協力が必要だ」

「何をする気なの……」

「儀式の最中、教皇と教団の執行部隊を暗殺する」

 向こうで火花の弾ける音がする。それに続き、反逆者のひとりが抱いていた赤ん坊が、雷鳴のように泣き出した。

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