第3話 観測者 1.
まるで白装束から覗く死人の胸だ。道の両端を固める溶けかけた雪の渓谷と、その間に広がる、雪より一段明度の低い空。以前そんな話をしたとき、父は隣に並んで一緒にソリを引いていた。今、僕はひとりで、ふたり分の荷物と父の遺骨の乗ったソリを引きながら、平坦な道を進んでいる。もう降り出してきた。ソリにかぶせた幌は、雪が触れた部分からより濃い藍色に染まっていく。資料が染みてはいないだろうか。
足を速めたそのとき頭上から、止まれ、と低い怒鳴り声が聞こえた。僕は言う通りにし、ソリの紐から手を離す。声のした方を見上げるより早く、声の主が雪の飛沫を上げながら駆け下りてきた。息を切らせたその男は、声から想像するよりずっと若かった。鉛色の外套に底の薄いブーツ、痩せた体躯。男は指先でこちらに来るよう示す。従おうとすると、片手で制された。
「ゆっくり来い。氷柱が溶けて、水が落ちるほどの遅さで」
刑吏が信徒を拘束するときの常套句だ。武器は持ってない、と声を張り上げ、ソリを置いて、彼の前まで進み出た。
男は白い息を唇から零して、歯を見せるように笑った。顔色の悪い頬に、三白眼ぎみの目の下が青黒く染まって、瞳だけが強く光っている。夜通し罪人を処刑していた顔だ。
「どこから来た」
山から、と答えると、彼は怪訝そうに片方の眉を上げた。
「地質学者の、サンテか?」
「父は死にました。その息子です」
「名前は?」
「サンテ」
親父と同じか、彼と呟いた。
「五年ぶりにこっちに下りました。その前は記録用紙を調達しに来ただけでしたが」
「ようこそ、よりおかえり、だな」
そう言って教団員は苦笑した。この土地の人間の特徴だ。排他的の裏を返すと、仲間への仄暗い連帯がある。故郷という単純なものではなく、共犯者か同病相憐れむような感覚。
僕は再びソリを引きながら、彼の後ろを歩いていると年を尋ねられた。「二十四です」
「敬語じゃなくていい。同い年か俺のがひとつ下だ……まだ名乗ってないな。教団の執行部隊の総督カザンだ」
僕は立ち止まって、彼の顔を見た。総督も足を止める。
「それにしてはずいぶん若い」
彼はそれに答えず、止まったついでに煙草を取り出した。僕も一本もらう。擦ったマッチを折って足元に捨てると、雪に沈んで見えなくなった。総督は上着の前を掻き合わせ、煙を吐きながら言った。
「処刑を見るのも、五年ぶりか?」
舞台は既に始まっていた。視界を遮る雪の壁がひとだかりに変わったその中央で、教団員に両脇を固められ、ひざまずいた異端者の脚は既に凍り始めている。簡素な木の棒に後ろ手に括られた男の顔は蝋のように白く、固く結んだ口元を震わせるだけになっていた。
教団員が関節の浮いた手で木桶を掴み、男に水をかぶせた。罪人は苦悶の声を上げ、わずかに身を反らす。
教団が行う処刑は罪人を雪の上で縛り、凍死するまで水をかけ続ける。これだけだ。単純だが、見せしめとしての効果は充分だった。雄弁に教団への批判を語っていた異端者が、全身を刺す寒さに微かな悲鳴か哀願だけを漏らすようになり死んでいく。引き延ばされた死は、尊厳を奪い去る。
眼は罪人から逸らさないまま、総督が訊いてきた。
「どう思う?」
僕は少しの間言葉を選び、短く答える。正当だと思う、と。
総督は声を上げて笑った。何ひとつ楽しく思っていないが、満足だと意を示す、ボイラーの空焚きのような笑い。
違いはないのだ。
処刑台で数時間凍えて最期の慈悲を乞いながら死ぬのも、この土地で数十年間寒さに耐えながら病気か事故で死ぬのを待つのも。
異端者の脚はすでに氷で覆われ始めている。
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