第4話 観測者 2.

 五年ぶりに見る集落は代り映えしない。雪を落とすため急な角度をつけた屋根から灰色の水が垂れる家、今にも消え入りそうな街灯、道端で濡れて凍った教団の会報。

 僕は、処刑を終えた教団員たちの肩の間から様子を眺める。背筋を少し曲げて先頭を行く総督の、腰に下げたフリントロック式の拳銃が歩くたびに不穏な音を立てた。

 側溝に張った氷の下で水が流れ、路面の雪は溶け出している。女工たちとすれ違ったとき、緩めたストールの隙間から、痛々しく痩せた鎖骨が見えた。気温は確実に上昇している。


 巨大で色彩を欠いたラゲリが見え始めてきた。長い教会の壁は卵の殻のように砕かれ、等しく白い表面を露わにしている。

 正門に着くと、ふたりの教団員を残し、僕の資料の乗ったソリを数人がかりで持ち上げながら、彼らはラゲリの中へ消えた。教団の人間でなければ教皇への謁見は叶わないので、外部の僕に代わって、父と僕の研究結果を伝えに行ったのだ。

生涯のほとんどを山の頂上、火口付近の観測所で過ごし、僕たちが得た結論。それは、あの火の山がもうじき噴火を迎えるということだった。 

 百年以上前の噴火以来、力を溜め続けてきた山が爆発すればその被害は計り知れない。そして、その時期はまさに月食と重なるだろう。儀式を取り止めるよう教団に伝えてくれと遺して父は死に、僕は山を下りた。


 しばらく経って現れた総督は首を横に振った。目の下の影はさらに濃く、薄く頬骨が浮いて見える。僕の両脇にいた団員が静かに離れた。

「総督、聞いてください。儀式の最中に噴火したら、信徒も教団もみんな犠牲になりかねない」

 総督は表情を変えずに、正面から僕を見据えて聞いた。

「火口に生贄を降ろすことは、噴火の引き金になるか?」

「それはありません。あの大きさの山を刺激するなら、大量の火薬か雪崩でもなけりゃ……」

「では、変わらず執り行うそうだ」

 何を言っても無駄だと思った。

「せめて、儀式に同行させてもらえませんか。山のことならわかります。いざというときに何かできるようになるべく近くにいたい」

 総督は口元だけで笑った。

「もちろん。儀式に参加するのは信者の義務だ」


「しかし、大した地質学者だな。山から降りて危機を伝え、噴火の危険を知りつつ儀式にも同行し……異端者どもに見せてやりたい」

 僕と総督は山に向かうため、再びラゲリの壁に沿って歩いていた。

「父の遺言です」

 彼は小さく肩をすくめた。気温がわずかに上がったとはいえ、集落の冬は肌を刺すように冷たい。長い壁の向こうから、錆色の筒を抱えた四十くらいの砂色の髪の女が俯き気味に歩いてきた。総督が急に語気を強めて言った。

「あれがうちの天文学者だ! 月食を予測した」

 女は一瞬怯えたように身をすくめ、足早に僕の脇を通り過ぎた。

「教団の人間になる条件は、異端者を密告することだ。会ったとき、俺がずいぶん若いと言ったな?」

 僕は彼のくすんだ緑の瞳を見て頷いた。

「十六のとき、異端者のアジトを見つけて二十人を一斉に告発した。以来、処刑には必ず立ち会ってる。特等席で」

 忠誠と非情さを見せれば、教団で簡単に昇進できるということだろう。 


 視線を感じて振り返ると、三人でひとつの生き物のように、一枚の茶色の毛布を頭からかぶった母親と兄弟がいた。濡れた路面を踏む裸足の足が、赤紫色だった。十五歳くらいだろう、兄の方が一歩こちらに踏み出し、母親がそれを制す。その固く結ばれた唇に見覚えがあった。今朝の処刑台で凍えていた異端者の男だ。虚空を見つめているようで、恨みに燃えるあの瞳。

 総督の痩せた横顔は何も語らない。こんなことには慣れているのだ。早く昇進しても、長くは生きられない。そうだろう、カザン。

ラゲリの壁は気が遠くなるほど長い。

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